イージス艦と漁船の海難事故について

イージス艦と漁船の海難事故について
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。


海難事故に思う
平成20年2月19日火曜日晴れ △
 今日の午前四時ごろだそうだが、イージス艦と漁船との海難事故があったことが報道されている。小さなFRP製漁船は沈没。乗り組んでいたお二人は行方不明だそうです。お二人の御無事をお祈りする。
 今回の事故についての詳しい事はわからないが、このような事故の時に思うのは、事故の原因だけでなく、起こってしまった後のことです。
 漁船の乗組員お二人はライフジャケットを着けていたのであろうか。乗組員がライフジャケットを着けていれば、着けていない時に比べて、助かる可能性が間違いなく高くなります。よく、ライフジャケットなど着けて仕事などできるかという人がいるが、そんな事はない。ライフジャケットを着用したままでも仕事はできる。一番ライフジャケットの着用率が低いといわれているのが、漁業従事者です。漁師さんは、広い海で、小さな船に命を預けているのです。その広い海では、人間など船よりもっともっと小さいのです。その小さな、小さな人間が広い海に投げ出される・・・・・
 ライフジャケットを正しく着用していれば、もし、頭部打撲などにより意識を無くしてしまったまま海に投げ出された時にも、最低限沈むという事は絶対にありません。それだけでも助かる確率が高くなります。オートバイなどのヘルメットなどと同じで、事故の時に少しでも助かる確率を高めることが大切だと思います。
 随分昔の事ですが、琵琶湖で関西のある大学のヨット部が試合前日の練習中に、主将艇が沈(転覆)し、クルーとも行方不明になった。翌日の試合は中止され、出場予定の全大学のヨット、監視艇、救助艇が総出で二日間探したが、その時は見つからなかった。二人ともライフジャケットを着けていなかった。毎日のように練習している勝手知ったる水面いう安心感もあったのだろう。しかし、事故は起こった。沈すればマストが刺さる程の深さしかないところもある琵琶湖でさえ、そうなのです。それが広い海、ましてや真っ暗な時間帯でしたら、発見に余計、困難が伴います。
 私がヨットに乗っていた三〇年以上前と違い、防寒着と一体型など、今は、いろいろなタイプのライフジャケットが発売されています。
 船は壊れて、沈没してもまた造ればいいのですが、命は代わりがありません。万が一の時の生存率を少しでも高めるためにも、ライフジャケットの着用をと願う。

平成20年2月24日土曜日晴れ春一番が吹く △ 
 今回のイージス艦と漁船との海難事故では、自衛艦側にもミスはあった事は間違いありませんし、攻められるべき問題です。漁船の接近を許し、接触までしたのですから、軍艦として失格です。テロだと沈められている可能性もあります。
 西村眞悟議員は、御自身のメルマガ<西村眞悟の時事通信(平成二〇年二月二二日号>で下記のように書いていらっしゃいます。
以下引用
 はっきり言って、議論が矮小化されてきている。首相も防衛大臣も、自分への「事故の報告が遅れた」といっている。
 では、午前4時5分、即刻、官邸で寝ている福田さんや自宅で寝ている石破氏をたたき起こして報告すればよかったのか。
そうではないだろう。この二人をたたき起こして何ができたのか。現場海域に変化はない。
 問題は、このような事態に対処できる体制があったのか。その体制に基づいて対処されていたのかということである。
 つまり、海上自衛隊にいざというときの「ROE」(ルール・オブ・エンゲイジメント)、交戦規定とも訳されるルールがあったのかということではないのか。 
 つまり、イージス艦という世界最新鋭の軍艦を運用する体制を我が国は保有しているのかが問われねばならない。
 突き詰めれば、我が国は「海軍」そして「軍隊」を運用する体制を保持しているのかということである。しかも、この体制を創設する責務は、政治つまり総理や防衛大臣が担っているのだ。
 よって、はっきり言って、軍隊を運用する体制を整えることなくイージス艦を運用していながら、事故が起これば、報告が遅れたと部下を非難しても始まらないではないか。
 午前4時過ぎに、この「おっさん方」が叩き起こされれば、漁民が助かったとでも言うのか。事故直後から起きていましたという言い訳ができたということくらいであろう。
 
