差別を飯の種にしている朝鮮人が目指しているもの

3月26日月曜日晴れ◯
今までてめえらのやって来た醜い行状、なぜ嫌われているかを問わずに差別するな差別するなと叫び、今は「ヘイト」「ヘイト」を叫んでそれを飯の種にしているという恥ずべきプロ被害者連中が我が国にいる。その連中の目指しているものは何か。

ユダヤ人は「ナチスによる戦争被害者」としてよく名前の出てくるアメリカのユダヤ人組織「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」とはナチハンターとしてアドルフ・アイヒマン(元SS中佐)の潜伏先のアルゼンチンを突き止めたサイモン・ヴィーゼンタールという男の功績をたたえて1977年に設立され世界中のユダヤ人からの寄付によって賄われている。

以下は私が書いた過去の日記からです。
<今更ながらの本田勝一
平成26年9月27日土曜日晴れ△
アホの著書には南京大虐殺として
<結局、南京で殺された中国人は約三〇万人とみられているが、広島・長崎で米軍に虐殺された原爆被害者の正確な数がわからないのと同様に、正確な数は知るすべも無い。問題の本質はしかし、数字ではなく、無差別大虐殺や大暴行が行われたという事実である。
こうしたとき、侵略者の側が必ず熱中する常套手段は、まず正確な「数字」や「目に見える証拠」を要求し、それと侵略された側の主張との不正確な食い違いをあげつらい、最後に「だから事実はなかった」「すべてマボロシだった」「したがって侵略軍は正しかった」とする詭弁術である。
現在ベトナムに対して、アメリカ合衆国政府が常にこれをやっている。北ベトナムでの飛行機の撃墜機数の食い違いなどは毎日報道されている通りだが、病院や学校を爆撃しつくしておいて「北の発表はウソだ」と強弁していた米政府の論理が破綻してしまった現在、侵略側としての努力は、かくも空しいものとなっている。しかし、反動側としては、これ以外に頼りになる論理がないので、日本でも反動雑誌に出る文章などには、このタイプが多い。>
「中国の日本軍」(蒼樹社 一九七二年第一刷発行 一九九〇年第二十二刷発行)P九十四~九十五
続いて、手元にあるこのアホ著書よりもうひとつ。

<『マルコポーロ』を廃刊にして 『諸君』は廃刊せぬ文春を嗤う
株式会社文藝春秋が発行する月刊誌『マルコポーロ』二月号(一九九五年)が、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)は作り話だった、とする記事を掲載し、ユダヤ人団体などが抗議した。これに対して文春側は、刊行まもない段階の一月三十日に、記事に間違いがあったとしてこの月刊誌の廃刊を決定し、花田紀凱編集長を解任した。(ただし「廃刊」にすれば「解任」等しなくても居場所が無いのだから当然の事。「解雇」でない点に注目を)
なるほど、まことにすばやい措置である。すばやすぎる。「作り話」や「間違い」について、詳細に検討した結果とは思われない。検討したのであれば公表すべきであろう。何のための記事だったのか。
しかしながら、ともかくホロコーストやガス室を「作り話」とする記事が間違いだから・・・・・・・・・・・という理由で廃刊したのであれば、それ自体は歓迎すべきであろう。本当に「間違い」だとすれば、ナチ=ドイツがやった現代史上希有の残虐行為に対するあまりにも軽率な、まともなジャーナリズムといえぬ行為なのだから。
だが、ここで文春の日頃の反平和・反反核・反市民運動を主軸とする反動タカ派の非論理・非倫理が一挙に露出し、誰にもわかりやすい形で矛盾が見えてくる。整理すればおよそ次のようになろう。

A・第二次世界大戦中の日本の同盟国・ドイツがやった無数の暴虐事件の象徴として「アウシュビッツ」はあった。それを否定したのは文春の月刊誌『マルコポーロ』だった。文春は責任をとってこの雑誌を廃刊にし、編集長を解任した。

B・第二次大戦中のドイツの同盟国・日本がやった無数の暴虐事件の象徴として「南京大虐殺」はあった。それを否定したのは文春の月刊誌『諸君!』だった。文春は責任を取ってこの雑誌を廃刊にし、編集長を解任しただろうか。

