情報軽視3(日露戦争諜報戦)

情報軽視3(諜報戦)
1月15日木曜日雨○
 佐藤晃氏の著書より
 <シベリヤという輸送隘路を持つ露西亜軍に対する我が陸軍の後方破壊戦はいかなるものであったか?
 それは海軍の無能に比べれば、ほとんど理想的に近い。
 略)
 特別任務班の活躍
 交戦法規(戦時国際法)によれば、捕虜の取扱等の適用を受ける資格のあるものは、正規の服装をした軍人に限られる。だが、遊撃戦やゲリラ戦が賞用されるようになり、便衣兵と称する私服を着たゲリラ兵が増え、交戦法規接触部分が多発することになる。
 この特別任務班も、便衣を着た後方工作部隊である。田村怡与造参謀次長はこの作戦を許可しなかったが、児玉次長就任にあたり、その編成がスタートする。
 
 隊長 青木宜純大佐(士官生徒三・後中将)
  指揮班 隊長以下四名
  第一班 伊藤柳太郎大尉以下十二名
  第二班 津久居平吉大尉以下五名
  第三班 井戸川辰三大尉以下九名
  第四班 樋口勇馬少佐以下十五名
  第五班 米津佐太郎曹長以下五名
  後日参加 宮内英熊中尉以下六名
  情報班 土井市之助大尉以下四名
  情報班 江木精夫中佐以下六名
  
 これに、特別顧問として北京公使・内田康哉、川島浪速、島川毅三郎、宮川鹿之助が加わった。川島浪速の養女・川島芳子(一九〇七〜一九四八)は、清国の粛親王(清王朝第十代王位継承者)から養育を託された娘であり、有名な男装の麗人であった。隊長の青木宜純は清国情報の第一人者、日清戦争後は袁世凱の顧問。樋口勇馬率いる第四班は、馬賊数百人を率いる強襲班。情報班長・江木精夫、後日参加者の宮内英熊、小松秀夫は、戦前シベリアに潜入したスパイであった。
 この特別任務班は、開戦直後の二月十一日、いっせいに行動を開始し、東清鉄道や通信線を破壊切断して回った。第一班の横川省三、沖禎介が捕らえられたのはチチハル南方で、四月二十一日、ハルピン郊外で銃殺刑に処せられた。この二人の志士の処刑前後の状況が、写真数枚とともに日本側の手にも入っている。その従容たる最後のさまは、世界的な感動をよんだとの事である。

略)
 特別任務班の活躍の跡を先史に探すことは難しいが、後方の鉄道・通信保護のために露西亜軍が割いた兵力は数万と言われている。これを考慮すれば、その効果は絶大であったと言えよう。なお、明石元二郎大佐のシベリア鉄道破壊工作は不幸にして不成功に終わったが、特別任務班がウラルまで行動範囲を延ばしたと誤解した露西亜は、その保護対策に任務を最多と言われている。
 特別任務班はじめ満蒙奥地に潜入した将兵達の基地に、カラチン王府があった。カラチンには王と王妃(清国粛親王の妹姫)が王家の教育顧問として設立された蒙古女子学校があり、その教師に川原操子がいた。王夫妻から信頼を受けて王宮の奥に住まう川原女史が、この地に在住する事二年間、カラチン王府はここを通過する日本軍兵士の大きな支えであったと言われている。>
「帝国海軍が日本を破滅させた 上」佐藤晃著 光文社ペーパーバックス 平成十八年刊p一二五〜一二七

 横川省三については下記方のページが詳しい。
<岩手旧南部盛岡藩士、武人の誉れ …敵軍ロシア兵もが称えた横川省三の品格>

http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-401.html

 続く

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 皆様初めてのお客様という珍しい営業日。

 私は今日は酒は飲まず。