世界で一番間抜けな朝鮮人テロリスト安重根 追記

世界で一番間抜けな朝鮮人テロリスト安重根 追記
10月19日月曜日晴れ ◯
南朝鮮で英雄というより切手にまでなっている偉人のひとりという「安重根」。我国の名宰相であった伊藤博文公を暗殺した卑劣なテロリストです。
南北朝鮮とも英雄のほとんどがテロリストしかいないという数少ない国です。

我が国でも、一部のどうしようもないバカどもにとってはこういった間抜けなテロリストの評価は一変します。
DSCN4224「日韓の架け橋となった人々」として李参平、柳宗悦、田内千鶴子などとともにこのアホテロリストが取り上げられています。
まあ、この本の序文からして気が狂っているとしか思えない文章です。
<韓国は一変した。
略)
社会にゆとりが生まれ、日本からの観光客の拡大を狙って一方的にビザ免除に踏み切ったし、日本の大衆文化も解禁されるようになり、根強かった「嫌日感情」も影を潜めてしまったようだ。
こうした韓国側の変化に日本人は直ぐに反応した。
略)
変わったのは韓国の人々だけでない。在日の韓国・朝鮮籍の人々も変わった。朝鮮半島が統一されても、そこに帰らないという。日本生まれの在日二世・三世は、自分たちが生まれた日本で、朝鮮民族として日本人との共生を図りたいというのである。
このように、韓国の社会の人々も、そしてまた日本に住む韓国・朝鮮籍の人々も、日本社会や日本人を受け容れ、共生を図ろうとしているのである。
日本社会も日本人もこれに答え、積極的に彼らと共生する努力をすべきである。
日韓共催のワールドカップ成功の興奮が、情緒的な日本人に「甘え」を許しているのであろうか。日本社会も日本人も共生のための努力をしているようには思えない。早急に日本社会を多民族共生社会に改造し、近隣諸国との共存共生を図らねばならない。
略)
それでは、多民族共生社会を作り上げるために私達が払うべき努力とは、具体的に何であろうか。それは、私達が、隣国人でもあり、私達の社会の構成員でもある韓国・朝鮮の人々と共通の歴史認識を持つことである
「日韓の架け橋となった人々」p三〜四

この文章を書いている西南学院大学教授・小川雄平氏(昭和十九年生まれ)は正気なのでしょうか。私には気が狂っているとしか思えない。なぜ、わが国にいる朝鮮人どもが人間のクズ、ゴミ、寄生虫と言われることがっても尊敬されないかは何度も書いてきたが、住んで世話になっている国に対して国民として忠誠も誓わないような人間のクズどもとは共生などあり得ない。

参照→朝鮮人が尊敬されない理由と多文化共生の嘘

また、この小川氏は安重根についても
<安重根は単なるテロリストではない。彼の論理に立てば、西欧列強のアジア進出の中で、日本・中国・朝鮮の民族は平和のために団結しなければならにあので、友邦である中国や朝鮮を侵略・抑圧する伊東博文の日本政府に、止む無く「義戦」を挑んだのであった。韓国で「民族独立の義士」と称えられる所以である。>
P六

つまり、朝鮮では英雄なのだからわが国でも英雄という「共通の歴史認識」を持てと言っているのである。

アホかと。

DSCN4227その安重根について福岡国際大学教授・黒木彬文氏(昭和十六年生まれ)は「安重根 アジアの平和思想を掲げて」として下記のように書いている。

<日本の朝鮮干渉と併合に反対し、日本からの自立を願う朝鮮の多くの民衆に大きな勇気と励ましを与えたのも事実である。安重根は、日本からの独立を勝ち取る朝鮮の愛国運動のシンボルとして尊敬されるようになったからである。ここに彼のテロ行為の歴史的意義があると思われる。だからこそ、その後今日に至るまで朝鮮民衆は、安重根を朝鮮独立の「義士」として讃えているのである。>
P八十六

でっ、小川氏、黒木氏の両ダイセンセイさまが讃える朝鮮民族最大の英雄のひとり「安重根」とはどんなテロリストであったのでしょう。

一八七九年、朝鮮、黄海道の海州で朝鮮堕落の元凶のひとつである両班の長男として誕生。幼少の頃からせっかちで軽率な行動が目立つので、父親は戒めとして「重根」と命名しました。でも、これは役に立たなかったみたいです。

