朴一という朝鮮人らしい朝鮮人 つまりどうしようもないアホ

朴一
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。


在日朝鮮人三世。一九五六年、兵庫県尼崎生まれ。
一九八八年、同志社大学院博士課程終了。商学博士。
専攻は朝鮮半島の政治と経済、日韓、日朝関係。
現在、大阪市立大学大学院経済学研究科教授。
ご都合主義
朴一。これで、「パク・イル」と読ませるらしいが、現在、大阪市立大学教授という肩書きを持っているそうな。しかし、この人もそうだが、在日朝鮮人の人々が自分の名前を漢字で表示し、それを向こうの読み方を我々に強要するのはやめてほしいものである。
柳美里は「ユウ・ミリ」と読ませ、辛淑玉は「シン・スゴ」、姜尚中は「カン・サンジュン」と読ませるそうな。柳美里は「やなぎ・みさと」か「りゅう・みさと」だろうし、辛淑玉は「しん・しゅくぎょく」だろう。辛女史自身が著書「韓国・北朝鮮・在日コリアンがわかる本」(KKベストセラーズ)にその読み方で帰化申請したが、ダメだったという体験談が掲載されていますが、辛女史のこの帰化申請体験談の嘘臭さは浅川彰広氏に指摘されています。姜尚中にいたっては「きょう・しょうちゅう」ぐらいでしょうか。この朴一氏も「ボク・ハジメ」ぐらいだろうに。
どうしても、朝鮮語の発音で読ませたかったらカタカナ表示にすべきだろう。同じ漢字圏であるが、朝鮮語読みを日本人に強制させられるような理由はなにもない。

このようなアホな事については朴一氏もその著書「『在日コリアン』ってなんでんねん」(講談社α文庫)にて、在日コリアンの自然消滅を防ぐことができることとして、在日コリアンが日本国籍を取得しても、民族的属性を維持したまま生きられるシステムを日本社会に創りだすことであるとしている。
そして、そのひとつとして、国籍収得後の氏名をについては、日本で使われていない漢字だけでなく、ハングルの使用も認めることと書いている。(P一〇二)

アホかと言いたい。なんで、日本国民の名前に日本国民が読むことのできないハングルの使用を認めなければいけないのであろうか。一般の日本人が母国語以外にどうして朝鮮語を学ばなければいけないのだろうか。
この在日朝鮮人はそういうことも何も不思議と思わないようだ。

朴氏の御都合主義については、先の浅川彰広名古屋大学専任講師もその著書「『在日』論の嘘」(PHP)で、詳しく指摘しています。
朴一氏は、著書「『在日コリアン』ってなんでんねん」にて「在日コリアンパワー人脈図」として、帰化し日本国籍をもつプロ野球の金田正一氏については「日本国籍を取得しているが、れっきとした在日コリアンである」(P一八)金本知憲選手も「日本国籍を取得しているが、在日コリアンである」(P一七)とし、日本人の父親と朝鮮人の母親との間に生まれた松田優作まで「多くの在日コリアンのスターたちの中で、最も輝きをもっていた俳優」(P二一)と書いています。
有名人は朴氏にとってこんなに在日という定義の範囲が広く、そして、「その多くは日本の差別から逃れるために、日本の名前を使っているケースが多い。そうしたことから、非常に多くの在日コリアンが、いろんな分野で活躍しているにもかかわらず、日本人には見えにくい存在になっているのである」(P一四~一五)と書くほど日本名を使うことに批判的な朴氏なのに「在日」の犯罪者については違うようです。
有名人は在日コリアンパワーと書きながら、京都の強姦在日朝鮮人神父の永田保こと金保の犯罪報道について、「犯行と出自、国籍とは無関係である」「この事件を報道するにあたり、なぜ在日コリアンということがクローズアップされなければならないのか」として在日朝鮮人という事は隠さなければならないと言っているのです。
この金保に関してのテレビでのコメントに対して「ご都合主義だ」というような抗議メールが山ほど届いたとその著書に書いていますが、ご都合主義、ダブルスタンダードそのままです。
それ以外にもその御都合主義が朴氏の著書には多く見られます。

在日朝鮮人が日本にいる理由
朴一氏の著書「『在日コリアン』ってなんでんねん」には朝鮮人が日本にとどまることを余儀無くされたとして下記のようなことが書かれている。
以下引用
@一九四五年、祖国の解放を日本で迎えた在日朝鮮人は帰国を待ちわびた。とりわけ帰国者の経由地となった大阪には、帰国を望む一〇〇万人近い朝鮮人労働者が集まり、朝鮮海峡まで往来していた小型帆船に乗り込もうと、弁天埠頭や尻無川の河口に長い行列を作った。だが、帰国することは容易ではなかった。彼らを朝鮮半島に運ぶ船舶が絶対的に不足していたからである。GHQは米軍輸送船による在日朝鮮人の帰還輸送計画を発表したが、朝鮮南部で発生した伝染病でこの事業も中断されてしまう。こうした状況の中で、終戦時二三六万人いた在日朝鮮人のうち約一七〇万人は帰国を果たしたが、六〇万人は日本にとどまることを余儀なくされた。
引用終わり(P五五)

