大村朝鮮人収容所と吉留路樹

11月24日火曜日晴れ △

DSCN4236朝鮮人どもは「強制連行されて我が国に来た」「無理矢理連れらてきた」などとほざきながら、今でも帰らずに、我が国に居座っているだけでなく、密入国まで現在でもしてきています。

まさに知れば知るほど嫌になる我が国の寄生虫。それが朝鮮人どもです。

手元に古本市で随分前に購入した「大村朝鮮人収容所」(吉留路樹著 二月社 一九七七年刊)という本があります。この本の著者の吉留路樹氏は一九二五年生まれの新聞記者を経て作家生活に入ったとなっています。NPO東アジア交流学院初代会長だそうで、この本によると大村収容所とは一九五〇年(昭和二五年)一二月二八日、この年の一〇月以来旧海軍針尾海兵団後に設けられていた「外務省針尾入国者収容所」を元の大村海軍航空廠本館後に移し、二年後の一九五二年一一月一日付けで出入国管理庁に移管、翌五三年八月一日から「法務省大村入国者収容所」といわれるようになったそうです。
この本の中に収められている大村収容所に収容されている朝鮮人の人たちについて著者が書く「悲劇的な例」は下記のようなものです。

例一
一九四三年群馬県の桐生市で生まれ、一九四六年に父親などを残し母親と兄妹で南朝鮮に帰る。南朝鮮で待っていたが、父親は南朝鮮に帰ってこないし、そのうち母親、長姉と死んだので日本にいる父親を頼って一九五六年に密航で日本に入国。
北朝鮮に帰国地を選んでいるのに我国政府は帰国地選択の自由もさせずに南朝鮮に送り返すつもりだと憤慨している。

例二
一九六八年母親(渡航年など記載なく入管令違反のみ表記)と子供三人(満一歳の双生児と乳呑み子)が収容される。二月二三日に父親が面会時に包丁を振り回して部屋の外に飛び出す。五時間後に路上で逮捕。
著者は親と子、夫と妻を生き別れさすことが罪悪でなくて、ただただわが子を抱いて走ったのが「奪取逃走」になるのかと憤慨。

例三
一九四五年一〇月、夫が渡日したあと生まれた長女を抱いて、大阪で働いていた夫の元に。その後夫と死別。別の在日朝鮮人と再婚。四人の子供を生んだ後離別。一年ごとに在留期間の申請を更新する「不法入国者」として扱われてきた。離婚後一九六七年に生活保護を受ける。その年六月二九日に在留期間の更新打ち切り。一九六八年七月三一日母子とも大村収容所に収容。
著者は日本帝国が一九四五年八月一五日に無条件降伏し、同年九月二日にミズリー艦上で連合国相手の文章に正式調印したのは、日本国民大衆にも朝鮮人・台湾人民衆にも相談して行ったのではない。いうなれば天皇制権力が勝手に戦争をはじめて、勝手に内外人民を戦争に巻き込み、そして勝手な時期に勝ってな方法で降伏したまでである。
そして、この例三の場合も一九四五年一〇月に来日したというのは、当時の夫が日本に住んでいて日本で働かざるをえなかったからであって、わざわざ遅れたわけではないだそうです。

例四
日本で生まれ育った朝鮮人が見合いのために戦後、南朝鮮に渡り、従兄弟にパスポート、再入国許可証を預けて旅行していたところ、その間に従兄弟の会社が倒産し、従兄弟当人も行方不明となった。そのために再入国期限が切れてしまったので、日本行きの貨物船に隠れて釜山港を出た。福島県の沖合いで「陸地まで100メートル位だから、あとは泳いで行けよ」と貨物船の船員の言葉により海に飛び込んで半死半生で溺れかけ漁船に救われて病院に収容。身分や住所氏名の発覚をおそれて逃亡。上野駅で逮捕。懲役四年半。刑期を終えて出所後収容。

例五
済州島で生まれて、二三歳の時に(一九五六年)実兄を頼って来日。三年後結婚。一九六六年に大阪入管に自首して特別在留許可の申請したが却下により夫妻で自費出国。翌年の一九六七年に夫が再来日。続いて妻が戻る。
一九七五年二月再逮捕されるまで六人の子供が生まれる。

例六
朝鮮戦争で両親を失い孤児となった後一六歳で一九六五年に密航。叔母の家より通える町工場の旋盤工として働く傍ら夜間中学に通う。七五年一二月に東京入管に自首し、特別在留許可申請を行うが不許可により大村収容所に。

例七
済州島にて一九五九年に結婚した夫妻はあまりの貧しさに一九六一年にまず夫が渡航。その後一九六四年に妻が夫の後を追って渡航しようとし、その時には対馬で逮捕され強制送還。六六年に再度渡航。大阪で夫婦で暮らし三人の子供を生む。七七年「外国人登録法違反」にて逮捕。
著者は夫婦で暮らしたいので、妻が夫の後を追うのが当然と書く。

