著書にみる井筒和幸氏の歴史認識というか頭の程度

(アホすぎる)

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成19年.7月8日日曜日くもり○
 今日、午後よりスポーツセンターに行く前に、高田馬場の駅前にある本屋さんの「芳林堂」に寄る。
 井筒氏の著書「民族の壁どついたる!」、「マンガ嫌韓流のここがでたらめ」(朴一、太田修その他)をネタとして購入。どちらもアホが書いただけのことはあり、ネタ満載。
 スポーツセンターでは昨日できなかった背中、肩、腕、下半身、そして最後に有酸素運動としてバイクなどのメニューを消化。
 
 井筒氏の著書は内容のアホさはもちろんだが、まずその字の大きさ、スカスカな行間にびっくり。詩集じゃあないんだから。(五〇〇円硬貨と比べてみてください)
 おかげさまで、スポーツセンターのバイクに乗ってる20分間で半分も読めてしまった。これで一二〇〇円(税別)は高い。

 井筒氏はこの本で、歴史について下記のように書きます。
<なんで日本には在日コリアンと呼ばれる人たちがいるのか。どうして関西には朝鮮学校が多いのか。その理由をみなさん知っていますか?
 日本人と在日コリアンの人々のあいだに何があったのか。その歴史を忘れたらいけません。
歴史をちゃんと語らなければ、何も前進しないんですよ」P三
<知らないということは、恐ろしいことなんです
。無知は罪悪なり、です。
略)
もっと歴史を知らなあかん。歴史を知り、現在の世界のことをもよく知ることが大事なんです>P一五九
<だから答えは「知ること」です。知ったことによって、意識がかわるわけですから。それが「知の力」ということ。知性というのは大事なことですよ。「知る」ということが最終目標です。知力を持つことほど、人間的なことはないです。
知らないで平気でいることは罪悪ですよ。まずは、知るべき。>P一九七
<相手を知る。歴史を知る。現実を知る。真実を知る。知ることは、未来につながる知恵となるのです。>P二〇四
と高所から語る井筒氏の歴史認識とはどのようなものでしょう。
井筒氏が「知性」などという単語を使うと、殆どギャグの世界としか思えません。

お前が言うな!

巻末にある参考文献を見てずっこけました。
参考文献
「在日韓国・朝鮮人読本」梁泰昊 (緑風出版)
「在日朝鮮人の歴史と文化」朴鐘鳴(明石書店)
「在日朝鮮人と日本社会」在日朝鮮人・人権セミナー(明石書店)
「Q&A在日韓国・朝鮮人問題の基礎知識(第二版)」中尾宏(明石書店)
「日本の朝鮮・韓国人」樋口雄一(同成社)
「中・高校生のための朝鮮・韓国の歴史」岡百合子(平凡社)
「在日朝鮮人史年表」姜徹編著(雄山閣)
「朝鮮の歴史 新版」朝鮮史研究会編(三省堂)
「朝鮮韓国近現代史事典」(日本評論社)
「済州島現代史」文京洙(新潮社)
「岩波日本史事典」(岩波書店)
「日本史広辞典」(山川出版社)
「ジュニア 日本の歴史事典」歴史教育者協議会編(岩崎書店)
「面白いほどよくわかる世界の紛争地図」世界情勢を読む会編(日本文芸社)
「一気にわかる民族と紛争」江波戸昭監修(池田書店)

 一冊の本を書くのにこんな偏った参考文献リスト、そしてたったこれだけしか参考文献がないのでいいのでしょうか。
 まあ、井筒氏だからいいのか?

醜い事実隠匿

 井筒氏は大東亜戦争後の北朝鮮への当時の朝鮮人、朝鮮人と結婚していた日本女性の引き揚げによる悲劇にはいっさいふれていない。
わずかに書いてあるのは
<祖国を失った在日朝鮮人にとって理想的だったのは北朝鮮のほうだったんです。こういう人たちは大韓民国でなく、北朝鮮を指示していたんですね。「北側に帰って理想国家づくりを助けよう」ということで、北側への帰還もはじまります。>P一四二
これだけです。
醜いものです。

 また、外国人である在日朝鮮人に対して
<日本の国が過去の歴史をきっちり精算し、けりをつけたのならいいんですよ。朝鮮に対する植民地支配、戦争、そして戦後の解放。そして日本に取り残されて生まれた「在日コリアン」といわれる人たちに対しても、ちゃんと日本国民の権利を取得させて、必要な人には補償もして、日本国民と平等に暮らしてもらってますよと。それが本当の謝罪というものであり、過去の問題への決着の付け方というものではないでしょうか。>P一五五〜一五六

 どうして、我が国が朝鮮にこれ以上過去の歴史の精算などをしなければならないのでしょう。ましてや、在日朝鮮人は取り残されたわけではありません。連中が勝手に居着いたのです。そんな外国人である在日朝鮮人に日本国民と同等の権利を取得させる必要等どこにもありません。
謝罪など要求される謂れもありません。泥棒に追い銭よりもっと悪いです。

 アホ過ぎる

朝鮮学校・パスポート


<朝鮮学校(韓国系の民族学校もふくめて)の運営は、ほとんどが在日コリアンの同胞による寄付でまかなわれています。普通の日本の学校と違って、公的な補助金などは交付されていません。
略)
 しかし、それでも朝鮮学校を卒業して、国公立大学に入った在日コリアンもいました。でも驚きますよ。朝鮮学校に通いながら、普通の日本の通信高校でも勉強して、卒業資格を得るという努力をしてきた人たちです>
p三十六〜三八

 
これも事実と反することを平気で書くバカ。朝鮮学校が自治体から補助金を出してもらっているだけでなく、日本人一般家庭が私立学校に通わせるとすると出ない補助金である「外国人学校児童・生徒保護者補助金」などというわけのわからない者まで出すバカな地方自治体まである。(中野区の場合月額七五〇〇円です)
 井筒氏は、在日朝鮮人は外国人であり、朝鮮学校は「各種学校」であるのを理解できないのでしょうか。
 それだけでなく、大学の受験資格は、井筒氏が書くような「朝鮮学校に通いながら、普通の日本の通信高校でも勉強して、卒業資格を得る」というような事をしなくとも、高卒認定試験、前は大学入学資格検定(大検)といわれる資格試験に合格すれば、大学受験の権利は得られます。