つまり、朴氏によると、戦後、日本に残った朝鮮人は、朝鮮人自らの意志で残ったのではなく、あくまで「日本にとどまることを余儀なくされた」ものであると書いているのです。
貧しい朝鮮半島より日本に押し寄せた朝鮮人が、我国が戦いに敗れたために第三国人として敗戦国民の日本人より上の地位だと威張り散らし、横暴な振る舞いをした。朝鮮人が終戦直後の我国においてどのようなことをしてきたか、一切この朴氏の著書には書かれていない。
あくまで、朝鮮人は被害者であると書かれているだけである。本当に帰りたければその後も帰ることなどいくらでも出来たはずである。それを、このような書き方しかできないバカ大学教授。
算数も出来ないバカ教授
そういえば、この朴という人は大学教授まで勤めながら、簡単な計算もできない。
朴氏は「族譜」というものについて、
以下引用
「韓国には、自分のルーツを明らかにするものがある。実は私の家にも族譜があり、毎年一一月になると故郷の慶尚南道で法事があり、そこに私も一族の長として参加する。わたしのところにはだいたい二〇〇坪ほどの墓に、先祖代々五〇の墓が集まっていて、そこに三〇代前まで遡って、密陽朴家の墓がずらりと並べてある。私も三五代目の朴家の長男であることが、族譜の中に書かれている。略)

そうすると、ごくあたりまえのことですが、自分の存在の上には、お父さん、お母さんがいて、その上にはおじいちゃん、おばあちゃんが四人いるわけである。さらに、そのおじいちゃんとおばあちゃんの上には八人いて、さらにその上には一六人いる。それを三三代まで、私は名前を書きながらずっとたどっていってみたことがある、記録していったものが族譜です。そうすると自分の上には何千人もの人々がそびえ立っていることがわかる。
引用終わり(P三三~三四)

この「何千人もの人々」といういのを「ちゃうやろ」と突っ込まれたので別の朴氏の著書(共書)ではその数を増やしています。
(たしか、浅川彰広氏の突っ込みだったと思って、その書いてある箇所を探したのですが見つかりませんでした)
朴氏がその数を増やした箇所。
以下引用
「韓国には、自分のルーツを確認する族譜(チョッポ)というものがあります。ごく当たり前のことですが、自分の存在の上には、アボジ(お父さん)、オモニ(お母さん)がいて、その上にはハラボジ(おじいさん)、ハルモニ(おばあさん)が4人いるわけです。さらに、ハラボジとハルモニの上には8人いて、さらにその上には16人いる。それを30代以上にわたってさかのぼり、記録していったものが族譜です。これをみると、自分の上には何千何万もの人々がそびえ立っていることがわかります。」
引用終わり
「歴史教科書 在日コリアンの歴史」 在日本大韓民国民団 中央民族教育委員会企画 作成委員会座長朴一 明石書店刊 P一二四

でもこれでもまだまだ増やし足りなかった事をこの大学教授ともあろうお方は気がついていません。
朴大学教授サマ御自身が書いているように、朴氏の上にはお父さん、お母さんの二人、その上にはおじいさん、おばあさんが四人、そして、ひいおじいさん、おばあさんが八人と計算して行くと、この時点で、二+四+八の一六人。つまり朴氏のような書き方をすると、二の三〇乗は一〇億七千、そして、三四乗は一七一億というとんでもない人数が上にどっかと乗っかっていることになる。
何千でも何万でも的外れな事がわかる。この朴氏の書いてある数字とは何なのだろう。

