流石はキチガイ新聞(聖教新聞ともいう)

流石はキチガイ新聞(聖教新聞ともいう)
6月16日火曜日晴れのち一時雨⚪️
河岸でオバハンがタダで配って歩いている気違い新聞と呼ばれている新聞(一部では聖教新聞とも言うらしい)の今日の第一面は例によって「学びと友情と勝利の道を 未来部首都圏部長研修会 創価大学で盛大に 池田名誉会長が万感のメッセージ」と毎回毎回メッセージだけで、御姿はない、声もないという屁以下の存在で、てめえの爺さんの墓がどこにあるのかもわからない日本人とはとても思えない池田大作大センセイ。

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もう紙面には鮪のブロックの断面について客に説明していたのかマジックで落書き?されていましたが、まあ、いつもは池田大センセイの何でも貰うダボハゼ以下のその人間性ゆえかゴミ袋に敷くのにちょうどいいから重宝されています。
今日はその産地もよくわからんダボハゼ大センセイの事より、阿呆どもが同胞?のところに行っていろいろとやってきた事が報道されています。

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<2015年 6月16日聖教新聞
青年部訪中団 吉林省延辺朝鮮族自治州を訪問 王福生自治州委常務委員と会見

青年交流団が王自治州委常務委員(右から3人目)と会見。贈られた風景画を囲んで(延吉市内で)
名誉会長の歴史観に立てば永遠に中日友好は続きます
【延吉12日】日中友好青年交流団は12日、学会の訪中団として初めて、吉林省の延辺朝鮮族自治州を訪れた。
同自治州は、ロシア、北朝鮮との境界に位置することから、“黄金の三角地帯”と形容される地域。豊かな自然にあふれる一方で、北東アジアの交通の要衝として、目覚ましく経済発展する。
また、その名の通り、朝鮮族が人口の約4割を占めるが、15を超える民族が友好的に共生する理想郷としても知られている。
かつて日本軍は、この地を朝鮮半島統治の要地、満州支配の拠点として、いわゆる「三光政策(焼き尽くす、奪い尽くす、殺し尽くす)」を実行。多くの人々の命を奪った。
交流団一行は同日夕から、州都である延吉市内で王福生自治州委常務委員と会見した。王常務委員は、延吉市、龍井市、図們市の3市を含む地域である延龍図の責任者(党委書記)も務める。
席上、交流団団長の橋元青年部長は、池田大作名誉会長の“過去の歴史を学び、認め、反省してこそ、称賛に値する新しい歴史がつくられる”との言葉を紹介。第2次世界大戦の終結70年という時に、学会訪中団として延辺を初訪問できた感慨を述べるとともに、「私たちは、今回の訪中で不幸な歴史を直視し、その反省の上から、日中友好の新たな歴史を開いていきたい」と真情を披歴した。
王常務委員は、先の戦争で、中国の人民と同様に日本の国民も軍国主義の被害を受けたとし、「名誉会長の歴史観に立てば、永遠に中日友好は続きます。アジアの平和、世界の平和のために互いに努力していきましょう」と語った。
会見には、吉林省青年連合会の?国棟常務副主席らが同席した。
なお、会見に先立って、延辺朝鮮族自治州青年連合会との交流会が延吉市内で行われ、同会から朴君峰主席、韓麗蓮副主席、王韜副主席らが出席した。
朴主席は昨年、中華全国青年連合会(全青連)の一員として訪日した思い出を述懐し、「老朋友(古くからの友人)の皆さんを延辺の地に迎えることができたのは格別の喜びです。きょうを出発として、新たな友好の歴史を築いていきたい」と望んだ。>

ここまでよく嘘を書くものである。流石は姿形だけでなく精神も醜い人間をトップにしている人間のクズの集まりである創価学会だけの事はあると納得。
三光作戦などというものは支那人の考える事であって、日本人の考える事ではない。
ましてや、「三光」などという単語は支那語であって日本語ではない。それを支那人の言う通りそのまま書く阿呆ども。

池田豚大センセイのいう“過去の歴史を学び、認め、反省してこそ、称賛に値する新しい歴史がつくられる”とは支那人の言う嘘をそのまま聞けということであり、それに対して、支那人は<先の戦争で、中国の人民と同様に日本の国民も軍国主義の被害を受けたとし、「名誉会長の歴史観に立てば、永遠に中日友好は続きます。アジアの平和、世界の平和のために互いに努力していきましょう」と語った。>とある。
これは、日本兵に侵略者としての罪悪感を植え付けるもので、軍国主義者と人民(国民)を区別し、軍国主義者への批判と人民への同情を兵士に呼びかける二分法によるプロパガンダという支那共産党が延安で行った日本軍捕虜に行った洗脳工作の手法そのままである。

そして、創価学会会員の連中は支那の慰霊施設にも行って献花している。
DSCN3562 のコピー<2015年 6月16日
青年部訪中団 革命烈士陵園に献花
交流団が延辺博物館を訪問。中国の朝鮮族の歴史等を学んだ(延吉市内で)
延吉市の延辺革命烈士陵園で献花を
【延吉13日】日中友好青年交流団は13日午前、延辺朝鮮族自治州延吉市の延辺革命烈士陵園を訪問。戦争の犠牲者が眠る陵墓に献花し、黙とうした。
橋元団長は地元メディアの取材を受けて、日本軍の蹂躙で多くの延辺人民が命を落としたとともに、戦前に移住した日本の一般庶民も延吉で犠牲になったことを通し、「永遠に平和を守っていくことこそ、日中両国の民衆の願いです。私たちは未来にわたって、平和を築いていく使命があります」と述べた。
池田大作名誉会長や中国の幾多の先人は、両国の平和を願い、友好の「金の橋」を築いた。団員たちは、友誼の絆を次代に継ぐことが、平和をより強固にしていくと誓い合った。
また交流団一行は、献花に先立ち、同市内の延辺博物館を訪問。
中国の朝鮮族の革命闘争史を学び、日本軍の蛮行と、祖国を守るべく徹底抗戦した延辺の民衆の歴史を心に刻んだ。>

アホかと。支那においての朝鮮人は単なる山賊である。
それ以外の何もんでもない。

創価学会員は我が国において靖國神社、御國神社に参拝し御霊に感謝した事はあるのであろうか。

支那人の穴でも足でもなんでも舐める事はできても、我が国の先人には感謝はできない。
それが創価学会である。

あほらし

河岸で今月いっぱいで六十五年の歴史に幕を降ろす「清水」さんにていろいろとお話を伺う。

店はめちゃ暇と思っていたら、入り口の鍵を閉めたまま知らずに営業していた。
まあ、うちのお客様だったらいらしてくださっていたのなら、戸をドンドン叩くか、電話でもしてくださっただろう。
ということで、遅い時間にKさん来店。Sさん来店。
オチャッピーでなくてよかった。

私は今日は酒は飲まず。
サルでもエビでもない。