異国で、「朝鮮人らしく」胸を張って生きて行くという事とは   外国人がその地において、尊敬される条件

異国で、「朝鮮人らしく」胸を張って生きて行くという事とは
外国人がその地において、尊敬される条件
日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。


移民が国民から尊敬される条件(朝鮮人どもが我が国で軽蔑される理由)
平成25年11月25日月曜日晴れのち小雨 風つよし △
この秋に、台湾に行く機中でダニエル・イノウエ氏の「ワシントンへの道」を観ましたが、その中に麻生太郎元首相より贈られた「義務 名誉 祖国」と書かれた掛け軸をとても大切にしていたという場面があります。

その時に、「書かれている三つの言葉は、イノウエの父がよく言い聞かせていた言葉なんです。父と祖父からの言葉の重みを思い出していたんです」とイノウエ夫人が語っています。

イノウエ氏自身も「決してお国や家の名誉を傷つけるな」とお父上から言い聞かされたと語っています。
そのイノウエ氏が「敵性外国人」とされたことについて、
「米政府から国に仕える事が許されない敵性外国人とされました」
と述べています。

当然、イノウエ氏の言う「祖国」とは米国であり、その米国に対しての義務を果たすということです。
同様に先日の産經新聞に掲載された日系初の米太平洋艦隊司令官であるハリー・ハリス(Harry B. Harris Jr.)海軍大将の記事には日本人の母に教え込まれた「義理」 として下記のように書かれていました。

<その母に幼少の頃から教えこまれた価値観は「義理(duty)」。「6、7歳の子供が理解するにはとても重い概念だった」と話す。父が軍人だったこともあり、「国民は国家が必要とするときに奉仕する」ことを当然とする姿勢を身につけ、高校時代に海軍を目指すことを決意した。>
2013.11.18 21:産經新聞


日系二世であるブラジル空軍総司令官ジュンイチ・サイトウ大将も下記のように述べています。
「国のために働けることに喜びを感じている」
そして、同じ産經新聞の記事には
<就任あいさつで「日系ブラジル人であることを誇りに思う」と述べたときの思いを問うと、こう語った。
「日本人は裸一貫でこの国へ来た。働いても富につながらず、広大な農地で重労働に明け暮れても、子供の教育に強い関心と希望を持っていた。私も11歳で田舎から町の学校へ通った。一生懸命まじめに努力し働いたことで、日本人はブラジル社会で信頼を築いていった。そのことを私は誇りに思う」>
2011.4.1 20:07産經新聞

日本人を祖先にもつこれらの方々は、移民した国を「祖国」として、その国の為に尽くす。その国の為に働ける事を誇りにおもい、その「祖国」に殉じる覚悟を持って生きてきました。
だからこそ、信用もされ、信頼もされる。

朝鮮人のように、我が国において二世どころか三世、四世になっても、我が国に尽くそうともせず、我が国の為に働こうともせず、我が国の為に殉ずる事もなく、己らの権利だけを主張しているような輩は我が国国民から「寄生虫、ゴミ、クズ」と軽蔑される事はあっては、未来永劫、絶対に尊敬される事はない。

今日は部屋でカミさんと二人でワインを一本空ける。

サルでもエビでもない。


朝鮮人、そして、反韓国デモについての一考察1
平成25年10月5日土曜日雨 △
チョンイル新聞(朝日新聞とも言う)、変態新聞(毎日新聞ともいう)などの反日腐れマスゴミは、反トンスルランド(韓国ともいう)デモの事を、差別デモ、ヘイトスピーチデモなどとホザクが、とんでもないことです。
私が過去に書いた内容と一部重複いたしますが、朝鮮人ともいうはなぜ嫌われるか。それは朝鮮人だから。これにつきます。

