「なかそでBank」2

「なかそでBank」2
6月20日土曜日晴れ△
「日本をダメにした九人の政治家」には下記のようなことも書かれている。
<東南アジア担当の私的経済顧問は何者?
私の手元に、一枚の毛筆書きによる書状の写しがある。それには次のようにしたためられている。

松浦靖明殿
東南アジア担当の私的経済顧問を委嘱する
昭和六十年四月十七日
内閣総理大臣 中曽根康弘

そして、最後に、大きな四角の内閣総理大臣の印がデーンと押されている。
昭和四十七年(一九七二年)九月、就任早々の田中首相が中国に渡り、日中共同声明に調印、国交回復を果たした。これは同時に、日華平和条約の破棄を意味していた。台湾との国交断絶である。
これによって、中華民国政府は台湾にあった日本企業の在外資産を凍結してしまった。その総額は百二十億ドルにのぼったが、各企業への補償は、日本国政府によってなされた。
一方、凍結された台湾における日本企業の資産は、中華民国政府の秘密資金となった。
中曽根さんはこの秘密資金に目をつけ、田中元首相が脳梗塞に倒れた直後の昭和六十年(一九八五年)四月、その引き出し交渉、ないし運用工作のため、松浦なる人物を台湾に派遣した。
その人物が台湾に渡る前に、中曽根さんが渡したのが、先の委嘱状である。
一国の総理大臣がその地位を利用して、他国の秘密資金に触手を伸ばすなど、とんでもない話だが、中曽根さんの周囲には、こんな胡散臭い話がいっぱいつきまとっている。
私が田中角栄から聞いた話
総裁、幹事長、総務会長、政調会長という自民党の執行部の上に、最高顧問なんてものが君臨するという組織は、どう考えても健全とは言えない。
中曽根総裁の再選は、明らかに田中院政のなせる業で、私が田中角栄氏から直接聞いた話では、この時、中曽根サイドから二十億円の金が流れた。天下を取るには二、三億の金であるわけがないのは、当然のことだがね。
そして、中曽根さんは次に自分がキングメーカーになって、竹下さんを後継に指名したわけだが、その際、安部、宮沢陣営からもそれなりのものを受け取っていた。
中曽根さんは田中内閣誕生時には福田陣営からも受け取ったようだが、このように二つの派閥からもらうのを、政治業界ではニッカと言い、三つの派閥からもらうのをサントリーと言う。「清濁併せ呑む」という言葉があるが、中曽根さんはニッカとサントリーを併せ呑んだ事になる。このあたりの話も、私が常日頃、永田町で耳にしていた話である。>
p八十九〜九十一

なんともわかりやすい。
でっ、当店のお客様である目黒の清水さんより伺ったところでは、全陣営から貰うのを「オールドパー」というそうな。

えらく納得。

あほらし。

二名様来店。
二名様来店。
二名様来店。
四名様来店。

今日は皆様初めてのお客様ばかりという珍しい一日。
ドンチャン。
記憶あり。
サルよりマシ。