 ましてや、在日朝鮮人は我が国の公立の小中高校に通う事ができます。

 まあ、公立の学校には自国民が飢えで何百万死のうと平気な「慈悲深い栄養満点の太った偉大な将軍様や大元帥様」の実物と似ても似つかぬ肖像画はございませんが。

参考→朝鮮学校の現実
入試にみる在日朝鮮人による逆差別
朝鮮高校の矛盾

 井筒氏のウソというかアホさを曝している記述はまだまだ続きます。

<在日コリアンたちは、日本で生まれ、日本のパスポートも持っています。でも、親の国籍が韓国(朝鮮のまま)だとわかった瞬間、アパートの貸し主が「それじゃあダメです」というのもおかしなことです>p四〇
 井筒氏はどこまでアホなのでしょうか。ここまでアホウはなかなかいません。
外国人である在日朝鮮人がいくら日本で生まれたからといって「日本のパスポート」を持っているはずはありません。
 浅川彰広氏は御自身の帰化する前の経験として下記のような記述があります。
<なお、オーストラリアへの出発前、大学から、大使館に「在留届」を提出するように指導を受けていた。これは、海外に三カ月間以上滞在する邦人に旅券法上義務付けられているもので、不測の事態が発生した場合、大使館はこの在留届けの情報を基に在留邦人の保護にあたる。法律上の義務はもちろんであるが、自らが在外公館による保護を求めるのであれが、当然行っていなければならない。この「在留届」は日本人を対象としたものだったが、大学から「在留届」を提出するように指導されていたことと、私自身、韓国語もできず、また何の関係も無い韓国大使館に保護を求めるわけにもいかないので、あえて本籍欄に国籍を記入した上で、日本大使館に「在留届」を郵送した。後日、日本大使館から電話あり、「日本人を対象としているので、受付できない」といった連絡があった。
 こうしたことからも、実質的に日本以外に頼る国も、住む国も無いにも拘わらず、日本国民でないという事実の深刻さを痛感せざるを得なかった。仮に紛争が起きた場合、日本大使館による保護を受ける権利は、原則的には当時の私には存在していなかったのである。日本国内では、こうした日本政府によるさまざまな権利や保護が、外国人であっても、「特別永住者」であることを前提に、当然の如くそれらを受けているのだが、一旦日本国外に出ると、こうした当然の現実に気づかされた。
略)
 帰化したことで最も効果的だったのは、公的な書類の入手で、たとえばパスポートを、旅券事務所で申請するだけで取得できることであった。
韓国籍の時は、さまざまな局面でパスポートの取得には制限があったが、そうした制限が一切なくなったのが、なんとも晴れやかであった>
「別冊正論EXTRA.02」P72

 あの朴一氏の所でも書いたが、在日朝鮮人の人が海外にかける時は、日本国のパスポートではなく、南朝鮮、北朝鮮のパスポートで出国する。南朝鮮の民団のホームページには「我々は大韓民国の憲法を守る」と書かれている。つまり在日朝鮮人はみな南北朝鮮(大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国)の国民であるはずです。彼らにとっての祖国とは南北朝鮮であり、我が国から出国する時にはその祖国の発給するパスポートを持って出国する。
 当然の事ながら、菊のパスポートは外国人である在日朝鮮人では持てないのである。そして、海外では南北朝鮮の大使館に保護を求めなければいけないのである。

拉致問題と戦後補償

 井筒氏はその著書で北朝鮮による国家犯罪である日本国民の拉致と我国の朝鮮統治を同列に書いている。
以下引用
 <北朝鮮政府は、日本が拉致問題を持ち出すと、「戦後補償の問題が先である」という趣旨の発言を繰り返しています。これ、みなさん何のことを言っているかわかりますか。
略)
 しかし、北朝鮮に対してはどうだったのか。北朝鮮は簡単に言うと、こう思っています。
「日本は何も戦争の責任を果たしていない。賠償しろ」p六二〜六三

 <もし日本と北朝鮮が国交を結ぶことになると、どうなるでしょうか。「日朝国交正常化」というキーワードで報道されているのがそれです。日朝(日本と北朝鮮)の国交が正常化(つまりほかの国と同じように国交ができること)するとは、そこから日本の「戦後補償」がはじまるということになります。北朝鮮にしてみたら、今まで払ってくれていない分を支払ってよ、ということです。p六四

 <話がそれましたが、拉致被害者の問題について、拉致した娘を返せ!そうさけんでいる。確かに拉致などは許されることではないと思います。
 ただ、一〇〇年前を振り返り、日本と朝鮮の歴史の流れでみるとどうか。
 一〇〇年前の日本が朝鮮半島を支配して以来、朝鮮半島を支配して以来、朝鮮人を強制的に日本に連れてきて労働力としてこきつかったり、日本人として徴兵して戦地に送り込んだという過去があります。
 在日コリアンの一世にあたる人たちは、こういった歴史的背景の中で日本に連れて来られた人たちなんですよ。「徴用」という名目で強制連行され、日本人がやらないような厳しい仕事に使われた。>
p六五〜六六

 <戦後補償というのは日本が戦時中にやっていた、今となっては非人道的な行いについてもなされるものです。先ほど書いたように北朝鮮と日本には国交がありません。国交もないのですから補償のしようもないのです。北朝鮮にしてみたら、「話はまだ済んでいませんよ」ということになる。
「あなたたち日本人は、朝鮮の人間にひどいことをしてきたじゃないですか。その責任を果たしてからものを言ったらどうなんですか」ということです。あちらから見れば、「拉致問題?それは戦後補償の話がついてからですよ」となるわけです。>
p六八〜六九

 <国交もない中で拉致問題を突きつけても、あっちの人は何とも思わないですよ。それより、北朝鮮は日本に対して「いまだに戦後の補償問題が済んでいない」と訴えている。このままでは拉致問題を解決するのが難しいんですよ。
何よりも、まずは国交正常化だと思います。>P
一四七


 このアホウは我が国と北朝鮮が戦争をした事があるような書き方です。我が国と北朝鮮はいつ戦争したのでしょう。戦争といえるものがあるのであれば、テロ国家である北朝鮮による現在進行形の拉致がそれにあたるかもしれません。
我が国は北朝鮮に一円の銭を払わされる謂れはありません。

 まるで、「北が日本人女性を拉致したというのはウソだと思う。工作員教育係なら在日同胞を使えばすむからだ。もし、仮に北が日本人を拉致したとしても日本人は批判できるだろうか。戦争中、膨大な数の朝鮮人を国家の名の下に拉致した歴史的な事実がある。いまなぜ日本に多くの朝鮮人がいるか考えてみてほしい。自国の歴史を忘れた発言が多すぎる」と書いた辛淑玉女史(一九八八年二月二六日付「朝日ジャーナル」p二三〜二四)や、朝日新聞が昭和六二年の北朝鮮による大韓航空爆破テロについて「こうした事件の背景には、米ソ冷戦が生んだ朝鮮半島の分断と対立の歴史があり、それによって不信と憎しみが増幅されてきたことを忘れてはなるまい」(一月一六日)と書き、その後も平成四年一一月に行われた第八回日朝国交正常化交渉で、日本側が李恩恵とされた田口八重子さんの問題を交渉テーブルに乗せることを前回交渉に続いて提言したことに対して北朝鮮側が激怒して席を蹴ったことについて、「日本は戦前の加害者としての反省に立ち、経済再建を積極的に支援する視点を忘れてはなるまい」(一一月八日)と社説で書いたのと同じである。

 ちなみに、朝日新聞は拉致が明らかになった平成一四年九月一八日の社説でも「拉致問題が極めて重大なことは言うまでもないが、それを理由に北朝鮮制裁などで、正常化交渉の窓口を閉ざすべきではない」と書き、第一面では木村伊量政治部長の文章で「(拉致は)その本質は国家犯罪以外の何ものでもあるまい」としながら「けれども、冷静さを失っては歴史は後戻りするだけである。いかなる意味でも拉致は正当化できないが、そもそも日朝の不正常な関係は、北朝鮮ができる前、戦前、戦中の三五年間にわたる日本による朝鮮半島の植民地支配に始まる」「日朝二国間の不正常な関係が生んだ悲劇だと思う」「どの国も『譜の歴史』を負っている。過去の日本がそうなら、北朝鮮もそうである」と書いている。日本の朝鮮半島統治と北朝鮮による日本国民の拉致を同じ位置に置いているのである。
 似たもの同士である。

南北分断

 井筒和幸氏の「民族の壁どついたる!」というこの本は「14才の世渡り術」というシリーズの中の一冊であるが、井筒氏は南北分断について下記のように書く。
以下引用
<どんな歴史があったにせよ、第二次世界大戦が終わるまで朝鮮半島を日本が支配していた。そのことが南北朝鮮に分断してしまう原因だということは間違いありません。それは覚えておいたほうがいい。
 
