池田大作 ブッ、お下げ渡し 飲食厳禁 吐きます

ブッ、お下げ渡し
日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。


平成15年9月28日日曜日 晴れ ○ S
 河岸でただで配られている聖教新聞に「ガンジー・キング・池田展」とかいうのが、いろいろな外国の都市で開かれていると出ていましたが、この3人の共通点て何かあるのでしょうか。ガンジー、キングと並び称される池田大作センセイって、何か悪い冗談としか思えません。
創価学会の信者連中が何を言おうとも、幾つも勲章や、名誉市民を貰って喜んでいる池田大作という男は宗教家とは程遠いものです。この男には、私は欲望いっぱいの脂ぎったおっさんという生臭い俗っぽさしか感じられません。
 随分前に女優の杉田かおるさんが、この池田大作のことを週刊誌に書いていましたが、そこからも、この池田ダイセンセイのイダイ????なところが垣間見えます。
引用開始
 1985年の春のことである。アメリカ大使館の一行が公明党機関紙である聖教新聞社を訪問するという。そこで、杉田を含む「芸術部」メンバーが迎えることとなった。
 ところが、会食の席上で、杉田の耳に入ってきた池田の言葉は、おおよそ宗教とはほど遠いものだった。
「“男は嘘つきだから気をつけろ”とか、“戸田先生(故・学会2代会長)はお金儲けが下手で、苦労した。私は、26歳のとき戸田先生の下で出版業をやって成功した、もう二度と金に苦労しないと思った”などという話でした」
 食事は進み、残るは最後のデザートだけになった。テーブルには一つの皿が運ばれてきた。その皿にはメロンが載っていた。
「このメロンは天皇陛下と私しか食べられない」
 池田はメロンを指して自慢げにいった。池田のメロン好きは有名である。池田はスプーンでメロンをすくいうまそうな表情で、一口食べた。そして周りを見回していった。
「みんなに食べさせて上げよう」
 本当かどうかはわからないが、貴重なメロンである。杉田は、そんな貴重なメロンをみんなに味わわせてあげたいと思っている池田の思いやりに少し感激した。
 ところが、池田は、自分の食べかけメロンの皿を横の人間に回した。そしてその人間は、同じスプーンでメロンをすくい口に運んだ。そして次へ・・・。
 彼らは喜んで次々と同じスプーンを口に運んだ。
 席には男性幹部や女優たちがいた。中には、スプーンをしゃぶるようにする中年の幹部もいた。嫌悪感が背筋を走った。
 だが、そう感じているのは杉田だけのようだった。皆、嬉しそうに「美味しい」といっている。誰もスプーンを持ってきてくれと頼む人はいない。皿が、だんだんと杉田の席に近づいて来る……。
「無意識に顔を顰めて“食べたくない”という顔をしていたのかもしれません。隣に座っていた婦人幹部から睨みつけられました」
 メロンの皿は、杉田の隣まで来た。メロンの大部分はすでに削り取られており、どろりと汁が皿にこぼれていた。
 そして皿は杉田の前に回ってきた。池田以下、テーブルを囲んでいた人々の視線を感じた。杉田は覚悟を決めた。なるべく少なくメロンを削りスプーンに載せた。しかし、力を入れすぎたのか、結構の量がスプーンに載っていた。一瞬目をつぶって、口の中に入れた。なるべく味わわないように飲み込んだ。
 池田は自分が食べた後、残りを周囲の幹部に回す習癖を持っている。忠誠心を試しているともいわれるが、幹部たちはこれを“お下げ渡し”と呼ぶ。
 時は、それからしばらく下る。場所は、信濃町の学会本部近くのレストラン。学会御用達の店の一つである。杉田たちが池田と会食する機会が巡ってきた。
 その場には、杉田などの芸術部員のほか、学会顧問弁護士や女子事務員、それに副会長たちが席を埋めていた。出席者が揃ったところで、池田が顔を見せた。
 席についた池田は、テーブルをぐるりと見回し、まずは杉田たちの芸術部員の方を向いていった。
「今日は誰が来ているの。ああ、芸術部員ね、華やかだね、綺麗だね」
 そして、体の向きを変えた。
「こちらは? 弁護士? 秘書? ああ、弁護士など人間の最低の境涯ね。でも、本気で修行すれば、来世はもっといい者に生まれ変わるからね」
 また向きを変えた。 「こっちは副会長か、バカどもの集まりね、はい、では食事をしましょう」
 池田のそうした態度に対して、愛想笑いをしている側近幹部たち。杉田はとても笑顔を作ることができなかった。
「もう、学会との関係は断ち切ろうと決断しました。信仰というのは、個人の問題。信仰を捨てようとは思いませんが、学会から離れて自分を見直したい、そう考えたのです」
引用終わり
週刊ポスト1999年9月3日号より

 確か、同様の事があの佐高信氏とテリー伊藤氏が書いた「お笑い創価学会」にも出ていました。こちらはクリームソーダだったとおもいます。同じく、創価大学では飲み残しの水を「お下げ渡し」する場面も書かれていました。
この文章も書いていて、気分が悪くなってきました。まあ、創価学会のバカ信者は何も思わないから、俗物の塊である大シュウキョウカ??のあの池田大作を尊敬できるのでしょう。

