再掲 朝鮮人と日本人 訳者による二冊のイザベラ・バードの著書の違い

再掲 二冊のイザベラ・バードの著書の違い
1月23日月曜日晴れ◯ 一部追記平成29年7月28日金曜日晴れ◯
朝鮮人とは嘘が国技のひとつであり、多くの朝鮮人がプロ被害者として飯を食っている人種である。
イザベラ・バードの著書「朝鮮奥地紀行 一」を訳した朴尚徳氏について、この「朝鮮奥地紀行 一」の訳者後書きによりますと、朴尚得氏は一九二七年朝鮮生まれで、一九三五年に我が国に父親を尋ねて母親と来たそうで、東京大学文学部を卒業しています。

中学校に入学した時に、学校に提出するために戸籍を取り寄せたところ、「新井尚得」に父親も関知しないのに変えられていて、「創氏改名を強制されたのである。一九四五年の日本帝国主義支配からの朝鮮解放、民族解放によって本来の朴尚得に戻せた。」と書いています。(p三六一)そして「つまり私は社会の下層で成長した人間なのである」とも書いています。
創氏改名については朝鮮人らしいウソを平気でついています。
以前書いたことがあるように確かに創氏改名は、朝鮮民族に対しての天下の愚作ともいわれるべきものであると思う。しかし、それと日本名を強制したかというのは別のものです。(不思議と、今でも強制されなくても偽名であるはずの日本名を裁判に訴えてまで名乗っている在日朝鮮人が多い)
朝鮮人の「姓」とはあくまで男系の血統をあらわすものであり、夫婦別姓です。「金」家に「李」家から嫁いだ場合、女性は「李」のままを名乗り、生まれた子供の姓は「金」となります。女性には家族の名前が無かった。そこで、家族単位の称号を「氏」として新たに創り、日本国の民法上の整合性を図ろうとした。そのため、創氏は強制であったが、朝鮮人の「姓」を奪うものでは無く、それとは別に、あらたに日本式の氏を持たせるものです。つまり、朝鮮人は男系のみをしるした族譜による「姓」と日本風の戸籍の「氏」の両方を持っていたのです。
この典型的嘘つき朝鮮人である朴尚徳氏が書くように知らない間に日本名に変えられるなどということは絶対に無かった。届けを出して「氏」を日本式にするか、そのままの「法定創氏」とするかは自由であった。二割がそのままの「金」「朴」といった姓を氏として使った。
有名な洪思翊将軍などはそのよい例ですし、衆議院議員までなった朴春琴、貴族議員の尹徳栄も日本名では無い。終戦時には朝鮮半島の一三の道のうち五人が朝鮮人であったが、その五人の朝鮮人道知事のうち二人が朝鮮式の姓のままであった。
その二人の国会議員も創氏改名には反対していない。
本当に朝鮮人が創氏改名に反対であれば、朝鮮人の国会議員が二人もいるのであるからそれを阻止することは容易かったはずです。そもそも、警察も創氏改名には反対していたのです。
朝鮮総督府道警察部長であった坪井幸生氏によると、創氏改名について下記のように述べています。
「警察は反対的でした。この制度が始まった時の警察局長は三橋孝一郎という人でした。その三橋さんが局長会議で創氏改名に反対したそうです。警察の立場からすれば、朝鮮人は朝鮮人の名前のままにしておいてもらったほうが都合がいいわけです。朝鮮人か日本人か分からなくなってしまっては、第一線の仕事がやりにくくなる面があります。そういった事情もあって、警察は創氏改名を推奨する立場をとらなかったのですが、当然のことです」
(「月刊正論」平成一五年八月号より)

