ねずさんこと小名木善行氏についての疑問点

ねずさんこと小名木善行氏についての疑問点
3月6日金曜日晴れ✖️
有名ブロガーのねずさんこと小名木善行氏についての疑問点を、自分なりに過去に書いた日記をまとめなおしてみました。
長文になりますが、お読みいただければ幸いです。
私の書いた文章で間違った箇所の指摘、反論などもどうぞ宜しくお願い致します。

青葉慈蔵尊 堀喜美子(喜身子)の疑問点および小名木善行氏について
有名なブロガーであるねずさんこと小名木善行氏 「満州従軍看護婦実話」として「以下は、すべて実話です。」として肯定的に取り上げています。
満州従軍看護婦実話(1)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1184.html
満州従軍看護婦実話(2)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1185.html
満州従軍看護婦実話(3)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1186.html

そして、小名木氏は青葉地蔵尊の矛盾について、は御自分のブログで下記のように書いています。
<青葉慈蔵尊の物語でいえば、命を捨ててまで仲間たちを守ろうとした大島看護婦の勇気、操を命より大切なものとして集団自決の道を選んだ22名の乙女たちの心、半分死んだようになっていた拉致被害者の乙女たちを必死で救おうとした掘婦長の誠実さ、「日本に帰れる」そのことが本当に嬉しかったからこそ、現地で死を選ばざるを得なかった彼女たちの愛国の情、帰国後、何年かかかっても、彼女たちの冥福のために人生を捧げた掘元婦長の優しさ、その行動を意気に感じて名を捨ててまで「自分でできることで」全力で支援しようとした浪曲師、事態を知ってお地蔵さんを建立してくれた青葉園の創立者の心、私たちがこの物語を通じて「学ぶ」ことはたくさんある。
歴史を学ぶというのは、そういうことなのではないかと思うのです。
検証作業は、学者や、そういうことが好きな人に任せればよい。
私たちにとって必要なことは、どこぞのサイトに否定の文書が掲載されていたという「理屈」ではなく、この物語を通じて何かを得ることなのではないかと思うのです。
ですから、この物語を否定する人がいるというのなら、それはそれで良い。
その人には、そういう捉え方しかできなかったのだな、とボクは思うだけです。
もっと、はるかに大切なことを、その人は感じ取ることができなかった、かわいそうな人だとボクは思うだけです。
略)
「仮に」と申し上げました。青葉慈蔵尊にまつわる乙女たちの物語が、単に浪曲のための創作であったとしても、その物語は、終戦直後の国家を喪失したとき、すなわち「ゼロ時」の出来事として、国を考えるときの重要なメッセージが含まれている物語として、伝えていかなければいけない話である、と思うのです。
従軍慰安婦のような、単に欲ボケの利権屋のねつ造物語と、国を大切にすることの重要性や、その他多くのことを教えてくれる物語と、一緒にされては困る。
それこそ、勉強不足というものです。
三つ目に、真実かどうか疑わしいから「広めるのはどうかと思う」という議論です。
ま逆です。
この物語は、広めなければならない。
ボクはそう思っています。
この物語の論拠となっているのは、掘元婦長の話だけです。
伝えられている事件が、あまりにも悲惨で酷い物語であるだけに、これを否定する論が出てくるのは当然のことと思いますし、そうした論調があることも十分承知しています。