だいたい朝鮮の人々のいう族譜って、なんななのでしょう。李氏朝鮮の社会構造として、国王、王族、両班、常民、賤民、白丁まであって、それが無くなったのは我国の朝鮮総監府から総督府時代のはずなのに、不思議と朝鮮の人々は皆が皆、何十代前までもの族譜といというものを誇る。李朝末期でも奴婢は人口の約半数を占めているままであり、家畜といったほうが近いほどの扱いを受けていたといわれている。
つまり現在の朝鮮人の少なくとも半分の人々は、我が国の朝鮮半島統治により歴史上初めて奴隷の身分より救われたのです。
そんな家畜なみの扱いを受けていた奴隷が多かったはずなのに、みんながみんな族譜を持っていることになっている。家畜の血統書と同じ奴隷の族譜なのでしょうか。
ちなみに、以前に書いた事がございますが、百姓であった当家の場合はお寺さんに残されていた過去帳では、一番古いご先祖様の名前は小太郎だそうで、名字はありませんので、朝鮮の方のように誇るべきほどのご先祖様ではありません。李朝末期は約半分が両班だったそう。そして、残りの半分近くが奴隷。ふ~ん。でも、不思議とみなさんごりっぱな族譜をおもちだそうで。
あほらし。
通名
朴氏の著書には通名については下記のように書いている。
以下引用
通名は「偽名」だと言っているが、この「通称名」は決して偽名ではなく、日本政府から公的に使用を認められた名前である。たとえば、印鑑登録や不動産登記、商業登記、運転免許証、あるいは学校の卒業証書にも通名は使用できるし、法的な証明書にすべて通用する、政府に正式に認知された名前で、決して偽名ではない。
もし、このような日本政府が正式に認知した名前さえ使うなということであれば、もともとそういった名前を使わざるをえない状況に追い込んできた日本社会が、このような「偽名」を名乗らなくともよい、差別のない社会にしなければいけないということではないか。したがって、こういう人たちに対し、たとえ罪を犯したからといって、「出自暴き」をするということは、犯罪に犯罪を重ねているという気がするのである。
引用終わり
(「在日コリアンってなんでんねん」P三二~三三)

通名という偽名を名乗っているのは多くは在日朝鮮人です。朴氏は書いていないが、通名を使う事により、貯金通帳なども本名と二つ持つ事ができる。それにより、相続税なども免れる事が可能となる。外国人登録証の通名は簡単に変更できる。その事により、過去には下記のような犯罪も起きている。
以下引用
【健康保険証の通名変更悪用し携帯売りさばく】
外国人登録証の通名が容易に変更できることを悪用して名前の違う保険証を約30枚取得、その名義で大量の携帯電話を買って売りさばいていた、として京都府警は3日、京都市の在日韓国人の男(32)について詐欺容疑で逮捕状を取った。

男はパチンコ店などで顧客を広げ、1台5万円程度で売却を繰り返していたとみられる。2000/09/04
読売新聞
引用終わり
この通名の変更は実際にその名前で社会生活をしているというような、例えば銀行の名義だとか、会社の給与明細などその名前が実際に通用してるという証明がないと変えられないことになっているが、朝鮮系の銀行においては通名により通帳を作ることができ、その通帳により通名を登録できる。そのことにより、実際はこの記事のように外国人登録証の通名が容易に変更できることを悪用し、三〇回変えた在日朝鮮人がいるわけで、在日朝鮮人の犯罪における通名の報道が意味がない事が判るし、犯罪の温床にもなっている。
そして、通名は七~八年使用すれば、外国人登録の本名を通名に変更することもできます
。この場合、元の外国人登録証が他人から買ったものであれば、それを通名に変える事で、正規の外国人登録証とすることができます。法的な証明書が通名で通用すると朴氏は書いているが、犯罪の温床のひとつとなっているのも通名なのです。通名を禁止すべきという人が多いのは、このような背景によるものです。

そして、朴氏だけでなく、多くの在日朝鮮人の方々に問いたい。一番の疑問は誇り高いはずの朝鮮民族が我国において名前を二つ(以上)持つ事の意味を。そして、それを、差別によるものだという言い張りながら、海外においてさえ、日本人と偽る事の多い事がまた差別によるものなのかどうかを。

この朴氏も、差別差別と騒いで在日を商売にしている辛淑玉女史などと同じ臭いがするのは気のせいでしょうか。
基礎知識のないアホ教授
朴氏は松坂慶子の父親の著書『娘 松坂慶子への「遺言」』(光文社)より
<松坂慶子の父、英明さんが生まれたのは朝鮮半島の大邱だった。
略)日本の植民地政策によって韓英明という姓名は日本風の岡本英明に改名され、日本語の教育を受けた。しかし、決して日本人とは認めてもらえなかった。学校では「朝鮮人は日本人より劣っていると教えられ、朝鮮人の誇りは踏みにじられた。「このままでは駄目だ」ということで日本行きを決意した。一九三八年、一五歳のときだった。>(朴氏の著書「在日コリアンってなんでんねん」P45~46)
と引用している。

また、「なぜ日本名を名乗るのか」として二〇〇二年の調査結果として、七〇代以上で二六・五%、六〇代で六四・八%が生まれた時から使っていると答えたことについて、
<最初の世代である七〇代と六〇代が日本名を「生まれたときから使っている」のは、日本植民地時代の創氏改名政策の結果である。
略)
「生まれたときから使っている」のは、基本的に民族差別から回避するためだったと考えてもよい。とすると、七〇代、六〇代が日本名を名乗る理由は、ほとんど民族差別に起因しているといえる。
略)
「生まれたときから使っている」という回答は、在日コリアンに対する民族差別を否定するものではなく、むしろ民族差別を背景として語られたものと言えよう。B>(P一〇〇~一〇一)
と書いています。