 何故、こういう思いを持ったのかと言えば、この二人は、自衛隊は軍隊かと尋ねられれば、「軍隊ではありません」と答える閣僚だからである。石破氏には、かつて安全保障委員会で確認済みである。
 正真正銘軍隊でしか運用できない船を運用する組織の長でありながら、「軍隊だ」と答えることは回避する。しかし、事故が起これば報告が遅いと組織をなじる。まるで、平安朝の公家が、武士に守られながら昇殿は許さず、細かい落ち度だけはなじっているようではないか。
 では、あらゆる不祥事を即座に報告されたら、福田、石破両氏はどうなる。寝られなくなるだろう。アメリカ大統領が夜に寝られるのは、対処する体制があるからである。我が国も同様でなければならない。

 かつて、高校生の演習船「えひめ丸」がハワイ沖でアメリカの原子力潜水艦に沈められた。その時、当時の森総理はゴルフをしていた。そして、国会の委員会での質問は、いつゴルフを辞めて首相官邸に入ったのかということに集中していた。
 私が質問にたったとき、「総理が何時官邸に入ったかなどは、痰小化された議論である。問題は、この事態に対処する体制があったのかということである。」と官房長官に言った。その時の官房長官は今の福田総理であり、ホッとしたように肯いていた。私は、我が国に体制があれば、総理はそれから9番でも18番でもゴルフを続けてよいと思っていた。

 さらに、もう一つの観点を述べたい。
 イージス艦に漁船が衝突した。イージス艦が漁船を回避できなかったからだ。その結果、漁民の行方がわからなくなった。けしからん。これだけで済ませて良いのであろうか。
 
 この船が、実は漁船ではなく爆薬を満載した漁船に偽装した工作船だったらどうなったのか。
 我が国のイージス艦は、偽装漁船一隻によって撃沈されるということではないのか。
 最高指揮官たるもの、部下を叱るなら、こういう観点からも叱責して欲しいものだ。
 「お前たちは、7トン半の漁船に撃沈されかねないような気の弛んだ状態で国家にとって貴重なイージス艦を操船していたのか」と。
 とは言っても、この場合においても、軍隊であることを否定して、イージス艦を運用させている政治の総責任者には、部下を叱責する資格はないだろう。イージス艦の弛みというより戦後国家の弛み、戦後政治の弛みだ。

 かつて、アメリカの空母が、ペルシャ湾で自艦の上空を通過しようとする民間の旅客機を撃墜したことがあった。これに対して、アメリカを非難する国はなかった。空母の上を無断で通過しようとする航空機の方に落ち度があると国際社会が観たからである。ソビエトも、自国領空に無断で侵入しようとする航空機を無警告で撃墜することを常とした。その航空機に核が搭載されているかも知れないからである。
 つまり、このアメリカもソビエトも、最悪の事態を想定してそれを防ぐための措置り藉躇うことなく実行したのである。
 ここに、国家国民を守る国防を担う組織の厳しさ非情さがある。
 この度のイージス艦も、自艦の損失は即我が国防衛体制の破綻であると認識し、自艦へのあらゆるものの接近に神経を研ぎ澄まし、接触など断じてありえないという体制で東京湾に向かっていたら、二人の漁師の親子は今頃家で夕餉を食べられたであろうに。
 夫と息子の二人が冷たい海から未だ帰らないご家族の心中を思えば言葉がない。
引用終わり

 まさに正論だと思います。当たり前のことですが、自衛隊は軍隊であり、自衛艦、イージス艦は軍艦であるということです。国家、国民すべてにそういう意識があれば、今回の事故も起こらずにすんだことでしょうし、漁船に乗っていらしたお二人も無事だったでしょう。

