ゲバラとカストロの広島原爆慰霊碑献花

3月3日土曜日晴れ△
以前に日記に書いたことがありますが、十五年前、平成十五年の今日三月三日にキューバの国家元首であったフィデル・カストロは広島の原爆慰霊碑を訪れ献花しています。
原爆資料館の芳名録へは
「このような野蛮な行為を決して犯すことのないように」
と書いたそうです。

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キューバ革命後、わずか七ヶ月しか経っていない一九五九年七月十五日に来日したゲバラも、一二日間の忙しい日程の中、日本側の組んだスケジュールには入っていない広島を自費で訪れている。
『中国新聞』の記者であった林立雄が単独取材した。その際ゲバラは「なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか」と問うたという。ゲバラが広島の状況をキューバに伝えて以来、同国では現在でも初等教育で広島と長崎への原爆投下をとりあげている。
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カストロはキューバに.戻った翌日の二〇〇三年三月六日に、国会の開会式でカストロは演説した内容は戸井十月氏の著書「カストロ 銅像なき権力者」によるとつぎのようなものだったそうです。
「中国から日本に渡った。日本で、我々は歓待と敬意をもって受け入れられた.単なる立ち寄りであったけれど、昔からの揺るぐことのない友人たちが歓迎してくれた。日本キューバ経済懇話会近藤智義会長と長時問の会合をもち、綿貫衆議院議長、三塚友好議連会長とも交流した。橋本龍太郎元首相を表敬し、小泉純一郎首相とも会談した。
日本側のイニシアティブのもと、誰もが関心を抱いている朝鮮半島の緊張状態に関する問題について話し今われた。その詳しい内容については朝鮮民主主義人民共和国政府に伝えるつもりである。同国とは、キューバ革命勝利の時から友好的な外交関係を保ち合っている。
三月三日我々は広島に行った。平和記念資料館を視察し、慰霊碑に献花した。また、広島県知事主催の歓迎昼食会に出席した。
広島の一般市民に対してなされたジェノサイドについて、我々が受けた衝撃を述べるいかなる言葉もなく、いかに多くの時間を費やしても足りない。あそこで起こったことは、いかなる想像力をもってしても理解することができない。
あの攻撃はまったく必要性のないものであったし、モラル的にも決して正当化できない。日本は既に、軍事的に打ち角かされていた。太平洋地域、東南アジアの日本占領地や日本の統治地域までもが、既に奪還されていた。満州では赤軍の進攻が進んでいた。戦争はそれ以上米国人の生命を奪うことなしに、数日で終わらせることができた。最後通牒でこと足りたはずであり、最悪の場合、あの兵器を戦場で、もしくは一つか二つの日本の厳密な意味での軍事某地に対して使用することで、戦争はただちに終わっていたはずである。強硬派の圧力と主張がいかに強かったとしても。
私の考えでは、日本が正当化できない真珠湾攻撃によって、戦争を始めたのであったとしても、子供、女性、老人、そして罪のないあらゆる年代の市民への、あの恐ろしい殺戮を弁解する余地はない。
気高く寛大な日本国民は、加害者に対して一言も憎しみの言葉を発しなかった。それどころか、そのようなことが二度と起こらないようにと、平和を願う記念碑を建てた。
何があそこで本当に起こったのかを人類が知るために、幾百千万の人々があの地を訪れるべきだと思う。
私はまた、資料館でチェ・ゲバラの写真を見て感動した。それは、人類に対する最悪の犯罪の一つを記憶する、慎み深くはあるが不滅の慰霊碑に彼が献花している写真であった」
p二四四〜二四五

我が国を訪れる多くの外国要人のうちの何パーセントが広島、長崎を訪れ慰霊碑に献花するのでしょう。とくにアメリカはどうなのでしょう。

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「カストロ 銅像なき権力者」戸井十月著 新潮社 平成十五年刊

今日はめちゃ暇
結局、お二人とドンチャン。
一応記憶あり。
サルよりマシ。