御遺骨収集よりもまずするべきこと

3月34日木曜日雨のち晴れ△
大東亜戦争が終わり七十年以上、硫黄島が返還され五十年近い。

<遺骨収集>「国の責務」明記、加速へ…議員立法で法成立
毎日新聞 3月24日(木)20時51分配信
戦没者の遺骨収集を進めるための議員立法「戦没者遺骨収集推進法」が24日の衆院本会議で可決、成立した。遺骨収集を「国の責務」と初めて明記し、政府に基本計画の作成を義務付けた。4月1日に施行される。【古関俊樹、岸達也】

厚生労働省が関係省庁と協議し、遺骨収集の基本計画を作成。2024年度までの9年間を収集の集中実施期間と定め、国は17年度まで海外の公文書館に保管されている埋葬地に関する文献を集中調査するなど、情報収集を強化する。

実際の遺骨収集は、厚労省が新たに指定する法人が担う。日本遺族会や全国強制抑留者協会など12団体が参加して発足する法人が、指定を受けるために準備を進めている。厚労省に有識者会議を設置して、法人の業務をチェックする。

戦後70年が経過し、埋葬地を知る人が高齢化して情報が集まりにくくなっており、最近5年間に国が収集した遺骨は年間1000~2500人分にとどまる。

厚労省によると、1937年の日中戦争開戦から戦後のシベリア抑留まで、海外で戦没した日本人は約240万人。今も約113万人の遺骨が収集されていない。このうち、約20万6000柱が中国▽約2万1600柱が北朝鮮▽約810柱がウズベキスタン--に残るとされるが、住民感情や国交がないこと、宗教上の理由から収集できる見通しが立っていない。また、約30万柱は海に没したとされ、収容は困難だ。

◇関係者、進展に期待

「遅すぎたくらいだが、これを機に一気に進めてもらいたい。早くしなければ」。シベリア抑留の経験者で、20年以上遺骨収集に取り組んできた川崎市高津区の遠藤尚次さん(90)は「戦没者遺骨収集推進法」の成立を歓迎し、遺骨収集の更なるスピードアップを求めた。戦後70年が過ぎ、戦没者の遺骨が比較的残っているとされる地域でさえ収集は年々難しくなっている。

遠藤さんは戦後、旧ソ連によってロシア沿海州の収容所に送られ、厳しい寒さや不十分な食事など過酷な状況下で、1948年5月まで橋の補修や木材伐採などの重労働を強いられた。

ソ連崩壊を機に抑留中に亡くなった人の遺骨収集が始まると、92年から埋葬地調査などの活動に参加した。

昨年7月も厚生労働省などの収集事業に加わり、沿海州のスイソエフカで42柱を収集した。

遠藤さんによると、事前の調査で100柱程度あるとみられていたが、湧き水で状態が悪く、収集は思うように進まなかった。連日30度を超える気候の中、重機で深さ約80センチまで掘った後、手作業で土をかきわけたという。

歳月が埋葬地の地形を変えている。草原だったのに林になっていたり、斜面だったはずが崩れていたり。

遠藤さんは「現地の人たちも世代が代わって埋葬地を知る人が減っている。人手をかけて大規模な事業をやらないと、収集は不可能になってしまうだろう。掘るべきところはまだたくさんある」と話した。【青島顕】

◇DNA鑑定、対象拡大を…解説

国策である戦争で亡くなった人たちの遺骨を収容するのは国家の責務だ。にもかかわらず、収容事業は国にそれを義務づける根拠法がなかった。そのため政府は何度か幕引きを模索した。それを、「国の責務」と位置づけた「戦没者遺骨収集推進法」は、戦後補償史の画期となる内容だ。「縦割り行政」の典型のようだったが、厚労省や防衛省、外務省など関係機関が連携する事業体制を課した意味も大きい。集中実施期間は9年間と限られているが、成果が期待できる。

課題もある。戦没者遺骨の身元特定は難しく、収容しても引き取り手が見つからない「無縁仏」が増え続けている。近年成果をあげているのはDNA鑑定だ。だが国は、遺品などから身元が推定できる遺骨でなければ鑑定の対象としてこなかった。沖縄では遺品以外の資料などを活用し対象を拡大する方針だが、他の地域でも進めるべきだ。また希望する遺族からDNAの提供を受けてデータベース化し、収容された遺骨のDNAとつきあわせるなど、身元判明を進めなければならない。

「集めて終わり」ではない。遺骨を、待っている遺族たちに返してこそ事業が完了することを、政府は再確認しなければならない。【栗原俊雄】>

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160324-00000093-mai-soci

普通に我が国国民としてはええ話やと思いますわ。

でもね、じゃあ、海軍で亡くなった方のご遺骨はどうなるんですかね。
「また、約30万柱は海に没したとされ、収容は困難だ。」つうことですかね。

特攻隊で散華された方のご遺骨はどうなるんですか。

沈没している船の位置はわかっています。
乗船された方もわかってます。

どこで戦死された陸軍の先人より特定しやすいです。

例えば、戦艦大和の場合は、三千人のうち私の故郷である淡路島のなかの、そのまた狭い三原郡の三原町で居内久夫兵曹長(二十四才)長谷年夫一等機関兵曹、金勝清志二等兵曹、武田勝二等兵曹(二五才)の四氏のお名前が、緑町では納要中尉、小坂猛二等兵曹、長谷年夫一等機関兵曹の三氏、西淡町では高岡勇上等水兵、中野俊雄二等機関兵曹、土井義行一等主計兵曹の三氏、南淡町では岩井好一水兵長、藤平武上等水兵、中山義雄上等水兵、溝上義雄一等機関兵曹の四氏が「男たちの大和」の巻末にある名簿でも確認できます。

