支那を中国と言えと強要した売国奴・岡崎勝男と売国奴の集まり外務省の詭弁

支那を中国と言えと強要した売国奴・岡崎勝男と売国奴の集まり外務省の詭弁
9月29日木曜日晴れ△
岡崎勝男
多くの我が国国民はこの売国奴の名前を知らない
中国銀行、中国放送などの例を見るまでもなく、
古くより我が国において「中国」とは鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県の5県より構成される地域のことであり、支那ではない。
支那は支那であり、中国ではない。
その我が国に対して、支那は我が国に対してだけ「支那ではない。中国といえ」と強要している。
その原因となった支那を中国と言えと強要した売国奴・岡崎勝男と売国奴の集まり外務省の詭弁

害務省(一部では外務省ともいう)のホームページには「中国の呼称変更」として下記のようなことが書かれている。

【中国の呼称変更】
日本政府は当時、条約や国書を除いて中国を「支那」と呼称するとの閣議決定(1913年6月)に基づき、中国に対する呼称として通例、「支那」を使用していました。
しかし、中国側は侮蔑的なニュアンスの強い「支那」との呼称を好まず、「中華民国」を用いるよう求める意見が強まっていました。たとえば、1930年(昭和5年)5月、国民政府文書局長の楊煕績は、日本が関税協定の条文中に「支那」を使用した事を批判し、「今後日本側カ重ネテ斯ノ如キ無礼ノ字句ヲ使用スルトキハ我方ハ之ヲ返附スルト共ニ厳シク詰責シ以テ国家ヲ辱シメサルコトヲ期スヘシ」と論じていました。
こうした中国官民の感情に配慮して、1930年(昭和5年)10月、浜口内閣は常則として「中華民国」との呼称を用いる旨を決定しました【展示史料16、17】。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/shidehara/03_2.html

スクリーンショット 2016-09-26 19.05.31

そして、質問形式でも同様である
Question
戦前に、中国の呼称を「支那」から「中華民国」に変更した経緯を示す記録はありますか。
Answer
外務省記録「各国国名及地名称呼関係雑件」のなかに、1930年(昭和5年)10月に、浜口雄幸内閣が中国の呼称を常則として「中華民国」とするとの閣議決定を行った際の記録が残されています。
この閣議決定が行われるまで、日本政府は、条約や国書を除いて中国を「支那」と呼称するとの閣議決定(1913年6月)に基づき、中国の呼称として通例「支那」を使用していました。しかし、中国は侮蔑的なニュアンスの強い「支那」という呼称を好まず、「中華民国」を用いるよう求めていました。たとえば、中国国民政府文書局長であった楊煕績は、1930年5月に日本と中国との間で結ばれた関税協定において、日本が条文中に「支那」という字句を使用した事を批判し、「今後日本側カ重ネテ斯ノ如キ無礼ノ字句ヲ使用スルトキハ我方ハ之ヲ返附スルト共ニ厳シク詰責シ以テ国家ヲ辱シメサルコトヲ期スヘシ」と論じていました。
こうした中国官民の感情に配慮して、外務省は1930年10月27日に中国の呼称変更を閣議に請議し、同月30日に閣議決定となりました。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/sonota_02.html#19

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これはこれで事実であるが、売国奴の集まりである害務省がホームページに書いていないこれまた腐れ役人・売国奴次官による通達がある。

<支那の呼称を避けることに関する件(次官通達)
昭和二十一年六月六日

(宛て先)
各省次官
内閣書記局長
内閣法制統計
府県知事
終戦地方事務局

(発信者)
外務次官
終戦次長

本件に関し,外務省総務局長から六月六日附けで都下の主な新聞・雑誌社長に対し,念のため写しのやうに申し送った。右参考のためお送りする次第であるが,機会があれば御関係の向へも同様御伝えを得たい。

中華民国の呼称に関する件(局長通達)
昭和二十一年六月六日

(宛て先)
各新聞社長
雑誌社長
(発信者)
外務省
総務局長

内閣外乙第二五號
昭和二十一年六月十三日

内 閣 官 房 總 務 課 長
(書記官長印)
枢 密 院 事 務 官 殿
(事務官)
支那の呼稱を避けることに關する件

標記の件について別紙のとほり外務次官より申越があつたから御參
考のため通知する。
他の機関あての鑑
外乙第二五號
昭和二十一年六月十三日

内 閣 官 房 總 務 課 長

内閣官房人事、会計兩課長
内閣恩給局長
賞勳局庶務課長
逓信院總裁官房文書課長
戰災復興院總裁官房庶務課長
戰爭調査會事務局庶務課長
樞密院事務官
會計檢査院長官房總務科長
行政裁判所長官
貴衆兩院庶務課長

支那の呼稱を避けることに関する件

標記の件について別紙のとほり外務次官より
申越があつたから御参考のため通知する。
本文
文合第三五七號
昭和二十一年六月六日
外 務 次 官(官印)
内閣書記官長   殿
支那の呼稱を避けることに關する件
本件に關し外務省總務局長から六月六日附で都下の主な新聞雜誌社長に對し念のため寫のやうに申送つた。右參考のため御送りする次第であるが、機會があつたら御關係の向へも同樣御傳へを得たい。
本信送付先 各省次官、内閣書記官長、法制局長官、統計局長、内閣審議室、各都道府縣、終戰聯絡地方事務局長

中華民國の國名として支那といふ文字を使ふことは過去に於ては普通行はれて居たのであるが其の後之を改められ中國等の語が使はれてゐる處支那といふ文字は中華民國として極度に嫌ふものであり,現に終戰後同國代表者が公式非公式に此の字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があつたので今後は理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考え念のため貴意を得る次第です
要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辭例としては
中華民國、中國、民國。
中華民國人、中國人、民國人、華人。
日華、米華、中蘇、英華
などのいづれを用ひるも差支なく唯歷史的地理的又は學術的の敍述などの場合は必しも右に據り得ない例へば東支那海とか日支事變とか云ふことはやむを得ぬと考へます
ちなみに現在の滿洲は滿洲であり滿洲國でないことも念のため申添へます
昭和二十一年六月七日
岡 崎  外務省總務局長>

500px-Katsuo_Okazakiこの「今後は理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたい」という通達を出した岡崎という外務省総務局長は「岡崎勝男」のことである。
岡崎勝男は神奈川県横浜市生まれ厚木中学(現・神奈川県立厚木高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学経済学部を卒業し外務省に入省する。その後終戦連絡中央事務局長官として重光葵外相とともに戦艦ミズーリ号上での降伏文書調印式に参加した。

 

 

 

 

 

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降伏文書調印式に出席する岡崎(二列目左から二番目のシルクハットの人物)

その後、国会議員、日米富士自転車社長、アラビア石油相談役、国連大使などを務めた。

こんなアホの売国奴が出した通達のために我が国国民が未だに呪縛から解き放たれていないのです。

アホらし

ドンチャン
記憶あり
猿よりまし