一九四〇年、朝鮮総督府の塩原時三郎学務長と南次郎総監という二人の国賊によっておこなわれた「創氏改名」については、私も朝鮮の人々の歴史や伝統に対する侵害だとおもいます。
朝鮮総督府は、朝鮮人が勝手に日本名を名乗らないように、朝鮮併合直後の一九一一年一一月に日本式の氏(姓)を禁ずる、朝鮮総督府令第一二四号「朝鮮人の姓名改称に関する件」を定めている。
名に関しては、日本式の名を用いたいという朝鮮側の要望に屈して、新生児のみ例外的に認めたのは一九三七年である。
つまり、朴氏が著書に引用している一九三八年に一五歳で日本に来たという松坂慶子の父親が「日本の植民地政策によって韓英明という姓名は日本風の岡本英明に改名され、日本語の教育を受けた」というのはウソであるし、在日朝鮮人の二〇〇二年の調査結果として、七〇代以上で二六・五%が生まれた時から使っていると答えた在日朝鮮人もウソをついているのである。六〇代で六四・八%が生まれた時から使っていると答えたうちの少なくともこの時点で六五歳以上の在日朝鮮人はウソをついている事になる。
そんなウソつき在日朝鮮人に対して、基礎知識もなく、
<親の最初の世代である七〇代と六〇代が日本名を「生まれたときから使っている」のは、日本植民地時代の創氏改名政策の結果である。>と書くアホ在日朝鮮人教授。
金嬉老と在日差別
同じ朴氏の著書「在日コリアンってなんでんねん」にはあの金嬉老について「在日の視点から過去を見つめる」として、その事件背景から法廷での裁判の進め方、そして、一九九九年九月に仮釈放され南朝鮮で英雄として迎え入れられたかを朝鮮人差別とからめながらP一二五~一三四の一〇ページにもわたって詳しく書いている。
そして、この元在日朝鮮人殺人鬼について、
<金嬉老は法廷においても事件の背後にある民族差別を訴え続けた。
略)
まさに「金の戦争」(注、映画)は金嬉老事件の背後にある日本の深刻な民族問題を抉りだしながら、そうした差別となんらかの方法で闘わざるをえなかった金嬉老の苦悩を描くことに成功している。少なくともこの映画を見たものは、金嬉老を「犯罪者」という一面で捉えることが誤りであることに気づくだろう。韓国の人々が金嬉老を「在日韓国人差別と闘った英雄」と見なすのは、彼らが金嬉老事件の背後にあるこのような「日本人の嫌韓意識」を嗅ぎ取っているからにはほかならない>
(P一三二)
このように書きながら、朴氏はこの昭和三年、静岡生まれの元在日朝鮮人殺人鬼が、金嬉老と本名の権禧という二つの名前以外にも近藤安広、金岡安広、清水安広
と多くの通名という偽名を持ち、昭和一八年(一九四三年)、一五歳で窃盗で捕まり、朝鮮人専用少年院に入れられたが、我が国の敗戦で出所。その後も詐欺・窃盗・強盗を繰り返しては刑務所に入れられるという生活を二〇年も送っていたどうしようもない在日朝鮮人犯罪者であった。一九六八年、昭和四三年三九歳の時にライフル銃で暴力団を殺し、人質をとり、旅館立にてこもり逮捕され、七〇歳の時に仮釈放されるまで三一年間刑務所に入っていた。日本での七〇年の人生で五〇年以上が刑務所暮しのクズ人生である。それは仮出所後に移住(帰国)した南朝鮮でも同じである。南朝鮮政府から助力を得て釜山に渡って高級マンションを与えられ結婚もしたが、その移住からたった一年後の平成一二年にその本性を現して、愛人の夫への殺人未遂と放火容疑で再度南朝鮮でも逮捕され服役したということについては何も書いていない。
つまり、書けば、金嬉老という元在日朝鮮人殺人鬼は民族差別のために戦った英雄などというりっぱなものではなく、在日朝鮮人という立場に居直り、自分の犯罪も全て周りが悪いと差別、差別と騒いでいただけの只の卑しいバカ人間であり、在日朝鮮人の人々にとっては恥ずべきどうしようもないクズ人間だったということがわかるために、それを書いていないのです。
ここにも朴氏の御都合主義が現れている。

この金嬉老という元在日朝鮮人殺人者が南朝鮮に帰ったことについても、
<これまで祖国に帰国した在日コリアンのなかで、祖国からこれほど熱烈な歓迎を受けた人物がいただろうか。三〇〇〇本安打という日本のプロ野球界で不滅の金字塔を打ち立てた張本勲、芥川賞など数々の文学賞を受けた作家の柳美里、映画「月はどっちに出ている」で日本映画の映画賞を総なめにした映画監督の崔
洋一、日本のそれぞれの分野で頂点を極めた彼らでさえ、祖国からこんなVIP待遇を受けはしなかった>(「在日コリアンってなんでんねん」P一二六)
<金嬉老のこうした闘いは、日本人以上に在日コリアンの問題に関心を持つ本国の>(P一三二)