例えば、あの算数も出来ないどうしようもないアホ大学教授である朴一(ボクハジメ)氏は、在日三世でありながら下記のように語っています。

「日本国籍を取る事に大きな抵抗感があります。」

何十年も我が国に勝手に居着き、世話になっていながら、我が国の国籍を取る事に抵抗感があるとホザク。

こんなクズ民族が尊敬されるはずがない。

何度も書いて来た事ですが、日系二世部隊を例に出すまでもなく、他国に移民した我が日本民族は、日本人、あるいは日本人の血としての誇りを持ちながらその国の国民として、その国の為に尽くしたからこそ尊敬されているのです。

高名な米国の政治家であったダニエル・イノウエ氏(Daniel Ken “Dan” Inouye)は、他の日系米国人とともに義務と名誉のために日系部隊四四二連隊として出征し戦って片腕を失っています。
その四四二連隊は米国史上最強部隊と言われていますが、それは日系人自らが日系人がどういう存在であるかを米国が認めるように血を流した結果です。

イノウエ氏は「義務」と「名誉」を「日系人が親から子へと引き継いだ、重要な言葉です」と語っている。(平成二十三年七月十六日産經新聞「論説委員・鳥海美朗 イノウエ米上院議員の忠告」)

イノウエ氏の著書「ダニエル・イノウエ自伝」には出征するイノウエ氏とご両親(兵太郎、かめ)の別れの場面には下記のように書かれています。

< (木下注 母親かめとの会話として)
「神のご加護がありますように」
母は小声でつぶやいた。そして、私の体を離そうともせず、ほほを、こっちのほほにぐーっとくっつけてきた。
「ねー、入隊ならうれしいよ。ただ、立派に男らしくしてほしいだけ。家名をあげて、ね」

略)
「りっぱになっておくれ。やることを間違えちゃだめよ。それに、ね。昔からのしきたり、お父さんや私のしきたりなんか、お前にはそう大事じゃあないだろうけど、嫁さんをもらう時は・・・・・・・」
「そんなことより、お母さん・・・・・」
「まあ、聞いてちょうだい。結婚するときは、血の同じ仲間の一人、りっぱな日系人の娘と結婚してくれたら一番うれしいんだけど、でも・・・・・・こんなことは、おこらないかもしれないし、大体,若い人にはそう大事でもないわね。だから、えーっと、もう一度だけ、いーい。母さんが年端もいかなくて食うや食わずだった時はいつでも、ハワイの人たちは、とても思いやりがあって親切にしてくれたの。で、ね、日系人の良家の娘さんと一緒になる気にならなければ、その時には、ハワイの娘を選んでくれたって、母さんは少しも不満じゃあないよ。このことをいってきかせようと、ずうっと思ってきたんだけど、お前が実社会にでるところだから、もうこれ以上まてないの。ねー」
「お母さん、そのとおりだ。わかりました」
それから、私はテーブルを回っていくと、しっかりと母を抱きしめた。

(木下注 父・兵太郎との会話として)

「日本語の恩って、どんなことか知っているだろう」

「はい」

「日本語の恩は、日本文化のそれこそ核心にあるのだ。
ある人が他人に助けられたら、決して帳消しにならない恩義、おりがあればいつでも、惜しみなく無条件に報いるべき恩義を受けたのだ、と心に銘記しなければならない。それが恩というものである。」

「井上のうちのものは、米国に随分と恩を受けている。おれたちには、結構な国だった。ところで、おれにはこんなふうになりたくても、なれるわけもなかったろうが、お前こそ、この国の親切に報いるようにしなくちゃいかん。お前は、俺の長男だし、お母さんにしても、お父さんにしても、目に入れても痛くない子だよ。でもな、義務はちゃんと果たせ。必要なら、進んで・・・・・進んで・・・・する気でなくっちゃ・・・・・・・」

