安倍首相の「痛恨の極み」 稲田朋美氏の「心の問題」

11月28日月曜日はれ◯
今日の産経新聞の記事です。
<2016.11.28 10:20産経新聞
【大野敏明の視線】
靖国参拝は自立への一歩 米中韓の顔色をうかがう政治はもうたくさんだ

日本に必要なのは、自分の国は自分で守るという意識と能力である。米国の次期大統領にトランプ氏が選出されたことは、当たり前のことをあらためて確認させてくれた。
国際化と孤立化が同時進行する21世紀前半の世界情勢は、日本のような、安全保障を含む米国との緊密さで戦後の70年を過ごしてきた国家としては、自国の在り方を見つめ直す契機ともなろう。
第1次安倍晋三内閣の期間に靖国神社に参拝できなかったことに、首相は「痛恨のきわみ」と心情を吐露し、第2次内閣発足後の平成25年12月に、社前で参拝を行ったが、以後は例大祭などに真榊(まさかき)を供えるだけで参拝を行っていない。
防衛相となった稲田朋美氏も、閣僚になる前には、毎年、靖国神社参拝を行っていたが、ことしの8月15日はジブチに「視察」に行ったため、参拝をしなかった。帰国後に参拝したという話も聞かないから、閣僚になって以降の参拝はこれまでのところないということだ。
稲田氏は記者団に涙をためて「心の問題です」と語ったそうだが、涙ぐむくらいなら参拝すればいいではないか。安倍首相といい稲田防衛相といい、なぜ閣僚に就任すると参拝をやめるのか、私にはまったく理解できない。参拝をやめることは「靖国神社参拝は不正、不法なこと」とのメッセージを内外に発信することになる。米国大使館が参拝に「失望」を表明したら、日本政府も米国大使館に「失望」を伝えればいいだけの話である。
首相をはじめ閣僚が靖国神社を参拝すると、中国も韓国も、そして野党も「歴史を反省していない」「戦争を美化する」などと猛烈な批判を行う。だが、この批判は当を得ていない。そのことは安倍首相も稲田防衛相もよくご存じのはずだ。にもかかわらず参拝をしないのは、中国や韓国との関係悪化を懸念し、国内の反対派を勢いづかせることになると危惧してのことだろう。
だが、中国や韓国との関係はこれ以上悪くならないところまできている。靖国神社参拝をやめたからといって、関係が好転するような状況ではない。悪化の原因は日本にあるのではない。あちら側にあるのだ。国民はそれをよく知っている。政権を揺さぶりたい一部野党はともかくとして、まともな日本人は、閣僚が参拝したからといって、日本が軍国主義になるなどとは思っていない。
かつて、出征する将兵に「戦死したら靖国神社に祀(まつ)られ、天皇も首相も参拝する」という「黙契」があったればこそ、彼らは戦地に赴き、戦死者の遺族は天皇以下国民がこぞって参拝することで癒やされてきたのである。その黙契を一方的に破るのであれば、戦死者への裏切りであるし、国民は政府を信用しなくなり、国家、国民のために犠牲になろうという精神を放棄することになるだろう。これは敗戦によって価値観が変化したこととは別の次元で論じられることである。
波風を立てないことはなんの解決にもならない。一体、何を恐れているのか。マスコミは、たまに参拝するから騒ぐのである。もし、首相に限らず、閣僚が毎日のように靖国神社に参拝したら、マスコミは報道しなくなるだろう。マスコミが報道しなくなれば、中国も韓国もいちいち批判などしなくなるだろうし、やがて、それは日常の中に埋没していくであろう。そしてだれもが静かに靖国神社で、英霊に手を合わせることができるようになるのである。それこそが英霊が望んでいることだろう。
トランプ大統領の誕生は、日本がいつまでも米国に依存して平和や繁栄を享受できるとはかぎらないことを教えてくれた。であれば、日本は自国のアイデンティティーを確立して自力で国際社会で生きていかなくてはならない。米国はもちろん、中国や韓国の顔色をうかがうような政治はもうたくさんなのである。(編集委員・大野敏明 おおのとしあき)>
http://www.sankei.com/column/news/161128/clm1611280005-n1.html

<波風を立てないことはなんの解決にもならない。一体、何を恐れているのか。マスコミは、たまに参拝するから騒ぐのである。もし、首相に限らず、閣僚が毎日のように靖国神社に参拝したら、マスコミは報道しなくなるだろう。マスコミが報道しなくなれば、中国も韓国もいちいち批判などしなくなるだろうし、やがて、それは日常の中に埋没していくであろう。そしてだれもが静かに靖国神社で、英霊に手を合わせることができるようになるのである。それこそが英霊が望んでいることだろう。>

これはいつも西村眞悟先生が言い続けてきたことです。
そして、相手の顔色を見ても何も解決していないのが明らかです。

安倍首相の「痛恨の極み」とか稲田氏の「心の問題」などほざいても所詮その程度、その程度の覚悟なのです。

クソアホらし

今日は風邪気味のこともあり一日中部屋にこもっていた。
酒は飲まず。
猿でもエビでもない。