日本の植民地支配さえなければ、南北分断はなかったし、北朝鮮という現在では特異な国家体制の国が存在することもなかったのかもしれません。 
 ごく簡単な言い方をしてしまいますが、韓国の人も、北朝鮮の人も、基本的には日本さえ朝鮮半島にやって来なければ、こんなことにはならなかったと思っているはずなんです。>
p五九〜六〇

こんなことになってしまったのも、もとをたどれば日本による朝鮮の植民地支配です。その後始末をしていく過程で、アメリカとソ連がやってきて、中国も加わり泥沼の朝鮮戦争になっていったわけですから。日本が朝鮮半島を植民地にしなければ、朝鮮半島が分断されることもなかったはずなのです。>P一四一

 何と、南北朝鮮の分断は我国のせいだそうです。
 普通に考えれば、我国が統治しなければ、朝鮮は糞塗れの世界最貧国として支那の奴隷国家のままであったか、ロシアに蹂躙されていたかわかりませんが、今のような発展は無かったのは確かでしょう。
 ロシア領に住んでいた朝鮮人は強制移住させられ、民族教育が禁止され朝鮮語も喋れなくなっている。

公務員と朝鮮人

井筒氏の著書より
 
<サンフランシスコ講和条約の発効後、それまで朝鮮出身で日本の公務員の仕事をしていた人たちが、職を失ってしまうということもありました。日本国籍でないと公務員の仕事に就けなかったので、日本国籍を失ったことによって、朝鮮出身者は公務員の仕事をクビになってしまった。もしくは職を辞するしかなかった。
 公務員になるには、日本人としてあらためて「帰化」する必要がありました。でも、そんなに急に言われても無理だったのです。事実上、公務員の仕事から旧植民地の出身者を追い出すようなことがあったわけですから。>
p三四〜三五

 これについては、自身も帰化した朝鮮系日本人として生きている浅川彰広氏(名古屋大学専任講師)が「月刊正論」二〇〇七年八月号に井筒氏の記述は史実に反すると下記のように書いています。
以下引用
 井筒氏は、「公務員になるためには、日本人としてあらためて』帰化』する必要がありました。でも、そんなに急に言われても無理だったのです。事実上、公務員の仕事から旧植民地の出身者を追い出すようなことがあったわけですから。」として、フィクションの世界で勝手にその理由を捏造しているのだが、まさに「そんな急に言われても」を可能にしたのが歴史的事実である。
 略)
 韓国政府との合意の上で「在日」の国籍喪失処置が確定的となった段階で、当時日本政府は現職の朝鮮出身公務員に対して、申請書の添付書類として単に「申請者の所属する部局長の証明をもって足りる」とする簡便な手続きによって講和条約発効と同時に、帰化を許可し、就労が継続できる配慮をしていたのである。実際にこの処置によって、一九五二年四月二八日付けで、朝鮮出身者五二名を含む合計七一名の帰化が許可されている。
引用終わり
 
 井筒氏の書く「そんなに急に言われても無理だったのです。事実上、公務員の仕事から旧植民地の出身者を追い出すようなことがあったわけですから。」というのが大ウソという事がよくわかります。
 ましてや国籍を強制的に奪われたわけではない。
参考→
在日朝鮮人のつく大嘘「日本国籍を強制的に収奪された」

在日朝鮮人の選挙権については
 
<在日コリアンには「選挙権」がありません。それは、自分たちの仲間の代表を自分たちで選ぶことができないということです。つまり在日コリアンとしての権利、財産、誇りを守る手段をひとつ失っているということです。
選挙権がないなんていうことが、いまだにあるのは差別です>P二八
、<日本で暮らしているのですから税金は納めているわけです。でも日本の政治には参加できない>
P三四
何度も書きますが、外国人の納税と選挙権は関係ありません。
参考→
在日朝鮮人と参政権

創氏改名

創氏改名についての井筒氏の無知ぶり
以下、特に表記のない場合は井筒氏の著書「民族の壁どついたる!」よりの引用
<軍国化が進み、植民地支配が徹底されていく中で、朝鮮人たちを日本人化していこうとしました。さらに一九三九年に「創氏改名」という布告がだされて、朝鮮人は日本風の名前に改めるようにいわば義務づけられたんです。
 朝鮮人は昔から家族の系譜(族譜)を大切にする民族です。結婚しても姓名は変わりませんし、子供に名前をつけるときも、一〇〇年単位で家族の系譜をさかのぼり、親族のあいだで慎重に協議するわけです。
どんな人でも一〇〇〇年ぐらい昔の家系がわかっているらしいですよ。>p四七〜四八

<この流れで一九四〇年には「創氏改名」がはじまります。徴兵するためには、人間の管理をきちんとしなければならない。「朴」とか「李」とか「洪」という同じ朝鮮の姓名では管理しにくいから、名前を変えて日本人と同化させようとしたんです。
氏名を創るから「創氏」といった。これを義務化したんです。
強制的に姓名を変えさせられたんです。日本人化計画が始まるのです。
 ところが朝鮮には「族譜」というものがあって、父系を中心として血縁関係を図にした家系図を各個人が持っているような民族です。それくらいの
長い長い歴史を受け継いでいる、つまり名前というものを大切にしている。
 そういう人々に対して「管理上めんどくさいから名前を変えろ」と急に命じたわけです。日本人が朝鮮人を都合よく管理するためですよ。>
p一一八

 井筒氏のウソというか無知というかアホというか、頭の悪さからかメチャメチャを書いています。
 以前書いたことがあるように確かに創氏改名は、朝鮮民族に対しての天下の愚作ともいわれるべきものであると思う。しかし、それと日本名を強制したかというのは別のものです。(
不思議と、今でも強制されなくても偽名であるはずの日本名を堂々と名乗っているアホな在日朝鮮人が多い
 朝鮮人の「姓」とはあくまで男系の血統をあらわすものであり、夫婦別姓です。「金」家に「李」家から嫁いだ場合、女性は「李」のままを名乗り、生まれた子供の姓は「金」となります。女性には家族の名前が無かった。そこで、家族単位の称号を「氏」として新たに創り、日本国の民法上の整合性を図ろうとした。そのため、創氏は強制であったが、朝鮮人の「姓」を奪うものでは無く、それとは別に、あらたに日本式の氏を持たせるものです。つまり、朝鮮人は男系のみをしるした族譜による「姓」と日本風の戸籍の「氏」の両方を持っていたのです。
 井筒氏が書くように<朝鮮人は日本風の名前に改めるようにいわば義務づけられた>ということは絶対に無かった。届けを出して「氏」を日本式にするか、そのままの「法定創氏」とするかは自由であった。二割がそのままの「金」「朴」といった姓を氏として使った。
 有名な洪思翊将軍などはそのよい例ですし、衆議院議員までなった朴春琴、貴族議員の尹徳栄も日本名では無い。終戦時には朝鮮半島の一三の道のうち五人が朝鮮人であったが、その五人の朝鮮人道知事のうち二人が朝鮮式の姓のままであった。
 その二人の国会議員も創氏改名には反対していない。
 本当に朝鮮人が創氏改名に反対であれば、朝鮮人の国会議員が二人もいるのであるからそれを阻止することは容易かったはずです。そもそも、警察も創氏改名には反対していたのです。
 朝鮮総督府道警察部長であった坪井幸生氏によると、創氏改名について下記のように述べています。
「警察は反対的でした。この制度が始まった時の警察局長は三橋孝一郎という人でした。その三橋さんが局長会議で創氏改名に反対したそうです。警察の立場からすれば、朝鮮人は朝鮮人の名前のままにしておいてもらったほうが都合がいいわけです。朝鮮人か日本人か分からなくなってしまっては、第一線の仕事がやりにくくなる面があります。そういった事情もあって、警察は創氏改名を推奨する立場をとらなかったのですが、当然のことです」
(「月刊正論」平成一五年八月号より)