なのに、この人は別の著書(共著)で下記のようなアホな事も書いている。
<「ディアスポラ(Diaspora)」という言葉があり、これはなんらかの理由で祖国を奪われた異国の地で、その逆境を跳ね返しながら新しい文化を創っていく人たちのことです。在日コリアンはまさにこの「ディアスポラ」であり>
(「歴史教科書 在日コリアンの歴史」明石書店p一二五)

また、講演では下記のような事も言っている。
<我々は、サンフ ランシスコ講和条約の時点で、日本国籍を一方的に剥奪されたわけです。>
<在日朝鮮人をはじきだすために、国籍を剥奪した。>
一九九五年一一月一一日「在日韓国・朝鮮人の未来と人権 」研究集会(於東京・池袋)講演での発言
<こうした通達は、在日朝鮮人本人の意思を確認して行われたものではなく、日本政府の一方的な処置であった>
(「在日コリアンってなんでんねん」p八八)

「在日コリアンってなんでんねん」に「祖国に帰国した」と朴氏が書いているように、在日朝鮮人はみな南北朝鮮(大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国)の国民であるはずです。彼らにとっての祖国とは南北朝鮮であり、我が国から出国する時にはその祖国の発給するパスポートを持って出国する。もちろん、その偉大な?祖国に帰る事も自由である。決して「祖国を奪われた」わけではない。
また、我が国政府が一方的に日本国籍を剥奪したわけではない。→在日朝鮮人のつく大嘘「日本国籍を強制的に収奪された」
それなのに我が国にいて、差別だ差別だと騒いでいるだけなのです。
それを「祖国を奪われた」「日本国籍を一方的に剥奪され」などと宣う在日朝鮮人教授。
歴史の改竄
朝鮮人のつく大嘘の一つに「土地を収奪された」というのがあります。
この大学教授様の朴氏もその大嘘を「在日コリアンの来歴」として著書に書いています。
以下引用
<当時の多くの朝鮮人が「故郷の朝鮮半島を捨て、豊かな日本に移住せざるをえなくなった」歴史的背景と日本の植民地開発政策との因果関係
である。
略)
それは、併合後に実施された日本の植民地開発政策と深い関係がある。まず、日本政府は、一九一〇年から一八年まで、植民地朝鮮で大規模な土地調査事業を実施した。「土地所有権の調査、土地価格の査定、地形調査」の目的で開始されたこの事業は、当時の朝鮮社会に根づいていた地慣例を一方的に破棄させるとともに、日本の法律に無知な朝鮮農民から土地を収奪し、彼らの多くを小作農に転落させた。土地を奪われた農民の一部は、地主層の新たな賦課もあって生活が徐々に困窮し、離農を余儀なくされることになった。
やがて農村から排出された没落農民の中から、日本や中国へ出稼ぎに出る者が現れ、年々その数も増加していった。>
引用終わり(在日コリアンってなんでんねん P三七~三八)

この朴氏の書く嘘については「土地収奪の嘘」として既に書いていますので、詳しくはそちらを御覧下さい。
しかし、他の朝鮮人と同じくこの在日朝鮮人教授もあまりにも醜いウソを平気で書くのには呆れる。
土地調査事業は日本人が日本人の税金で、当時のお金として二〇四〇万円という大金を使い、朝鮮人のための土地調査を一九一〇年(明治四三年)~一九一八年(大正七年)まで八年もかけて実施したものです。当時の朝鮮総督府のおこなった法律万能主義による土地調査事業が完璧だったとは私も思いませんが、少なくとも、前近代的な李朝の土地制度を改め、近代的な土地台帳を無償で朝鮮は手に入れたのです。これがどれほど朝鮮半島の近代化に役立つものか少し考えればどんなバカでもわかりそうなものです。

、朝鮮総督府の接収した耕作地は三%強にしかなりません。

同じく朝鮮人のつく大嘘のひとつ「米を収奪された」というのもあります。
御多分にもれずに、この大学教授サマもその大嘘をかましています。
以下引用
<一九二〇年代に入ると、朝鮮人労働者の日本への渡航はさらに増加する。その背景には、一九二〇年から朝鮮半島で開始された産米増殖計画が、朝鮮農民に及ぼした深刻な影響があった。
一九一八年の米騒動を契機に、日本で顕在化した空前の食糧危機を回避するために打ち出された産米増殖計画は、一九二〇年から一五年で朝鮮半島のおよそ四〇万町歩を土地改良し、約九〇〇万石の米の増収を図って、日本の米不足を補おうとするものであった。この計画によって、朝鮮における米の生産高は飛躍的に上昇したが、増加分をはるかに上回る朝鮮米が日本に移出されたため、朝鮮人自身の米の消費量は年々減少していった>
引用終わり(P三九~四〇)

