アホ朝鮮人 <日本との通貨協定復活検討=次期韓国財政相>

1月11日月曜日晴れ◯
いかにも朝鮮人らしいといえば朝鮮人らしいニュースです。

<日本との通貨協定復活検討=次期韓国財政相
時事通信 1月11日(月)17時23分配信
【ソウル時事】韓国の次期副首相兼企画財政相に起用された柳一鎬氏は11日、指名人事に関する国会聴聞会で、緊急時に外貨を融通し合う韓日間の通貨スワップ(交換)の再開を検討する考えを明らかにした。
米国の利上げによる韓国経済への影響が懸念される中、日韓間の金融協力が強まる可能性が出てきた。
柳氏は、米利上げが韓国に及ぼす影響を問われ、「当面の影響は限定的だが、漸進的な引き上げが続けば、悪影響が生じかねない」と指摘。その上で「対策を講じなければならない。日本との通貨スワップ再開など通貨スワップ拡大を考えるべきだ」と述べた。
日韓の通貨スワップ協定は、韓国ウォンと引き換えに日本が米ドルを供給する一方向協定を2001年7月に締結。その後、お互いに自国通貨と交換にドルの供給を受けられる双方向型に発展した。しかし、15年2月には外交関係の悪化を背景に失効していた。>

しかし、なんだこの時事通信の記事は。一カ所といえども「韓日間」だそうです。いったいどこの通信社でしょう。

その時事通信の記事ですが、なぜ南朝鮮から通貨スワップの再開を「検討」されなければいけないのでしょう。

アホかと。

普通は「お願い」だろうに。

だいたい、その前に「韓国が厳しい時、日本が最も遅く外貨融通」として下記のようなことをほざいています。

<2009年07月07日08時07分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] 「韓国が最も厳しい時に外貨を融通してくれたのは、米中日の中で日本が最後だ」
尹増鉉(ユン・ジュンヒョン)企画財政部長官は6日、日本有力経済紙である日本経済新聞とのインタビューでこのように指摘し、「世界第2位の経済大国なのに、日本は出し惜しみをしている気がする」と語った。
昨年9月、グローバル金融危機の余波で外国為替市場に不安感が高まり、韓国は主要国と通貨スワップを推進、米国とは昨年10月に、中国・日本とは昨年12月にそれぞれ300億ドル規模の協定を締結した。
尹長官は「日本は周辺国が大変な時は率先し、積極的に支援の手をさしのべてほしい。アジア諸国が日本にふがいなさを感じるゆえんだ」と述べた。
また、通貨スワップのような金融協力を日本と拡大することについて「今はそれほど必要な状況ではない。300億ドルの枠がある現協定が切れる10月に、延長の是非を含めて協議したい」と明らかにした。
韓日自由貿易協定(FTA)に関しては「日本側がもう少し譲歩し、配慮すれば早く締結できるのではないか」と指摘した。
尹長官は「韓国だけでなく世界的に景気不況の最も厳しい時期は過ぎた」とし「今年の経済成長率予測値を−2%から−1.5%に上方修正したが、これも保守的にとらえたものだ」と述べた。>