淡路島の三分の一である三原郡(現南あわじ市)は現在四万八千名弱の人口でも十四名の方が大和に乗船され散華されています。

でも、その戦艦大和をを引き上げてご遺骨収集という話は一切出てきません。困難だから。
大和のように深海に沈んでいるからというものではなく、現実に南海で観光商売となっている沈船でも同様です。
今現在ダイビングで潜ってそこにある沈船を引き上げてご遺骨を収集し慰霊しないのですか。

どこにあるかわからないご遺骨より我が国軍人のご遺骨です。はっきりいって、こういった遺骨収集といったものは、関わった方々のマスターべションとしか私は思えません。日本人か誰のご遺骨かわからんものよりももっと優先せなあかんもんがあるだろうにと思います。

私の田舎の淡路島では祖母さんの時代まで土葬でした。
部落に二カ所「三昧( さんま)」と呼ばれる場所があり、そこにご遺体を埋葬する。
墓は別の場所にあり、お参りする墓はただの石であって御遺骨はない。
さんまにお参りに行くのは最初の三年ほどである。

私の父親は大東亜戦争末期、予科練に入隊した。父親が入隊した宝塚海軍航空隊第十六期甲種飛行予科練習生の同期は、鳴門要塞構築のため、鳴門に派遣されていた。鎧崎桜ヶ丘英霊墓地とは鳴門より帰りの機帆船が米軍艦載機(グラマンと言われている)に襲われ、その機銃掃射により約百名のうち八十二名が戦死した英霊が眠るところです。

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英霊墓地内に健立されている「元宝塚海軍航空隊予科練習生 鎧崎桜ヶ丘英霊墓地の由来」には下記のように記されています。

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<大東亜戦争の終戦を間近に控えた昭和二十年八月二日 宝塚海軍航空隊甲種飛行予科練習生百余名は杉本少佐指揮の下に 鳴門要塞増強工事の任務を帯び 鳴門市撫養港より期帆船にて鳴門海峡を横断

阿那賀港に向かって航行中 阿那賀鎧崎沖において 敵機の強襲を受け 一瞬にしてその大半八十二名は壮烈なる戦死を遂ぐ

あたら春秋に富む少年戦士の最期 洵に哀悼の情にたえず 爰に井植歳男氏を大願主と仰ぎ 十方各位の寄進を得て その顕彰碑と八十二基の墓碑を建立し 昭和四十年五月二十七日 盛大なる開眼供養を厳修する

こえて昭和四十二年慈母観音像を建立し 同年十月五日 高松宮同妃両殿下の台臨を仰ぎ開眼法要を厳修す

人の世に慈母を慕う心は永遠にしてまた尊し 祖国への至情に燃え散華せし空の勇者と雖も未だいたいけな少年なれば その心またひとしおならん

母の名を絶叫しつつ悲痛なる最期遂げし童顔を偲び 哀切の念やまず 茲に少年戦士の勲功に心から感謝の誠を捧げ 若き英魂の慈母の

温かき懐に抱かれ 心安らかに眠らんことを願い 塚田正三氏等の発願により 満天下の善意を結集して 慈母観音像を安置し奉る 謹んで誌す

宝塚海軍航空隊予科練 鎧崎桜ヶ丘英霊奉賛会>

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全甲飛十六期会 慰霊碑

碑文

<こいねがわくは この淡路の地に 予科練といふ 童顔の防人ありて

壮烈なる戦死を 遂げられたることを いつの世までも 伝えられんことを

合掌>

 

 

英霊墓地より見る鳴門海峡。

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この英霊墓地にも御遺骨はない。

ご遺体はここに登ってくる途中のさんまに二体、三体と一緒に葬られたが、そのままである。

つまり、御遺骨などなくても英霊を祀り、その名誉を保つことはできるのである。

私は遺骨収集はやっている人間のマスターベーションと書いたのはそういうことである。

それよりも、今生きている北朝鮮に拉致されたままの我が国国民救出が第一だろうに。

其の為に何をやるのか。

平壌宣言破棄、国策捜査による北朝鮮との取引を徹底的に潰すことによる経済制裁などいくらでもできるはずである。

海軍は水葬だとほざいている阿呆もいる。
じゃあ、水葬とはなんだ。皆が皆、国旗に包まれて水葬にされたのか?
敵に撃沈された船に乗っていた乗組員はそのまま水葬なのか?
慰霊祭をやったから、水葬だとでも?
沈んだままただおっぽってあるだけだろうに。
陸上で戦死された先人も同じだろう。
慰霊祭はやっているだろうに。
戦後七十年以上、硫黄島返還後五十年近い。
見つかったご遺骨はともかくとして、
今更大騒ぎして御遺骨を集めてどうする。
海に眠る英霊と同じように陸で戦死された英霊も静かにそのまま土に還っていただくべきではないのか。

英霊は、まさに「海ゆかば」にある通り、誰も自分の御遺骨のことなど考えていなかったのではないか。

海ゆかば水漬く屍

山ゆかば草むす屍

大君の邊にこそ死なめ

かえりみはせじ

それよりも、英霊の名誉を守る方が大切であろう。

靖國で会おうと言って散華された英霊の名誉を重んじるのであれば、ご遺骨収集などより、総理大臣自身による靖國神社参拝だろうに。

そして、バッジしか与えられない現在の自衛隊に勲章授与だろうに。

アホらし
営業終了後、「オブデュモンド」さんに伺う。

記憶あり。
猿よりマシ。

エビでもない。