その他として、
一九六四年に母と二人の姉を求めて渡航
一九六八年に父親の再開を願って渡航
一九六四年に兄を頼って入国
仮放免中に逃亡したという理由で再収容。

以上のような朝鮮人がその大村収容所に収容されていた事を書いているだけのことですが、どこが著者が書くように悲劇的なのでしょう。私程度の頭では理解できませんでした。
例二は包丁を持ってきていたのですから、最初からそれを使うつもりだったとしか思えませんし、刃物を振り回したのですから逮捕されて当たり前でしょう。例四などは普通に考えて余りにも不自然でしょう。パスポートを預けてあった従兄弟が会社が倒産して行方不明になったから、貨物船に隠れて密航し、飛び込んで・・・。その他はすべて職を求めて食べるために不法に我国に入国してきた人たちです。それを強制送還してどこが悲劇的なのでしょう。恐らく著者の歴史観に基づくものでしょう。
いわゆるこの著者の歴史観というものは「日本と日本人が償っても償いきれないほどの『負』の歴史を背負っている」という醜いぐらいに偏ったもので、それは「具体的にいうと、アメリカやソ連あたりから正規の手続きによらず入国するのは『不法入国』であり、『密航』でもあるが、朝鮮からのそれは離散家族の再会であり、あるいは一旦帰国による再入国であり、あるいはまた南北分断による政治的経済的事由が生んだ渡航というケースが大部分であるのだから、日本政府当局が自らの設けた法規のみを盾にとって対処することは許されまい」とまでいいきるほどです。そのような偏った歴史観に基づく著書となっています。
そのために、このように不法入国は罪ではないと言い切っていいるのです。

大村朝鮮人収容所の著者である吉留路樹氏は「一家離散の真因を擬視せよ」と題しては、文禄・慶長の役の影響として、<たとえば、朝鮮の各地を歩いてみるとよろしい。いわゆる日帝三六年の植民地支配が残した傷痕と、ほとんど等質のナマナマしさで、加藤清政・小西行長らの暴状に接するはずである>p一九
アホかと。
この手の事を書いている連中が朝鮮人だけでなく一部の日本人が今でもいますが、アホとしか言い様がありません。四〇〇年以上前の影響が今でも残る国って今まで何をやってきたのでしょう。まあ、朝鮮人どもだったら、理解できないこともないですが、日帝三六年って、我国が近代化する前の世界最貧国で奴隷が半分近くを占める朝鮮の方がいいとでも・・・・

そして我国への朝鮮人の渡航については
<日本が朝鮮を植民地にして、まっ先に着手したのは土地調査事業に名を借りた農地の収奪乃至強奪政策であった。その手段方法の冷酷かつ強引さについては、まさに枚挙にいとまがないほどだが、今回は紙面の関係で割愛する。が、古い朝鮮人の渡航者の八〇%から九〇%の前職業が農民であったという統計でも判るように、土地を奪われ職を失い、一家離散のうちに最も忌むべき国だが最も距離的に近い日本へ、朝鮮農民は明日を生きるため玄界灘を渡った。こうした人たちが一九三七年までに来日した朝鮮人の大部分を占める。
ところが三七年七月に勃発した日中事変、四一年一二月の対米英戦争突入につれて、日本は軍需産業その他の深刻な労働不足を生じた。政府が国家総動員法に基き、労務動員計画を策定した三九年七月には、早くも内務・厚生両次官による「朝鮮労務者内地移住ニ関スル件」と称する一片の通牒に従い、いわゆる強制連行がはじまった。この結果、終戦時に二〇〇万人を超す在日朝鮮人の数を記録したのである。>
<以上のように、在日朝鮮人の圧倒的大部分は、日韓併合以後心ならずも渡航してきた人か、あるいは強制連行とという一種の国家暴力によって、無理に渡航を強いられた人、またはその子か、その孫なのである。
そしてまた、法務当局や警察が無慈悲に「密航者」とか「不法入国者」とか極めつける人びとも、そもそもは日本にいる親兄弟や子や孫や夫や妻をたづね、あるいは一旦帰国したものの、諸般の事情から再び生活の場を日本に求めざるを得ない人たちが大部分だと言ってよい。
したがって、在日朝鮮人であろうと、再度航者であろうと、すべては既住日本と日本人が創り出した歴史の所産にほかならない。世間ではよく、朴政権の暴圧下に喘ぐ南朝鮮人民の今日的不幸に安っぽい同情を寄せる人がいるけれども、朴政権が南北分断の申し子であり、南北分断が米ソ両軍の分割占領から生まれ、その米ソの朝鮮進駐は日本の植民地支配が招き寄せたものである以上、同情する前に、日本と日本人の思考から欠落している歴史的責務を痛感すべきであろう。>
p二二~二四
<一定期間日本に滞在する者を除き、一応、永住する形で居住する在日朝鮮人は、これまで述べてきた通り、日本の植民地支配~強制連行~南北分断というように、何らかの影響を日本帝国主義によって受け、やむなく日本で生活している人たちである>P三五

