今田真人の著書「吉田証言は生きている」での違和感その十

今田真人の著書「吉田証言は生きている」での違和感その十
8月18日火曜日晴れ×
< 五、白を黒といいくるめるための、引用改ざんの手法
秦氏の著作は、「吉田証言」を否定したという2人の研究者の著作を紹介している。一人は戦争責任資料センター会員の西野留美子(「西野瑠美子」と書かれた著作もある)氏、もう一人は中学教諭の久保井規夫氏である。
略)
次に、久保井規夫氏の著作『教科書から消せない歴史――「慰安婦」削除は真実の隠蔽』(1997年、明石書店)を、秦氏は次のように紹介している。
「久保井規夫のように『吉田証言は信憑性がないことは(秦氏によって)立証された』『私は朝鮮では公然と暴力を振っての……強制連行は少なかったと判断』と書く人もいる」(秦『慰安婦と戦場の性』P243)
この秦氏の著作の引用を素直に読めば、久保井氏が吉田証言をやはり否定したとしか思えない。しかし、実際の久保井氏の著作には次のように書かれている。
「『自由主義史観研究会』の藤岡信勝氏は、日本軍『慰安婦』を娼婦と決めつけ、次のように主張する。…日本軍『慰安婦』を娼婦と決めつけた誤魔化しには次の説で改めて反論する。藤岡氏の主張を続けよう。『強制連行を主張している人々は何を根拠にそう言い立てているのだろうか。自分が強制連行したと称する日本人の証言である。他ならぬ実行犯の告白であり、しかも一見した処自分に不利な事実の暴露なので信用できると思われるのがねらいである。吉田清治著『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房、1983年)がその証言である。しかし、この本は既にその虚構性が完全に暴露されており、このような資料に基づいて強制連行があったかのように教える事は、言わば史実の捏造をもとにした教育を行う事を意味するのである。』と言う(藤岡信勝著『汚辱の近現代史』徳間書店)。この吉田証言が崩せた事で彼らは勢いづいたようである。吉田清治氏…の証言の『虚構性を暴露した』のは『つくる会(筆者注=新しい歴史をつくる会)』の賛同人の1人でもある秦郁彦氏(千葉大学教授)の調査である。彼らが吉田証言を虚偽とした調査の経過は、板倉良明『検証「慰安婦狩り」懺悔者の真贋 阿鼻叫喚の強制連行は本当にあったのか』(文芸春秋『諸君』1992年7月号)に詳しいので要約してみよう。……吉田氏の証言は、秦郁彦氏の現地調査によって否定された(『産経新聞』1992年4月30日付)とする。……長々と紹介したが、要するに、秦氏の現地調査では、貝ボタン工場での、『慰安婦』の暴力的な強制連行の裏づけはとれなかったので吉田証言は疑問である(此処までは良いが)。
だから、『慰安婦』の強制連行は一切が『史実の捏造』だと曲論するのである。私も、現場教師であるとともに、歴史家の端くれと思っている。率直に私自身の判断を述べよう。必ず、証言・資料についての検証は大切であり、吉田氏自身のきちんとした釈明・反論がなし得ない限り、吉田証言については、誇張・創作・増幅された形跡があり、秦氏の調査・指摘で信憑性がない事は立証されたと見る。吉田証言は、歴史資料としては採用できない。…吉田証言が否定されたとしても、すべての『慰安婦』の証言に見られる、数々の強制された史実をすべて否定できるとするのは暴論の極みであり、歴史家とは言えない。1で百を否定はできないのである」(P97~101)
これも長い引用になったが、要するに久保井氏は「秦氏の調査・指摘で(吉田証言が)信憑性がない事は立証されたと見る」と言うものの、その文章の直前に「吉田氏自身のきちんとした釈明・反論がなし得ない限り」という留保条件をつけている。秦氏は、この留保条件を引用せず、久保井氏が無条件に「吉田証言は信憑性がないことは(秦氏によって)立証された」と記述しているようにみせかけている。この著作は吉田氏が死亡したとされる2000年7月(朝日14年8月5日付)より前の97年に刊行されており、吉田氏の釈明・反論を促したものでもあったかもしれない。秦氏の留保条件を無視した引用は、我田引水という。これも引用の改ざんの一種である。
ついでにいえば、「私は朝鮮では公然と暴力を振っての……強制連行は少なかったと判断」という久保井氏の記述は、ここでは紹介しないが彼自身の独自分析による「判断」であり、吉田証言を虚偽としたものではない。「(朝鮮では)強制連行は少なかったと判断」と言う慎重な記述にそれが表れている。
以上のように、秦氏の著作は、吉田証言を否定していない研究者の著作を、あたかも否定しているように見せかける巧妙な引用の改ざんをしている。まさに白を黒といいくるめる手法である。>
P百七十二〜百七十九