あと私などは思うのは、社会の下層で成長した(はずの)人間でも国立大学に入れる日本はすばらしいと思うのですが、朴氏にとってはそうでないようです。
文章中の注約のところでも、朝鮮という国名について、二つの候補を挙げ明朝廷の裁決を乞うたという事実を隠して書いている。(p三一~三二)両班については「一九四五年の民族解放とともにはじめて一掃された」P八四、などと平気で朝鮮人らしいウソを書いています。
何と言っても後書きにはお約束の「豊臣秀吉の侵略をうけ、四百年の永い年月が経ってもすっかり拭い切れない程の大災難を祖国朝鮮に、朝鮮民族、朝鮮人民にもたらしたのであった。更に朝鮮と日本、朝鮮人と日本人の間に計り知れない程の不和、難問、増悪、忌避などの不幸な事態をきたし、本来一衣帯水で親善、連帯を強められる筈の間柄を極度に悪化させたのである」
P三六九
と書いています。
四百年前の朝鮮征伐(この言葉も使うなと書いております)による影響がまだある朝鮮って何でしょう。じゃあ、いったい四百年間朝鮮人は何をしてきたのでしょう。四百年間も残る拭い切れない大災難ってどんなのでしょう。我が国がアメリカより受けた被害よりすごいのでしょうか。そんな凄い被害を朝鮮征伐軍は朝鮮に与えてることができて、どうして撤退したのでしょう。あほらしい話です。つまるところ、朝鮮人にとってはいつまでも我が国が加害者で自分達は被害者でなければ、いろいろと困るということでしょう。
まあ、「ところで日本人のなかに「朝鮮征伐」と言う人がたまにいるが、(朝鮮侵略と)史実を正確に言って欲しいものである」P三六八と書きながらこんなアホな事をつぎつぎと平気で書くこの朴尚得氏という在日朝鮮人。いかにも朝鮮人の典型と何とも分かりやすいお人としか言い様がありません。

この朝鮮人は下記のようなことも書いています。
<このような状況のもとに成長した私は自分が朝鮮人である事を否応なしに強く自覚させられた。そして人は、自分の親を選り好みできない宿命を負ってこの世に生まれてくるものであること、つまり人にとってその民族と祖国は絶対のものである、ということを私は骨身にしみて感じてきた。人はよしんば何十回輸血して自分の血を外国人の血と取り換えたにしても、また国籍を何回変えてもその人が負って生まれてきた民族と祖国は変えようがないものである、俺は如何ともしがたい事実である、と私は思っている。
この世には人間一般というものは具体的に存在していない。居るのは朝鮮人の誰、日本人の誰それ、ドイツ人の誰々、フランス人の誰某だけである。つまり民族を帯びた生身の人間がいるだけである。いわば民族性が人間の本質をなしているといえようか。
人格の尊厳はこの人間の本質を成している民族の自覚と誇りに基づいているものである。と私は考えている。逆に言うならば、人は自らの民族を自覚し、誇れるようになり、同時に他民族の人々を自己同様に尊重できるようになった時、初めてしっかりした人格を持った人間に成れるのであると私は考えている>
P三百六十二〜三百六十三
これって、ブラックジョークのつもりですか。立派なことをほざきながら平気で嘘を言い、我が国に集って生きているから朝鮮人は尊敬されないということを無視して自分が訳したイザベラバードの著書について下記のように解釈できるのでしょう。

<ビショップ夫人はその広範に亘って旅したどこの国よりも結局のところ朝鮮を深く愛し、朝鮮人を評価し、愛着を示している。>
P三百六十五

そのイザベラ・バードが愛してやまない朝鮮についての記述
ソウルの海港済物浦(仁川の旧地名)において日本人、支那人などが幅をきかせているとして
<読者は、済物浦のどこに朝鮮人が居るのか、と疑問に思うであろう。事実私はほとんど朝鮮人のことを忘れていた。というのは、ここでは朝鮮人はとるに足らない存在だからである。増えて大きくなっている朝鮮人の町は、ソウル街道の日本人居留地の外側に在る。イギリス教会が建っている丘の麓を巡って密集し、匍い登っている。どこの岩棚にも置かれている泥のあばら家には、不潔な路地を通って行ける。無口できたない子どもたちが群がっている。その父親の無為を真似て大道で傍観している。朝鮮人は丘の頂上の政府の衙門にも居る。朝鮮人の処罰方法である衙門の使い走りによる残忍な鞭打ち、犯人を死なせる打ちのめしによる苦悶の呻き声の中に朝鮮人は居る。その呻き声は、隣接しているイギリス教会のいく室もの部屋を貫通している。朝鮮人はまた、殆ど全ての衙門を不正の巣窟にしている。賄賂と汚職のなかにも見られる。二重になった屋根のある通用門と出入口の上の太鼓状の館が、よそものに首都と済物浦の活力は外国人のものであるけれども、政府は土着人のものである事を思い出させている。>
P六二~六三

そして、愛してやまない朝鮮人については
<海岸沿いの岩の上に席を占めているのは、ペリカンかペンギンに似ている白いものである。
ところで人間の歩き方をするその白いものが、古い釜山と新しい釜山の間をあちらこちらと終わりのない行進を繰り返していた。岩の上に席を占めているものと同種のものではないか、と憶測された。>
P五十一