それでも伝えなければいけない。
物語として、ボクはこのお話をご紹介しています。
いまとは比較にならないくらい貞操観念の強かった時代です。
大陸で強姦されたの性的おもちゃにされたの、梅毒に罹患したの、自殺したのとなれば、彼女たちだけなく、そのご家族の苦しみは想像を絶する。
もし、ご自分の愛娘が、この当事者であったのなら、ご遺族としてはどうするでしょう。
真岡郵便局事件のように、関係者全員が、ソ連兵に強姦される前に自決した、というのなら、合同法要もありかもしれない。
けれど、仲間のうちの何人かが、ソ連兵に拉致され、性的おもちゃにされた揚句、梅毒に罹患し、死んだとなれば、そのことについて住所、氏名を公表し、ご自分がご遺族として世間の前に晒されるという選択を、果たして望まれるでしょうか。
もちろん中には、靖国合祀となれば、氏名住所本籍の公表を受け入れようというご遺族もおいでになるかもしません。
けれど、ご遺族の何人かが「それは困る」と申し出れば、おそらく事態の悲惨さから、事件そのものについて、合祀さえもお断りする。
もし、ボクが彼女たちの誰かの親なら、拒否します。
なぜなら娘の恥を、世間に晒してなどしてほしくないからです。
靖国合祀などされなくても、関係者や「わかってくださる人」が、お地蔵さんを建ててくださったのなら、それだけで十分です。
毎年欠かさず、そこにお参りする。
鶴を持っていく。綺麗な花を手向けてくる。冥福を祈る。次に生まれてくるときには、絶対に絶対に幸多かれと祈る。
それが普通の日本人の感覚なのではないかと、ボクは思います。
それを、逆手にとって、靖国合祀されなかった、住所氏名本籍の公開がなかった、だから事実ではない、と声高に主張する人の方の心が、ボクには、逆に理解できません。
それが論理的帰結というのなら、その論は、あまりに人間を知らなすぎる。人の心を知らなすぎる。日本人としての心を失っている。そのようにボクは思います。
論理というのは、単にどこぞにこう書いてあるとか、どこかの学者がこう言っているというのが論理ではありません。
事実の積み上げが論理です。
そして青葉慈蔵尊の物語でいえば、その物語が事実であったかなかったかということよりも、もっと大切なメッセージがそこに込められている。
その「メッセージがこめられている」という事実を除外しては、それは論理にはならないとボクは思う。
百歩譲って、そのブログのように、この悲劇が単に浪曲の創作話にすぎなかったとしても(ボクはそうは思っていませんが)、この青葉慈蔵尊に関する物語は、語り継ぐべき内容と持った物語であるとボクは思います。
なぜなら、ゼロ時、すなわち国家というものがなくなったとき、私たちの同朋がどのような目に遭わされてしまうのか。
けっして能天気なお花畑ではすまない現実がそこにあるからです。
唯物史観などというもっともらしい言葉がついているようですが、証拠というものは客観的なものです。
けれどそれをつなぎ合わせて、どういう事実をそこに見出すかは「解釈」の問題であり、その「解釈」には、解釈する人の知識や人生観や主観がはいります。
だから対立や論争が起こる。
ボクは学者ではありませんし、歴史家でもありません。
そこいらにいるただのオヤジです。
そしてこのブログも、ねずきちの「ひとりごと」です。
そこに書かれた「物語」が史実であるかどうかなどということは、ボクにとっては問題ではない。
略)>
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1232.html