ぞっとするような恐ろしい例の言葉が、言葉にならず、声は次第に小さくなっていった。

「お父さん、わかります。わかります」

「家名を汚すなよ」

しつこいくらい、ぼそぼそと諭した。

第四四二部隊の兵隊が集合する山場の最後の数週間というものは、とても意味深長な同じ言葉が、ハワイ諸島の津々浦々で、際限なく人々の口をついで出たに違いない。>
「ダニエル・イノウエ自伝」 彩流社 平成元年刊 p一二七~一二九

朝鮮人、そして、反韓国デモについての一考察2
10月6日日曜日晴れ △
イノウエ氏がいう日系二世出征時の日系一世の言葉は「ハワイ日系米兵」にいくつか具体的に書かれています。

アーネスト・ウノの手記より
<クリスタル・シティで家族が合流した後、私は父からの英文で書かれた長い手紙を受け取った。
それには、父の忠誠心は日本の天皇にあり、祖国へ帰る事が運命である、と父が心から信じている事が書かれてあった。
しかし、私が米国国民として陸軍に入隊したからには、軍人として恥ずかしくないようベストを尽くし、戦場では死を賭けて懸命に務めるようにと忠告された。
父にとっては、生き恥をさらして帰ってくるよりも、
死んで国に忠義を尽くすことこそが英雄であり、最大の誇りであったのだ。
父は国のために死なないならば、それは家族の恥であると書いてきた。
私は父の言うとおりにしようと思った。
そして、私自身に「さようなら」をつげたのであった>
「ハワイ日系米兵」P一三二

このアーネスト・ウノ氏(Emest UNO 宇野アーネスト)は、大正十四年(一九二五年)米国ユタ州、ソルトレーク・シティ生まれであり、アマチ収容所に強制収容されたが、昭和十八年(一九四三年)八月四日、四四二連隊に志願する。
その訓練中に、母、二人の弟、妹たちが、アマチキャンプを出て、父親のいるクリスタル・シティのキャンプに合流する。
このクリスタル・シティのキャンプは国外追放に値する敵性外国人の収容所であった。
アーネスト・ウノ氏の父親は、家族を連れて日本に帰る事を嘆願していたのである。
上記の手紙は、その父上からの収容所からの手紙である。

ウノ氏はヨーロッパ戦線に従軍し、帰還した時点で長期休暇が与えられたが、ウノ氏の帰る家は無く、制服に受章した銀星章を胸につけて、ウノ氏が向った先はクリスタル・シティのキャンプであった。
米国の為に戦ったウノ氏にとっての「帰郷 ホームカミング」とは、強制収容所に入れられたままの家族に対して、「ただいま」という無事を知らせる挨拶をすることであった。
戦争が終了後に除隊したが、 戦争が終わった後も、家族はまだ強制収容所に入れられたままで、昭和二十二年九月にやっと解放されている。

「家の恥になるな」と題されたサミュエル・ササイ氏の手記より
<両親に相談せず、私は二世部隊に志願し、晴れて米国陸軍四四二連隊の兵士となった。
一九四三年三月二十四日、私はサミュエル・ササイ二等兵となったのだ。
私が出征する前日、家族と別れの食事をした。
私は両親に「さよなら」と言い、母は硬い表情のまま「気をつけていってらっしゃい」と言ってくれた。
母がどんなに怒っているかわかっていた。私はたった一人の息子でありながら、それを承知で、行かなくともいい戦争に志願したことを怒っていたと思う。
でも、母は怒りを抑えて、私を送り出してくれた。
訓練中、基地に母からの手紙が届いた。
その手紙には、母の心情が日本語で書かれてあり、
最後に
「星の旗をよく守りなさい。
笹井の家の恥になる事をしたら、聞きません」
と結んであった。
それ以後、母は決して私に手紙を書いてこなかったが、姉がいつも手紙をくれた>
「ハワイ日系米兵」P二一二
サミュエル・ササイ氏(Samuel Y .Sasai 笹井サミュエル豊)
大正十三年(一九二四年)、 オアフ島ハレイワ生まれ、
ハワイ大学、ペンシルバニア大学卒業。昭和十八年(一九四三年)三月二十四日入隊。四四二連隊第三大隊本部所属
上等兵、銀星章、紫心章受章。