そして我国の「償いきれない負の歴史」として
<朝鮮人は外国人である。したがって、「一般外国人」という言葉を使用するとすれば、過去・現在・未来を通じて朝鮮人は「一般外国人」以外のなにものでもない。それを過去において、無理やり日本国籍を強制し、創始改名まで強いたのが日本であった。
ただし、この「一般外国人」にたいしては、日本と日本人が償っても償いきれないほどの「負」の歴史を背負っている。その点で、他の「一般外国人」とは立場を異にするのである。決して「日本国籍ウンヌン」のためではない。>
<具体的にいうと、アメリカやソ連あたりから正規の手続きによらず入国するのは「不法入国」であり、「密航」でもあるが、朝鮮からのそれは離散家族の再会であり、あるいは一旦帰国による再入国であり、あるいはまた南北分断による政治的経済的事由が生んだ渡航というケースが大部分であるのだから、日本政府当局が自らの設けた法規のみを盾にとって対処することは許されまい。>
p二九~三〇

<朝鮮人は外国人に違いないが、アメリカ人やフランス人が日本に来ているのとはそもそもわけが異なる。アメリカ人やフランス人は自分達が希望して日本に来たのだが、朝鮮人の圧倒的大部分は来たくない国に無理矢理こさせられたり、連れて来れたりした者か、またその子、その孫なのである。在日朝鮮人なる存在それ自体の背後に、日本と日本人の一方的恣意では払拭しえない「負」の歴史が厳然と控えているのを忘れてはならない>

そして、こんなアホなことまで言う。
<つまり、一旦罪に問われた在日朝鮮人であっても、立派に罪を償った以上は日本人がそうであるように、元の居住地で生活を再開するのが当然なのだ。
日本人にして、それでもなお送還を正当だという人があるならば、その人の力で朝鮮を一九一〇年以前の状態に引き戻し、在日朝鮮人の精神的経済的生活環境を渡航以前の状態に復元してもらいたい>
P五六

戦争末期、日本国内には二三〇万人の朝鮮人がいた。いずれも好き好んで海を渡った人たちではなかった。法務官僚が好きな言葉でいえば、日本帝国なる「国家意志」によって狩り立てられた人びとであった。
略)
最大限ゆずったとしても、日本は二三〇万人までの朝鮮人を無為条件で受け入れるべき義務がある
P一九六~一九七

ここまでのアホウは中々いません。李朝の時代に戻せと言っているのです。気狂いというよりどうしようもないアホウです。そして、ほとんどが自らの意思で来た朝鮮人を無理矢理連れてこられたものだと言い張り、我国に二三〇万人の朝鮮人を無条件で受け入れる義務があるとまで言い切っているのです。この本に記されている大村収容所に収容された朝鮮人の例でも、戦後に渡航した来た連中がほとんどです。戦後の強制連行?とでも言うのでしょうか。アホ過ぎます。
しかし笑える「朝鮮を一九一〇年以前の状態に引き戻し、在日朝鮮人の精神的経済的生活環境を渡航以前の状態に復元してもらいたい」

我が国もできたら、あんな半島に投資した無駄金を国内に投資し直すことができたらどれほどいいことでしょう。朝鮮人が言う世界で最も過酷な統治?により人口を倍に増やしてしまい、過酷な統治により米の生産を増してしまい、過酷な統治により小学校から帝国大学までつくってしまい、過酷な統治によりハングルを普及させてしまい、過酷な統治により糞尿まみれの汚い国のインフラを整備し東洋最大級のダムまで作ってしまったわけですから。そりゃあ、今となっては後悔するでしょう。
いつも書くようにこういったこの著者のようなアホな日本人が一番の問題でしょう。まあ、このテの笑えるアホのネタ本として古本市での三五〇円はお買得だったとも思います。見栄えのよい本しか扱わないBOOKOFFだったら絶対に並ばないでしょうから。