 ただ、それと今回の事故においてどちらが正しかった、悪かったというのとは別問題です。そして、小さなことかも知れませんが、私が今回のマスコミの報道で思う事は、漁船が最低限、自分の身を護るために必要な事を怠っていたという事に触れていないことです。
 私は学生時代は、年間半分以上は合宿所生活で、ろくに大学にも行かずにず~と海に出ていました。いろいろな事がありました。海に出てしまうと、人間の力など微々たるものです。いろいろなアクシデントが発生します。海は急にその姿を変えます。何度も強風で乗っていた艇が沈したことがあります。強風下の落水もあります。救助艇ですら沈の可能性があります。他校ではそういった例もありました。そういった時に、最低限、自分の身を守る為に、そして、部員の安全のために、注意をはらいます。艇、備品、天候、そして、ライフジャケットもそのひとつです。海に出る時は、全員がライフジャケットを着ける事を徹底されてきました。まあ、海の恐ろしさ、怖さ、人間のちっぽけさなどすぐにわかりますから、全員が誰からもいわれなくとも普通に着用するようになりますが、それがわかるまでに事故の可能性もありますから、海に出る初日から徹底されます。
 いまでも、OB会に行きますと、OBはごく自然にその事を連れてきた家族に言い聞かせて、ライフジャケットを着用させています。それは少しでも、事故の可能性を低くし、愛する家族を護るため当たり前の事です。

 先の日記にも書きましたが、今回のイージス艦と漁船との海難事故の時点で、漁船の乗組員お二人はライフジャケットを着けていたのかどうか。私はおそらく着けていなかったと思いました。着けていましたら、べた凪状態で、行方不明にはなりません。
 そして、先日の産経新聞に、「これから、救命胴衣の着用を徹底したい」という漁業関係者の言葉と共に、「息子さんが泳げないと聞いているから心配だ」とあの漁船の息子さんは泳げなかったという別の関係者の証言も掲載されていました。
 これが事実だとすると、「泳げない」そんな人がいくらベタ凪だからといって、仕事で海に出るのにライフジャケットを着用していなかったとしたら、普通では信じられない事、考えられない事です。
 それを、船長である父親が自ら着用しないばかりか、泳げない息子に着用させていなかった、着用させられなかったとしたら、今回の事故がなくても、いずれ、不幸に巻き込まれる可能性は高かったと私は思います。船長として、親として、事故の可能性を低くするための最低限しなければいけない事の一つを怠っていた可能性が高いのですから。
 このような書き方をすると、非難も多いとは思いますが、あえて、書きたいと思います。
 もし、自らがライフジャケットを着用もしない、乗組員に着用もさせられない、そのような方が船長を務めている船の操船が、いままで、安全を意識した操船を行ってきたとは、私には到底思うことができません。
 私は、別の形でもいずれ事故は起こる可能性が高かったと思います。

今さらですが
5月9日土曜日晴れのち小雨 △
 資料として部屋に切り取ってあった新聞の記事を整理している時に、東京湾でのイージス艦と漁船の衝突事故についてあらためて思ったことがありました。
 「早く見つけて」という見出しで、事故海域で父子家族らが事故から四日過ぎて、行方不明の海域を訪れて、日本酒や花束を海に投げ込んでいます。(二月二四日産経新聞)
 その同じ日の紙面に海洋研究開発機構の調査船「かいよう」を投入した捜索が二三日午前に始まったが、波の状況が悪く、同日午前一〇時過ぎに捜索を中止しています。
 そして、三月四日に海洋研究開発機構が、調査船「なつしま」が、漁船の無線機、方位探知機、操舵室の一部などを発見したというニュースとともに、「海底の船には、二人の魂が宿っているから」と家族が船を引き上げないで海上保安庁に要望したというニュースが出ていました。(三月五日産経新聞)
 その記事には<同じ船乗り同士。海保幹部は感銘を受けた。しかし、清徳丸の船体は、イージス艦乗組員の刑事責任を追及するための重要な証拠品。「原因究明のために必要なものだけにしますから」。そう説明して了承をもらったが、今後の引揚げには困難も伴う。>と書いていましたが、この証拠とはイージス艦乗組員の刑事責任だけではなく、漁船側にとっても証拠となりうるわけではないでしょうか。
 どういうわけか、いっしょに出漁していた僚船の無線に応答しなかったと言われています。小型船が大型船より小回りがきき、操船が容易なのは常識です。今回の漁船のような小型船が網を投げ入れてるなどの操業中でもなければ、大型船を避けるのはたやすい。七七五〇トンのイージス艦と七トンの漁船。ましてや、灯火高速船でレーダーを装備した漁船がどうして回避できなかったのでしょう。
 つまり、回避優先順位によるイージス艦の回避行動だけでは無く、操船が容易な高速漁船がどうして回避できなかったかという理由も問われてしかるべきではないでしょうか。居眠りをしていた可能性もあるわけですから。何度も書きますが、自分だけではなく泳げない自分の息子にライフジャケットも着用させずに乗組員として使っていたような船長失格といわれても仕方ない人間が操船していた漁船です。