一九〇八年三月、大韓帝国の外交顧問であったド-ハム・スチーブンスが帰米した時、サンフランシスコで記者会見し、「韓国の王室と政府は、腐敗堕落しきっており、頑固党は人民の財産を略奪している。そして人民は愚味すぎる。これでは独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地にされたであろう。伊藤総監の施策は、朝鮮人民にとって有益で、人民は反対していない」と発言している。
これを三月二二日の新聞でしったサンフランシスコ在住の朝鮮人・張仁煥らは激昂して、スチーブンスのところに押しかけたが、本当の事を言っているのだから当然撤回はしません。翌日スチーブンスはワシントンに出発するため、駅に出かけたところを、このバカな朝鮮人に射殺されます。
それを知った安は、スチーブンスは日本の傀儡でしかない。彼を操っているのは伊藤総監である。伊藤こそ撃つべきだと決意するようになった。
一〇月二六日、ハルピンにおいて伊藤公を暗殺します。

このような朝鮮人テロリストに対して、我国は正式の裁判を受けさせるために、弁護士を二人、監獄ではさっぱりした衣服を支給し、入浴、布団四枚、食事に上等の白米で、果物、茶までつけました。

DSCN4228以下「日韓二千年史」名越二荒之助編著 明成社より
裁判所(旅順の関東州都府督裁判所)では検察官・清渕孝雄の訊問に対して「伊藤博文公を敵視するようになったか」と問われて一五項目のオバカな理由を挙げています。

①一〇年ほど前に、伊藤さんが指揮して大韓帝国王妃を殺害した。
(十四年前の明治二八年の閔妃殺害事件のことを言っている。当時、公使であった三浦悟楼以下多くの日本人が処罰されました。もちろん、朝鮮人もです。この時には李周會は全責任を負い、「自分が閔妃を殺害した」と供述し、他の二人(伊錫禹、朴鉄)とともに処刑された。しかし、伊藤博文及び我国政府の直接関与したという資料は無い)

②五年前に伊藤さんは、大韓帝国に不利な三ヶ条を締結させた。
実際にはロシアとの講和条約であるポーツマス条約の「日本は朝鮮を指導、保護、監督する権利を有する」という条項に基づいて結ばれた四年前(一九〇五年)の日韓保護条約の事。
朝鮮は一八九五年に日清戦争により結ばれた下関条約にて初めて「大韓帝国」としての独立を果たすことが出来ました。しかし、その後も朝鮮は事大主義を捨てきれず、ロシアに擦り寄り高宗はロシア大使館に逃げ込み(俄館播遷 一八九五~一八九六年)、そこで政務を行いました。
明治三七年(一九〇四年)よりの日露戦争に勝利した日本は特命全権大使として伊藤博文が朝鮮に派遣し、日韓保護条約が結ばれます。
しかし、当時としては東洋の治安と朝鮮の保全のために、この保護条約はやむを得ぬものであったのです。

③三年前に伊藤さんは一二ヶ条条約の締結で我国を不利にした。
二年前に結ばれた七ヶ条の第三次日韓協約の事と思われるが、これは高宗が保護条約を無視し、明治四〇年六月、オランダのハーグにて開かれた万国平和会議に三名の密使を送り、日韓保護条約の無効を訴えました。
これに対して、伊藤総監は、高宗に謁見し電報の写しを見せながら「かくの如き陰険な手段を以て日本保護権を拒否せんとするよりは、むしろ日本に対し堂々と宣戦を布告せらるるには捷径なるにしかず」とせまりました。
つまり、国家間で結んだ条約の意味も知らない高宗と安重根です。

④伊藤さんは大韓帝国皇帝の廃立を計った。
優柔不断、虚言多用、責任転嫁という高宗に対して面罵してまで退陣を最も強く迫ったのは、朝鮮の農商工部大臣である宋秉シュンでした。

⑤伊藤さんは大韓帝国軍隊を解散した。
解散の詔書を出したのは、高宗より譲位された純宗です。そもそも、軍隊内に両班制度がそのまま生きているような志願制の朝鮮兵八〇〇〇は役に立たず、朝鮮の財政を圧迫するだけでした。そのため徴兵制を他日実施するためにいったん解散をきめました。

⑥決起した義兵たちを、伊藤さんが殺した。
正規の条約に基づいた朝鮮駐留の日本軍を、自らを「義兵」と称して襲う者に対して自衛権を発動するのは当然のことです。そもそも、「義兵」と称する輩には強盗としか言えない輩が多く、朝鮮民衆、日本人、支那人を襲うために、それを討伐したにすぎない。

