朝鮮人は戦後我が国で何をやってきたか その3

アメリカ人教授が見た戦後の在日朝鮮人
4月14日土曜日晴れのち雨△
ハーバード大学教授 エドワード・ワーグナー 『日本における朝鮮少数民族』より
朝鮮人連盟およびその他の団体
<調練の活動中、最も華々しかったのは朝鮮人引揚げに関する活動であった。多数の朝鮮人は即時引揚げを要求した。これがため朝連はその力を強化する好機を与えられた。最も引揚げで連盟員は当然減少するわけであった。ことに大阪地区の朝連は自分たちで引揚げ計画をたててそれを管理した。
略)
引揚げが占領軍の指揮下に入った時朝連の役割は変化したが、しばらくは依然活発に活動した。日本政府は朝鮮人引揚げのため、毎日一定の船舶量だけは確保させられた。
略)
朝連は日本政府に圧力を加えて船室の割り当てを受けるべき朝鮮人を選定する仕事を扱うことになった。朝連はこれで非常な権力を得た。というのは事実上朝連が引揚特権喪失者リストの作成者になったからである。
略)
その他各種の方法で、朝連は朝鮮人と朝鮮人の置かれている地位や団体の問題に介入した。朝連はかなり広汎な厚生運動を展開したが、一部は自己の財力により、一部は日本の厚生省から捻出された財力によつたものである。
略)
また、朝連は根本的には朝鮮民族文化の内容を持った広い文化運動を計画した。映画を作ったり(主に記録映画形式の宣伝映画出会った)、また書籍・新聞を発行した。しかし、教育問題には最も熱心であった。
朝鮮人の間にその活動を行うに必要な権威と手段は主として僭取、臨機応変主義、暴力で獲得された。すでに朝鮮人引揚計画についてみたように、朝連は前もって政府の権力と特権を奪取した。日本政府を軽蔑し、占領軍の指令を無視した。闇屋活動・詭弁・恐喝によって財源を獲得した。これらの手段は度々必然的に強力な戦術に訴えることになったが、朝連はこれによってその思い切った計画をある程度実現することができた。
p70〜72

<朝連が事務所を入手した手口は、端的に朝連のやり方を明らかにしてくれる。東京に連絡事務所として使用するため、元朝鮮総督府の建てた近代式ビルディングがあった。朝連は持ち前の押しでもって朝連総本部に使用するためその半分に近い場所を先取りした。それだけならよいが、さらに進んで、若干の住宅をも占拠した。これまた、元総督府関係の半官半民団体の名義になっているものであった。しかも、これら資産の一部を売却することさえした。
大阪では、朝連は朝鮮銀行の建物に移り、実力で追い出されるまで動かなかった。朝連はいわば総督府が力で剥ぎ取った朝鮮の衣鉢を受け継ぐのだというのがその弁明であった。
しかも、このような理由の振り廻せない場合には必要な施設を占拠し、あるいは力づくで借り入れた。そして、こうした場合その行動の合法性を詰問されたら朝連では長いこと抑圧されてきた朝鮮人大衆の代表であるから道徳的にその資格があると答えたに違い無い。
朝連のとった広範囲の非合法的手段、法律無視のやり方はその活動資金の賄い方にも現われている。最も重要な一財源は朝鮮人引揚げであることがわかった。
総司令部が引き上げを管理する以前には、引揚者は自分たちで汽車賃を払っていた。鉄道運賃が無料になり、この無料規定が1945年10月15日にさかのぼって実施された時、朝連は日本政府に払い戻しを要求して明らかに成功した。
総司令部はこれが為に次のような声明をせざるを得なかった。
「払い戻しを行うときは、各個人に支払わねばならない。しかし、各個人が引き上げてしまっているから、ある団体が正当な代理権を持ってそうした個人の代理者として行動しているという合法的証拠がなければ、これは明らかに不可能な要求である」
引用 Scapin 685,”Pailway Fares Charged to Koreans”(朝鮮人の負担した鉄道運賃)、1946年1月31日
さらに重要な財源は引揚者自身からもたらされた。朝連は多数の引揚者に勧めて銀行口座・郵便貯金通帳を朝連に預けさせた。朝連は大蔵省との直接交渉によってこれらの貯金を引き出すことができた。それは総司令部の命令で厳重な制限の枠の中に入っているものであるが、1946年1月から4月の間に1億円以上ひきだされた。
(木下注当時総理大臣の給料は3,000円 現在、2,419,000円 806倍以上 21年当時国民所得3,609億円 現在2,995,894億円 830倍以上 現在の金額にして806億円とも830億円とも換算できると思います。)
朝連の今ひとつのドル箱は、朝鮮人の元日本人雇傭主に対する数多い請求権であった。総司令部の指令は日本軍隊またはその機関や日本の会社に勤務し雇傭されていた朝鮮人に対する差別的扱いを禁止していた。これを種にして朝連は朝鮮人労働者を雇っていた日本人会社とつぎつぎと交渉した。
会社が支払いに応ずるところでは、朝連は個人に代わって古い賃金・別居手当・死亡手当・障害手当などを受け取った。会社が朝連を法的権限のある代理人と認めない時は、強制手段に訴え、これが度々功を泰した。しかも、被傭者は大抵朝鮮に帰っていたので、こうして取ったものは大体朝連の金庫に入った。
そのほかに注目すべき朝連の収入源は闇取引であった。朝鮮人は朝連の連盟員の資格で不法な闇取引に従事したのではなかったが、朝連はそれによって間接的に儲けたのであった。朝連は若干の露店商団体をその保護下におき、問題の起こったときはその交渉手腕を発揮した。しばらくの間、朝連は東京警視庁と協定を結んで、これから利益を得た。というのは、警視庁は朝連の闇商人を襲撃して没収した商品を定価で朝連に売ったのである。そのかわり朝連はその物資を困っている朝鮮人に配給することを約した。しかし、これを闇のルートに流すことがしばしばであった。>
p73〜74

こういった朝鮮人どもがやってきた犯罪を放置してきたために問題が今まで残ってきました。

在日朝鮮人の不法占拠を擁護する神戸新聞

らしさ(在日朝鮮人の不法占拠)

京都朝鮮学校公園占用抗議事件

在日韓国・朝鮮人による不法占拠京都市北区

朝鮮人 不法占拠

一名様来店。
三名様来店
今日は初めてのお客様のみ
酒は飲まず
サルでもエビでもない