古田博司

筑波大学大学院教授・古田博司
9月9日水曜日大雨△
古田博司教授といえば今や朝鮮に厳しいことを言う御仁として、雑誌「正論」などに出まくっています。
経歴はネットでは下記のようになっています。
<古田 博司(ふるた ひろし)
ペンネーム フルタヒロシ
誕生 1953年7月18日(62歳)
神奈川県横浜市
職業 政治・歴史学者
教育 博士(法学)[1] 最終学歴 慶應義塾大学大学院文学研究科東洋史専攻修士課程修了
活動期間 1986年 –
ジャンル 政治学・歴史学
主題 東アジア国際システム論・東アジア情報戦略・韓国政治・北朝鮮政治・朝鮮思想史
代表作 『東アジアの思想風景』(1998年)
『東アジア・イデオロギーを超えて』(2003年)
主な受賞歴 サントリー学芸賞(1999年)
読売・吉野作造賞(2004年)
正論新風賞(2006年)
処女作 『悲しさに笑う韓国人』(1986年)
公式サイト www.u.tsukuba.ac.jp/~furuta.hiroshi.gm/
古田 博司(ふるた ひろし、1953年(昭和28年)7月18日 – )は、日本の政治学者・歴史学者。筑波大学人文社会科学研究科教授。専門は政治思想・東洋政治思想史・北朝鮮政治・韓国社会論・朝鮮中世史・思想教化研究。
神奈川県横浜市出身。大学では歴史人類学の教室に属したが、製作者の気がこもっている民俗的物体に手を触れることができなかったという。1980年(昭和55年)から1986年(昭和61年)まで韓国に滞在し、その体験と研究を下地にした韓国論の書籍を複数出版している。日韓関係について、日本は韓国に「教えず、助けず、かかわらず」の「否韓三原則」で対応すべきと主張している

産経新聞でも下記のようなことを書いています。
以下引用
<2015.4.15 05:01産経新聞
【正論】
「侵略」といえなかった朝鮮統治 筑波大学大学院教授・古田博司
略)
《古代に固定されていた李氏朝鮮》
明治時代の経済学者・福田徳三は李氏朝鮮を目の当たりにして、まるで平安の藤原時代のようだと言った。土地の所有権ナシ、商店ナシ、行商人のみアリ。今の北朝鮮のような世界である。さぞかし驚いたに違いない。
戦後のマルクス学者たちは、世界各地はみんな発展していなければならないし、それは一定の段階を踏んで進んでいくのだと信じていたので、福田に朝鮮差別のレッテルを張りつけて退けた。だが今では、福田の方が正しかったことを研究が明らかにしている。
シナ地域と朝鮮半島は全く対等ではなかった。今で言えば、先進技術国の隣に極貧国があるようなものである。朝鮮には一次産品以外売るものがなかった。シナの針や染色衣料などの高度な技術品を得ようとすれば、米・布が流れ出し、飢餓輸出になってしまう。12世紀からは銀が流出し、2世紀あまりで朝鮮半島の銀山は掘りつくされてしまうのである。
だから、李朝になると朝鮮半島の経済はずっとシナ地域に対して防衛的になった。特権商人が対馬との交易でシナの白糸と日本銀を交換する。その日本銀で朝貢使節に下人や馬夫身分で200人、300人単位でついてゆき、支配階級のために北京で高度な技術品や芸術品を買い付けるのである。人数分ご褒美もくれるのでこれも売り物になった。女真族がシナ地域の征服者になり清朝を開くと、大きな貢物を要求されたので、この供給も彼らの仕事になった。
こんなことをしていたので、李氏朝鮮は18世紀まで古代に固定されていた。これがガラガラと崩れてゆく。17世紀以来の商人ギルドは、支配階級自らが他の商人たちと個別に結託したので穴あきになり、他方民間では自前の染料がないので民衆は白衣姿、結局針一本作れない技術水準のまま、近代日本に併呑された。
《格差ゆえに施した近代化政策》
日本がやってきたとき李朝の国庫は空だった。王は「そちたち好きに計らえ」と、5人の大臣に国を丸投げした。この史料は実録、王室日記をはじめ3カ所から出ている。日本が統治したのは当時、西洋列強が角突き合わせる時代だったので、その安全保障ゆえだった。近代化政策を施したのは、あまりに格差がありすぎたからであり、放置したのではかえってコストがかかりすぎるためだった。
だから朝鮮半島に関しては「侵略」などというのは無理である明・清代にはシナ地域との圧倒的な格差のため、朝鮮の経済をシナ経済の末端にしないように意識して経済の発展を抑制していたが、19世紀末に近代日本が来ると貿易の自由化が始まり、あっという間に日本に呑(の)み込まれた。もし過去の歴史をさして、「侵略」以外の何かしらの言葉をもって置きかえるならば、「不運」というのが妥当と思われる。これからの未来だが、朝鮮半島の経済は中国経済の末端に連なることになるだろう。
ここで、もう一つ気がついたことがある。日本を除く東アジア地域、西洋に比しての「東洋」だが、この地域に世界的に孤立した特徴がある。それは、ここのみが無神論地域だということだ。彼らの伝統では、自己の血族でない霊魂は祭ってはならない。自家の祖先の霊魂だけが神さまであり、他家のは全部ゴーストなのである。これがまさに、彼らに靖国神社が理解できない理由となっている。
《国史を凌駕する宗族の歴史》
日本には古来神さまがいる。日本人は元旦には神社に初詣に行き、家に神棚のある人は手を合わせるだろう。だが、なぜ宗教としての自覚が希薄なのか。それは恐らく隣国が特異な無神論地域なため、宗教的な確執や葛藤を経験していないからではあるまいか。
隣国では、社会の基本単位が男系血族による宗族である。だから共同の意識が地縁にまで及ばない。物理的に一族のために蓄財し、精神的に宗族の歴史が一番大事なので歴史認識にこだわるのであろう。国は不運の歴史ではあっても、自家の歴史は立派だったと思いたい。後者の意識が前者を凌駕(りょうが)し、ついに国史まで偽造するに至った。これを国家的規模で行ったのが、北朝鮮の金家の「革命伝統」であり、韓国では金泳三大統領時代に始まる「歴史の立て直し」政策であった。
韓国では1990年代以降、テレビの時代劇では奴婢(ぬひ)まで色物を着るようになり、外出禁止だった李朝・京城の夜を提灯(ちょうちん)を持って出歩くようになった。不運だった「隠者の国」はケバケバしく彩られ「自尊者の国」へと変貌した。
以後、韓国人の現実像と歴史像は乖離(かいり)し、言うこととやることがちぐはぐになっていくのである。(ふるた ひろし)>
引用終わり