⑦伊藤さんは大韓帝国の政治と権利を奪った。
せっかく独立しても、宮廷内部は紊乱し機能しなくなった事を知っていればこのような恥ずかしい事はいえないでしょう。

⑧良好なる教科書を焼却した。
安重根にとり良好なる教科書とは「反日的排他的教科書」である。

⑨朝鮮人民に新聞の購読の自由を禁じた。
同じく反日煽動新聞を取り締まるのは当然。

⑩不良の大韓帝国朝鮮人官吏に食を与え、第一銀行券を発行している。
李朝の官僚すべてを辞めさせる事などできるはずはない。ましてや、第一銀行券は伊藤総監の来朝以前に発行している。
安重根は国債の意味を理解していない。朝鮮官吏のために、日本でも緊急に国債を発行して支援していた。

⑪国債二三〇〇万円を募り、官吏の間で分配したと聞いた。土地も奪ったと聞いた。
どちらもいい加減な反日煽動新聞の受け売りでしかありません。

⑫東洋平和と称しながら、大韓帝国皇帝を廃立するなど当初の宣言と異なる。
大韓帝国皇帝の高宗は、日露戦争中はロシアに通じ、外国人記者を買収し、日本軍の鉄道・電信の破壊を内密に命じました。明確な日本に対しての背信行為であり、当時のイギリス、フランスなど列強による支配国国王に対する処置を知っていればこのような事は言えまい。

⑬大韓帝国保護に名をかりて大韓帝国政府の一部と意見を通じ、大韓帝国にとって不利な施策を行っている。
大韓帝国内閣に親日派といわれる人が入閣した事を指すものと思われる。

⑭伊藤さんは現天皇(明治天皇)の御父君に当たられるお方(孝明天皇)を殺した。
考明天皇の崩御は一八六六年一二月二五日で、その頃は、伊藤博文は長州の三田尻にいて、宮中に入れる身分ではありません。

⑮世界各国に対し、「大韓帝国は無事なり」と宣伝し、事実を欺いている。
世界最貧国で、支那の属国であった朝鮮。李朝末期においては悪政による両班の横暴、賄賂、人身売り買い、盗賊の横行など国ではありませんでした。我国が保護国とすることにより、治安が確立し、朝鮮人の生活は見違えるように改善されました。
「日韓共鳴二千年史」P二百三十八〜二百四十一

この思い込みしかない、自分勝手な安重根の法廷における言い訳はこの安重根という男のバカっぷりを充分に現しています。
伊藤公は朝鮮併合には反対でした。それは明治四〇年五月二八日、総督府の日本人幹部に対しておこなった訓示よりも明らかです。
「荀くも数千年の歴史と文明を有する国民は、決して獣畜の如く支配すべきものではなく、また支配できるものでもない。日本の識者は決してこのような暴論に賛成せず、またわが陛下の御思召も決してそうではない」
そのような伊藤公をバカ朝鮮人テロリスト安重根は浅い知識、思慮の足りない自分勝手な思い込みにより暗殺したのです。
間違い無く世界で一番バカな朝鮮人テロリストです。そんなバカテロリストを朝鮮の人々は英雄として祭り上げているのです。そんなバカテロリストしか英雄がいない朝鮮の人々に対して哀れささえ感じるのは私だけではないと思います。
あっ、でも我国併合により間違いなく朝鮮は近代化されました。併合を速めたとも言えるかもしれない意味では安重根は朝鮮人にとり英雄であるかもしれません。

伊藤公暗殺に対する世界の評価

「伊藤公暗殺」に対する大韓帝国皇帝の論調
<伊藤を失ったことで、東洋の人傑がいなくなった。公はわが国に忠実正義 をもって臨み、骨を長白山に埋めて、韓国の文明発達に尽くすと揚言してい
た。日本に政治家多しといえども、伊藤のように世界の大勢を見て、東洋の 平和を念じた者はいない。実に伊藤はわが国の慈父である。その慈父に危害
を加える者があるとすれば、物事の理事を解さないこと甚だしく、おそらく海外流浪人であろう。>
一〇月二七日

<伊藤を失ったことは、わが国といわず、日本のみならず、東洋の不幸である。その凶漢が韓国人とあっては、赤面のほかない。日本天皇は唯一の重臣にして大師の伊藤をなくされた。それなのに伊藤を害した凶徒を出した国の皇太子を、あくまでも輔育する誠意をみせた。山よりも高く海より深い恩義ある日本皇室にどう感謝の意を表すべきだろうか。
(明治天皇が、韓国皇太子の輔育の後任に、岩倉侯爵を命ずる勅語を出された報を聞いて)>
十月二十八日   太皇帝(高宗)