サミュエル・ササイ氏は、四四二部隊の兵士が必死で戦ったわけのひとつに「家の名に恥じない働きをしなさい」という両親による教育、忠誠心を叩き込んだ日本の修身のような教え、米国憲法に記載されている国民の義務(武器を持って国を守る)などとともに、「信頼」という言葉をあげながら、下記のように書いています。

<もっとも注目したいのは「信頼」である。
それは我々二世が、アメリカ人でありアメリカの魂を持ったれっきとした市民だという事であり、それを証明するためなら死をも辞さないということだ。
冒頭で、二世はこの国では将来が無い、と述べたが、
少なくとも我々が証明出来るのは、肌の色を問題にするのではなく、
いかにその国を心から思っているかということが大事だということだ>
「ハワイ日系米兵」p二一五
<二世兵士は米国の歴史の中で、批判された時期があった。
しかし、今、私は自由のために戦うには、勇気ある行動と意志が必要であると信じている。
恩や義理、忠誠といった考え方は、決して間違っていないと思う。
これからも、この考え方が引き継がれていく事だろう。
両親がいつも言い続けていたことは、「家の恥になるようなことはするな」ということだ。
この考え方は、家族だけでなく友人やコミュニティー、そして国に対しても言える事である。
よりよい世界や社会をつくるために努力するなら、決して恥などをもたらすことはないだろう。
なぜ、あの戦いで強かったのかと尋ねられたら、私は答えるだろう。
「二世がアメリカ国民であるからだ」と。
戦友や私は、国の為にすべてを捧げることを最良と信じていた。>
「ハワイ日系米兵」p二一八

下記は、全米日系市民協会事務局長であったマイク正岡氏が、昭和十七年(一九四二年)一月にサンタアナで開かれた南加大会に参加し、語りかけた言葉です。

「私はアメリカを信じ、アメリカもまた私を信じるものと確信する。
豊かな恩恵に浴するがゆえに私はどこでも米国の体面を保ち、憲法を守り、米国の良き市民となるべく誠心誠意その義務をまっとうすることを誓う」

彼は二世の信条をその一年前に発表している。

「自分は日系米国市民であることを誇りとする。
日本人としての背景を持つ身であるが、一層米国の市民であることに誇りを感じている」
この書き出しで切々と訴えた信条は、日系人の魂を代弁したものと目された。
「棄民たちの戦場」p二二~二三

戦後、我が国において、GHQ勤務中、警察予備隊を後藤田正晴と組み立ち上げたハリー福原元大佐の言葉
<私どもは日本人の誇りを失っていません。
世界で尊敬される日本が良い行いを重ね、高く評価されれば、同じように日系米国人も尊敬を集めるようになるのです。
私達はしかし、米国人の魂をきちんと持っています。
アメリカが我が国なのです。
だから第二次大戦開始直後この社会から隔離されたとき、私達は場合によっては天皇陛下に弓する立場を固めたのです。
アメリカに移民し、米国籍を持つアメリカ人だからです。
祖先は同じでも、またいかに天皇を敬愛していても、
私達の国は米国であり、遵守すべきは米国憲法なのです>
「棄民たちの戦場」P二十九より

コウイチ・クボ軍曹(早稲田大学卒)の経験より
<サイパンでアメリカ軍から離れて谷の中に入って行き、日本軍と遭遇し、日本軍将校より
「君は日本人でありながら、なぜアメリカ側について戦うのか」と聞かれて、
平重盛の
「孝ならんと欲せば、忠ならず。忠ならんと欲せば孝ならず」
という有名な言葉で返したところその日本軍将校は納得した。>
「ハワイ日系米兵」P三七