DSCN4029このように書く古田氏だが、手元にある昭和六十三年の古田氏の著書「ソウルという異郷で」ではどのように朝鮮と我が国のことを書いているか。
<まえがき
略)
確かに日本人は歴史上韓国に対して良くないことばかりしてきた。古くは倭寇が朝鮮半島の沿岸を荒らし回り、豊臣秀吉の朝鮮侵略で国土は焦土と化し、近世では日韓併合し、国を奪ってこれを植民地にした。勿論、有史以来この国を侵略した民族は日本だけでない。漢族もモンゴル族も満州族も皆、北から鴨緑江を越え、豆満江を越えて侵略し、占領統治した。しかし、漢族はこの国に漢字、儒学等の様々な文物をもたらし、モンゴル族と満州族は今日では著しく力を弱めている。何らの文物も与えずに侵略し、そして今日も先進国として繁栄し続けている日本を見るとき、韓国人は一様に抱く情念は歴史の「不条理」である。そして、日本に対する不気味さと恐れである。
筆者は一九八〇年の七月に渡韓し、この地で現在まで五年余りの歳月を送った。この日々の中で筆者が痛感したことは、日本にいた頃はいかに隣国が見えなかったか、という一言に尽きる。そして視界を妨げるものの正体を、どこかに書き記して置きたいと真に思ったのである。>
P一〜二

「日本は平和好きの隣人に守られつつ発展したということについて」として、
<生を善と見、死を先祖との一体化と見る韓国人にとって、この死をも恐れぬ日本人の「大和魂」は残忍な攻撃性としか映らない。まずいことには戦時中、実際その残忍なことを韓国、中国、その他のアジアの諸地域で実践してしまったのである。
さかのぼれば、日本が帝国主義の尖兵として韓国に雪崩こんだとき、韓国は貴族文化の花咲く李朝時代であった。そして、韓国を併合し、景福宮という王宮の真ん中に朝鮮総督府という大理石の建物まで立ててしまった。これはどういうことかというと、次のような空想をしていただければ分かると思う。平安時代の貴族社会の禁裏に突然銃剣を閃かせた資本主義の軍隊がなだれ込み、天皇の御所のど真ん中に指令本部を置いた。これでは周章狼狽してなす術もない。そして日本の武士の精神美を貴族社会の人々に押し付けたのである。生を善と見、健康が大好きなアジアの平和な隣人に、規律と自己犠牲を強いたわけである。
略)
P三十四