右(原本は縦書きなので)のAとBを比べてみられよ。私は個人的にも公的にも怒りを禁じえない。責任の重大性は、日本自身の問題たるB(南京)の方が、当然ながらアウシュビッツよりはるかに高いはずだ。
それが「廃刊」どころか、この問題を取材・発表してきた私個人に対して、実に二十余年間にわたる攻撃が続いたのだ。攻撃の発端は、一九七一年に『朝日新聞』に連載した私の記事『中国の旅』である。その中の「南京」の部分に対して、「イザヤ=ベンダサン」という偽名を使ったにせユダヤ人(これはユダヤ人を冒涜する行為でもある)こと山本七平が『諸君!』誌上で非難・攻撃してきた。略)
以来、文春による私個人への攻撃は『諸君!』での連載や単行本・文庫本のほか『文藝春秋』本誌や「週刊文春」にもあわせると、実に七十回以上にも及ぶ。ひとつの有力出版社が、一人のライター個人をここまで執念深く攻撃し続けた例が世界にあるだろうか。しかも攻撃の主役だった堤堯という、言葉の正確な意味でのゴロツキ出版人が、「解任」どころか文春の役員に出世している。大江健三郎氏が協力し続けた出版社・文春の本質がよく理解されよう。
「『南京』と文春」に関する核心部は、文春の南京虐殺否定路線が、結局はついに全面敗北したことである。歴史学者やジャーナリストなどからなる「南京事件調査研究会」(洞富雄代表)による現地調査や論文・ルポの反撃によって、文春が重用したベンダサンその他有象無象の否定派は総て沈没した。小野賢二氏などによって、虐殺をやった日本兵自身の第一次資料が次々と発掘されたのも、文春を舞台とする否定派にとっては痛かった。現在の彼らが最後にすがりつく藁は、虐殺の「数」である。「そんなに多くない」というつぶやきだが、それとても必死で過小評価すべく努力している。
ともあれ、「南京」を否定した文春は完敗した。アウシュビッツを否定した文春の今回の態度が、もし本心からの反省であるなら『諸君!』こそ廃刊すべきであろう。このことは絶望的なこの出版社よりも、今回の件で文春に抗議した外国の諸団体に知らせて、文春の処置など表面的な繕いに過ぎぬ事を納得させよう。文春は、単に広告拒否という商売上の圧力に参っただけ、それだけなのだ、と。>
(『週刊金曜日』一九九五年二月一〇日号)
私は「貧困なる精神L」本田勝一著 朝日新聞 一九九六年刊 P百三十三~百三十五

<文春の社内研修
略)
基本的に、『マルコポーロ』のあの記事のどこが「間違い」だったかの具体的な検証もせずに、どうして反省ができるのですか。
そして、この出版社の最も破廉恥な性格を示すのが、先週号(『週刊金曜日』一九九五年二月一〇日号)の「貧困なる精神」でふれた南京大虐殺との関係です。アウシュビッツのような他国の戦争責任よりはるかに重大な自国の暴虐事件。これを「なかった」ことにすべく全力を傾注した文春の月刊誌『諸君!』をめぐって、廃刊にした上で次のような社内研修でもやらぬ限り、アウシュビッツの研修などお笑い草(種?)でしょう。ね、文春にもいるであろう良識派の社員諸君!

文藝春秋は中国侵略問題の理解が不十分であったことを反省し、中国側が推薦する講師陣による三日間の「南京大虐殺セミナー」を社内で開く。『諸君!』編集部全員受講する。
社員有志を南京に派遣し、「南京大虐殺記念館」や各所の虐殺現場で集中的に学ばせる。
月刊『文藝春秋』に、中国側が推薦する著者による『諸君!』記事への反駁などを掲載する。
文春推薦のライターが南京を訪ね、日本による中国侵略問題の正しい理解のため論文またはルポタージュを『文藝春秋』に掲載する。

それにしても、『マルコポーロ』廃刊事件で文春の社長らが記者会見した時、三〇〇人とか集まったなかに「南京大虐殺」と『諸君!』を質した記者は一人もいなかったと聞きます。
政治家も役人も出版社もジャーナリスト(というより「マスコミ人」か)も、結局はその国のレベルの反映なのでしょうね。>
(『週刊金曜日』一九九五年二月一七日号)
私は「貧困なる精神L」本田勝一著 朝日新聞 一九九六年刊 P百三十六~百三十八

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大ブーメラン。
アホ丸出しです。

では、Cとしてこのアホ(本多勝一)に問いたい。
C・反日・朝日新聞がやった無数の捏造事件の象徴として「強制連行の捏造」はあった。それを否定したのは文春の月刊誌『諸君!』だった。朝日新聞は責任を取ってこの新聞を廃刊にし、社長が辞任しただろうか。

な〜んもやってはいない。
厚顔無恥、鉄面皮とはこういう本多勝一のような輩のことを言うのであろう。

そして、今、在日特権保護法が成立した我が国においてプロ被害者連中が目指しているものは「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」の朝鮮人版である。
現実にアホ腐れ役人どもはプロ被害者ども、その走狗である有田芳生に踊らされ好きなように使われている。

知れば知るほど嫌になるのが我が国の寄生虫であるプロ被害者連中である。

クソアホらし

参照

我が国国民を守らない国会議員と朝鮮人特権保護法

今日は酒は飲まず。
サルでもエビでもない。

写真は店に遊びに来る「しょうちゃん」
飼い主さんが焼酎好きで「しょうちゃん」と名付けたそう。

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