そして、この本の同じページには下記のような記述もある。
<日系人はアメリカ市民であり、かつ日本人の血を受けている。
われわれの通った寺の先生も日本語学校の先生も、
「君たちはアメリカで生まれた二世だから、忠義というのはアメリカに捧げよ」と教えていた。
だから、個人として、日本につくべきかアメリカにつくべきかという葛藤は、我々の時代には無かったと思う。日本でも戦国時代、兄弟でも親子でも戦っている歴史があるから、日本の文化の中でも、自分が育てられたところに忠誠を誓うのは当然だという気持ちだった>
ヒデト・コウノ
大正十一年(一九二二年)ハワイ島ヒロ生まれ
昭和十八年(一九四三年)一月、四四二連隊入隊後、MIS所属。硫黄島従軍

米国最高勲章である名誉章の受賞者が、五十五年を経て見直され、一名より二十名も追加され、二十一名の受賞者になった平成十二年(二〇〇〇年)六月二十一日に行われた名誉章授与式にてビル・クリントン大統領は

<「日系二世部隊の父母たちは、
出征する息子達に、生きられるなら生きてくれ、死ななければならないのなら死んでくれ、
だが常に名誉を保って戦い、家族と国家に決して恥をもたらすな、と言った。
国家が正しく扱わなかった人々にこれ程まで仕えてもらったことはかってない」>

このように受賞者を讃えた。

  

「軍事研究」(ジャパン・ミリタリー・レビユー 平成二十一年五月号 「日系二世部隊『第四四二連隊戦闘団』の足跡」 永井忠弘)
P一九一

サダオ・ムネモリ上等兵(Sadao Munemori)が立つ四四二部隊を讃える顕彰碑には日本語で「殉国碑」と刻まれている。
 
この碑に刻まれている殉じるべき国とは、当然、米国の事である。

引用文献
「ダニエル・イノウエ自伝」 彩流社 平成元年刊
「ハワイ日系米兵」(荒了寛 平凡社 平成七年刊)
「棄民たちの戦場」(橋本明 新潮社 平成二十一年刊)
「軍事研究」(ジャパン・ミリタリー・レビユー 平成二十一年五月号 「日系二世部隊『第四四二連隊戦闘団』の足跡」 永井忠弘)

朝鮮人、そして、反韓国デモについての一考察3
10月7日月曜日晴れ
私は、他の所でも書きましたが、私が北米を2年ほど放浪し、その時にメキシコのグアダラハラに一番長く滞在していました。
そのメキシコ滞在中も多くの日系人の方にお世話になりましたが、
ある時
「木下さん、あなたは旅行者だから、何をやってもいいよ。いろんなものを見て、飲み、食べて、そして、恋をして、このメキシコを楽しんで、この国を、このメキシコを好きになって帰ってくれ。でも、何をやってもいいけど、日本人の恥になるような事はやめてくれ」
というような内容のことを日系人の方から言われました。
移民された方々の立場を言い表した重い言葉として、今でも覚えています。
メキシコで、日系メキシコ人として築いて来た信用があります。それを私のような日本人の旅行者が壊さないようにしてくれという事なのです。
旅の恥はかき捨てなどという事はないのです。
外国人は、どのような国においてもそこの国民と同じという事はありえず、大なり小なり、必ず差別というものは存在します。日本人が海外で生活した場合でも同じです。
メキシコだけでなく、他国でも日本人、日系人はその国の人々から信用され、尊敬されています。それは、外国人である、移民であるというハンディを背負ってその国の方々の何倍も、何十倍もの努力の結果です。
短期間で築ける信用ではありません。
長い間、日本人、日系人がその暮らしている国で築いて来たものです。多くの日本人、日系人は四四二部隊を例にとるまでもなく、移民しその暮らしている国に対して忠誠を誓い、その国を祖国として生きています。
ブラジルでは、「ジャポネス・ガランチード」(日本人的保証)という表現があります。これは、ブラジルに移民された方々が貧乏と苦労の中、マイノリティの立場でありながら、ブラジルの人々からこのような表現があるほどの信用を得たのです。ブラジル空軍の最高司令官にまでなっています。
世界中で、日本人あるいは日系人でないのに「俺は日本人だ」「日系人だ」と偽る連中がいても、日本人、日系人で日本人、日系人ということを隠して生きている人などいないでしょう。隠す必要もないからです。

