今田真人の著書「吉田証言は生きている」の違和感その三

今田真人の著書「吉田証言は生きている」での違和感その三
8月7日金曜日晴れ△8月9日一部追加
吉田氏は著書の中に書いてある「家内の日記」について
<(本の講演記録に「家内の日記」伝々あるのは)
どっかの大阪の活動家の新聞が勝手に書いた。私は一度も公式に言っていない。そういうものを出版社がページ数が足らんという。あの原稿、二百枚そこそこだった。三百枚ほしいということでなんやかやひっつけたんです。序文なんて私、知りませんよ。全然、知らない。だから抽象的こと書いているでしょう。>
①p六十〜六十一

これについて今田氏は、下記のように朝日新聞の記事を引用し、
<「吉田氏は九三年五月、吉見義明・中大教授らと面会した際『(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある』と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言として使えないと確認するしかなかった』と指摘している。」
①P百三十三
吉見義明氏の記述内容について否定する形で下記のように書いている。

<「強制連行した日時や場所を変えた」とは書かれていないし、「強制連行した」というカッコ内の記述は原文では「回想には」とあり、不正確だ。吉見氏が「証言として使えないと確認するしかなかった」というのも、学者のそれぞれの研究方法の問題であり、証言として使えると思う学者も当然いるだろう。
今回公表の吉田インタビューでは、『私の戦争犯罪』百五十六ページの「家内の日記」伝々の記述は、吉田氏が書いたものではないことが明らかになっている。>
P百三十九

そして、同書の別の箇所では
<吉田証言が「ウソ」だという「ゆがめられた言説」に反論して、吉見教授は次のように書く。
「吉田清治さんは、『私の戦争犯罪』(一九八二年)という本の中で、軍の動員命令により、徴用隊十名の一員として朝鮮の済州島にいき、現地の陸軍部隊とともに、華中(中国中部)方面に送る慰安婦として二百五名の女性を捕まえて、『女子挺身隊』の名目で輸送した、と記している。だが現在、朝鮮で強制連行があった証拠として、この本をあげる人はいない。いまでは研究がずっとすすんでおり、これに寄らなくても、強制連行や強制使役があったことは説明できる。」
「(動員命令書が、奥さんの日記に書いてあるのであれば、日記のその部分を公開したらどうかなどとの要請に対して)吉田さんは、日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できないと答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。
そこで、私たちは、吉田さんのこの回想は証言として使えないと確認するしかなかった」
吉見教授の著書は、吉田氏が本に書いた核心的事実である「朝鮮で慰安婦の強制連行があった」ということを、いまでは、吉田氏の本によらなくても、証明できるとのべているのだ。そして、吉田氏に、その正しさがすでに実証されているので、名誉回復のために、幾つかの疑問に反論すべきだと忠告しているにすぎない。吉田氏はその忠告に「家族に脅迫が及ぶ」というもっともな理由で拒否したわけだ。
したがって、吉見教授の著書は、吉田証言を否定するものではなく、むしろ、「ウソだと証明された」という「ウソ」に反論し、吉田証言を「真実」として擁護しているものだ。>
p百四十五

正確には下記のように吉見義明氏は著書で吉田氏に直接会って反論を勧めたことを書いています。

DSCN3860
<吉田清治さんは、『私の戦争犯罪』(一九八二年)という本の中で、軍の動員命令により、徴用隊十名の一員として朝鮮の済州島にいき、現地の陸軍部隊とともに、華中(中国中部)方面に送る慰安婦として二百五名の女性を捕まえて、『女子挺身隊』の名目で輸送した、と記している。だが現在、朝鮮で強制連行があった証拠として、この本をあげる人はいない。いまでは研究がずっとすすんでおり、これに寄らなくても、強制連行や強制使役があったことは説明できる。
では、この証言自体の信頼性はどうか。これに疑問をいだいた秦郁彦教授は、済州島にいって調査したが、現地で得られた証言は否定的なものばかりだったと言っている。そのほか、この証言に対する多くの疑問がだされているが、吉田さんは反論していない。
一九九三年五月に吉田さんを訪ね、積極的に反論するよう勧めた。また、誇張された部分があれば、訂正すべきだと申し入れた。特に、この本の中にある動員命令書がキーポイントとなるので、吉田さんがいうようにもしそれが奥さんの日記に書いてあるのであれば、日記のその部分を公開したらどうか、もしそれがないのなら訂正すべきではないかといった。
これに対し、吉田さんは、日記を公開すれば家族に脅迫などが及ぶことになるので、できないと答えた。そのほか回想には日時や場所を変えた場合もあるとのことだった。
そこで、私たちは、吉田さんのこの回想は証言として使えないと確認するしかなかった。なお、私は一九九一年から慰安婦問題の研究を始めたが、この間、吉田さんのこの証言は一切採用していない。
証言として肝心な点となる場所や前後関係に変更が加えられているとしたら、済州島での慰安婦「徴用」に関する吉田証言を、事実として採用するには問題が多すぎる、というほかない。吉田さんには、慰安婦徴募に関する自らの体験を伝聞特別して正確に証言されるよう望みたい。
しかし、だからといって、朝鮮で強制連行がなかったといえないことは、七で述べた。また、戦争末期に済州島を含む朝鮮で、どのような徴募がおこなわれたかという実態解明は、今後の課題として残っている。
吉見義明>
「従軍慰安婦」をめぐる三十のウソと真実 吉見義明・川田文子著 大月書店一九九七年刊 p二十六〜二十七

このように吉田氏は吉見氏に対して、日記の存在を否定せずに、日記の公開を否定しているのである。
その吉田氏がたった五ヶ月後の九十三年十月十八日の今田氏への証言では、日記の存在そのものを否定しているのである。
あまりにも発言に一貫性がなく、吉見氏が「吉田さんには、慰安婦徴募に関する自らの体験を伝聞特別して正確に証言されるよう望みたい」というのは当然のことである。
それを、「学者のそれぞれの研究方法の問題であり、証言として使えると思う学者も当然いるだろう。」「吉見教授の著書は、吉田証言を否定するものではなく、むしろ、『ウソだと証明された』という『ウソ』に反論し、吉田証言を『真実』として擁護しているものだ。」と書き、吉田氏の証言を「命がけの告発」(表紙より)とする今田氏の頭の中は腐っているとしか思えない。

あほらし。

バンブーさん来店。
Tさん来店。
三名様来店。
香港より二名様来店。
二名様来店。

ドンチャン。
記憶あり。
サルよりマシ。