<真岡郵便局事件のように、関係者全員が、ソ連兵に強姦される前に自決した、というのなら、合同法要もありかもしれない。>という。
確かに、多くの先人がソ連により醜いめに遭ったのは事実である。このような事もあったであろうことは想像できる。しかし、その中の「事実でなかったこと」を「事実として」後世に伝える事とは決して我が国のためにならないと思う。
ましてや、この青葉慈蔵尊が「大東亜戦争においてソ連に蹂躙された従軍看護婦の慰霊碑」ではなく、「大東亜戦争終了後昭和二十一年六月二十一日に自らの命を絶った二十二人の従軍看護婦の碑」として建てられているのである。
二十二人、いや、記されている三十二人の非業の死を遂げられたとされる方の実在さへ確認出来ず、十九人の遺骨を返還したという御遺族さへ確認出来ていない。このような状態確認出来ない三十二人の犠牲者の氏名を事実として伝えていく事の方が問題であろう。

それだけでなく小名木氏は<そこに書かれた「物語」が史実であるかどうかなどということは、ボクにとっては問題ではない。>とこのように書くが、果たしてそうであろうか。
多くの悲劇があったのは事実であろうが、事実と確認出来ない事を事実として伝えていいものだろうか。
私は決してそうは思わない。
事実は事実として伝えていく必要があり、事実でないものを事実として伝えれば、支那や朝鮮と同じになる。
何度も書くが、この青葉慈蔵尊が「大東亜戦争においてソ連に蹂躙された従軍看護婦の慰霊碑」ではなく、「大東亜戦争終了後昭和二十一年六月二十一日に自らの命を絶った二十二人の従軍看護婦の碑」として建てられているのであるから記されている従軍看護婦の存在が問われているのである。しかし、慰霊碑では二十二人自決したなかで名前が特定されているのは井上鶴美さんおひとり。あとはソ連軍に蹂躙された九名のうち五名のみ。三十二人の中でこの六名しか氏名さへ特定出来ないのである。つまり、十九人のうち十八人が名前を特定出来ないのである。
青葉慈蔵尊に祀られている従軍看護婦の皆様が靖國神社に祀られていない事についてはいろいろと批判されている方も多いです。
先に書いたように、この青葉慈蔵尊が「大東亜戦争においてソ連に蹂躙された従軍看護婦の慰霊碑」ではなく、「大東亜戦争終了後昭和二十一年六月二十一日に自らの命を絶った二十二人の従軍看護婦の碑」として建てられている。
昭和二十一年六月二十一日に自ら二十二人の従軍看護婦が命を絶ったその為に毎年六月二十一日に慰霊祭が執り行われているのである。
それが、二十二人の氏名も確認出来ないで事実とされている事が問題だと思う。
靖國神社に祀られていないのもその為である。

つくる会山形支部青葉地慈尊由来記にて中村武彦氏は下記のように書いている。
<最後に特記しておく。 この日本魂の権化と仰ぐべき女性たちは日本赤十字より派遣されて「満州赤十字」に所属していたというだけの理由を以て「日本」の従軍看護婦として扱われず、靖国神社にも祀られず、国から何の援助も弔意も受けていない。それでよいのか。法律とはそんなものか。彼女たちの祖国はそんな国であったのか。耐え難い悲しみと憤りをもって国民同胞各位にご報告申し上げる。>

同じく
< 六月二十一日、青葉慈蔵専の前で、自決した従軍看護婦さんたちの五十一回命日の慰霊祭が営まれた。多くの心探き男女が参列して、あらためて遺烈を賛仰し後に続くことを誓ったが、その場で、松岡喜美子さんが挨拶に立ち、厚生省や総理府に陳情しても官僚的な対応を受けただけだった経過を報告し、せめて大臣・局長でなくてもよい、当局の誰かから、「看護婦諸君よくやってくれた、有難う」とか「相済まぬ」という一片の暖かい言葉を霊前に供えてやっていただけませんかと嘆願したが、それでも聞き入れてて貰えなかったと、涙ながらに訴えておられた。  なんという政府の冷淡と不条理。あきらめてはっておけることではないと痛感した。
平成九年六月十日付け「新日本」第949号より転記 >

このように書くが、従軍看護婦殉職者として靖國神社に祀られる「はず」であったが、それを拒んだのはほかならぬ堀喜美子氏自身である。
これについては「日心Oを糺す会」と題したブログに他よりの引用として下記のような事が記されています。