<韓国人が公を暗殺したことは、特に悲しむべきことである。何故かといえ ば、公は韓国人の最も良き友であった。日露戦争後、日本が強硬の態度を
以って韓国に臨むや、意外の反抗に逢った。陰謀や日本居留民の殺傷が相次いで 起こった。その時、武断派及び言論機関は、高圧手段に訴うべしと絶叫したが
公ひとり穏和方針を固持して動かなかった。当時、韓国の政治は、徹頭徹尾 腐敗していた。公は時宜に適し、かつ正しい改革によって、韓国人をして日本
統治下に在ることが却って幸福であることを悟らせようとし、六十歳を超えた 高齢で統監という多難の職を引き受けたのである。>
ドイツの新聞に載ったエルウィン・ベルツ博士 「伊藤公の追懐」

「伊藤公暗殺」に対するロシア人の論調
<思えば思うほど情けない限りである。最後の大戦争(日露戦争)以前に
伊藤公爵が言われたことを、もし、ロシアが聞いていたら、あの悲惨な戦争 も、ロシアの敗戦という不名誉もなかったのである。伊藤公爵のハルピン来訪目的は、わが大蔵大臣との外交上の空しい儀礼的なものでなかったことは、
誰もが知っていた。伊藤公は「ロシアは満州から去れ」などという、一点張りの主張をする人ではない。尊敬すべき老大偉人の逝去は、日本の損失であるばかりで
なく、わがロシアの損失であり、韓国が大損失をこうむることは必至である。>
東清鉄道長官 ホルワット少将 ロシアの新聞
「ハルピン・ウェストニツク紙」

<公を泰西の政治家と比較するに、公はビスマークの如く武断的でなく、 平和的であったことはむしろグラッドストーンに類するところである。
財政の知識が豊富であったことはビールにも比すべく、策略を行うに機敏かつ大胆であったことは、ビーコンスフィールドに似ている。公はすべての
大政治家の特徴を抜萃して一身に集めた観がある。殊に公は驚くべき先見の 明を有し・・・要するに四十余年の永きにわたって終始一貫、国家の指導者たる
地位を占めたのは、実に千古の偉観というべきである。>
「伊藤公暗殺」に対してのイギリスの新聞「ジャパン・メール」に」載ったブリンクリ-主筆の「伊藤公の性格」の一節
「日韓共鳴二千年史」P二百三十四〜二百三十八

下記は深谷博治著「明治日本の対韓政策」(友邦協会)よりの引用の伊藤公の言葉である。
「けれども、日本は非文明的、非人道的な働きをしてまでも韓国を滅ぼさんと欲するものではない。韓国の進歩は多いに日本の望むところであって、韓国はその国力を発展せしむるため、自由の行動をしてよろしいけれども、ただ、ここにただ一つの条件がある。すなわち、韓国は日本と提携すべしということ、これである。日章旗と巴字旗(韓国旗)とが並び立てば日本は満足である。日本は何を苦しんで韓国を亡ぼすであろうか。自分は実に日韓の親睦を厚くするについては、自分の赤誠を貢献しようとしている。しかも、日清・日露の両大戦役の間、韓国は一体何をしたか。陰謀の外に何をしたか。戦争中は傍観しただけではないか。諸君は、日本が、にわかに来たって、韓国を亡ぼすならんと思うのは、果たして何に基づくのか聞きたいものである。
日本は韓国の陰謀を杜絶するため、韓国の外交権を日本に譲れというた。だが、日本は韓国を合併する必要はない。合併は甚だ厄介である。韓国は自治を要する。しかも、日本の指導監督がなければ、健全な自治を遂げ難い。これが今回の新協約を結んだ所以なのである」
また、大韓帝国朝廷の官吏に対して、
「韓国人の何びとが自らその独立を主張したであろうか。かつまた、韓国人の何びとが自ら韓国の独立を承認したであろうか。あるならば聞きたい。韓国人は、三、四〇〇〇年来、固有の独立を有するように言っているが、自分はこれを承認できない」
「韓国は日本人がつくった」

これらの言葉を安重根そして朝鮮の人々はどう聞くのであろうか。

あほらし

今日も本の整理。
酒は飲まず。
猿でも海老でもない。

以上引用及び参考文献
「日韓共鳴二千年史」名越二荒之助編著 明成社 平成十四年刊
「韓国は日本人がつくった」黄文雄 徳間書店 平成十四年刊
「日韓の架け橋となった人々」東アジア学会編 明石書店 平成十五年刊

裏表紙