そして、朝鮮人やアホな反日日本人がよく使うレトリックをこの在日朝鮮人大学教授サマも使っています。
<さて、表二を見てみよう。表からわかるように、一九二〇年から三六年まで朝鮮における米の生産高は二〇%上昇しているが、対日移出高が四〇〇%以上膨れ上がったことで、朝鮮人一人当りの米の消費量は四〇%近く減少している。>(P三九~四〇)

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その表とは、上に示したように中塚明「在日朝鮮人の歴史的形成」より引用しているものですが、一九一五年から一九三八年までの朝鮮米の生産高の推移をあらわしたものです。
これも「米の収奪のウソ」に書いていますが、一部こちらにも転載させていただきます。
朴氏は我国の朝鮮併合は一九四五年まで続いているはずなのに、一九一五年から三六年までの米の生産高しか表示していません。
どうしてその後の統計を示さないのであろうか。我が国にとっても一番食料事情が悪い時であり、食料が欲しい時である。
それは、一九三七年を境に一九三八年からは朝鮮内の米の消費高、人口一人当りの消費高が大きく増えているのである。このような事実を隠すためにこのような書き方をするのです。
いかにも、嘘つき在日朝鮮人、反日日本人らしい姑息なやりかたです。

スクリーンショット 2016-01-09 9.01.21

 

そして、その時代背景をも考慮しなければいけません。
表三では一九二六年(大正一五年)から朝鮮での消費量が急減している。この時は昭和初期の昭和恐慌として名高い時期であり、農家が米を食べられなくなったのは朝鮮半島だけではない。日本の東北地方の惨状もすさまじい。その後の冷害では北海道、青森などを中心とした地帯に四五万人もの人々が餓死線上にたたされ、農村部では、役場の史員や学校の先生の給料までも払えずに、娘の身売りが続出した時代であった。
しかし、朝鮮半島の米の生産量は大きく伸びている。これは日本が治水、品種改良などによる成果であるが、それ以上に移出が伸びているのは、米以外に換金作物がないために、日本に米を移出する事により農家が現金収入を得たいがためである。
つまり、自由経済の当時においての朝鮮半島の米の内地への移出は、すべて朝鮮半島の事情によるものである。
このために、朝鮮総督府は緊急に雑穀を輸入して、朝鮮人の食するカロリーに変化がないようにした。(歴史を偽造する韓国 中川八洋著 p六八)
欧米の植民地主義とはまったく違う、日本民族の誇るべき善政である。

なによりも、一九一八年の米騒動の時を例外として、昭和に入ってからの朝鮮よりの米は我が国にとってはもはや不要のものであった。考えてもみてほしい、朝鮮でさえ昭和に入ってからは大きく増産ができる体制になっているのである。朝鮮より早く近代化された我が国では一九二五年(大正一四年)から三一年(昭和六年)にかけて日本本土の米の価格が四〇%も暴落したのは朝鮮、台湾からの安価な米が無制限に入ることが原因であった。
そのために日本本土の農家は朝鮮米の移入制限を強く要求、農林省も内地農民の保護のために一九三四年には臨時米穀移入調節法案が策定されていたが、その法案の国会上程を陸軍の応援を得てまで阻止したのが、「朝鮮の二宮尊徳」とまで呼ばれる石塚俊と朝鮮総督府であった。

結局一九三四年に「朝鮮から移入される米は内地では拒まない。しかし、一時に移出されると困るから月ごとに平均的に移出する事」とし、京城、台北にも農林省の米穀事務所を設置することで合意が成立した。しかし、石黒忠篤農林次官は「このような状況では朝鮮米移入問題は解決できない」として辞任している。植民地朝鮮の研究(杉本幹夫著 展転社)p七四
米騒動のあった大正時代と違い、昭和に入ると各地に増産体制が整い、不況による消費の減少もあり、米余り時代となったが、朝鮮の農家は米にかわる換金作物がなく、また内地に移出した方が高く売れるために移出を続けたのである。
石塚や朝鮮総督府は内地より朝鮮半島、朝鮮人を第一にかんがえたのである。
その証拠に、朝鮮の教科書やバカ日本人どもが提示しない表三にあるとおり、朝鮮半島が一九四〇年の大干ばつで前年比約一〇〇〇万石減という大凶作になったときは、日本本土への米の移出を前年の六〇五万石からわずか四三万石にまで制限した。
朝鮮農家にとり米は日本本土に売った方が何倍も儲かるから、総督府が移出制限をしないと、朝鮮半島が深刻な米不足に陥るためである。それは、生産量の大きな落ち込みに比べて、その時の人口ひとりあたりの米の消費高が大きく減っていないのでもわかる。内地以上に食料事情がよかったのである。
朝鮮における一九四一年の米価設定は、生産者の手取り価格は一石五〇円にたいして、消費者価格は四十三円の完全な逆ざや政策であった。
以下引用および参考文献
歴史を偽造する韓国 中川八洋著 徳間書店
植民地朝鮮の研究  杉本幹夫著 展転社
韓国は日本人がつくった 黄文雄 徳間書店