 ましてや、<徴兵するためには、人間の管理をきちんとしなければならない。「朴」とか「李」とか「洪」という同じ朝鮮の姓名では管理しにくいから>ということも無かった。二割の朝鮮の人がそのままの名前であったのだから。
 因に北朝鮮では「族譜」の全面破棄を断行している。これは日本統治時代の間はその「族譜」が存続していた証明にもなる。

 後、<どんな人でも一〇〇〇年ぐらい昔の家系がわかっている>と書いているが、朝鮮人は古代は「阿直岐」「興首」「階伯」などという名前であったことが古事記、日本書紀などでわかる。それが、高麗朝(九三六〜一三九二)のころには支那から手柄のあったものが支那風の名前を賜った。それを後生大事に有り難がった。その後、モンゴル人の国である元が中華帝国の主となればモンゴル風の名前に国王みずから改名し、漢民族の明が中華帝国の主となれば支那風の名前にもどした。
 しかし、下層階級の人間には「姓」がなかった。我が国でも明治八年にやっとすべての国民が「氏」を持つ事が定められました。朝鮮は李朝末期でさえ約半分が奴隷という国です。奴隷に姓などあるはずがありません。我が国が統治するようになり、すべての朝鮮人が初めて姓を持つようになったのです。
 井筒氏が書いているように本当に朝鮮人の皆が皆一〇〇〇年前までの家系がわかるのであれば、朝鮮人とは当然そのように名前までも事大して生きてきた民族であり、朝鮮人達が言うように名前に思い入れが強い民族では無いことがわかるはずである。
なにしろ、コロコロ名前がかわっているのだから。

あほらし。

 朝鮮人と志願兵

 井筒氏の著書よりの引用です。
以下引用
一九四三年になると、朝鮮で徴兵制が施行されました。もうこれは強制連行していいよ、ということです。ハードなやり口で、朝鮮から人間を集めては労働の現場に送り込んでいきました。>p六七

<一九三八年から陸軍特別志願兵令というのが出ていて、朝鮮人の青年に対して志願兵になるように募集はしていましたが、日本人として日本のお国のために戦いますなんという朝鮮人は、よほど珍しかんたんじゃないですか。お金のためにしようがなくとか、そういう人はいたでしょうけど。それがもう一九四四年には強制的に徴兵ですから。>P一二七
引用終わり

 こいつはホンマのアホです。
下記のデーターをどう見るのでしょう。
朝鮮人陸軍特別志願兵の朝鮮人志願状況
採用数 応募者 倍率
昭和一三年

四〇六

二、九四六名

七・七

昭和一四年

六一三

一二、三四八名

二〇・一

昭和一五年

三、〇六〇

八四、四四三名

二七・六

昭和一六年

三、二〇八

一四四、七四三名

四五・一

昭和一七年

四、〇七七

二五四、二七三名

六二・四

引用「日韓共鳴二千年史」名越二荒乃助編著P四三六、四四〇

 自称「歴史に詳しい」はずの井筒氏は「日本人として日本のお国のために戦いますなんという朝鮮人は、よほど珍しかんたんじゃないですか。」と書くが、この事実をどのようにみるのであろうか。圧倒的志願数である。
 「歴史に詳しい」はずの井筒氏がどうしたのでしょう。
 その歴史に詳しいはずの井筒氏が、同じ本の中で朝鮮半島における徴兵制を「
一九四三年になると、朝鮮で徴兵制が施行・・人間を集めては労働の現場に送り込んで」P六七と書いたり、「一九四四年には強制的に徴兵ですから。」P一二七と書いたりしています。
この人は徴兵の意味を理解しているんでしょうか?

 ましてや「労働の現場」って、あんたそりゃ、徴用?

 朝鮮半島・台湾における陸軍特別志願兵制は昭和一三年四月、海軍特別志願兵制は昭和一八年五月に実施されていますが、朝鮮半島における徴兵制は昭和一七年五月に発表されたが、実施は昭和一九年四月、つまり一九四四年です。

 名越氏の著書「日韓共鳴二千年史」には、その朝鮮の志願兵の事も掲載されている。
以下引用
 朝鮮総督府情報課が編纂した「新しき朝鮮」には、志願兵李仁錫上等兵(昭和一四年三月二二日戦死)の逸話が掲載されている。
略)
 これが最初の朝鮮人志願兵の戦死を伝える記事である。彼は第十一軍(岡村寧次中将指揮)による南昌攻略「仁号作戦」における日本軍戦死者五〇〇余名のうちの一人と推定される。
 昭和一八年一〇月二〇日、「昭和一八年度陸軍特別志願兵臨時採用規則」(陸軍省令第四八号)による「中等学校卒業程度ヲ入学資格トスル修業年限二年以上ノ学校ニ在学スル者」の志願兵制度が施行された。
 これによる朝鮮出身者の学徒兵最初の戦死者は、佐賀高等学校を卒業し、京都帝国大学法科に進み、一回生で志願して、昭和一九年一月二〇日入隊、北支で鉄道警備に当たっている際に敵と交戦、戦死した光山昌秀上等兵である。彼は戦死後、二階級特進とされているので、戦死時は二等兵であった。それでも時の小磯国昭朝鮮総督府総監は、自ら光山家に出向き霊前で合掌したと報じられている。残念ながら彼の本名、詳しい戦死日時、場所は不明である。
 これ以後も、昭和一八年に朝鮮総督府陸軍志願兵訓練所で四カ月の訓練を受け、翌一九年一二月一四日、ビルマ戦線で爆雷を抱いて敵陣地に突入し、戦死を遂げた朴村官彬上等兵が、個人感状の光栄に欲した事などがハングル文字の新聞に大きく報道されている。
略)
 イワラジ河畔の都市バーモにおいて三〇倍もの重慶政府のインド遠征軍に包囲された原支隊(原好三大佐指揮)が、第四九師団「狼」と第五六師団「龍」の精鋭三〇〇〇名とによって救出された際の「狼」師団の歩兵であったと推測される。
引用終わり
「日韓共鳴二千年史」P四四一

 このように多くの朝鮮の人たちも日本人として立派に祖国を守るために戦ったのです。
その中には、朝鮮人最初の金鵄勲章を賜った金錫源大佐(朝鮮名のまま)、特攻隊として散華された朝鮮人の方々など二四万二千三百二十一人もの朝鮮の方々が大東亜戦争中に、軍人および軍属として戦い、二万二千百八十二人の方が戦死、戦病死されました。当時は日本ではあったとはいえ、台湾の方々ともに戦い、尊い犠牲を払ってくださったのです。
 それを、井筒氏のように「日本人として日本のお国のために戦いますなんという朝鮮人は、よほど珍しかんたんじゃないですか。お金のためにしようがなくとか、そういう人はいたでしょうけど。」と書くことはこのような先人の行動をも歪め、辱めていることになるのです。
 ちなみに、先に書いたように朝鮮半島における徴兵制実施は昭和一九年であり、訓練中に終戦となり、朝鮮半島の徴兵制による兵士はほとんど戦場には行っていない。