 事故の背景が明らかになるまえに、このように「イージス艦乗組員の刑事責任を追及するための・・・・」というような書き方はマスコミは、他の事件においてはするのでしょうか。マスコミはもう少し理性的に報道すべきではないでしょうか。確かに、イージス艦の乗組員による過失もあるでしょう。艦長の責任もあるでしょう。しかし、どのような事故であっても、事故は自衛隊、自衛艦が全て悪いと扱う「なだしお」の時と何も変わっていないマスコミの報道の仕方は違うのではないでしょうか。
 少なくとも、自衛隊といっているものが、他国では軍隊といわれ、扱われているものであり、自衛艦といわれるものが、他国では軍艦として扱われているという認識がわが国国民にあればこのような事故は起こり得ない。大臣自ら「自衛艦は軍艦でない」と発言し、それがまかり通り、他国では常識の事が常識でないというそれだけでもわが国憲法の異常さがよくわかる。
 そんな異常な憲法を後生大事に守っている・・・・・


自衛隊とは
平成23年1月25日火曜日晴れ △
 昨日、自衛隊の事故についての報道がありました。
<イージス艦衝突 自衛官2人に禁錮2年求刑 横浜地裁
毎日新聞 2011年1月24日(月)12時29分配信
 海上自衛隊イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故で漁船の2人を死亡させたとして、業務上過失致死罪などに問われた自衛官2人=起訴休職中=の横浜地裁(秋山敬裁判長)公判で、検察側は24日、衝突時の当直士官・長岩友久被告(37)と、直前の当直士官・後潟(うしろがた)桂太郎被告(38)に、いずれも禁錮2年を求刑した。

 検察側は論告で「長岩被告は左転などで衝突を回避をする注意義務を怠った。直進した責任は明確」と批判、後潟被告の過失については「誤った引き継ぎで長岩被告の回避措置を遅らせ、衝突の危険を生じさせた」と主張。「(両被告の)過信こそが最大の原因」と指摘した。

 一方、弁護側はこれまでの公判で「清徳丸の急な右転が事故原因。あたご側に過失はない」と反論し、無罪を主張。31日に弁護側の最終弁論で結審し、判決は3月の見通し。

 起訴状によると、後潟被告は08年2月19日午前2時~同3時55分ごろ、交代した長岩被告は事故発生時の同4時7分ごろまで、当直士官として操艦。後潟被告は接近中の漁船に気付かず「停止操業中」と誤った引き継ぎをし、長岩被告は誤りに気付いた後も漫然と航行を続けた。両被告の過失が競合し、清徳丸に衝突して沈没させ、船長の吉清(きちせい)治夫さん(当時58歳)と長男哲大(てつひろ)さん(同23歳)を死亡させたとされる。【松倉佑輔、中島和哉】>

 これについては、もう何度かこの日記にも書いてきました。
 参照→イージス艦と漁船の海難事故について

 七七五〇トンの巨艦に七トン強のFRP漁船を避けろという方もアホだが、責められるべきは、漁船の接近を許しただけでなく、追突されるというへまをやらかした事である。
 つまり、漁船の接近を許すという事は、いつでも、偽装漁船によりこの巨艦を撃沈出来る事を示している。本来は軍艦に不用意に接近した船は撃沈されても仕方ないのである。
 それを許して来た我が国の戦後の歪さが責められるべきである。
 自衛隊は軍隊であり、軍人しか操船出来ない自衛艦、イージス艦は軍艦であるということです。我が国政府、国民すべてにそういう意識があれば、今回の事故も起こらずにすんだことでしょうし、漁船に乗っていらしたお二人も無事だったでしょう。

