「飲酒自殺の手引き」

12月14日水曜日雨のち曇り△
「飲酒自殺の手引き」
IMG_3372これは、随分前に早稲田駅側で開かれていた古本市で購入した「飲むほどに酔うほどに」(重金敦之編 実業之日本社 平成十四年刊)に収録されていた中島らも氏のエッセーの表題です。
このエッセーは散々飲んできてアルコール性肝炎で身体を壊し入院し退院後に書かれたものです。
このエッセーに中島氏は下記のように書いています。
<僕は若い頃からずっと、自分は酒で死ぬ、という変な確信を持っていたので、一命を取り留めたのは意外な驚きでもあった。人間というのはかなりのことをしても死ねるものではない、と感心してしまって、それ以来生きるほうへ関心を向けるように自分を変えた。酒も全くの禁酒ではないが、酔っぱらうほど飲むことはもうない。>
p一九七

そして、中島氏は入院中のことを下記のように記しています。

<壁ひとつ隔てたくらいの隣室で、何人もの人が死んでいった。
そうした人たちと、病気と闘っているというところでは同じだったけど、僕にはどうしても一緒に胸を張って戦えないところがあった。他の入院患者の人は、僕を除けば全て「病気に襲いかかられた」人たちである。一日一日を精一杯生きてきて、何の悪いこともしていないのにもかかわらず、理不尽な病魔に襲いかかられて苦しんでいる。それにひきかえ、僕の病気は自分が手繰り寄せたのである。泥酔という快楽を餌に、死への願望という糸を使って、病気を自分の方へおびき寄せたのである。明らかな受難に苦しんでいる他の人々と同じところに立って、苦痛を訴える資格というものが僕には全くない。にもかかわらず、飯を食って横になっているだけで、僕の体は何の苦痛も伴わずに治癒していき、別の人たちは白い布を顔に被せられて冷たくなっていった。
もし、この世界というものが、因果応報で公平で理にかなったものであったなら、僕が死んでその分の命をこの人たちが受け取るべきだろう。ところがこの世界を律している神は、わけのわからないムチャクチャなやつらしくて、納得のいくようなレフティングはしてくれなかった。
そうやって転がり込んできた命を、また同じことをして捨てにかかるのでは、死んだ人に対して申し訳が立たない。だから僕は生きることにした。だからといって別に心を入れ替えて頑張るつもりはない。相変わらずいい加減なことをやっているのだが、それでもだらだらとではあるが生きることにした。だからアルコールをやめるくらいのことは、別に苦痛のうちには入らなかったのである。最近は周りの人に笑われながらシュークリームを食べたりして、頭をかいている。>
P二百二〜二百三

「転がり込んできた命を、また同じことをして捨てにかかるのでは、死んだ人に対して申し訳が立たない。」と書いていた中島らも氏は、酒をやめることができずに、この本が出た二年後に飲食店の階段から酔っ払って転落して、それが元で亡くなっている。

酔っ払って、店の床で寝てしまったり記憶がないことも多い私にとっては、なんとも教えられることが多いエッセーです。

ドンチャン。
記憶あり。
猿よりマシ