朝鮮半島における土地調査


土地を取りあげられて・・・
<朝鮮に乗り込んできた日本人は「合法的」に土地を奪っていきます。>p一〇六
<「じゃあ、あなたはいついつまでに、土地の広さに応じた税金をいくら払ってください。払えないなら土地を手放してください」という。
 このようにして朝鮮人の土地を取り上げていきます。所有権がはっきりしない土地は取り上げられ、日本人の地主や、植民地を開発する会社(もちろん会社)に取りあげられ、日本人の地主や、植民地を開発する会社(もちろん日本の会社)に譲渡されました。こうして朝鮮人の土地は日本の国土になっていったんです。これが生々しい植民地化のプロセスです。>
p一〇七
<当時、朝鮮人の人口のうち八割が農民だったそうです。多くの人が農地を奪われました。それでも畑を耕して食っていかなくてはならない人々は、小作農になりました。日本人の地主に、小作料を払わなければなりません。出来高の何割かをもっていかれます。これでは生活できない・・・と、農地を離れ都会に職を求める人々があふれました。
生きるために祖国を捨てる
 しかし、都会に出てきたところで、仕事なんかありません。生活に困るわけです。ではどうするか。朝鮮にいてもしょうがないから、いっそのこと日本に行こうじゃあないかということになるんです。
略)
 たくさんの朝鮮人が日本を目指したんです。日本に行かざるを得なかったというのが本当でしょう>
p一〇八〜一〇九

これもウソばかりを並べています。
参考→
土地調査事業
李朝時代の土地制度
米の収奪のウソ
朝鮮の餓死者と強盗数の変化
我が国の朝鮮統治と小作農家
南朝鮮の土地測量事業とウソ
朝鮮における土地政策(農地改良)

 自称「歴史に詳しい」井筒ダイカントクどうしたのでしょう。
 アホ過ぎる。
 Yさん二名様で来店。一名様来店。二名様来店。
 今日は常連さんがいらっしゃらないという珍しい一日。

強制連行


<在日コリアンは難民ではありません。日本が朝鮮を植民地支配して、たくさんの朝鮮人を日本に連れてきました。
略)
 朝鮮半島を植民地化するために軍隊と警察と役人を送り、それまで平和に暮らしていた朝鮮人たちを虐げ、やがて朝鮮人としての名前まで日本風のものに変えてしまう・・・。同じ民族であるにもかかわらず、やがて朝鮮半島は北と南に分断されてしまいます。>
p二六〜二七

<日本は一九一九〇年に朝鮮を植民地化しました。韓国併合という出来事です。植民地支配ですから、朝鮮にいた朝鮮人は、「あなたは今日から日本人ですよ」と宣告されました。支配というのは、そんなやさしいものではありません。朝鮮人としてのアイデンティティーを奪われたのです。
略)
 荒廃した朝鮮半島では食っていけない。そこで朝鮮を離れ、日本で生活の基盤をつくろうと、たくさんの朝鮮人が海を渡って日本に来ました。
略)
 その後、一九五二年に発効されたサンフランシスコ講和条約によって、在日コリアンは日本国籍を離れることが決まりました。ただ勝手に日本国籍にさせられた在日たちにとって、今度はまた勝手に日本国籍を奪われてしまう・・・つまり「外国人扱い」されてしまうことになったのです。>
p三〇〜三一

<日本が朝鮮半島を支配したとき、多くの朝鮮人が土地を奪われたり、労働力として日本に連れてこられたり、戦地に送りこまれたしました。支配される人にとっては情け容赦ないものです。>p六〇

<ただし自分の意志で日本に来たわけではありません。強制的に連れてこられた朝鮮人も数知れない。祖国・朝鮮から引きはがされるように日本に連れてこられ、再び家族の顔を見ることなく死んでいった朝鮮人がたくさんいるんです。
 この猛烈な人口増の裏には、とてもひと言では語りきれない事情が隠されています。でも現在の在日コリアンのことを知るためには、ぜひ学んでおかねばならない歴史があるんです。>
p九三

<突然トラックでさらわれて・・・・
 ある朝鮮人は、畑で仕事をしていたらトラックがやってきて、「おい、貴様、いいから乗れ」と命令されました。そのまま日本に連れてこられたりしたそうです。「いやだ」と反抗すれば、殴ってでも連れてきたんでしょう。「これは命令だ」と。それが強制連行のおそろしいところです。
 このようにして
日本に連れてこられた朝鮮人は、日本側の発表で約七〇万人とされていますが、朝鮮側の統計では一〇〇万人を軽く超えていると言われています。こんなに多くの人々が、朝鮮から日本に連れてこられたんです。>p六七

<一九四一年、大平洋戦争がはじまると、ますます日本本土で労働力が不足していきます。
略)
「官あっせん」というやり方でそうしました。
 このときも表向きは「募集」としていたのですが、じっさいは強制に近かった。その後、「徴用」と名目を変えてはいますが、じっさいは
暴力でねじふせて無理やり日本に連れてきた。これが「強制連行」です。>p一二一

<ある朝鮮人の青年は、田んぼで仕事をしていたら、日本の役人のトラックがやってきて、「おまえ、米なんか作っている場合じゃないぞ。いいから乗れ」って。徴用する名簿に名前が載っているんだとか言って、身支度もろくにさせず、家族や親に「行ってきます」も「さよなら」もいうひまも与えず連行されました。>p一二二

 いまどきこんな戯言というか在日朝鮮人がつくようなウソを信じる日本人がいるのでしょうか。井筒氏は参考文献にはあげていませんが、職業詐欺師の吉田清治の著書「朝鮮人私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」(三一書房 1983)に井筒氏の書くような場面が出てきます。
 
 井筒氏は、拉致されるようにして「嫌で嫌でしかたない日本」に連れてこられた朝鮮人が戦後帰国しないのはどうしてか不思議に思わないのでしょうか。
 犯罪国家である北朝鮮に拉致された我が国の同胞の皆様は二〇年たっても日本に帰国されました。朝鮮人はたった一年や二年、あるいは数年なのに生活基盤が本国(朝鮮半島)に無くなってしまったとでもいうのでしょうか。
 戦後もそして現代も続々と朝鮮人は日本に来ています。我が国で一番の不法滞在者は朝鮮人です。これも日本が悪いのでしょうか。
 井筒氏はこのような朝鮮人の行動についてどう思っているのでしょう。


 まず、井筒氏は「強制連行」というものについて<
日本に連れてこられた朝鮮人は、日本側の発表で約七〇万人とされていますが、朝鮮側の統計では一〇〇万人を軽く超えている>と数字を挙げながらその数字がどこよりの引用かも書いていない。日本側の発表として「七〇万人」などという数字がいかにも公的な数字のように書くが、そのような公的な数字は無い。<「官あっせん」・・・じっさいは強制に近かった。><「徴用」と名目を変えてはいますが、じっさいは暴力でねじふせて無理やり日本に連れてきた。これが「強制連行」です>と書き、<徴用する名簿に名前が載っているんだとか言って、身支度もろくにさせず、家族や親に「行ってきます」も「さよなら」もいうひまも与えず連行。>とまで書く。
 職業詐欺師である吉田清治については、中村粲氏、板倉由明氏、上杉千年氏らの検証によって、軍の命令系統から本人の経歴まで全てが嘘であることが判明している。参照→
吉田清治
 
 また、官斡旋と徴用を井筒氏は同様に書くが(同様の間違いというか意図的な混用?は「朝鮮人強制連行の記録」など他の著書でも多い。)官斡旋と徴用の違いを分かっているのであろうか。井筒氏は徴兵と徴用の違いも分かっていないように思えるが・・
 官斡旋と徴用の決定的な違いは罰則の有無です。官斡旋の場合は、予定企業に就職後、辞めて他の企業に務めても良い。前渡金、食費、未払い賃金など金銭的な精算さえすれば、何の犯罪にもならない。