この吉留氏は「アメリカ帝国主義」「朴政権の反民族的妥協」南朝鮮、そして「韓国」と表記し、大韓民国とは使いません。また、日「韓」基本条約、在日「韓国」人、「韓国」軍と必ず「」付きで表しています。一方、北朝鮮に関しては朝鮮民主主義人民共和国と長ったらしい嘘臭い国名を記したりまたは共和国と表し、在日朝鮮人、朝鮮籍と「」つきでなく表記しています。
それは下記のような表記のしかたです。
<かって朝鮮人民共和国への帰還を求めて亡命してきた現役の「韓国」兵・・>
<そのアメリカ及び「韓国」が敵視した朝鮮民主主義共和国には・・・・>
この吉留氏のイデオロギーによるものとしか思えません。吉留氏の考え方は「あくまで朝鮮は一つ」としての朝鮮人について書いてある箇所にも現れています。
<ところで、七四年末現在我国に在留する外国人七四万五〇〇〇人の八六・三%を占める在日朝鮮人中、いわゆる「協定永住者」が三四万三〇〇〇人程度でしかないという事実を眺める時、私は朝鮮人民の意志の強靱さと「統一」への願望の強さをまざまざと胸に刻み付けられる。
というのも、日本政府が「韓国」を「朝鮮半島における唯一合法の政府」としたフィクション路線を走り始めて以来、日「韓」協力の下に推進した「韓国」籍への切り替え強要が、ときにアメとなり、ときにはムチとなって、彼らの日常生活の上に暗く重くのしかかった事実があるからである。>
略)
<彼らは南朝鮮の出身者であっても、「韓国」籍を拒否する。一二六とか、四-一ー一六-二とかわけの判らぬ数字入り在留の状態に耐える。なぜであろうか?
それは彼らの心の底に、朝鮮は一つ、朝鮮人もまた単一の民族なのだという意識が、如何なる誘惑や如何なる弾圧にも屈せぬ信念に支えられて明々と燃え上がっているからに相違ない>
<アメリカが創り出した「韓国」、アメリカと日本が支えている朴政権、それらのものは朝鮮人総体の見方や考え方からすれば、やはり一部外国勢力によって組み立てたフィクションなのである>
P一七九~一八一
だそうで、いくら一九七七年当時とはいえ、よくこうも考え方が凝り固まっているものです。

著者によると朝鮮の南北分断も我国の責任だそうです。
<米ソ両軍が南北から進駐し、朝鮮半島を分割占領した。たしかに、それはそうであろう。けれども、それでは何のために、如何なる目的で米ソ両軍が侵入したかといえば、これはもうj説明するまでもなく、当時の朝鮮が日本帝国の植民地であって、政治的軍事的に重要な基地として機能していたからほかならない。つまり、日本の三六年間におよぶ植民地支配さえなかったらならば、米ソ両軍の進駐はありえなかったし、またそれなしに今日の南北分断もなかったのである。
と、いうことは、南北分断の真因はまさに日本と日本人すべての責任に回帰することを意味し、極めて明確な歴史的事実として把握せざるを得ない。ところが、この明確至極な歴史的事実が大多数の日本人の思考から欠落している。そこで政治家や官僚はもとより、大衆の間にさえ「密航」だとか、「不法入国」だとかの犯罪用語が罷り通るのである。
民族と国土の分断は、米ソ両軍の分割占領から二つの体制を生み、血で血を洗う殺戮を惹起し、南朝鮮におけるアメリカ軍駐留の固定化と軍事ファシズム政権を生み出した。政治的絶望と経済的苦境に最も弱い層が、今日を生き明日に望みを託すため、あえて危険を覚悟してまで祖国を脱出しなければならない理由は実はここにある。>
<しかも、今日三五〇〇万を数える南朝鮮の圧倒的大部分の民衆は、祖国の再建と統一を目指して苦闘している。したがって、最も近いが最もイヤな国への渡航を思い立つということは、いよいよ切羽つまったごく限られた人々と見て差支えない。誰しもが、好きこのんで故郷を捨てる道など選びたくはないのである>
p三二
なんともいやはや。今でも確かにこんなアホウがいるのは確かですが、こんな程度の男が新聞記者をやって報道に携っていたのです。確かに当時は朝日新聞などの多くのマスコミ、美濃部東京都知事、土井たか子、小田実などが北朝鮮を讃美し、在日朝鮮人とその伴侶となった多くの日本女性を地獄に送りだしましたが、それについてはその後口を噤んでいます。
(ちなみに私は朝鮮についての表記は「大韓民国」と書くのであれば「朝鮮民主主義人民共和国」と書くべきだし、「韓国」と書くのでしたら「北朝鮮」とは書くべきでないと思っています。北朝鮮と書くのであれば南朝鮮が自然と思っていますので大韓民国については南朝鮮と表記しています。)

「大村朝鮮人収容所」(吉留路樹著 二月社 一九七七年刊)

吉留路樹とはまさにアホ日本人の典型です。

ホンマにあほらし

三名様来店。
Oさん来店。
Kさん来店。
Kくん二名様で来店。

ドンチャン。
記憶あり。
猿よりマシ。