<「日本の正しい歴史を学ぶ会」の会長、渡井昇が纏め、1998年6月21日の供養祭で参加者に配布したらしい『青葉慈蔵尊』と題された小冊子を得て、もう少し詳しいことが分った。興味深い内容を含んでいるが、自殺した看護婦の遺族ということでは、渡井昇らが既に調査をし、そして結局何も分らなかったということが書かれてあった。そのあらましはこうである。
渡井昇らは、集団自殺した看護婦たちは靖国神社に祀られるべきだと考えた。1997年の供養祭の主催者挨拶の後でその事を話し、参列者の同意を得た。その中に冨士信夫がいた。その日から十日程経った頃、冨士信夫から「先日の青葉慈蔵尊の靖国神社合祀のことだけれどね」と電話があった。その内容は、次のようなものだった。靖国神社で行なわれたある会合に官民の著名な方々が集まっていたが、そこで冨士信夫が青葉慈蔵尊のいわれと、その霊を靖国神社に合祀して頂くことはできないかということを現地関係者の希望として話をした。小田村四郎や中曽根康弘が出席していたが、「それは尤もな話である。この席に権宮司の三井さんもいらっしゃるのだから、後日その関係者が神社に三井さんを訪ねて話を薦めてもらってはどうか。」ということだった。それで、早急に資料を持参して靖国神社の三井権宮司を訪ねてお願いしてくれないかという。
渡井昇らは、靖国神社に訪問の日時を申し入れ、松岡喜身子に事情を知らせたが、その時の松岡夫妻の反応は意外にあっさりしていた。渡井昇と森哲也〔「日本の正しい歴史を学ぶ会」事務局長〕は指定の日時に靖国神社に権宮司の三井勝生を訪問した。三井勝生は快く面談に応じ、途中からは当時企画室長だった大東信祐も同席した。靖国神社としての合祀に関する見解は、戦争に関わったことの証明は省略として、「そのご本人の住所、氏名が国籍上確認できる者であること」が前提の条件という。
ところが、青葉慈蔵尊に祀られている看護婦の場合、住所氏名は全く確保されていなかった。松岡寛が浪曲の全国行脚で判明した十九人の身元も、その遺族の家庭の氏名を書いて、徳山市の堀家の菩提寺の住職に、預けている遺骨の中からその一部を送ってほしいと、そのつど連絡をしたもので、その控えも取っていなかった。
「それはその時の控えぐらいはあった筈」と言って責められても仕方はありません。でも、実際のところは「ああこれで、あの子も実家が解って良かったわね。早く帰ってご先祖のお墓に入れてもらって楽になってね。と安堵するのが精一杯で、後々のために記録を取っておくことなど、私たちには考えつきませんでした。」というのが、堀喜身子の「開き直った告白」である。
こういう次第で、渡井昇らは靖国神社への合祀を諦めた。  堀喜身子は、意外にこの件に付いてはサバサバとした表情で、それは、過去、何度となく、この話を伝え聞いた方々が、政治家を始めとするツテを頼りに、厚生省その他の関係団体へ陳情をしたが、その結果が靖国神社合祀の条件のカベ(そのご本人の住所、氏名が国籍上確認できる者であること)を崩せなかった、と述べた。
そして現在、松岡喜身子さんは次のように語るのでした。「今はこうして、毎年大勢の皆様方が青葉園まで来て頂いて、立派に供養祭をして下さいます。事件の概要を伝える石碑も建てて頂きました。私はもうこれ以上は望みません。満州の地で亡くなったあの娘たちの霊も、きっと喜んでくれていると私は信じています。」と言って涙ぐむのでした。・・・>
http://blog.livedoor.jp/t6699/archives/1263063.html

お亡くなりになった方の氏名がいいかげんでどうやって遺族を探すのでしょうか。
また、これほど有名になったのちも、靖國神社にはひとりも祀られていないのは、事実として必要な氏名が不明、ご遺族の方は一人も名乗り出ていないためであり、すべて堀氏自身が望まなかったというか、氏名すら堀氏が明らかにできなかったためです。

中川八洋氏は著書「歴史を偽造する韓国」に職業詐欺師である吉田清治と千田夏光について数字を駆使していることを指摘し、「日本人は嘘数字に弱い」と書いていますが、これと同じように堀氏自身従軍看護婦の「実名」を書きながら、その御遺骨を渡された御遺族は最低十九家族いるはずなのに、誰も名乗り出ていません。どなたか、慰霊祭に出られたのでしょうか。
少なくともこの二十二人は自らの純潔を守る為に、自ら命を絶った悲劇の方々のはずです。名乗り出ない理由などないはずです。慰霊祭に出席しない理由など無いはずです。靖國神社に祀られる事を拒む理由など無いはずです。

だいたい、「満州従軍看護婦実話」として「以下は、すべて実話です。」としていながら「物語として、ボクはこのお話をご紹介しています。」とはどういうことなのでしょう。
私程度の頭では理解出来ません。
青葉慈蔵尊について小名木氏は「実話です」として<本稿は、日本航空教育財団の人間教育誌「サーマル」平成18年4月号に掲載された「祖国遙か」をもとに書かせていただきました。>と書いている。
これはそのままコピペしてるということなのだろうか。