 井筒氏の書くような事は法治国家であった日本ではあり得ないと元朝鮮総督府の幹部であった坪井幸生氏と大師堂経慰氏は以下のように述べています。
(大師堂氏)<徴用礼状には、何月何日にどこどこにへ集まり、徴用されていく先はどこで、こういう仕事だということが書かれている。これを受け取った人は指定の場所に集まり、引率されていくのが普通のやり方です。前述の教科書にある「土足で家に上がりこみ、手錠をかけて・・・」というやり方は、普通の例ではありません。何度も徴用を拒否して出てこない人の徴用令違反で逮捕された時の描写だと思います。逮捕されると、検事局に送られ、起訴されて裁判に掛けられます。徴用令違反は一年以下の懲役でした。
略)
 手錠をかけて連れていくというようなことが徴用の一般的な実態だったとしたら、労働行政は成り立ちません。終戦まで行政はしっかり機能していました。 >
 (月刊正論平成一五年三月号 p五二〜五三)


 そして、朝鮮半島からの渡航については、下記のように述べている。
(坪井氏)<保安課で外事警察をやりながら、内鮮係も兼務していた昭和一四年ごろ、内務省の警備局保安課との折衝で、こんな事を思い出しました。当時、朝鮮人が日本内地にどんどん来るので、内地としては、労働の需給関係や治安問題もあって、内務省は「渡航を制限したい」というのです。しかし、朝鮮人も日本人であり、総督府としては困るわけです。内地は気候がよく生活水準も高いし、いろんな面で魅力があるわけです。渡航してきた朝鮮人hば家族を呼び、係累を呼びます。当時は、朝鮮人の渡航を制限しようとする内務省と、制限するなという朝鮮総督府の方針が対立しました。
 やがて、日本で労働力を必要とするようになり、「朝鮮人労働者を入れてほしい」と変わってきた。企業が労働力を補充するため、朝鮮半島へ募集に行ったりした。最後は、徴用令を敷いて労働力を補充したというのが実態です。
略)
どこの国だって、徴兵もし、労働力を補充するための徴用もする。法治国であれば、法律の手続きの下で行われます。
(大師堂氏)それを「国家犯罪だ」というのは、戦争中の動員を国家犯罪だと言っていることと同じです>p五三〜五四

 井筒氏は朝鮮半島に駐留していた我国の軍隊をどのくらいと思っているのであろうか。また、日本人の警察官の占める割合はどのくらいと思っているのであろうか。
 行政官の占める日本人の割合をどのくらいと思っているのであろうか。
 朝鮮併合時の憲兵の数はたった二〇一九名であり、そのうち一〇一二名の憲兵補助員は朝鮮人であった。すなわち、悪名高い「憲兵警察」はたった一〇〇七名の日本人が朝鮮半島全土に散らばって配置されたのである。
 軍隊は朝鮮半島には二個師団しか駐留していなかった。
 併合して間も無い昭和七年でも常備団隊として配備されていたのは、第十九師団(羅南)、第二〇師団(龍山)のたった二個師団です。終戦時には関東軍の下にあり第一七方面軍朝鮮管区として上月良夫中将でした。(「別冊一億人の昭和史 日本陸軍史」毎日新聞社昭和五四年刊)
 この二個師団で朝鮮半島を納めていたのです。
 井筒氏は独立運動について
<一九一九年には二〇〇万人規模の独立運動も起きました>p一〇六
 と書きますが、その独立運動とやらの程度がこれで良くわかります。

 警察官においては、警務官→警視→警部→巡査→巡査補となっていたが、併合間も無い一九一〇年末における日本人と朝鮮人との割合は下記の通りであった。

警務部長

警務官

警視

警部

巡査

巡査補

合計

日本人

一三 

三〇

一六七

二〇五三

二二六五

朝鮮人

〇 

一四

一〇一

一八一

三一三一

三四二八

合計

一三

四四

二六八

二二三四

三一三一

五六九三


「歴史を偽造する韓国」中川八洋著徳間書店(中川氏は「総監府時代の財政」友邦協会p一二二より引用)

 つまり、上級職である警務官と警視の三割は朝鮮人であった。これは先の官吏について同じ事であるが、日本の朝鮮統治が「日本の警察による支配」といく批判が的外れであることを意味する。併合間も無い時期ですら警察幹部の三分の一が朝鮮人であり、その朝鮮人幹部の下に日本人警察官が警部、巡査をがついていた事がわかる。また、警察の末端だけが朝鮮人であったということも間違いである事がわかる。
 武断政治といわれている我国の朝鮮統治がウソである事が良くわかる。

 朝鮮には一三の道(県)があり、知事ポストの約四割が朝鮮人でした。(終戦時には五)
 例えば、江原道の知事ポストは李圭完から終戦時の孫永穆まですべて朝鮮人でした。一三道の日本統治時代の全知事総数一二五名のうち日本人知事は七六名、朝鮮人知事は四九名と39%が朝鮮人が占めていました。
ちなみに、知事に直結して朝鮮の民情をすくいあげ具申する任務の特殊副知事ともいうべき参与官は一三道すべてが朝鮮人でした。
 慶尚北道の一九三二年(昭和七年)一月現在の県知事は朝鮮人であり、四名の部長(内務部、産業部、財務部、警察部)のうち産業部長は朝鮮人。そして、四つの部にいた部長以外の日本人官吏は一九四名。つまり、三名の日本人部長もその他一九四名の日本人官吏も、朝鮮人知事に仕えていた。
 一九四〇年の朝鮮総督府における朝鮮人高級官吏の実態として
 内務局には局長以下三一名の高級官吏のうち三名が朝鮮人。財務局は局長以下一三名のうち一名が朝鮮人。学務局は局長以下19名のうち三名が朝鮮人であった。学務局の三名の朝鮮人高級官吏のうち一名は視学官という高官であった。
 その他の例として京城履審法院の一三名の判事のうち二名が朝鮮人、京城地方法院二八名の判事のうち三名が朝鮮人、京城地方法院検事局の検事一四名のうち一名が朝鮮人であった。
 学務局の最高ポストである学務局長として李軫鎬が一九二四年から二九年まで就いている。

 朝鮮半島における地方行政機構は、道知事の下に、日本の市にあたる府、日本の町と村にあたる邑と面、邑と面を統括する郡があった。一九一七年において、一四府、一二八郡、五一邑、二三七四面であった。済州島と鬱陵島のみ島庁をおき、島司を任命していた。この島司は郡守と同格であった。
 準・議会が道、府、邑にそれぞれあり、一九三一年(昭和六年)より府会、邑会、一九三三年(昭和八年)より道会といった。議長はそれぞれ道知事、府?(市長)、邑長が兼ねるために完全な三権分立的な議会でないが、議決機関であった。村にあたる面の面協議会は諮問機関であり、準々・議会といってもよいものであった。
 道会議員の三分の一の議員は官選、三分の二の議員は、府会、邑会、面協議会の議員が選挙した。道会議員の内訳は日本人が四分の一、朝鮮人が四分の三がおおむね基準であった。
 例えば、一九三二年における京幾道の道会議員三七名中、日本人は一〇名で朝鮮人が二七名であった。
 このように朝鮮半島における地方議員の多くは朝鮮人であり、朝鮮人対日本人というような多数決になれば日本人は敗れるしかなかった。
 郡守、邑長、面長は、ほぼすべて朝鮮人であった。(郡守、邑長にごくわずかの例外あり)
 朝鮮半島に移民してきた日本人は朝鮮人の郡守、邑長、面長の統治下にあったといってよい。
  このような状態で、強制連行が行う事ができたと思う方が狂っている。

 朝鮮半島における在日本人は特権というものが無かった。一九三七年より配給制と朝鮮半島もなってきたが、塩、砂糖などの配給で日本人と朝鮮人との差別はなかった。キムチのために朝鮮人に塩を多くし、日本人には砂糖を多くするなど公正な調整がされていた。
 配給の行列ですら日本人、朝鮮人の区別なく一緒に並んだ。(参考文献「歴史を偽造する韓国」中川八洋著徳間書店)
 