DSCN3836手元に西野氏の著書がないので、久保井氏のみに限って、書かせていただきます。
久保井氏については、私も過去に指摘していますが、吉田清治氏と五十歩百歩という程度の人間ですが、それにまた同程度の今田氏がアホを書いていると思ってくださればいいのかなと。
今田氏が秦氏が留保条件を抜いて引用した事を「改ざん」したと言っているが、吉田氏の慰安婦強制連行について疑問を呈した久保井氏の下記の記述を抜いて引用している。

<更に、私は、次の三点の理由を加える。
一、すぐに分かったが、「動員命令書」の昭和十八年五月十五日はおかしい。「皇軍慰問朝鮮人女子挺身隊二百名」と記されたと言うが、「女子挺身勤労命令」の法令が施行されたのは、翌年の昭和十九年八月二十二日であり、女子挺身隊の「動員命令書」などありえない。日記にまで記したと言いながら、虚偽か思い違いである。
二、吉田氏の虚偽性については、既に福岡県の朝鮮人強制連行に関わっている人々が指摘しており、検証中であった。吉田氏は動員の最前線にあった事は確かだろうが、でも、動員された者の行き先や実態を把握できる地位になかったし、把握しようともしなかった。吉田氏は、自らが動員した者の状況を戦後になって調査を始め、結果を証言と絡ませてまとめたようである。だから、最大の強制連行先の福岡県筑豊を上辺だけ見て、「未だに朝鮮人の遺骨も粗末に扱われた筑豊のアウシュビッツ、私が全国慰霊祭をやる」とか「資料を売って欲しい」などと、地元の朝鮮人強制連行と関わる取り組みを否定して反発を招いていた。
三、私は、朝鮮では、公然と暴力を振るっての日本軍「慰安婦」の強制連行は少なかったと判断する。特に、吉田証言のようなやり方は、日本の兵站基地、あわよくば運命共同体と目されて「徴兵」「徴用」政策が取られた朝鮮・台湾では難しい。ほとんどは「徴用」か「挺身隊」・「軍属(看護助手・雑役)」の名目や軍需工場の応募工員等の誤魔化しで、故郷の朝鮮から徴発・募集して、その後に日本軍「慰安婦」を強制するやり方であろう。韓国「併合」以後の植民地支配で、反日独立の戦いや、千九百十年の三・一独立運動での朝鮮民衆の抵抗を前に、日本は皇民化政策を第一義の政策としていた。さらに戦時には、徴兵・徴用による国家総動員を日本内地に続けて実施し始めていたのであり、朝鮮民衆の総反発を招くような暴力的な手段によって朝鮮女性を「慰安婦」として公然と連行する事は困難だったとみる。>
⑤P百〜百一

今田氏が<ついでにいえば、「私は朝鮮では公然と暴力を振っての……強制連行は少なかったと判断」という久保井氏の記述は、ここでは紹介しないが彼自身の独自分析による「判断」であり、吉田証言を虚偽としたものではない。「(朝鮮では)強制連行は少なかったと判断」と言う慎重な記述にそれが表れている。>とすっぽりと抜いて書いている久保井氏の著書の記述こそは、久保井氏による吉田氏の著書の完全否定であり、それを省いて引用している今田氏こそが久保井氏の記述を省いて都合よく書いているのであり、これを読んで久保井氏が吉田氏の著書を肯定していると思うバカはいないであろう。
つまり、今田氏こそが、自分に都合よく改ざんしまさに白を黒といいくるめる手法をとっているのである。

あほらし

京都よりBさん来店。
西村先生との十五日の昇殿参拝もいらしたらしい。
今日は特攻観音にお参りしたそうです。
Mさん二名様で来店。
二名様来店。
Oさん御夫妻来店。

営業終了後、Mさんと中野「石松」さんへ。
ドンチャン。
記憶なし。
サル以下