それに比べて、朝鮮人はどうでしょう。
我が国おいての「朝鮮人精神」「朝鮮人らしさ」とはどういうものでしょう。

朝鮮人は朝鮮半島より逃げ出して、密入国までして我が国に来ておきながら、強制連行されて来た、だまされて連れて来られて来たなどと平気で嘘をつく。そして、帰ろうともせず、何十年も居着き、二世三世にもなりながら、我が国の国民になって国民としての義務を果たす事もなく、その二本の足で立っている我が国に対し忠誠も誓わず、我が国を愛するどころか嫌っていながら、我が国に集り、朝鮮人としての名誉も誇りも持たず、我が国国民の五・六倍の生活保護、殺人では日本人の二・八倍、強盗では四・五倍、強姦三倍、暴行四・五倍、恐喝三・六倍、詐欺二・四倍、覚醒剤取締法違反五倍という犯罪民族である事を自ら恥じることなく、己が悪いのは総て日本人のせいにして生きている。
普段は日本人のふりをして通名などという偽名で生活しながら、都合が悪くなるといきなり本名を使って朝鮮人ということを振りまわし、普段の自分達の生き方を棚にあげて、外国人として「人権」「差別」と叫び、被害者面をする恥というものを知らない朝鮮人。

厚顔無恥、鉄面皮という言葉がこれほど似合う人種も珍しい。

まさに、これが、「朝鮮人精神」「朝鮮人らしさ」です。

ケネディは「国があなたのために何をしてくれるかではなく、国のために何ができるかが問われている」という内容の有名な演説をしましたが、今、生きている国に対して尽くそうともしないで、「差別、差別」と騒ぎながら、我が国国民と同等の権利を主張しているそんな生き方を改めない限り、あるいは、外国人が他国で生きていくということは、そこの国民の何倍も大変な事であるという自覚もなしに、努力もせずに、その住んでいる国の国民のせいにしてばかりいる限りは朝鮮人がその国の国民から寄生虫、ゴミ、クズと軽蔑される事はあっても、尊敬される事などは未来永劫絶対にありません。

どうして朝鮮人が嫌われるかは嫌う側に原因があるのではなく、嫌われる側に原因がある事を理解しようとせず、自分たちが過去にどのような醜い行い、卑怯な生き方をして来たかを問う事なく、差別差別と叫ぶ朝鮮人。
朝鮮人はその前に、自分自身に問いてもらいたい。自分自身が、我が国に対してどのような貢献をしているか。そして、尊敬される対象となっているかを。
朝鮮人のその姿勢は国である南北朝鮮も同様である。売春婦を我が国に五万人だけでなく、世界中に輸出しながら、その売春婦の事はなかったかのように、戦時売春婦の事を気違いのように叫ぶ。反日教育をし、悪口を言いながらも厚顔無恥にも我が国に平気で銭をせびり、技術を教えろと要求する。そして、更に銭を借りても、技術供与を受けても、我が国に対して、感謝することもせず、何か上手くいった事は総ておのれの手柄にする。悪いことは全て他国のせいにする。まさに朝鮮人の国です。

もう一度書く。
朝鮮人は我が国国民に朝鮮人を差別するなという前に、なぜ、朝鮮人が嫌われるかを自ら問わなければならない。
それが出来ないならば、朝鮮人は永遠に嫌われるだけである。