昭和六十三年
>何らの文物も与えずに侵略し
>戦時中、実際その残忍なことを韓国、中国、その他のアジアの諸地域で実践してしまったのである。

現在
>だから朝鮮半島に関しては「侵略」などというのは無理である

このように古田氏の文章は大きく変わっているわけである。

DSCN4037そして、このような古田氏について古田氏と同じ筑波大学教授である中川八洋氏は著書「幻影の『東アジア共同体』」に姜尚中、和田春樹、古田博司は、三つ子であるとして、北朝鮮が我が国との国交回復による一兆円とも二兆円ともいわれる「賠償」を手にすべく、在日朝鮮人、帰化して日本国籍を持つ「北朝鮮の工作員」たちに命じてキャンペーンをさせたのが「東北アジア共同の家」「東北アジア時代」などのスローガンであるとそれぞれの著書名をあげて指摘しています。

姜尚中『東北アジア共同の家をめざして』平凡社、二〇〇一年十一月刊。
立命館大学国際地域研究科他『東アジア時代への提言』平凡社、二〇〇三年七月
和田春樹『東北アジア共同の家 新地域主義宣言』平凡社、二〇〇三年八月
古田博司『東アジア・イデオロギーを超えて』新書館、二〇〇三年九月

そして、姜尚中と古田博司・・・・日本人から「ナショナル」を剥奪する悪のコリアンとして、
<姜尚中の一卵性双生児が、古田博司である。古田はマルクス・レーニン主義者で、金日成を拝む狂信的な「主体思想」の宣教師である。
読売・吉野作造賞をとった『東アジア・イデオロギーを超えて』は、自らを「東アジア人」として規定している。「国籍上の日本人」と「血統における北朝鮮人」との折衷から発想したのだろうが、姜と同じく、日本人を「東アジア人」に改造したくてたまらない、マルクス主義に立脚した、古田のおそろしい人間改造イデオロギーの執念が滲み出ている。だが、日本人が「東アジア人」になることは、この地球上に日本国民がゼロとなることである。古田の狙いはそれである。

「東アジア人として生き暮らしたこの国(韓国)の思い出が・・・駆け巡る。そう、東アジア人として生きられないものだろうか。・・・・通りがかりの老爺が・・・わたしに道を聞く。(東アジアはここですよ、おじいさん)、・・・」*

つまり、古田にとって、東アジアには韓国も日本も北朝鮮もない、それらの国家が消えた「東アジア」になって欲しいのである。日本人に「イデオロギーを越えろ!」と、ナショナリズムの放棄を穏やかな間接話法で勧めるのは、「非・日本人」に自己改造してほしいのである。
姜の『東北アジア共同の家を目指して』も、古田の『東アジア・イデオロギーを超えて』も、北朝鮮人の血なくして発想されることはない・両書は、「国境なき東アジア」「国籍なき東アジア人」というレトリカルな詭弁において、日本人に「日本国民」を捨てさせるべき書かれたカルト宗教的な書である。
なお古田は、二〇〇二年九月、小泉総理の訪朝によって、北朝鮮が拉致をしていることが確定するや、それまで授業で必ず最初の十分間やっていた、金日成の主体思想を讃える北朝鮮製の宣伝映画を直ちに中止した。また、「(拉致)など創り話です。そんなことは荒唐無稽な妄想です」との嘘宣伝もやめた。そして、偽りの「保守イメージ」を作るべく『諸君!』や『産経新聞』に近づき、その常連へと潜り込んだ。この変節は、無国籍の「東アジア人」になりたいという古田の言が実は偽りであって、その本心では、父の祖国の「北朝鮮人」でありたいと念じているからではないか。>
「幻影の『東アジア共同体』」p百四十八〜百四十九

*『東アジア・イデオロギーを超えて』p二百七十一〜二百七十二 私は中川氏の著書「幻影の『東アジア共同体』」より(丸カッコ内は中川氏によるもの)

古田博司氏が中川八洋氏のいうように「朝鮮人」であるかどうかは私は知らないが、古田氏の書いていることが大きく違っているのは事実である。
また、中川氏の書いていることが事実と違っているのならば、古田氏は正式に抗議すればいいだけのことである。

「ソウルという異郷で」古田博司 人間の科学社 昭和六十三年(一九八八年)刊
「幻影の『東アジア共同体』」 中川八洋 北星堂書店 平成十九年(二〇〇七年)刊

あほらし

大雨の中
Iさん来店。
大野さん来店。
二名様来店。
マロさん来店。

ドンチャン。
記憶あり。
猿よりマシ。海老でもない。