追記、田岡一雄氏の著書に見る戦後における朝鮮人どもの蛮行 そして、ブーメラン男・アホ堀家康弘

追記、田岡一雄氏の著書に見る戦後における朝鮮人どもの蛮行
そして、ブーメラン男・アホ堀家康弘
4月2日土曜日晴れのち曇り△
ワシが「強制連行」という単語を削除したなどと嘘をツイッターに書いているアホの堀家康弘つう奴から喧嘩売られたから「山口組三代目田岡一雄自伝 電撃編」を手元にあるもの以外に改訂版というか新装版まで買うことになってしもうた
一生懸命、2年半後を目指して部屋にある本を処分しているのに、アホのおかげでまた増えてしもうた。

IMG_7332のコピー
このアホの堀家康弘がTwitterに書いた事

<堀家康弘@kounodanwawoma1
さすが<酒たまねぎや >だ。
引用元に書いてある「国内には強制連行された人を含めて二百万以上の三国人がいたが」の「強制連行された人を含めて」の部分をシラーと削除
https://www.tamanegiya.com/ura/2016/11/14/taokakazuo/
そんな事するから信用されないんだよ。>

 

そのどうしようもないアホの堀家康弘のTwitter

アホスクリーンショット 2022-02-14 9.37.40

https://twitter.com/kounodanwa・・・/status/1361560743435333634

魚拓
https://megalodon.jp/2022-0218-0157-40/https://twitter.com:443/kounodanwawoma1/status/1361560743435333634?fbclid=IwAR2PAlH3UsnpxDLBg8UqOFmP44VLW_OOc1szwvqhN8S1WHU9ajZxT2F2YCo

この堀家康弘というアホはワシが引用ページの記述どおり忠実に「三国人」と引用しているのにアホのスクリーンショットの文章にはその単語がないことを何も不思議に思わんかったのだろうか
まあ、赤枠で別のところを囲っているから、このアホの堀家康弘はてめえで本を買わずにネットかどっかにあったものを引っ張ってきて得意げにツイッターに上げたのだろう。それがてめえのアホを晒す事になるのも知らずに。

 

 

強制連行なしのコピー スクリーンショット 2022-02-14 6.28.09

まあ、こいつは別のTwitterで

<どうせ、「一部を取り上げて」と言うのだろうが、それは自分で調べた事が無いから、そう言えるのだ。
資料もろくに知らずに、こういうのを信じている人って本当にやっかいだな。>

あほスクリーンショット 2022-02-18 1.46.07

とかてめえの事を棚に上げて偉そうに人様のことを書いてる。

このアホも蓮舫とか同じようにブーメランが得意なのはようわかった

こいつは韓国に帰化して我が国のことをボロクソ言っとる保坂祐二とも仲がええらしい

まあ、この堀家康弘というアホのおかげで結果として分かったことは改訂版には「三国人」つう単語は全て削除だけでなく、48年本になかった「強制連行」まで入っとる。
他の箇所でも三国人は「彼ら」とかなっとる

まず、ワシが引用している48年に発売されたのではアホの堀家康弘が得意げに書いていたような「強制連行」などという単語はなく、それだけでなくちゃんと「三国人」と表記されている。

<跳梁跋扈の三国人
その日のうちに神戸は修羅場と変貌した。
敗戦の報に茫然自失する市民とは対照的に、これまで過酷な労働で軍部から抑圧されてきた第三国人たちは欣喜雀躍とし、略奪、報復の火蓋をきったのである。
その日の午後七時。徒党を組んだ三国人は国鉄深川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪。これを皮切りに市内随所で襲撃略奪事件を起こし、婦女子を暴行し、わがもの顔に跳梁しはじめた。
終戦当時、国内には二百万以上の三国人がいたが、とくに兵庫に多く、昭和一八年に一三万五千人、四八都道府県の七%強を占め、大阪、東京につぐ三位という勢力をもっていた。
略)
三国人たちは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街をのし歩いた。
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ半殺しにし、 無銭飲食をし、白昼の路上で見境なく集団で婦女子を暴行する。
善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
彼ら不良三国人は旧日本軍の飛行服を好んで身につけていた。 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげ、略奪、暴行をほしいままにした。
警官が駆けつけてきても手も足も出ない。
「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」
警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、 街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。 >
48年版p一九〇~十九三