ソウルについては
<私は北京を見るまではソウルを地球上でもっとも不潔な都市、また 紹興の悪臭に出会うまではもっとも悪習のひどい都市と考えていた。
大都市、 首都にしては、そのみすぼらしさは名状できないほどひどいものである。礼儀作法のために、二階家の建造が禁じられている。その結果、二十五万人と見積もられた人々が「地べた」、主として迷路のような路地で暮らしている。その路地の多くは、荷を積んだ二頭の雄牛が通れないほど狭い。実にやっと人ひとりが、荷を積んだ雄牛一頭を通せる広さしかない。さらに立ち並んでいるひどくむさくるしい家々や、その家が出す固体や液状の廃物を受け入れる緑色のぬるぬるしたどぶと、そしてその汚れた臭い緑によっていっそう狭められている。そのどぶは半裸の子供たちやどろどろしたへどろのなかを転げ回るか、日なたで目をぱちくりさせている汚物で汚れた大きな、毛の抜けたかすみ目の犬が大好きでよく行く所である。そこにはまた「小間物」やアニリン染料でけばけばしく色付けされたキャンディーの行商人も居る。その行商人はどぶに厚板を二、三枚渡して店を常設している。その品物は多分一ドルかそこらの値うちしかない。
略)
これらのどぶと隣接している家屋は一般に、深い庇と藁葺き屋根のあばら屋である。 その家は、泥壁の他には通りに何も見せていないが、時折屋根のすぐ下に見られる小さなかみの窓で人の住むところであると示している。
いつも変わらずに、どぶの上の二フィートから三フィートの高さの所に黒くなった煙の穴、煙と熱せられた空気の抜け口がある。 これは家屋の床を暖める役目を果たしている。
略)
反り返った瓦屋根のある上等な家屋も、この下品な外観以上のものを通りに見せてはいない。>
P七一~七四

<ソウルの「風物」の一つは小川、廃水渠または水路であり、塀で囲まれた、覆いのない広い導水管である。それに沿って、黒ずんだ色の爛れたような流れが、かって砂利だらけの川床であったところを覆っている肥やしや廃物の山の間の、悪臭がする長い広がりをのろのろと進んでいる。そこで、男たちだけの群集に疲れた人は、最下層の女たちの光景で活気づけられるかもしれない。ある女の人は、おたまで手桶に水として通用する混合物を汲んでいる。他の女性は、流れとして通用する悪臭を放つ水溜まりで衣類を洗っている。>
P八十二

<最下層の女性に就いて述べてきた。日中着物を洗い、水を汲む。多くの女性は家事の奴隷になっている。みんな最下層階級の者たちである。朝鮮の女性は非常に厳しく隔離されている。恐らく他のどこの国の女性よりももっと完全に隔離されていることであろう。>
P八十五~八十六

犬について
<この何マイルにも亘る泥壁、深い庇、緑色のぬるぬるした溝と黒くなった煙の穴の間では、男の住人と重荷運搬人を除いて動くものは滅多に見られない。ここは毛の抜けた犬どもの天国である。全ての家に犬がいる。屋根の垣根には、その犬がちょうど腹這える大きさの四角い穴がある。犬は見知らぬ人に向かって猛然と吠え立てるが、傘を振り上げると逃げる。犬はソウル随一の掃除屋である。ひどく無能な掃除屋である。犬は人間の友でも伴侶でもない。犬は朝鮮語やその他全ての話される言語に無知である。犬の夜鳴きは危険な泥棒を知らせる。犬はほとんど野生である。若い犬は春、殺されて喰べられる。>
P八十五

<朝鮮人にとってソウルは、そこでのみ人生を生きるに価する場所なのである。
それにも拘らず、ソウルには美術の対象になるものは何も無く、古代の遺物ははなはだ少ない。公衆用の庭園も無く、行幸の希有な一件を除けば見せものも無い。劇場も無い。ソウルは他国の都市が持っている魅力をまるで欠いている。ソウルには古い時代の廃虚も無く、図書館も無く、文学も無い。しまいには、他には見出せないほどの宗教に対する無関心から、ソウルには寺院無しの状態で放置されている。一方、未だに支配力を維持しているある種の迷信のために、ソウルには墓がないままにされている!
孔子廟とそして中国同様朝鮮で孔子の銘板に対して公的に表明される敬意を除いて、ソウルには公の神殿は一つも無い。違反したら死の処罰を受けるという条件があるので、僧侶はソウルの門内に立ち入らない。その結果ソウルは、中国または日本のもっとも惨めな都市にさえ見られる、宗教上の建物が与えている崇高な感銘を欠いている。>
p一〇六~一〇七