単語の意味が理解できない

朴一氏は専攻は朝鮮半島の政治、経済、日韓、日朝関係論だそうで、現在は大阪市立大大学院教授でありながら、算数もできないし、朝鮮関係の基礎知識も欠落しているという素晴らしい方ですが、もう一つ、日本語の単語の意味も理解できないようであります。
朴氏は在日朝鮮人の年金問題について
<日本国憲法には「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(第二五条)と明記されている。にもかかわらず、日本政府は当初から国民年金法の対象を日本国籍を持つ者にに限定し、外国籍の人たちを長らく国民年金の加入対象から排除してきた。>(p一四七)

この人は国民の意味を御存じなのだろうか。日本国憲法の「すべての国民」とは日本国民を指しているのであり、外国人である在日朝鮮人の人々は日本国民では無い。
朴氏の著書にも<これまで祖国に帰国した在日コリアンのなかで、祖国からこれほど熱烈な歓迎を受けた人物がいただろうか>(「在日コリアンってなんでんねん」P一二六)
<金嬉老のこうした闘いは、日本人以上に在日コリアンの問題に関心を持つ本国の>(P一三二)
このように著書に「祖国に帰国した」と朴氏が書いているように、在日朝鮮人の人が海外に出かける時は、日本国のパスポートではなく、南朝鮮、北朝鮮のパスポートで出国する。南朝鮮の民団のホームページには「我々は大韓民国の憲法を守る」と書かれている。つまり在日朝鮮人はみな南北朝鮮(大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国)の国民であるはずです。彼らにとっての祖国とは南北朝鮮であり、我が国から出国する時にはその祖国の発給するパスポートを持って出国する。
日本人でない外国人である在日朝鮮人がどうして日本憲法に書かれている「すべての国民」になるのであろう。
この人は本当に大学教授なのであろうか。

この朴一という男は在日朝鮮人の恥と言うべきあまりにもアホすぎる在日朝鮮人教授です。こんな程度の在日朝鮮人教授をテレビに出演させて喜んでいるアホテレビ局も多い。


朝鮮人の族譜の嘘
平成22年12月11日土曜日晴れ ○
朝鮮人は「息を吐くように嘘を吐く」あるいは「息をするように嘘を言う」などと言われています。
嘘は、朝鮮人にとって、まさに売春、強姦、放火と並ぶ「国技」と言うべきものです。

あのどうしようもないドアホウの井筒和幸氏は朝鮮の族譜について
<どんな人でも一〇〇〇年ぐらい昔の家系がわかっている>
「民族の壁どついたる!」p四十八

そして、これまたどうしようもない大バカで算数もできないくせに、大阪市立大学教授である朴一氏は、「族譜」というものについて、
<韓国には、自分のルーツを明らかにするものがある。実は私の家にも族譜があり、毎年一一月になると故郷の慶尚南道で法事があり、そこに私も一族の長として参加する。わたしのところにはだいたい二〇〇坪ほどの墓に、先祖代々五〇の墓が集まっていて、そこに三〇代前まで遡って、密陽朴家の墓がずらりと並べてある。私も三五代目の朴家の長男であることが、族譜の中に書かれている。
略)
そうすると、ごくあたりまえのことですが、自分の存在の上には、お父さん、お母さんがいて、その上にはおじいちゃん、おばあちゃんが四人いるわけである。さらに、そのおじいちゃんとおばあちゃんの上には八人いて、さらにその上には一六人いる。それを三三代まで、私は名前を書きながらずっとたどっていってみたことがある、記録していったものが族譜です。そうすると自分の上には何千人もの人々がそびえ立っていることがわかる。>
「『在日コリアン』ってなんでんねん」(P三三~三四)

と自分の著書に書いている。
どんな人でも千年ということになると、三十年平均で三十三代ということになる。
そうすると、朴一氏のいうように三十五代目という人もいることになる。
しかし、朝鮮の現在現存するもっとも古い族譜は成化十二年(一四七六年)に刊行された『安東権氏世譜』である。
そして、我が国が併合するまで四十%が奴隷だった国である。
生殺与奪を飼い主に握られている奴隷に名字などそあるはずがなく、奴隷が名字を持てるようになったのは我が国が朝鮮半島を併合してからである。
現実に現存する族譜の編纂時期は我が国が併合した明治四十三年(一九一〇年)以降のものが約半分を占めている。