それが新装版では

<酸鼻をきわめる地獄絵図
その日のうちに神戸は修羅場と変貌した。
敗戦の報に茫然自失する市民とは対照的に、これまで過酷な労働で軍部から抑圧されてきた朝鮮人、中国人たちの一部は欣喜雀躍とし、略奪、報復の火蓋をきったのである。
その日の午後七時。徒党を組んだ一団は国鉄深川駅構内の貨車を襲って配給物資を強奪。これを皮切りに市内随所で襲撃・略奪事件が起こり、(婦女子を暴行しを消去)、一般市民の不安も高まった。
終戦当時、国内には強制連行された人を含めて朝鮮人、中国人は二百万以上いたが、とくに兵庫に多く、昭和一八年の時点でも一三万五千人、全体の七%強を占め、大阪、東京につぐ三位という勢力をもっていた。
略)
彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩した。
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ半殺しにし、 無銭飲食をし、白昼の路上で見境なく集団で婦女にいたずらをする(初版は婦女子を暴行する)。
善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。
こうした不良分子は旧日本軍の飛行服を好んで身につけていた。 袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。
腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげ、略奪、暴行には目に余るものがあった(48年版だと「ほしいままにした」)。
警官が駆けつけてきても手も足も出ない。
「俺たちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人が何をいうか」
警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げられ、 街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。 >
新装版P206~207

目次も

「跳梁跋扈の三国人」→「酸鼻をきわめる地獄絵図」
「三国人を絞め出す」→「締め出し」
「三国人との対峙」→「姫路での対峙」

目次 4のコピー2 目次 改訂版

 

映画でも描かれている良家の女性を子供の前で強姦する場面が、「飛行服の三国人」から「飛行服姿の男たち」にすり替わっている
初版には描かれていた犯罪場面から朝鮮人などを表す「三国人」という単語を全て隠しているのである
ましてや、「三国人」→「朝鮮人、中国人」としている。

普通は「朝鮮人、台湾人」だろうに強制連行されてきた朝鮮人、中国人としたいらしい。
じゃあ、支那人と書け!

それだけでなく、被害者として朝鮮人のことを書いている。
この新装版の担当者もどうしようもない人間のクズや

田岡氏が書く「三国人」は朝鮮人のことを指すのは下記の文章でも確かである。

不良三国人は一人たりといえども新開地に入れるな、と厳命したのである。
略)
当然の帰結として、三国人から目の敵とされ、命をつけ狙われた。

そんなある日、私のところに一通の封書が届いた。朝鮮人連盟からの果し状だ。
略)
三宮の朝連本部へ乗り込むと、居合わせた三国人たちの間にさっと不穏な空気がみなぎった。
略)
手近な一人が何やら朝鮮語でわめきたてる。
略)
私を一目見ると朝鮮人たちに鋭く叫んだ。
略)
男は朝鮮人たちを押し戻すと・・・>
昭和48年版P 212~213

それが、新装版では
は一人たりといえども新開地に入れるな、と厳命したのである。
略)
当然の帰結として、彼らから目の敵とされ、命をつけ狙われた。

そんなある日、私のところに一通の封書が届いた。朝鮮人連盟からの果し状だ。
略)
三宮の朝連本部へ乗り込むと、居合わせたたちの間にさっと不穏な空気がみなぎった。
略)
手近な一人が何やら早口でわめきたてる。
略)
私を一目見るなり鋭く叫んだ。
略)
男は彼らを押し戻すと・・・>
新装版p228~229

見事に朝鮮人、朝鮮語という単語を消しているのである。
三国人についても同じである。

それは他の箇所も同様である

三国人と湊組との揉め事は
略)
いつ三国人が私を襲撃して>
昭和48年版p 224

<姫路での湊組の揉め事は
略)
いつ彼らが私を襲撃して>
新装版p 242

無くなった「朝鮮人征伐」

<やはり三国人との抗争事件で丹波篠山へ朝鮮人征伐に出かけたのを>
昭和48年版p 226

<やはり彼らとの抗争事件で丹波篠山へ出かけたのを>
新装版p 243

それだけでなく「戦勝国民」という単語も捏造されている

三国人の横暴に対して勇敢に立ちはだかっていた私を>
昭和48年版p228

敗戦後の戦勝国民の横暴に対して、なりふり構わず立ち向かっていた私を>
新装版p 245

朝鮮人がどうして戦勝国民なんだ?

アホか

その他にも

<昭和二〇年八月末、わたしは所用の帰途、女の悲鳴をきいた。人通りもすくない東山病院の裏手である。白熱の太陽がキナくさい焼跡に照りつけていた。
一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。
途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女はわたしに泣きじゃくりながらしがみつく。
この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。
少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の、三国人の男たちだった。
彼らは不適な薄ら笑いで女の手足をおさえつけ、一人がその上に乗っている。女は狂ったように絶叫していた。
汚ねえ・・・・
うめくと、わたしは遮二無二彼らに突進していった。>
昭和48年版p一九四

<昭和二〇年八月末、わたしは所用の帰途、女の悲鳴をきいた。人通りもすくない東山病院の裏手である。白熱の太陽がキナくさい焼跡に照りつけていた。
一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。
途中で四、五歳の女の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女はわたしに泣きじゃくりながらしがみつく。
この世のものとは思えぬ女の狂気じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。
少女の母親は木立の中で数人の男に犯されていた。飛行服の男たちだった。(三国人を消去)
彼らは不適な薄ら笑いで女の手足をおさえつけ、一人がその上に乗っている。女は狂ったように絶叫していた。
汚ねえ・・・・
うめくと、わたしは遮二無二彼らに突進していった。>
新装版p210

