過去の日記より

過去の日記より
8月26日金曜日晴れ△
米国最高勲章である名誉章の受賞者が、五十五年を経て見直され、一名より二十名も追加され、二十一名の受賞者になった平成十二年(二〇〇〇年)六月二十一日に行われた名誉章授与式にてビル・クリントン大統領は
<「日系二世部隊の父母たちは、
出征する息子達に、生きられるなら生きてくれ、死ななければならないのなら死んでくれ、
だが常に名誉を保って戦い、家族と国家に決して恥をもたらすな、と言った。
国家が正しく扱わなかった人々にこれ程まで仕えてもらったことはかってない」>
このように受賞者を讃えた。

他の所でも書きましたが、私が北米を2年ほど放浪し、その時にメキシコのグアダラハラに一番長く滞在していました。
そのメキシコ滞在中も多くの日系人の方にお世話になりましたが、
ある時
「木下さん、あなたは旅行者だから、何をやってもいいよ。いろんなものを見て、飲み、食べて、そして、恋をして、このメキシコを楽しんで、この国を、このメキシコを好きになって帰ってくれ。でも、何をやってもいいけど、日本人の恥になるような事はやめてくれ」
というような内容のことを日系人の方から言われました。
移民された方々の立場を言い表した重い言葉として、今でも覚えています。
メキシコで、日系メキシコ人として築いて来た信用があります。それを私のような日本人の旅行者が壊さないようにしてくれという事なのです。
旅の恥はかき捨てなどという事はないのです。
外国人は、どのような国においてもそこの国民と同じという事はありえず、大なり小なり、必ず差別というものは存在します。日本人が海外で生活した場合でも同じです。

メキシコだけでなく、他国でも日本人、日系人はその国の人々から信用され、尊敬されています。それは、外国人である、移民であるというハンディを背負ってその国の方々の何倍も、何十倍もの努力の結果です。
短期間で築ける信用ではありません。
長い間、日本人、日系人がその暮らしている国で築いて来たものです。多くの日本人、日系人は四四二部隊を例にとるまでもなく、移民しその暮らしている国に対して忠誠を誓い、その国を祖国として生きています。

ブラジルでは、「ジャポネス・ガランチード」(日本人的保証)という表現があります。これは、ブラジルに移民された方々が貧乏と苦労の中、マイノリティの立場でありながら、ブラジルの人々からこのような表現があるほどの信用を得たのです。ブラジル空軍の最高司令官にまでなっています。
世界中で、日本人あるいは日系人でないのに「俺は日本人だ」「日系人だ」と偽る連中がいても、日本人、日系人で日本人、日系人ということを隠して生きている人などいないでしょう。隠す必要もないからです。

それに比べて、トンスル人(朝鮮人ともいう)はどうでしょう。
我が国おいての「朝鮮人精神」「朝鮮人らしさ」とはどういうものでしょう。
朝鮮人は朝鮮半島より逃げ出して、密入国までして我が国に来ておきながら、強制連行されて来た、だまされて連れて来られて来たなどと平気で嘘をつく。そして、帰ろうともせず、何十年も居着き、二世三世にもなりながら、我が国の国民になって国民としての義務を果たす事もなく、その二本の足で立っている我が国に対し忠誠も誓わず、我が国を愛するどころか嫌っていながら、我が国に集り、朝鮮人としての名誉も誇りも持たず、我が国国民の五・六倍の生活保護、殺人では日本人の二・八倍、強盗では四・五倍、強姦三倍、暴行四・五倍、恐喝三・六倍、詐欺二・四倍、覚醒剤取締法違反五倍という犯罪民族である事を自ら恥じることなく、己が悪いのは総て日本人のせいにして生きている。
普段は日本人のふりをして通名などという偽名で生活しながら、都合が悪くなるといきなり本名を使って朝鮮人ということを振りまわし、普段の自分達の生き方を棚にあげて、外国人として「人権」「差別」と叫び、被害者面をする恥というものを知らない朝鮮人。

厚顔無恥、鉄面皮という言葉がこれほど似合う人種も珍しい。

まさに、これが、「朝鮮人精神」「朝鮮人らしさ」です。

ケネディは「国があなたのために何をしてくれるかではなく、国のために何ができるかが問われている」という内容の有名な演説をしましたが、今、生きている国に対して尽くそうともしないで、「差別、差別」と騒ぎながら、我が国国民と同等の権利を主張しているそんな生き方を改めない限り、あるいは、外国人が他国で生きていくということは、そこの国民の何倍も大変な事であるという自覚もなしに、努力もせずに、その住んでいる国の国民のせいにしてばかりいる限りは朝鮮人がその国の国民から寄生虫、ゴミ、クズと軽蔑される事はあっても、尊敬される事などは未来永劫絶対にありません。

どうして朝鮮人が嫌われるかは嫌う側に原因があるのではなく、嫌われる側に原因がある事を理解しようとせず、自分たちが過去にどのような醜い行い、卑怯な生き方をして来たかを問う事なく、差別差別と叫ぶ朝鮮人。
朝鮮人はその前に、自分自身に問いてもらいたい。自分自身が、この日本という国に対してどのような貢献をしているか。そして、尊敬される対象となっているかを。

朝鮮人のその姿勢は国であるトンスルランド(南北朝鮮)も同様である。売春婦を我が国に五万人だけでなく、世界中に輸出しながら、その売春婦の事はなかったかのように、戦時売春婦の事を気違いのように叫ぶ。反日教育をし、悪口を言いながらも厚顔無恥にも我が国に平気で銭をせびり、技術を教えろと要求する。そして、更に銭を借りても、技術供与を受けても、我が国に対して、感謝することもせず、何か上手くいった事は総ておのれの手柄にする。悪いことは全て他国のせいにする。まさに朝鮮人の国です。

もう一度書く。

朝鮮人は我が国国民に朝鮮人を差別するなという前に、なぜ、朝鮮人が嫌われるかを自ら問わなければならない。
それが出来ないならば、朝鮮人は永遠に嫌われるだけである。

もう手遅れだろうけど・・・・・・・

知れば知るほど嫌になる支那人と朝鮮人。

アホらし

異国で、「朝鮮人らしく」胸を張って生きて行くという事とは
外国人がその地において、尊敬される条件
https://www.tamanegiya.com/ura/2015/01/04/tyojusenjinrasissa/

ドンチャン。
記憶あり。
猿よりマシ。