朴鉄柱(朴鐵柱)

朴鉄柱(朴鐵柱)
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。


朴鉄柱氏
平成26年4月21日月曜日追記

「日本は神國なり」
これを書いたのは朝鮮人である朴鉄柱(朴鐵柱)氏です。
朴鉄柱氏の事を最初に知ったのは、名越二荒之助氏の著書「日韓共鳴二千年史」に掲載されていた「日本は〝心〟という字に見える ─ 日韓永遠の架け橋たらんとした悲劇の知日家・朴鉄柱会長 」という文章よりでした。
その朴鉄柱氏の「朴鉄柱大人追悼録」をネットで検索し、九州の古本屋さんより入手し読む。

朴鉄柱
( 大正11年 韓国 釜山生まれ 平成二年一月逝去・六十八歳 、韓日文化研究所 昭和四十二年十月)
大東亜戦争下に日本の皇典講究所を卒業。住吉神社に奉職。

終戦後、韓国に帰国。
李承晩大統領の反日政権下にあり、辛酸を嘗めさせられる。
(日本の学校を出た者は「民族反逆者裁判条例」に引っ掛かり追放)
朝鮮動乱をへて、昭和29年5月に「日本文科研究所」を設立。
研究主題は
1、日本上代文化の研究
2、帰化文化の研究
3、日本の信仰、道徳等精神文化の研究
同じころの我が国が、敗戦により自国文化の否定、罵倒する言論がまかり通っていたのとは対照的です。
その後、「日本と韓国」(韓国と日本ではない)という著書を南朝鮮で出版しましたが、「反共法」にひっかかり、朴氏は裁判にかけられ、三年半の刑が言い渡されました。著書もすべて没収、焼却されてしまいました。
この著書は三分の二が日本への言及であり、日韓の恒久的安定が説かれていました。
出獄後もKCIAからの査察を受け、投獄の憂き目をみましたが、「日本文化研究所」を「韓日文化研究協会」と変えて続けました。
資金はなく、赤貧洗うがごときだったそうです。
名越二荒之助氏が昭和四十二年に学生たち七人と訪韓し、「韓日文化研究協会」を訪ねた時に、荒廃して目も当てられぬぐらいの研究協会の建物を指差しながら、「これで松下村塾なみになりました」とカラカラと笑ったそうです。

その時に名越氏に朴氏が語った言葉が記されています。
長くなりますがそのまま引用させていただきます。

「韓国から日本をながめていると、日本が〝心〟という字に見える。北海道、本州、四国、九州と〝心〟という字に並んでいるではないか。日本はすばらしい。万世一系の御皇室(御をつけられる)を戴き、歴史に断絶がない。日本固有の神道が、現在に至るまで相続されており、全体が調和された形でできている。〝八紘為宇〟という考え方は、日本の大らかさの現れであって、これは積極的に世界に知らせる必要がある。
それに較べて韓国の歴史は、悲惨であって断層が深く、涙なくして見ることはできない。暗い場所から見れば、明るい所は余計にはっきりと解る。韓国は日本文化の豊かさの中から学ぶことによって、内面的支柱を確立するよう努力したい。」

「韓国の檀君神話といっても、あれは高麗時代、モンゴルの支配下に置かれた時、一然上人が民族精神を振起するためにまとめたもので、高麗神話の性格が強い。ほかに新羅や百済や駕洛にも神話がある。韓国は、日本のように統一した一つの神話にはなっていない。日本神話は、ギリシャやユダヤの神話に較べて明るく、ロマンの香りが高く親しみやすい。それに日本神話は檀君神話より四百年も前にまとめられた。私が日本神話に内面的親しみを感ずるのは、日韓は同祖だと信ずるからである。それは民族学的な立場からも立証できる。韓国は古来から祖先信仰と自然崇敬の念が強く、山神霊廟があり、それらをまつるために、『鳥居』や『しめなわ』『ヒモロギ』を使ってきた。それに日韓両国には、『白衣』の思想があった(これらは中国にはない)。
日本の神職は、神に近ずく時には白衣を着る。韓国民も霊廟に参拝する時には白衣を着るし、目上の人に会う時にも白衣を着るのが礼儀となっている。まず自らの身を浄める訳である。」