<昭和二一年二月、神戸生田署の岡政雄巡査部長が彼らに拉致されて暴行殺害され、同年四月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり彼らの手によって射殺された。
そればかりではない、警察の威信を根底からくつがえす不祥事さえもちあがった。すなわち不良三国人三百余人は兵庫警察署を襲撃し、署長はじめ幹部署員たちを人質として電話指令交換室を占拠したのである。>
昭和48年版p214

<昭和二一年二月、神戸生田署の岡政雄巡査部長が彼らに拉致されて暴行殺害され、同年四月、須磨署佐藤進巡査部長がやはり彼らの手によって射殺された。
そればかりではない、警察の威信を根底からくつがえす不祥事さえもちあがった。すなわち彼ら三百余人は兵庫警察署を襲撃し、署長はじめ幹部署員たちを人質として電話指令交換室を占拠したのである。>
新装版p230~231

<兵庫署に対する不良三国人の襲撃はおこなわれなかった。これは山口組の気力に屈したのか、はたまた彼ら三国人
略)
当時はそれほど警察は三国人に対して無力だったのである。三国人の暴虐非道に対して楯となり、防波堤となったのは全国のやくざであった。その例は昭和二一年七月に東京・新橋で起こった松田組対三国人の抗争事件、三国人による渋谷署襲撃事件、浜松事件がある。そして、熱海事件と全国的に広がり>
昭和48年版p217

<兵庫署に対する襲撃はおこなわれなかった。これは山口組の気力に屈したのか、はたまた彼らのうち
略)
当時はそれほど警察は戦勝国民に対して無力だったのである。その暴虐非道に対して楯となり、防波堤となったのは全国のやくざであった。その例は昭和二一年七月に東京・新橋で起こった松田組との抗争事件、渋谷署襲撃事件、浜松事件、熱海事件がある。>
新装版P233~234

このように田岡氏の著書に出てくる「三国人」とははほとんどが朝鮮人です。
それは、昭和48年版の下記のような箇所の記述からわかります。
<朝鮮人同盟からの果たし状だ>P212
<やはり三国人との抗争事件で丹波篠山へ朝鮮人征伐にでかけた>P226

それが、新装版では朝鮮人同盟は書いてあるが、朝鮮人征伐が「彼ら」と改悪されている。
つまり、在日朝鮮人の恥である辛淑玉から兄ちゃんと呼ばれる宮崎学が「今日では到底信じられない事件は東京だけでなく、山口組の本拠・神戸でも見られた。」と書く山口組が三国人より警察署を守った事件は台湾人ではなく、朝鮮人よりの襲撃で守ったのである。
宮崎氏は東京は台湾人が暴れたとのように書いているが朝鮮人は東京でも同じであった。
朝鮮人は戦後どのように振る舞ったか。

<台湾人や朝鮮人などのいわゆる三国人は戦後、戦勝国民ということで、各地で統制品、禁制品を大っぴらに売買するなど、無法の限りを尽くしていた。昭和二十年の十二月には小石川の富坂警察署が約八十人の朝鮮人の暴徒に遊撃され、多数の負傷者を出すという事件があり、その横暴には目にあまるものがあった。上野駅では「コリアン・ポリス」などと腕章をつけた朝鮮人が、勝手に日本人の買い出しを取り締まり、運んでいた物を没収したり、勝手に切符を発行したりした。
また彼らは満員のバスに乗り込んできたりすると、「お前らは負けた奴らだ。席から立て」などと怒鳴り散らしたりして客を立たせることも多々あった。>
P三十七~三十八
「MPのジープから見た占領下の日本」原田弘著 草思社  平成七年刊

スクリーンショット 2022-03-10 14.23.09

著者の原田氏は戦後、警視庁から進駐米軍への協力というかたちで、英語のできる警察官が三十名ほど出向していた一人である。終戦直後、米軍関係者の治安を提当していた米軍MP(ミリタリー・ポリス=陸軍憲兵)のジープに同乗して、都内をパトロールし、日本人と米軍関係者のかかわる事件を間にたって通訳、調整するのが任務だった。

差別だ、差別だ、と騒いでいる朝鮮人がどのようなことをわが国で戦後やってきたか。一つの事例です。

ちなみに、田岡氏の著書に昭和二一年夏の山口組三代目襲名式には当時の自民党代議士・佃良一氏が出席(P二三二)と記されているが、自民党は昭和三〇年(一九五五年)に自由党と日本民主党が合併してできたものですから、昭和二一年当時は自民党がまだないので、自由党か日本民主党かの間違いでしょう。

朝鮮人がやってきた悪事については今まで散々書いてきた事です。
それを隠す必要などない。
事実は事実として後世に伝えることが大切です。

Oさんご夫妻来店
一名様来店
ドンチャン
記憶あり
猿よりマシ