 井筒氏は参考文献には挙げていませんでしたが、在日朝鮮人のが強制連行について書いた著書の一つに「朝鮮人強制連行の記録」(朴慶植著 未来社 一九六五年第一刷)という本があります。
 当時、朝鮮学校教師であった著者により書かれていているウソ満載の本ですが、この本の与えた影響は小さくありません。 私の手元にあるのは未来社より一九七一年に発行されたものですが、六年間で一二刷となっています。
 この本には強制連行として一九三九年〜四五年と書かれています。一九三九年、昭和一四年はまだ大東亜戦争も始まっていません。

閔妃

 想像で
<日本は朝鮮を何とかものにしたい。じっさい、どんな汚い手を使ってでも朝鮮を支配したいと考えていたでしょう。
略)
閔妃とは、李氏朝鮮第二六代にあたる王様のお后さまです。日本でいえば皇后陛下のような方ですよ。
略)
おそらく言うことを聞かない朝鮮の政権を倒し、日本が話を進めやすい政権を立てようという日本政府の謀略だったことは間違いないでしょう。
 朝鮮の人は怒りましたよ。だって国の母を殺されたんですから。日本に置かえて考えてみてください。どえらいことですよ。>

P九九〜一〇〇

 よりによってあんな閔妃と皇后陛下を一緒にするとは。ましてや、閔妃が国の母などと当時は言われてもいないし、慕われてもいない事は少し本を読めばわかることです。
 そして、歴史を少し知っていれば、井筒氏が書くような「日本は朝鮮を何とかものにしたい。じっさい、どんな汚い手を使ってでも朝鮮を支配したいと考えていたでしょう。」などというような状況で無かった事は明白です。
 当時の状況を考えれば、我が国は朝鮮を自立させたかったが、世界最貧国の朝鮮は事大するだけで、その知恵も力も無かった。
 関わりたくは無いでしょう。あんな国に。
  

豊臣秀吉の朝鮮出兵

<日本国内を治めるために「外敵」をつくる必要があったのでしょう。国内の不満をそらすため、派手な戦争を仕組んだという見方もあります>p八六
<もともと朝鮮が優れた文化を持っていることはわかっていたし、尊敬もしていたはずなんです。だからこそ、その朝鮮を支配下に置き、大名でも配置しとけ、ぐらいのことをもくろんでいたのかもしれません。
 朝鮮を支配しようというとき、やはり朝鮮よりわれわれ日本人のほうが優れているのだという意識があったはずです。優れたものが劣るものに勝るのは当然である、という考え方です。今の世の中でも「勝ち組、負け組」などといういやらしい分け方があるようですが、同じような意識はすでに芽生えていたんですね。だから植民地にして、ぜんぶ奪ってしまおうということになる。>
p八七
<これに対して朝鮮側も必死に抵抗しました。激しい戦闘が朝鮮を舞台に繰り広げられました(壬辰・丁酉戦争)。この戦争の結果、朝鮮半島の農村は壊滅的な被害を受けました。
 朝鮮に送り込まれた武将たちは、自分の手柄を示すために残酷なことをしました。朝鮮人の耳や鼻を切り取っては塩漬けにし、秀吉に持って帰ってきたのでした。その数は一〇万ともいわれています。京都市にある耳塚に埋葬されました。
 こういった
侵略。戦争によって、朝鮮の人口は大幅に減少しました。大量虐殺ですよ。しかも何万人もの人たちが日本に連行されてきました。p八八

 普通、「壬辰・丁酉戦争」なんて使うか?日本人だったら「文禄・慶長の役」だろうに。それとも歴史に自称「詳しい」井筒氏は「壬辰・丁酉戦争」って習ったのでしょうか?あと、「
もともと朝鮮が優れた文化を持っていることはわかっていたし、尊敬もしていた」「やはり朝鮮よりわれわれ日本人のほうが優れているのだという意識があったはず」という文章に矛盾というものを彼は感じないのであろうか。
 
 また、戦場において戦果を確認し、功を競うのは当たり前であり、その戦果を確認するために、敵の首級を挙げるのが習わしであったが、朝鮮においては首に変えて鼻を切り取って戦果を量った。
 そして、その敵の鼻を京都大仏の前に埋めて、盛大な法要を催行し弔っているのである。
 それは豊臣秀吉の信任が厚かった側近でもあった相国寺九二代住職西承兌が日記の中に下記のように詳しく秀吉の様子を書いている。
「大相国命(豊臣秀吉)はこの鼻を見て憐れみの心を深くしし、敵味方を超えて平等に供養しなければならない、として禅宗の五山の僧に命じて山海の珍味を供えさせ法要を営んだ。そして憾みを超えた平等の心を持って墓を造る。この墓を名付けて鼻塚とし、尚塔婆一基を建てる」
(原漢文、相国寺史料第一部)
 塔婆に秀吉の命にて、「清風明月同天、千時龍集丁酉秋九月二十又八日敬白」と書いたそうである。
 我国では古来より戦いが終われば、敵も弔う。それは日本人同士の争いだけでなく、元冦などにおいても同じである。
 北条時宗は、元の使者五人を斬首して断固たる決意を示したが、その後、五人を弔うため、鎌倉滝の口に五輪の塔を建て、その傍らに彼らの辞世詩を刻んだ碑を健立しました。
 さらに、文永・弘安の二度の元冦が終わると、弘安五年(一二八二)に鎌倉円覚寺を建て、水没した一〇万人の元軍の死者のために千体の地蔵尊を作って奉納しました。
 朝鮮人は秀吉軍をこのように弔ってくれたのでしょうか。

なぜ、連れてこられた朝鮮人がその後帰国しなかったのか井筒氏は書かないのだろうか。今の在日朝鮮人と同じです。朝鮮半島より我が国の方が暮らしやすいからです。
 ウソまで書いてどうしても、日本人のイメージを悪くさせたい井筒氏。考え方が朝鮮人。

従軍慰安婦問題

井筒氏の著書より

 <現在も大変大きな問題となっている従軍慰安婦問題。その発端はこのころの徴用と深い関係があります。当時徴用されたのは男性ばかりではありませんでした。女性だって連れて行かれたんです。
 日本軍や日本政府の手先になっていた業者が、「いい仕事があるよ」と声をかける。貧しい農家の娘などは、もう仕事があるだけでも助かりますから「行きます。お願いします」となる。このようにだまして連れて来たり、もっとひどい
手段で強制的に連れ出すこともあった。そしてその女性たちは、日本兵の慰安婦をさせられていた。慰安どころのさわぎではない。実際は性行為を強要されていたんですから、ひどいもんですよ。>p一二三

 <従軍慰安婦の問題が今も解決していないのは、この問題が問題としてクローズアップされはじめた時期がごく最近だったからです。大きなきっかけとなったのは、一九九一年に韓国で元慰安婦の女性が証言し、
略)
その犠牲者数は八万人、いや二〇万人だとも言われており、全体像はまだわかっていません。ただ、日本の支配下において、性奴隷の扱いを受けていた女性たちがたくさんいたという事実は知っておくべきです。>
p一二四

 <もちろんプロの娼婦もいたのでしょうけど、強制連行の流れの中では、何も知らない女性が被害にあっていたことは容易に想像できます。
 ひどいことを経験して、戦争が終わって、生き残って。身も心もボロボロ。でも生きのびてきた女性がたくさんいる。自分の経験に封印して。そんなこと誰にも言えないし、言ったところでどうにもなるものでもない。だけどそんな中で、やっと従軍慰安婦問題が明らかになっていったわけです>
P一二六