もう手遅れだろうけど・・・・・・・

知れば知るほど嫌になる支那人と朝鮮人。


平成21年2月10日火曜日晴れ △
私は、以前に書いたことがございますが、ブラジルにおいては、日本人なら信頼できるという意味で「ジャポネーズ・ガランティード(ガランチード)」という言葉を生んでいます。
参照→外国人がその地において、尊敬される条件
これは、その異国における我が国の先人の努力によるものです。その地において、真面目に働き、地域に貢献し、その国の人びとから尊敬されるようになった日本人の先人が築き上げた信頼によるものです。
少し違いますが、台湾において「あいつは日本精神がある」というと、約束を守る、信用できるなど良い意味を現します。
では、我が国、他国において、「朝鮮人精神」「朝鮮人らしさ」とはどういうものでしょう。
ある意味、下記の記事が、それの答えではないでしょうか。
「永遠に共和国旗とともに」
【平壌発=韓昌健記者】旧正月に際して行われる学生少年たちの迎春公演が1月26日、万景台学生少年宮殿で行われた。第23次在日朝鮮学生少年芸術団が出演した。日本当局の弾圧に屈せず、異国の地で朝鮮人として堂々と生活する生徒たちの姿は、祖国の人々を深く感動させた。
祖国の舞台に立った在日朝鮮学生少年芸術団 [朝鮮中央通信=朝鮮通信] 略)
演目の題名は「永遠に共和国旗とともに」。舞台は、昨年9月21日に行われた朝鮮創建60周年記念在日同胞大祝典だ。
そのときに掲揚された共和国旗は色褪せた古いものだった。60年前、朝鮮学校に掲げられた大切な国旗だ。国旗が問いかける在日1世たちの想い。異国の地で民族の代を継ぎながら、いかにして国旗を守るためにたたかってきたのか。
「在日社会の歴史は、朝鮮人としての誇りを胸に祖国と共に歩んできた歴史だ。これからも在日は共和国旗とともにあるということを祖国の人々に伝えたかった」と洪潤極さん(話術担当、東京中高・中2)は話す。
在日朝鮮人が置かれた厳しい状況の中、海を隔てた異国の地から祖国を訪れた生徒たち。チマ・チョゴリに身を包みながら建国60周年を祝う生徒たち。共和国旗を手に手に楽しく踊り、カヤグムを奏でる生徒たち-。在日社会の未来を担う新世代が躍動するたくましい姿に、祖国の人びとは目に涙を浮かべ身を乗りだして見入っていた。
最後に生徒たちが「共和国旗がなければ朝鮮学校も総聯もない、私たちはハラボジ、ハルモニのように永遠に共和国旗とともに愛族愛国運動のつぼみとして力強く生きていく」と決意を表明すると、会場からは割れんばかりの大きな拍手が起こり、しばらく鳴り止まなかった。
舞踊手として参加した朴蘭希さん(東京中高・中2)は、「一度は必ずこの舞台に立ちたかった。公演も成功したと思う。訪れる前までは祖国についてわからないこともあったが、実際に来てみたら本当に素晴らしい場所。朝鮮学校の生徒として、迎春公演に出演した生徒として、これからもがんばっていきたい」と抱負を語った。
略)
公演を成功させるという一念のもとに励んだ。当日は、公演の伴奏を務める役目ながらも舞台の上で左右に陣取り、民族性を守ってきた在日社会の姿を美しい音色に乗せ、祖国の人びとに向けて奏で続けた。
本番前日の夕方、生徒たちはめいめい公演に望む決意をしたためた。そこには一様に「自分たちの姿を通じて在日社会の力強い未来を伝えよう。これからも祖国とともに歩み、朝鮮人として堂々と生きていくということを示そう」とのメッセージが込められていた。公演終了後、平壌ホテルの食堂で公演の成功と新年を祝う宴会が催された。
[朝鮮新報 2009.2.2]
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/04/0904j0202-00001.htm

