著書「鬼哭啾々」にみる辛淑玉らしい嘘の数々

著書「鬼哭啾々」にみる辛淑玉らしい嘘の数々
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。


平成20年8月9日土曜日晴れ ×
先日、古本屋さんで買ってきた中の一冊「鬼哭啾々」(辛淑玉著 解放出版)を読む。まあ、辛淑玉女史の著書らしい本で、全編「朝鮮人は被害者」という意識がプンプン。
それ以外にも電波が山盛り。
<昔、交番にはバナナが置いてあった。迷子になったというと、必ずといっていいほど、バナナをもらえた。私はあちこちの交番に行き、迷子になったと言ってはバナナをせしめ、おまわりさんに抱っこしてもらいながら家路についた>P三〇~三一
私より五つ歳が違う、一九五九年、昭和三四年生まれの辛淑玉女史が子供のときに、バナナは今と違って高級品だった思うのだが。そのようなものが、交番に迷子の子供のために置いてあるものだろうか。辛淑玉女史がいくつの時の話か不明ですが、<おまわりさんに抱っこしてもらいながら家路についた>と書いているので、少なくとも小学生の高学年とかではないはずですので、幼稚園、保育園、小学校低学年の頃と思われます。そうすると、一九六三年、昭和三十八年四月に輸入自由化されたそうだが、辛淑玉女史はこの時四歳。その後も急には安くはならなかったと思う。
どなたか、昭和三〇年代から四〇年代、当時高級品であったバナナが、東京のあちこちの交番で迷子のために置いてあったのを記憶されている方はいらっしゃるでしょうか。私は子供の時に、父親が所用で淡路島から神戸などに行った帰りのおみやげによくバナナをねだっていたのを覚えています。当時はそれなりに高級だったものが、交番に迷子にやるために置かれていたとは私にはどうも信じられないのですが。

<一九八三年、祖母は渋谷区幡ヶ谷の病院で亡くなった。
略)
当時は今と違って、キムチなど、どこでも売っているわけではなかった。あちこち探しまわって、「朝鮮風漬物」というのを買って二人で食べたのが最後の食事となった。>P三八
私は二三年前の昭和六一年、一九八五年に一杯飲み屋を早稲田で始めているが、当時はコンビニなどに並んでいる食材は今と違うでしょうからコンビニで手軽にとはいかなかったかもと思いますが、上野などいくらでも朝鮮人街がありいろいろなキムチを購入できた。私も店を開くまで渋谷に住んでいたが、「朝鮮風漬物」としてではなく、当時から「キムチ」「カクテキ」などとして売られていたと記憶しています。まあ、人の基準はそれぞれですから、あちこち探しまわったというのならそうでしょうが、どこをあっちこっち捜しまわったのだろう。そんなに欲しいのなら、捜しまわらなくとも、そのあたりの焼肉屋に入ればどこでも簡単に分けてくれたでしょうに。

この辛淑玉女史は過去に、戦後、密入国して大木金太郎というリングネームで日本にて活躍した朝鮮人プロレスラー金一氏が、故郷の南朝鮮で闘病生活中にもかかわらず、著書『愛と憎しみの韓国語』(文春新書)では「ノノ、大木金太郎はふるさとの地で静かに死んだ。」(P二二五)と書き、読者から指摘を受けた前科や、戦後生まれの朝鮮人歌手チョー・ヨンピルについて、「チョー・ヨンピルにも日本植民地時代の日本名がありました。」というほどの女性です。

<民族学校の歴史は、同胞の血と汗と涙で綴られてきた。
一九四五年八月一五日。日本の敗戦すなわち朝鮮の解放。そして、奪われた朝鮮のことばを取り戻すための動きが日本各地で広がっていく。>p五〇
すでに、証明されている事ですが、日本人が朝鮮人から言葉など奪った事など無い。むしろ、朝鮮では、漢字が重視されハングルは軽視され教育されることはなかったが、併合後は、ハングルを必修科目とし朝鮮人にハングルが広まったのです。我が国が併合する事により、朝鮮人はハングル文字を書けるようになったのです。辛淑玉女史は、我が国の六番目の帝国大学である京城帝大では法文学部において、朝鮮語学、朝鮮文学、朝鮮史学が講座として終戦まで設置され教えられていた事実はどう説明するのでしょう。ちなみに、併合後三〇年以上たった一九四二年でも日本語普及率はわずか二〇%にとどまっていた。

<学校で私につけられたあだ名は「パンチョッパリ(半日本人)という差別語だった。日本学校からの編入生だからだ。>p五五
私は、ネット上の知識で、パンチョッパリとは朝鮮人が在日朝鮮人に対しての別称だと思っていました。在日朝鮮人が在日朝鮮人に対しての別称だとは知りませんでした。このあだ名はホンマでっか?