「第二次大戦後の日韓関係は、李承晩政権の影響もあって、共産主義以上に日本を憎む傾向があった。そのため日韓の氷山の一角を誇大に強調して、隠された部分を見落していた。お互いの精神的歴史的豊かさを掘り起す努力をしようではないか。そのために日本は自信をとり戻して、おおらかに民族形成の原点に立ち返ってほしい。」
「現在の日本人の自信喪失は敗戦に帰因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後までとり組んだ。それまでの日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ、それを呑むことは屈辱を意味した。〝事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦って死すべし〟というのが、開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨身の一撃を与えた。それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。日露戦争と大東亜戦争-この二つの捨身の戦争が歴史を転換し、アジア諸民族の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調し過ぎることはない。」
「大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスを始めとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。戦争に勝ったか敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかによって決る、というのはクラウゼウィツの戦争論である。日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ、〝聖なる戦争〟であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐ回復できたではないか。二百数十万の戦死者はたしかに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて、国民尊崇の対象となるのである。」
p六十八~七十

同じく創始改名について
<朴鉄柱君は胸を張って言ってをりました。
──創氏改名や神社参拝の強要が悪政の標本だと言ふのですか。私は自ら進んで新井清資と名乗り、神道を学び、神社に奉仕し、天皇陛下萬歳を心から奉唱して来ました。強制もされず、迎合もしてゐません。今でもそれが正しかったと信じて疑ひません──と。>
P二
<「日本統治時代、私の父は頑固に改姓に反対したが、私は自発的に〝新井清資〟と改名した。それでも私は後悔していない。フィリピンはスペイン統治時代には、スペイン流に改名した者が多かった。建国の偉人と仰がれているホセ・リサールはスペイン式の名前なのだ。ベトナムへ行けばフランス人のような名前が多く、アメリカに住む黒人の中にはスミスとかジョージとか、英語国民の名が多い。ポーランドに住むドイツ人は、ポーランド式に名を改めている者もある。
現在日韓両国では、〝創氏改名〟を悪政のように言っているが、あの頃自発的に改姓した者も多かったのだ。それに日本は改姓を強制した訳ではなかった。南次郎総督時代に、「内鮮一体」の掛声が高くなり、「朝鮮民事令」を一部改正して、家の制度を確立するために、〝氏〟を名乗ることができるようにした。昭和十五年二月一日から六ケ月間に届け出た者に限って、改姓を認めた訳だ。すると改姓しなければ不利になると脅したりして、各地で創氏者数を競い合うようになった。全羅北道のある面長(日本の県長にあたる)や小学校長が改姓しなければ子供を学校にこさせないと迫ったために、両班の薛氏が井戸に投身して自殺する悲劇が起った。そういう悲劇が起ったが、結局七九%が改姓した。しかし改姓しなかった者も多かった。例えば日本の陸軍中将にまでなった洪思翊は、改姓しなかった。それでも彼は日本帝国陸軍中将として刑死した。」

「日本統治時代、私は『朝鮮人』として差別されたことはある。配給の砂糖等が、朝鮮人なるが故に貰えなかったことがある。屈辱を味わい、残念に思ったことがあるが、それらは心ない一部の日本人の仕業であって枝葉の事である。いつまでも枝葉にとらわれる事は日韓の不幸である。日韓は大所高所に立って、恒久の友好策を考究しなければならない>

P七十三~七十四

朴鉄柱氏講演「アジアの精神と日本の役割」より
<略)
日本に悪意なし
今いちいち申し上げる暇はありませんが、日本は善意はあっても悪意というものはなかったと云える。さっきも申しましたように日韓併合だって悪意じゃない。これも放っておけば、日清戟争でやっと独立権を回復してやったのに、又ロシアにやられてしまう、これじゃいつまで経ってもだめだ、それじゃ自分たちがやってやらなきゃだめだということなんで、私は善意に解釈すべきで、決して悪いことじゃないと思います。