我が国の同胞をさらった犯罪国家北朝鮮。その解決をみないまま、その国に行き、「日本当局の弾圧に屈せず」などとほざいている連中。
では、「朝鮮人として堂々と生きて行く」とメッセージを書いた在日朝鮮学生の人たちに聞きたい。
まず、あなたたちは、我が国において、朝鮮人という外国人であるという認識はあるか。
そして、その外国人であるあなたたちの中には、我が国において、通名という偽名を使っている人はいないのか。
その外国人であるあなたたちの中で通名などという偽名を使い日本人のふりをしながら生活している人がいるとしたら、どうやって、朝鮮人として堂々と生きて行くということが可能なのか。ぜひ伺いたい。
通名という偽名については、あの「有名な(アホ)」在日朝鮮人教授である朴一氏は下記のように書いている。
以下引用
通名は「偽名」だと言っているが、この「通称名」は決して偽名ではなく、日本政府から公的に使用を認められた名前である。たとえば、印鑑登録や不動産登記、商業登記、運転免許証、あるいは学校の卒業証書にも通名は使用できるし、法的な証明書にすべて通用する、政府に正式に認知された名前で、決して偽名ではない。
もし、このような日本政府が正式に認知した名前さえ使うなということであれば、もともとそういった名前を使わざるをえない状況に追い込んできた日本社会が、このような「偽名」を名乗らなくともよい、差別のない社会にしなければいけないということではないか。したがって、こういう人たちに対し、たとえ罪を犯したからといって、「出自暴き」をするということは、犯罪に犯罪を重ねているという気がするのである。
引用終わり
(「在日コリアンってなんでんねん」P三二~三三)

私には、矛盾という言葉を知らないとしか思えない。
外国人は、どのような国においても、その国の国民とは同等の権利を有していない。同等の権利を有している国など世界中どこにもない。
そのような他国において、異邦人というある意味のハンディを背負った人々が、生活しているその国の国民から尊敬されて生きていくということはどういうことか。そこの国民以上の努力が必要なのは言うまでもないことである。
今、生きている国を愛することなく、差別を叫び、通名という偽名を使って生きていながら、「異国の地で朝鮮人として堂々と生活する」「朝鮮人としての誇り」などということはどうすれば可能なのか。

在日朝鮮人の人々は、本当に朝鮮人という血に誇りを持って生きて行くつもりであるならば、すぐに通名などという偽名をやめて生きて行くべきであり、帰化も朝鮮名のままですべきである。
そうして堂々と朝鮮名でりっぱに生きてこそ、我が国において、「朝鮮人らしい」ということが、信用の代名詞になる可能性もあるのである。
通名などという偽名で生きているかぎりは、「朝鮮人らしさ」「朝鮮人精神」などというものが、ブラジルにおける「ジャポネーズ・ガランティード」と同じ意味になるような事は、我が国においては百年経とうが千年経とうが、絶対にないであろう。
支那の国営中央テレビ(CCTV)の敷地内で昨日、火災が発生し、新社屋北側にある建設中の高層ビルが焼け落ちたというニュースがネット上であったが、その原因が、なんと、北京五輪で使われた式典用と同系列の大型花火を当局側の制止を無視してCCTVが打ち上げ続けたためだそうな。
それを、CCTV側は花火を打ち上げ続けた様子をカメラ四台で録画していたそうだから、なんともいやはやすごいものです。
こんな、アホな事で火事になったのですから、今回、お亡くなりになった消防士の方もうかばれないでしょう。
マルガリータさんから予約をいただき、久しぶりに活けアンコウを購入。
今日もご予約もないので、ヒマ~だろうなと思っていたら、多くのお客様来店。Sくん二名様で来店。Mさん来店。何度かご来店いただいている女性のお客様二名様で来店。金ちゃん、マロさん来店。Yさん三名様で来店。
ドンチャン。記憶あり。

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