たとえば、
<調査の結果、掘喜身子さん以下虎林の野戦病院から来た看護婦34名は、長春第八病院に勤務せよとの命令を受けます。>
となっている。そして、九名がソ連軍の病院に行ったので、残りは二十五名のはずであるが、
<残る看護婦は、婦長の堀喜美子の他、22名です。>
となっている。小名木氏は数字が合わないことを矛盾と考えなかったのであろうか。

小名木氏のブログに下記のような記述がある。
<大島花枝、やはりしっかり者の細川たか子、大塚てる、の3名の看護婦を選びます。
略)
日本側は、荒川静子、三戸はるみ、沢田八重の3名を、第二回の後続としてソ連陸軍病院第二赤軍救護所に送った。
略)
やむなく、井出きみ子、澤本かなえ、後藤よし子の3名を送り出します。>
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1184.html

そして、下記のような記述もあります。
<地蔵尊の墓碑には、亡くなられた看護婦たちと婦長の名前が刻まれています。
(五十音順)
荒川さつき 池本公代 石川貞子 井出きみ子 稲川よしみ 井上つるみ 大島花枝 大塚てる 柿沼昌子 川端しづ 五戸久 坂口千代子 相良みさえ 滝口一子 澤田一子 澤本かなえ 三戸はるみ 柴田ちよ 杉まり子 杉永はる 田村馨 垂水よし子 中村三好 服部きよ 林千代 林律子 古内喜美子 細川たか子 森本千代 山崎とき子 吉川芳子 渡辺静子
看護婦長 堀喜身子>
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1186.html

先に書きましたが、これはどういうことでしょう。
ソ連軍に慰み者にされたとされる九名のうち細井たか子、澤田八重子、荒川静子、後藤よし子の四名は小名木氏が引用している慰霊碑に刻まれたとされる中には見当たらない。
小名木氏は不思議に思わないのだろうか。

私が現地に行って確認した慰霊碑に刻まれている氏名は、
<荒川さつき 井出きみ子 大島花枝 川端しづ 相楽みさえ 澤本かなえ 杉まり子 垂水よし子 林千代 細川たか子 吉川芳子
池本公代 稲川よしみ 大塚てる 五戸久 澤口一子 三戸はるみ 杉永はる 中村三好 林律子 森本千代 渡部静子
石川貞子 井上つるみ 柿沼昌子 坂口千恵子 沢田八重 柴田ちよ 田村馨 服部律子 古内喜美子 山崎とき子>
の三十二名であり、「生存」している婦長の堀喜身子氏の氏名は当然「慰霊碑」には刻まれておりません。
そして、小名木氏の引用した氏名のうち
<坂口千代子 滝口一子 澤田一子 服部きよ >
が、私の確認した碑に刻まれたそれらしき氏名は
<坂口千恵子 澤口一子 沢田八重 服部律子>
であろうかと思います。

小名木氏は後日、青葉慈蔵尊に参った事をブログに書かれていますが、小名木氏にとって青葉慈蔵尊に参ったという事実が大切で、その時もおそらく、ご自身ではこういった事は確認はされてないのでしょう。
それはこの青葉慈蔵尊についてのブログ内容がたんなるコピペであることではないかと思います。
小名木氏は多くの話題でブログを書いていらっしゃるが、その引用先、参考文献が記してないあるいは不明なものが多い。
私も書かせていただいた台湾新竹省に神として祀られている廣枝音右衛門(広枝音右衛門)についてもそうです。
私が書いているブログ。
廣枝音右衛門(広枝音右衛門)
http://www.tamanegiya.com/ura/2015/01/30/廣枝音右衛門(広枝音右衛門)-2/
小名木氏のもの
部下たち二千人の命を守った警部・・・廣枝音右衛門
http://megalodon.jp/…/nezu621.blog7.fc2…/blog-entry-747.html
小名木氏のブログは引用先も参考文献も無く、文章の流れも私の書いたものと同じで、掲載された顕彰碑の写真も不思議と同じ場所で撮ってフラッシュの光のまで同じ箇所です。

不思議な事があるものです。
あほらし

バンブーさん来店。
Yさん来店。
一名様来店。
一名様来店。
Sさん来店。
二名様来店。
二名様来店。
一名様来店。

ドンチャン。
記憶なし。
サル以下