私一つだけ強調したいのは、昨今の教科書問題とかで日本の侵略だとか何かと言っていますが、これは欧米諸国のようなものではありません。欧米のアジア侵略こそは筆舌に尽し難いものがあったわけです。皆さんもよくご存知だからいちいち申しませんが、ジャワ、インド、ボルネオ、すべて席巻して独立国と云えるのはシャムと日本しかなかった。中国だってアヘン戦争でズタズタにやられている。事実はこういうことなんです。

歴史教育の欠陥を匡せ
ただ問題なのは今日の日本と韓国はどうしたらいいかということです。これは大変な問題です。
先づ日本のことを申してすみませんが、日本は歴史教育が全く欠けております。なぜ歴史を教えないかというと、GHQの政策をそのまま受け継いでいるからです。これじゃいけない。教科書にその国の価値観持つのは当然です。するとね、韓国騒ぎ、中国騒ぎするから取りやめる、これじゃいつまで経っても本当の歴史は成り立たない。このことを皆様真剣に考えて頂きたい。

と申しますのは、何度も申すようですが、日本は決して悪意でやって来たんじゃないということです。欧米の侵略戦争はもっとひどかった。それに比べれば何ということはありません。

まあ、大東亜共栄圏ということばはあまり好きじゃなかったんですけれど、要は弱者を保護し解放するということが日本本来の思想だったんです。これは極めて正しいことです。そこが歴史をまともに教えないから、皆様がもう卑屈になったという経緯がないでもありません。ですから、そこの所を皆様方が若い人の教育に熱心に当って頂きたいということをお願いする次第です。

経済のみでは真の友好にはならぬ

それから韓国も然りですが、教科書問題を始めいろんな問題で日本をたたくのは、これ援助してくれとか、お金をくれとか、借款くれとか、経済的魂胆が必ずあるわけですよ。だから、煩わしい、うるさいからやってしまえということではアジア問題、日韓問題はいつまで経っても同じなんです。そこの所をよく考えて、日本の政治家は勿論ですが、皆さんの周辺からも正しい歴史教育が出来るようにして頂きたいと思うんです。

本当のアジア問題の解決には、自主性が第一。自主的な教育、自主的な憲法に基ずくことです。相手が聴かなければ説得すること、相手がすねていたら引張って来てでもやるという気概を持たないとダメだと思います。煩わしいから金やってしまえばそれまでだというんでは、いつまで経っても解決しないと思うんです。

韓国でも中国でも過去の歴史にこだわって好きなこと云わせていたらキリがないですよ。よく南京事件のことを持ち出しますが、その前の済南事件などは日本の人がたくさんやられているんですから。

私、大変僭越なことを申し上げましたが、これがこれからの日本の進み方の基本になると思います。これが出来ない限り、お金の援助をいくらやってもキリがないんです。>
p一〇〇~一〇一

「朴鉄柱大人を偲ぶ」(平成三年発行)より

その後、朴氏は肺がんに犯された体に鞭打って、亡くなる一年前の平成元年一月に先帝陛下の御大喪のさいに来日したそうで、朴氏から兄と慕われた中村武彦氏の文章より朴氏のお人柄を偲べます。

<平成元年一月、先帝陛下の崩御の直後に重い足をひきずって彼は東京にやってきた。
先ず二重橋の砂利の上にひざまづいて、長い間頭を上げなかった。御大喪の日には、雨の中を早朝から皇居前の堵列に加わり、御見送り申し上げた。名も無き一韓国人が、瀕死の身を似て氷雨に濡れながら、泣いて先帝陛下にお別れしたその悲しい真心を、御神霊は必ずや御嘉納になったであろう。>
このような朝鮮人がいた事を決して忘れてはならないが、今の朝鮮は日本統治時代がよかったといった御老人が殴り殺され、その行為を賞賛するヤツまでいるような国となっています。

今日はカミさんと初めての店を二件。
どちらもいいお店でした。

一応記憶あり。
サルよりマシ。


裏表紙