 井筒氏は慰安婦だけでなく他の事についても言える事ですが、想像、思い込みで物事を決めつけ、それを歴史的事実のように偉そうに高所から話している。
 現在のように経済が発展している南朝鮮がどうして我が国だけで無く、アメリカなどにおいて朝鮮売春婦が問題になっているのか考えたことがないのであろうか。

 アホウ過ぎる。
参照→
慰安婦問題


朝鮮人の族譜の嘘

平成22年12月11日土曜日晴れ ○

 朝鮮人は「息を吐くように嘘を吐く」あるいは「息をするように嘘を言う」などと言われています。

 嘘は、朝鮮人にとって、まさに売春、強姦、放火と並ぶ「国技」と言うべきものです。

 あのどうしようもないドアホウの井筒和幸氏は朝鮮の族譜について

<どんな人でも一〇〇〇年ぐらい昔の家系がわかっている>

「民族の壁どついたる!」p四十八

 そして、これまたどうしようもない大バカで算数もできないくせに、大阪市立大学教授である朴一氏は、「族譜」というものについて、

<韓国には、自分のルーツを明らかにするものがある。実は私の家にも族譜があり、毎年一一月になると故郷の慶尚南道で法事があり、そこに私も一族の長として参加する。わたしのところにはだいたい二〇〇坪ほどの墓に、先祖代々五〇の墓が集まっていて、そこに三〇代前まで遡って、密陽朴家の墓がずらりと並べてある。私も三五代目の朴家の長男であることが、族譜の中に書かれている。

略)

 そうすると、ごくあたりまえのことですが、自分の存在の上には、お父さん、お母さんがいて、その上にはおじいちゃん、おばあちゃんが四人いるわけである。さらに、そのおじいちゃんとおばあちゃんの上には八人いて、さらにその上には一六人いる。それを三三代まで、私は名前を書きながらずっとたどっていってみたことがある、記録していったものが族譜です。そうすると自分の上には何千人もの人々がそびえ立っていることがわかる。>

「『在日コリアン』ってなんでんねん」(P三三〜三四)

と自分の著書に書いている。

 どんな人でも千年ということになると、三十年平均で三十三代ということになる。

 そうすると、朴一氏のいうように三十五代目という人もいることになる。

 しかし、朝鮮の現在現存するもっとも古い族譜は成化十二年(一四七六年)に刊行された『安東権氏世譜』である。

 そして、我が国が併合するまで四十%が奴隷だった国である。

 生殺与奪を飼い主に握られている奴隷に名字などそあるはずがなく、奴隷が名字を持てるようになったのは我が国が朝鮮半島を併合してからである。

 現実に現存する族譜の編纂時期は我が国が併合した明治四十三年(一九一〇年)以降のものが約半分を占めている。

玄大松氏(財団法人アジア太平洋研究会)の論文によると

 <族譜を編纂時期別にみると、十五世紀に二十三点、十六世紀に四十三点、十七世紀に百四十八点、十八世紀に三百九十八点、十九世紀に五百八十点である。二十世紀には、一九四五年以前が四百十七点、一九四六年以後が六百八十四点である。(『姓氏の故郷』第3版、中央日報社、千九百九十年)編纂年度が不明な三百三点を含め、千九百九十年現在で把握されている二千五百九十六二点の族譜のなか、二十世紀以前のものが千百九十二点、二十世紀以後のものが千百一点である。現存する韓国の族譜の半分近くが二十世紀に入ってから編纂されたものであることが分かる。これは何を意味するのか。

略)

朝鮮中期まででも身分が低い人は名字がなく、出身地をあらわす本貫しかもっていなかった。韓国で誰もが名字を持つようになったのは身分制度が打破されてからであり、日本の植民地支配の過程で一九〇九年民籍法が施行されてからのことである。

 では、今まで名字がなかった人々はどのように名字を付けたのであろうか。四つの事例がある。第一に、戸籍書記と警察とが本人の希望通り、あるいは適当に作ってあげた。第二に、奴婢の場合、主人の名字を使うことが多かった。第三に、出身地で最も多い大姓を名乗った。第四に、戸籍書記が記録のとき、漢字を間違ったのがそのまま名字になった。

 改めて述べるまでもなく、十七世紀以降族譜の刊行が盛んであったため、族譜に名を連ねている祖先の多くの功績が文禄・慶長の役での活躍である。そして、彼らが公式的な文書、歴史物語のなかにも登場する。それと同時に、田舎には文禄・慶長の役で戦死した祖先を祀る霊廟が町内にあり、人々が参拝してはその祖先が成し遂げたことを回想する。祖先の物語が現在も生活の中に息づいているのである。

略)

しかし、前述したように韓国人のすべてが名字を持つようになったのは、二十世紀に入ってからである。

 十五世紀に二十三点、十六世紀に四十三点、十七世紀に百四十八点に過ぎなかった族譜の刊行が、十八世紀に三百九十八点へと飛躍的に増えたのは、単に印刷技術の発達によるだけではない。族譜があれば軍役が免除されるなど、族譜をもつこと自体が特権であったためでもある。それゆえ族譜の偽造が大量に行われた事実は『朝鮮王朝実録』の記事にも散見できる。十九世紀末の身分制度の崩壊と、植民地時代での身分の変動に伴い、一九二〇年代には毎年族譜がベストセラーになったくらい、族譜の編纂は盛んになった。その多くが「作られた伝説」であることは言うまでもない。すなわち、いま各家庭で神聖なものとして奉られているほとんどの族譜が実は「幻の族譜」なのである。

 十六−十七世紀には、姓氏さえも持っていなかった奴婢は全体人口の三十−四十%であり、人口の四十−五十%を占めていた百姓も族譜を持つことは不可能であった。にも拘わらず、現在韓国のほとんどの家庭が五−六世紀からの始祖から始まる族譜を持っている。族譜からみて、現在の韓国人は皆これまでこの国を作り、支配してきた王様か、両班貴族の末裔である。

「族譜・アイデンティティ・日韓関係」玄大松氏(財団法人アジア太平洋研究会)

 朝鮮人ではないがどうしようもないアホな井筒和幸氏、朝鮮人らしく嘘つきなだけでなく算数も出来ない朴一氏だけでなく、族譜については平気で嘘を言っている連中が多い。

 我が国が併合したおかげで、朝鮮人の半分近くが奴隷から解放され、名字を持つ事ができたのです。

 

 玄大松氏のこの言葉が朝鮮人というものをよく現している。

 <十六−十七世紀には、姓氏さえも持っていなかった奴婢は全体人口の三十−四十%であり、人口の四十−五十%を占めていた百姓も族譜を持つことは不可能であった。にも拘わらず、現在韓国のほとんどの家庭が五−六世紀からの始祖から始まる族譜を持っている。族譜からみて、現在の韓国人は皆これまでこの国を作り、支配してきた王様か、両班貴族の末裔である。>

 朝鮮人は本当の事を少しは言った方がいいと思う。

 いくら「嘘」が国技だからといっても・・・・・・・

 そういや、当店のお客様が昔お付合いしていた在日朝鮮人も「うちの家系は済州島の王族の家系だ」と言っていたそうです。

 今日はメチャヒマで、四回目のオチャピーかと思っていたら、久しぶりにご近所に住まわれている外国の方が二名様来店。

 一名様来店。

 いや〜オチャピーでなくて良かった。

 今日は飲まずに、明日の準備。


井筒和幸氏と朝鮮

井筒和幸氏のバカ発言

著書にみる井筒和幸氏の歴史認識というか頭の程度


井筒和幸

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