杉田かおるの著書に見る今更ながらの池田大作
4月20日日曜日晴れ△
 部屋にあった杉田かおる氏の著書「杉田」より
 <その最高指導者と非常に間近に接する機会が与えられたのは一九八五年の事だ。教団機関誌の発行元をアメリカ大使館の一行が親善訪問することになったのだ。教団が、また最高指導者が、権威をつけていくために、この手のイベントが次第に多くなっていった。その一行を迎えるときに花を添えるというか、なぜか、芸術部の私たちが動員されることになった。もちろん名誉なことである。心が昂った。
 発行元の玄関先に私は、ほかの部員とともに並んだ。中央に最高指導者の夫人がいた。一行が到着する前のちょっと緊張する時間に、
「××先生は上行菩薩の再来で・・・・」
 と誰かが話している声が耳に入った。ぼんやり聞きながら、えーっ、最高指導者が、上行菩薩、つまり大地から出現した菩薩だって・・・・・・・。それはいくらなんでも畏れ多いんじゃあないかしら。神、いや、仏をも恐れぬ言葉ではないか・・・・・。厳しい修行を積んだわけでもない生身の人間が、菩薩の生まれ変わりだなんて・・・・
  やがて、一行が到着して、歓迎行事がつつがなく進行した。その後、上行菩薩の再来と言われる最高指導者を囲む食事会が開かれた。私は二十人ほどの芸術部員とともにそこに呼ばれた。ちらっとよぎった疑問は消えていなかったが、これはこれで言葉にならないほど名誉な事である。
 略)
 身近で接することはあったが、いつも緊張していて、私は一言も話す事ができなかった。そもそもこちらから声をかけるなど、とんでもなく畏れ多いこと、彼こそは雲の上の人であった。
 食事が始まった。そのと席上、最高指導者が、 「男は嘘つきだから気をつけろ」とか、「先々代の最高指導者は金儲けが下手だった」とか、あまりにも俗っぽい話題を出すので、私は自分の耳を疑った。なかの間違いだろうとまで思った。
 が、そんな疑問等吹っ飛ぶような出来事が続いて起こった。デザートにメロンがでたのである。一皿に半月形に切ったメロンが載っていた。なんの変哲もないメロンだと思って見ていた。すると、最高指導者がいった。
   「このメロンは天皇陛下と私しか食べられない」  
 はあ?という目で私はメロンを見た。そんなに貴重なメロンなんだ。と、彼はそのメロンをひとさじすくいとって口に含んだ。そして、 「みんなに食べさせてあげたい」といった。私は、同じメロンがみんなの前にも出てくるものと期待し、 貴重なメロンをみんなに分かち合おうという彼の思いやりに心が動かされた。
 ところが、彼は、その食べかけメロンを隣の席の人に渡した。うやうやしく受け取った人は、同じスプーンで同じようにすくって口に入れた。そしてまた隣の人へ。  スプーンをしゃぶるようにする中年の幹部もいた。
 悪夢のようだった。最高指導者にすれば、善意かもしれないが、私にはただ気持ち悪さが背筋を走った。その順番が私にも近づいてくる。どうしよう。動揺が顔に出てしまったらしい。隣の女性が私を睨みつけた。そうこうするうちに、ついに私のところへ恐怖のメロンのが来た。もうほとんど食べ尽くされて、皿には果汁がどろりとよどんでいた。
 私は覚悟を決めて、川に近いところを少しだけすくった。ところが、スプーンがすべって、ほんの少しのつもりが、結構の量がすくえてしまった。うまくいかないものだ。周囲は注目している。私は目をつぶって、味わわないようにすばやく飲み込んだ。
 お下げ渡しと称して、こんなばかげた不潔なことをさせるのが、最高指導者なのか。私の中で少しずつ不信感が芽生えていく。
 それからしばらくして、最高指導者の招待で教団近くのレストランに集まったことがあった。芸術部員のほか、顧問弁護士や副会長の肩書きをもつ人などがいた。招待客が揃ったところで、最高指導者が登場した。  彼は私たちの方を向いていった。
 「今日は誰が来ているの。ああ、芸術部員ね、華やかね」  
 体の向きを変えると、いった。
  「こちらは? 弁護士? 秘書? ああ、弁護士など人間の最低の境涯ね。でも、本気で修行すれば、来世はもっといい者に生まれ変わるからね」  
 副会長たちには、「バカどもの集まり」といわれていた。自分で招待しておいて、最低だとか馬鹿とか、親しみの表現なのかもしれないが、なんと失礼な事を言うのだろうと、私は腹が立った。
 そういう人間を最高指導者として仰ぐ教団への不信感が、いちだんと大きくなった。しかし、そのころは、その不信感を追い払う気持ちも強かった。>
「杉田」杉田かおる著 小学館 二〇〇五年刊 p一〇五~一〇九

sugita26.4.20

 杉田かおる氏の著書のこの場面は同じ小学館の週刊ポスト一九九九年九月三日号にも掲載されていました。

 こんな人間が最高指導者の創価学会。
 
 
 あほらし。

 店を片づけてからカミさんと「一笑」さんへ。
 店に寄り生ゴミを出してから帰宅。
 サルでもエビでもない。