玄大松氏(財団法人アジア太平洋研究会)の論文によると
<族譜を編纂時期別にみると、十五世紀に二十三点、十六世紀に四十三点、十七世紀に百四十八点、十八世紀に三百九十八点、十九世紀に五百八十点である。二十世紀には、一九四五年以前が四百十七点、一九四六年以後が六百八十四点である。(『姓氏の故郷』第3版、中央日報社、千九百九十年)編纂年度が不明な三百三点を含め、千九百九十年現在で把握されている二千五百九十六二点の族譜のなか、二十世紀以前のものが千百九十二点、二十世紀以後のものが千百一点である。現存する韓国の族譜の半分近くが二十世紀に入ってから編纂されたものであることが分かる。これは何を意味するのか。
略)

朝鮮中期まででも身分が低い人は名字がなく、出身地をあらわす本貫しかもっていなかった。韓国で誰もが名字を持つようになったのは身分制度が打破されてからであり、日本の植民地支配の過程で一九〇九年民籍法が施行されてからのことである。

では、今まで名字がなかった人々はどのように名字を付けたのであろうか。四つの事例がある。第一に、戸籍書記と警察とが本人の希望通り、あるいは適当に作ってあげた。第二に、奴婢の場合、主人の名字を使うことが多かった。第三に、出身地で最も多い大姓を名乗った。第四に、戸籍書記が記録のとき、漢字を間違ったのがそのまま名字になった。

改めて述べるまでもなく、十七世紀以降族譜の刊行が盛んであったため、族譜に名を連ねている祖先の多くの功績が文禄・慶長の役での活躍である。そして、彼らが公式的な文書、歴史物語のなかにも登場する。それと同時に、田舎には文禄・慶長の役で戦死した祖先を祀る霊廟が町内にあり、人々が参拝してはその祖先が成し遂げたことを回想する。祖先の物語が現在も生活の中に息づいているのである。
略)
しかし、前述したように韓国人のすべてが名字を持つようになったのは、二十世紀に入ってからである。
十五世紀に二十三点、十六世紀に四十三点、十七世紀に百四十八点に過ぎなかった族譜の刊行が、十八世紀に三百九十八点へと飛躍的に増えたのは、単に印刷技術の発達によるだけではない。族譜があれば軍役が免除されるなど、族譜をもつこと自体が特権であったためでもある。それゆえ族譜の偽造が大量に行われた事実は『朝鮮王朝実録』の記事にも散見できる。十九世紀末の身分制度の崩壊と、植民地時代での身分の変動に伴い、一九二〇年代には毎年族譜がベストセラーになったくらい、族譜の編纂は盛んになった。その多くが「作られた伝説」であることは言うまでもない。すなわち、いま各家庭で神聖なものとして奉られているほとんどの族譜が実は「幻の族譜」なのである。

十六-十七世紀には、姓氏さえも持っていなかった奴婢は全体人口の三十-四十%であり、人口の四十-五十%を占めていた百姓も族譜を持つことは不可能であった。にも拘わらず、現在韓国のほとんどの家庭が五-六世紀からの始祖から始まる族譜を持っている。族譜からみて、現在の韓国人は皆これまでこの国を作り、支配してきた王様か、両班貴族の末裔である。>
「族譜・アイデンティティ・日韓関係」玄大松氏(財団法人アジア太平洋研究会)

朝鮮人ではないがどうしようもないアホな井筒和幸氏、朝鮮人らしく嘘つきなだけでなく算数も出来ない朴一氏だけでなく、族譜については平気で嘘を言っている連中が多い。
我が国が併合したおかげで、朝鮮人の半分近くが奴隷から解放され、名字を持つ事ができたのです。

玄大松氏のこの言葉が朝鮮人というものをよく現している。
<十六-十七世紀には、姓氏さえも持っていなかった奴婢は全体人口の三十-四十%であり、人口の四十-五十%を占めていた百姓も族譜を持つことは不可能であった。にも拘わらず、現在韓国のほとんどの家庭が五-六世紀からの始祖から始まる族譜を持っている。族譜からみて、現在の韓国人は皆これまでこの国を作り、支配してきた王様か、両班貴族の末裔である。>
朝鮮人は本当の事を少しは言った方がいいと思う。
いくら「嘘」が国技だからといっても・・・・・・・
そういや、当店のお客様が昔お付合いしていた在日朝鮮人も「うちの家系は済州島の王族の家系だ」と言っていたそうです。

今日はメチャヒマで、四回目のオチャピーかと思っていたら、久しぶりにご近所に住まわれている外国の方が二名様来店。
一名様来店。
いや~オチャピーでなくて良かった。
今日は飲まずに、明日の準備。


 

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