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日本による朝鮮の土地の収奪というウソ

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 下記の黄色い文三つの引用はいずれも南朝鮮の教科書などの書籍より、我が国と朝鮮が併合していた時の土地政策についての引用です。

 日本は、韓国で近代的土地所有制度を確立するという名目で、土地の面積と所有者を徹底して調べる一方、土地調査令を宣布して、自家に基づいて税金を納付する制度をつくった。この過程で、膨大な土地が朝鮮総督府と日本人の所有になった。また、長い間農民が小作してきて耕作権が強かった官有地と開墾地などでは、国家と地主の所有権だけが認められた場合もあり、農民はいっそう苦しい立場におかれた。「若者に伝えたい 韓国の歴史」明石書店P93〜4

 
土地調査事業によって不法に奪い取られた土地は全国農地の40%にもなった。「韓国の歴史 国定韓国高等学校歴史教科書」明石書店1997

 
朝鮮総督府は、これらの没収した農地を、東洋拓殖株式会社などの日本人が経営する土地会社に払い下げたり、韓国に渡ってくる日本人に安価で引き渡したりした。その結果韓国の農民たちはいっそう貧しくなり、土地を失った農民たちは深い山の中に入り火田民となったち、・・・・満州など国外に移住する人々も多くなった。「入門韓国の歴史 国定韓国中学校国史教科書」明石書店p327

 <土地の面積と所有者を徹底して調べる一方、土地調査令を宣布して、自家に基づいて税金を納付する制度をつくった。>これは国の運営上当たり前のことだし、一坪たりとも農地を没収していないのに<膨大な土地が朝鮮総督府と日本人の所有になった>と記されるにおいては理解に苦しむ。
 まず、土地調査事業は日本人が日本人の税金で、当時のお金として2040万円という大金を使い、朝鮮人のための土地調査を1910年(明治43年)〜1918年(大正7年)まで8年もかけて実施したものです。当時の朝鮮総督府のおこなった法律万能主義による土地調査事業が完璧だったとは私も思いませんが、少なくとも、前近代的な李朝の土地制度を改め、近代的な土地台帳を無償で朝鮮は手に入れたのです。これがどれほど朝鮮半島の近代化に役立つものか少し考えればどんなバカでもわかりそうなものです。

耕地面積

接収耕作地

接収耕作地の割合

437万町歩

11万7000町歩

2・7%

450万町歩

14万7000町歩

3・26%

3-A

286万町歩

13万4000町歩

4・7%

3-B

424万9000町歩

13万4000町歩

3・15%

1歴史を偽造する韓国 中川八洋著 徳間書店
2日本植民地経済史研究 山本有造著 名古屋大学出版会
3-A、3-Bは朝鮮近代社会経済史 全錫淡他著 龍渓書舎
(上記の表における1と2の接収耕作地の違いは総督府に接収された土地は11万7000〜12万町歩、定められた期間に申告しなかったり、所有権を証明できなかった為に接収された耕地が2万7000町歩あり、それを含めるかどうかの差となっています)

 1919年に測量された土地面積などは引用文献により多少の差が生じます。手許にあるものを記しておきます。それ以外に調査面積の中に未墾地90万町〜100万町歩があったため接収されていますが、これはあくまで、未墾地であり、耕地面積にはふくまれません。そして、土地調査の結果、権利関係が極めて不明確な土地などを総督府は数百年の故事来歴などをさかのぼり調査し、裁定した結果、総督府に接収された土地は11万7000〜12万町歩、定められた期間に申告しなかったり、所有権を証明できなかった為に接収された耕地が2万7000町歩あり、結果として合計11万7000〜14万7000町歩として当時の耕作面積の424〜450万町歩の2・7〜3・26%の割り合いしかありません。

 ではどうして「土地調査事業によって不法に奪い取られた土地は全国農地の40%にもなった」などというウソを平気で書くのでしょう。
それについて杉本氏は「著書植民地朝鮮の研究」の中で
北朝鮮の経済史の第一人者である全錫淡他著である「朝鮮近代社会経済史」よりの引用として
「駅屯土として国有地に編入された耕地面積は13万4000余町歩で、全耕地面積の5%に当たり、この駅屯土の小作人は33万2000余人に達した。この他にも田畑及びその他各種の土地90万余万町歩を、いわゆる国有未墾地の名目で大量略奪した」と引用していています。Ap56
13万4000町歩が5%ということは、逆算して全耕地面積を268万町歩とし、それをもとに未墾地90万町歩に13万4000町歩を足して103万4000町歩が38・6%となり韓国の教科書の40%を収奪したとしているわけです。
でも、同じ全氏の著書のすぐ後に
「土地調査事業の結果、課税地総面積は424万9000余万町歩となり、従来の課税地総面積の286万7000余万町歩より46%増加した」という記述がしっかりとあるそうです。
こら〜なんじゃ、と思ういかにも朝鮮人らしい本の内容です。
 つまり、138万2000町歩も耕地面積が増えたわけです。未墾地を計算にいれたとしても24・3%としかなりませんが、先に書きましたように未墾地はあくまで未墾地であり、耕地面積には含まれませんので、朝鮮総督府の接収した耕作地は3%強にしかなりません。
 さすが、ありもしない被害をつくり出し、騒ぐことにより相手に集るということが上手な朝鮮民族というか、やっぱ白髪三千丈の国です。

 ただ、先に書きましたように、この土地調査による総督府の接収、公正な裁判によるものとはいえ不満を残したことは事実の様ですが、朝鮮総督府の管理地となった農地の小作人の耕作権については、杉本氏は著書で小作権を認めてもよかったのではと書いていますが、中川氏は自作農と思っていたのが土地調査により、小作農に転落するケースがかなり多かった。しかし、小作権は保証されていたので、農地を追われた朝鮮人農民はいませんと書いています。
 ましてや、朝鮮総督府は国有地としたのは旧大韓帝国所有の国有地のみを引き継いだだけであり、その国有地は1920年より「東洋拓殖株式会社」(東拓)には売却せずに、12万町歩の田畑を朝鮮人の(従来からそこで耕作している)縁故小作人に安く直接売却した。つまり、朝鮮人自作農の育成に取り組んだのです。
 東拓の持っていた土地も7万3千町〜8万町歩で、総督府の国有地と東拓の耕作地を合わせても20万町弱であり、耕作地の4%強であるのに、日本統治下で開墾された新しい水田は22万町にもなり、これより多かった。

 ちなみに、1922年末の日本人農業者所有土地面積は、一般地主17万5000町歩で東拓の持っている土地と合わせて25万5000町歩で全耕地面積の6%弱です。Ap56ですが、著者は朝鮮総督府「調査資料2ー7朝鮮における内地人」より引用

以下引用および参考文献
@歴史を偽造する韓国 中川八洋著 徳間書店
A植民地朝鮮の研究  杉本幹夫著 展転社
B日本植民地経済史研究 山本有造著 名古屋大学出版会
C韓国は日本人がつくった 黄文雄 徳間書店

土地調査事業

李朝時代の土地制度

米の収奪のウソ

朝鮮の餓死者と強盗数の変化

我が国の朝鮮統治と小作農家

南朝鮮の土地測量事業とウソ

朝鮮における土地政策(農地改良)


戦後、在日韓国・朝鮮人は何をし、何と言ったか(リンク)

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