そして、同時期にソウル(当時は漢城)にあった日本人居留地についてイザベラ・バードは下記のように記しています。
<南山の斜面に、日本公使館の簡素で控え目な白い木造建築があった。その下に在る約五千人の日本人居留地には茶屋、劇場と、そして日本人の安寧に欠かせないいろんな設備が整っていた。そこにはその全てで朝鮮人のものとは鋭い対象をなしている商店や、家屋のある通りが見られた。清潔、上品そして倹約がこの上なく行き渡っている。被りものをしていない女たちや帯びで締めた化粧着を着て、下駄を履いている男たちが、日本に居るのと同じ様に自由に動き回っている。そこにはまた極めて小さな兵隊たちや憲兵、さらにきちんとしている、佩刀した将校たちが見られる。彼らは適当な間隔で見張りを交替している。そのような警戒が必要なのである。>
P八十

私程度の頭では、どう考えてもイザベラ・バード(ビショップ)が朝鮮、そして朝鮮人を嫌がり、愛想を尽かしていたとしても愛していたとは思えないのですが朴氏には違うようです。

だいたい、

<翻訳にあたっては工藤重雄訳『三十年前の朝鮮』(東亜経済時報社刊)がとても参考になった。
略)
しかし一方、原書の単語、文章、文団、章を自由奔放に抄訳している。更に日本人としての我田引水が少なからず見られる。原書にはビショップ夫人の日本贔屓が少なからず窺えるのであるが、それに輪をかけて日本にとって都合の良いものにしている、と思われるものである。
略)
このような見地から私は原書を一字一句忽せにしないで、忠実に辿って訳出することにしたのである。>
p三六五〜三六六
と訳書に書く朴氏ですが、この朴尚得氏訳が出された一年ちょっとのち(一九九五年)に同じく「朝鮮紀行」(イザベラ・ビショップ 時岡敬子訳 図書出版社)として出版されています。
IMG_0728その「朝鮮紀行」の後書きには呉智英氏の解説として下記のように書かれています。
<つい最近、本書刊行に先立つことおよそ一年前、平凡社東洋文庫に朴尚得氏の手になる翻訳が『朝鮮奥地紀行』(全二巻、一九九三年十二月、一九九四年一月)として収録された。本書はこれとは全く別箇に訳出作業を進めていたものであるが、その途中朴氏の翻訳刊行を知ることになった。通常こういう場合、販売上の不利益を考えて後発者の方が出版を断念する。しかし、本書は訳出作業を中止せず、あえて刊行に踏み切った。
その理由は、朴尚得氏訳『朝鮮奥地紀行』には誤訳や不適切訳が多すぎることである。本書の訳者時岡敬子氏が朱線を入れてきた数百箇所について、原書、朴氏訳、時岡氏訳、それぞれを検討してみると、朴氏約平凡社東洋文庫版の不備の著しいことが英語の全く不得手な私にも明瞭であった。
「筆者前書き」から実例を幾つか挙げておこう。

朴尚得28 朴尚得 29

以上で十分だろう。わずか三ページの「筆者前書き」にざっと見ただけでも四箇所もの誤訳・不適切訳があるのだ。全巻では数百箇所に及ぶことが容易に推察できるはずだ。どんな翻訳にも誤訳はつきものである。また、誤訳を恐れたり、神経質になりすぎると、名著良著の翻訳が遅れる。それを承知の上でも、朴尚得氏の訳には感心できない。平凡社東洋文庫という権威を信じて朴氏訳を読んだ読者を大きく裏切ることになるからだ>
p四百八十九〜四百九十三

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参考引用文献

「朝鮮奥地紀行 一」イザベラ・バード著 訳・朴尚徳 平凡社 一九九三年
「朝鮮紀行」イザベラ・ビショップ著 時岡敬子訳 図書出版社 一九九五年
「月刊正論」平成一五年八月号

まさに朝鮮人の国技の一つである息をするように嘘を言う技が全開です。

アホらし

今日は酒は飲まず。
猿でもエビでもない