九十七年韓国が破綻、その時IMFの支援以外にも我が国がわざわざ個別の支援をして、その後立ち直ってから、南朝鮮高官は「IMFはありがたかったが、日本からのは迷惑だった」と発言しています。朝鮮との通貨スワップなど我が国にとってなんのメリットもないものであり、先の通貨スワップも朝鮮から言ってきたものである。二〇〇八年に続いて、それも、我が国が東日本大震災よりわずか半年未満の二〇一一年十月に、それまで一三〇億ドルだった融通枠を七〇〇億ドルに増額した。震災から一年半ほど、通貨スワップ増額から十ヶ月しか経っていない再建で大変な時に同じ中央日報がどういった記事を書いていたか。
<【コラム】韓日通貨スワップ残酷史(1)
2012年08月20日12時01分
提供:中央日報
日本がお金で恩着せがましくしたのは昨日今日のことではない。何日か前に日本の官房長官が「さまざまな検討をすることができる」として問題にした韓日通貨スワップ協定も根が深い。通貨スワップは一種のマイナス通帳で、厳しい時に互いに金を貸す装置だ。始まりは1997年9月にさかのぼる。日本は当時アジア通貨の盟主の野心に満ちていた。香港で開かれた国際通貨基金(IMF)総会で内心を表わした。「日本が率先してアジアの通貨危機国を救済する」としてアジア通貨基金(AMF)創設を奇襲提案した。タイバーツ、マレーシアリンギットが暴落し韓国ウォンまで危険な時だった。当時日本は6000億ドルに達する米国債を持つ世界最大の外貨準備高を持つ国だった。ドルに対抗する強い日本円を夢見た。日本の大蔵省の役人らは公然と「日本が米国債を大量に売ればドルが揺らぐだろう」「中国と手を組んで米国をこらしめるだろう」と話した。ルービン米財務長官は「決してそんなことはない」として力で中国をそそのかし日本を孤立させ無力化した。AMF創設は先延ばしされ、日本はアジア通貨盟主の夢をあきらめなければならなかった。
韓国はそのようなAMFを一番最初に支持宣言した。その年の11月、韓国は差し迫った状況だった。ドルが天井知らずに急騰し外国人投資家はソウルから脱出した。財政経済院の役人らはあちこちにドルを借りに行った。オム・ナギョン次官がそのころ極秘に日本に行ったのもそのためだ。同じ時刻に財政経済院は「AMFを支持する」という声明を出した。金を借りるのに役立つかと思ってのことだった。
だが意味はなかった。日本は冷酷だった。「危機の時は互いに助けよう」と言いながら知らぬふりをした。榊原英資大蔵省財務官は冷酷だった。「政府レベルの支援はない」と切った。米国が容認しないという理由を挙げた。オム次官は手ぶらで戻らなければならなかった。10日余り後にはイム・チャンリョル経済副総理が直接飛んで行った。結果は同じことだった。三塚博大蔵大臣は「韓国を助けるなというのが米国の意向」として手で遮ったという。わずか3カ月前に自分の口から「韓国が厳しい時は積極的に助ける」と話した確約は履き古された草履のように捨てられた。韓国は最後の期待をそのようにたたみ、数日後にIMF行きを選ばなければならなかった。当時の財政経済院高官は「その年に日本がしたのは150億ドルの資金を韓国から真っ先に回収したことだけ。金を貸さなかっただけでなく、さらに雨が降っている時に傘を奪っていったようなもの」と振り返った。
【コラム】韓日通貨スワップ残酷史(2)

2012年08月20日12時01分
提供:中央日報
つらい記憶を後にして韓日両国が通貨スワップ協定を結ぶことにしたのは2000年5月。韓日中と東南アジアが結んだ通貨交換協定、チェンマイイニシアチブを通じてだ。翌年7月に韓国は日本と20億ドルの契約をする。韓国としては外国と結んだ初めての通貨スワップ契約で、以後韓米、韓中につながる“外国為替の盾”の開始だった。日本としてはすべて消えて行ったアジア通貨盟主の火種を生かしたわけだ。2010年に韓日通貨スワップの規模は700億ドルに拡大した。
このような曲折をよく知りながら日本がまた通貨スワップをうんぬんしている。しかしすでに外国為替問題は韓国の弱点ではない。2010年以後、外国人債券投資課税還元、先物為替ポジション規制、外国為替健全性負担金導入の“外国為替の盾3種セット”を用意した。外貨準備高は世界7位、3000億ドルを超える。相当の波に耐える強固な堤防を積んだわけだ。日本の“雨が降る時に傘を奪う”というのもこれ以上成功は難しい。それでも一度ゆがんだからとすぐに他人の弱点、それも自分たちが塩を振りかけた傷を再び広げる国が日本だ。もちろん「大国らしくない」と無視してしまえばそれまでだ。しかし気がかりだ。政治の季節、いつどんなことが起きるかもしれない。政権末には国内政治が国益や国際関係よりさらに重要になるのが常だ。韓国だけでなく日本もそうだ。任期末大統領の独島(ドクト、日本名・竹島)訪問、天皇謝罪発言もそのような脈絡で見ることができる。このような時であるほど弱点のない経済、強い経済が必須だ。それでこそ後始末が可能だ。もう一度日本に金を借りに行き門前払いを受けて帰ってくることはできないじゃないか。>

南朝鮮とは、朝鮮人とは所詮こういった生き物なのです。
それは今現在我が国に生息している朝鮮人どもを見ればよくわかることです。
こちらがいくらしてやってもな〜んも思わないヒトモドキどもなのです。
知れば知るほど嫌になる我が国の寄生虫・朝鮮人。

だから、こういったヒトモドキどもとは関わらないのが一番です。

アホらし。

今日は酒は飲まず。
猿でもエビでもない。