中学校二年生三月に日本の笹塚中学、そして、杉並・泉南中学に転校したときのエピソードとして、
<まず、単語の意味がわからない。「ホームルーム」「公民」「課外活動」・・・?いったい何をするのか見当もつかなかった。
転校初日に行われた統一模試の成績は、三〇〇人近い生徒の後ろから三番目。>p七九
公民とは公民科のことでしょうか。それとも公民の意味の事でしょうか。「何をするのか見当もつかなかった」と言っているのですから、授業の事をさしていると思いますが、当時の中学校の科目には社会科はあっても、公民科などというものはありませんでした。私と五歳違いの辛淑玉女史にとって、公民などという名称はず~と後の事だと思うのですが。
中学校においての統一模試というものはいつごろから実施されたものでしょうか。私は中間テスト、期末テスト、実力テストといわれるものしか記憶がありません。当時からそのような呼び方をしていたのでしょうか。

<様々な事情から、すぐに帰る事のできなかった人びとの状況は燦々たるものだった。
略)
GHQは、占領支配に対する日本人の憤懣のはけ口を在日に向けさせることによって、民族差別を広げる役割を果たしていた。
略)
米ソ冷戦が始まるとともに、朝鮮半島は三八度線を境として南北に分断され、略)
そして、一九五〇年には朝鮮半島が勃発。朝鮮半島は戦場となり、在日は故郷に帰る道をなくした。>p一一二
戦後、朝鮮人は「第三国人」として敗戦国の日本人より特権を有し、無法活動を繰り広げました。<闇市支配>、<戦後朝鮮人がやっていたこと

<一九五二年、サンフランシスコ講和条約発効直前、法務省は、すべての在日朝鮮人の「日本国籍」を剥奪し、一斉に外国人とした。国籍は選ぶことができなかった。>P一一四
これについては、<国籍収奪の嘘>において書いておりますが、「韓国政府こそが一方的に韓国国籍を「押し付け」ている」のであり、敗戦国である日本人より特権のある「第三国人」としての朝鮮人より反対運動が起きていないのです。朝鮮人公務員は簡単な手続きにより日本に帰化でき、そのまま公務員として働くこともできました。<朝鮮人のつく嘘

<かつて、一九一五年、一四歳で朝鮮から日本に渡る船の中で、自分の二の腕にハンで押したようなただ黒いだけの入れ墨をした。祖母は、日本の地でたった一人で死んだとき、故郷にいる父に誰かがその死を知らせてくれることを願って彫ったのだ。>P一〇六
<一九〇一年に朝鮮で生まれた祖母。植民地下に「内地」に送られ、「みんなドロボウだ」と言って亡くなった。>P二五〇
我が国の朝鮮併合は、一九一〇年です。辛淑玉女史の祖母はその五年後には我が国に渡ってきているのです。それを「送られ」という表現をつかうのでしょうか。ちなみに、内務省警保局統計によると、一九一五年の我が国の朝鮮人はたった三九八九人だそうです。それが、二年で三倍以上の一四五〇二人と10000人以上が増えています。そして、三〇一八九人とまた大幅に増えた一九二〇年には、その在日朝鮮人の急増により、付近住民とトラブルが多発したために『朝鮮人内地渡航制限』を実施されています。辛淑玉女史の祖母もこのように朝鮮から勝手に我が国に密入国してきただけの不法朝鮮人でありながら、このようにウソを言っているとしか思えません。

勝手に出稼ぎに来ただけと思うのですが。

他にも辛淑玉女史は
<朝鮮半島は、植民地支配による疲弊の上・・・・>P一一七
糞まみれの世界中で一番醜いといわれた「漢城」を近代的な「京城」にしたのはどこの国でしょう。人口の増加はどうだったのでしょう。

私はこの辛淑玉女史の著書で、先日書いた原爆発言に続いて、ある意味辛淑玉女史らしい一番醜い箇所では下記の文章ではないでしょうか。
<国家に翻弄された拉致被害者の気持ちを一番理解できるのは、在日ではないか。
略)
非常な犠牲を強いられた拉致被害者も、日本の植民地支配に運命の変転を余儀なくされた在日朝鮮人も、とてつもない統制に押し込められている北朝鮮の民衆も、そして飢えて難民となった在日帰国者も、みな、国家暴力の被害者であるのに。>P二六六~二六七

在日朝鮮人高校生に対する田中裕という日本人同級生の原稿として、下記のようなことまで書いています。
<北朝鮮がやったことはよくないとおもいます。しかし、そもそも、日本は朝鮮半島とその民族に対してもっとひどいことをしてきたという意識が日本人の中にあるのでしょうか。マスメディアの一方的な報道によって、「怖い国、北朝鮮」の意識が日本人の中に急速に作られているように思います>P二七六

自由に渡航できる在日朝鮮人、勝手に渡って来た在日朝鮮人と犯罪国家に拉致され未だ帰れぬ日本人同胞の皆様と一緒にする辛淑玉女史。

このように、この本もいかにも嘘つき在日朝鮮人の辛淑玉女史の著書らしいものです。

北京オリンピックが始まったが、福田首相の日本選手団を激励するため選手村を訪問した時のあいさつとして産經新聞に掲載されていた「まあ、頑張ってください。せいぜい頑張ってください」って、どうなんだろう。福田首相らしいといえばそうなのだろうが、もう少し違った言い方があると思うのですが。


ついでに辛淑玉も御覧下さい。こいつのアホさがにじみ出ているというより全開です。