 そして、これも、何度も書いていますが、マスコミの報道で思う事は、この漁船が最低限、自分の身を護るために必要な事を怠っていたという事に、どこのマスコミ報道も触れていない。
 船長である父親自らがライフジャケットを着用もしないだけでなく、泳げない息子に着用させていなかった。自ら着用もせず、着用させられなかったような人間が操船していたのであるから、今回の事故がなくても、いずれ、不幸に巻き込まれる可能性は高かったでしょう。
 船長として、親として、事故の可能性を少しでも低くするための最低限しなければいけない事の一つを怠っていた可能性が高いのですから。

 

 早大棒術部のOB、二名様で来店。
 Sさん来店。
 Wさん御夫妻来店。

 明日、河岸が休みという事もあり、営業終了後、いつも遅くまでやっている近所のバーに伺うと、マスターが店じまいの準備。
 あれ~早いなと思いながら「また、今度」と挨拶し、表通りにでてタクシーを拾って、久しぶりに中野の「石松」さんへ。
 「石松」さんにおじゃますると、だ~れもいない。
 サッカーの影響でしょうが、移転して「石松」と店名を変えて五年だそうだが、こんな事、初めて。つうことで、記念に思わず一枚。

 
 後で、四名様が来店したが、いつもの「石松」さんに比べるとめちゃ少ない。何しろ、席がなくて、わたしなんぞ、カンターの中で何度も飲んでますから。というか、常連さんが誰も今日はいらしてなかった。
「石松」さんでは、今日はDVDで昭和五十八年制作の「居酒屋兆治」を流していた。
 主役の高倉健はともかくとして、伊丹十三、池部良、佐藤慶、大原麗子など懐かしい顔ぶれの話題で盛り上がる。

 今日も閉店時間まで御邪魔していた後、「石松」のマスターと帰ろうかと言う話になった時に、もう電車も動いていたが二人で電車に乗ると、また西船橋まで行っちまう可能性もあるからとタクシーで。
 今日は記憶あり。
 サルよりマシ。


今更ながらイージス艦事故について
平成23年1月31日月曜日晴れ ○
 今更ながらですが、
以下引用
<イージス艦衝突 2被告が検察側を批判 横浜地裁で結審
毎日新聞1月31日(月)21時14分配信
 海上自衛隊イージス艦「あたご」の衝突事故で、業務上過失致死罪などに問われ禁錮2年を求刑された自衛官2人(起訴休職中)の公判が31日、横浜地裁(秋山敬裁判長)で結審した。沈没した漁船「清徳丸」の航跡が最大の争点で、無罪主張の弁護側は公判で検察側に終始反論した。事故時に操艦していない被告の責任が問われた異例の裁判。5月11日の判決が注目される。

 最終意見陳述で、衝突時の当直士官・長岩友久被告(37)は「不正な捜査で作り上げた航跡で起訴された」と検察側を批判。直前の当直士官・後潟(うしろがた)桂太郎被告(38)も、検察側が論告で「両被告の過信が最大の原因」と指摘したのに対し「過信を改める(べきな)のは検察官」と声を強めた。

 ■漁船の航跡は?

 漁船のGPS(全地球測位システム)機器は水没してデータを復元できず、航跡を示す物的証拠はない。検察側は、後方の僚船から見て漁船が「左約7度、距離約3マイル(約5.5キロ)」にいた、などの僚船船長らの供述から航跡図を作成。漁船を右方向に見る位置関係だった、あたご側の回避義務を主張した。

 この航跡図の<7度、3マイル>を巡り、弁護側は「時刻によってはズレる」と追及。作成した海上保安官と検事は「誤差」と証言したが、論告は「平均値で問題ない」と軌道修正した。僚船船長らの描いた略図を海上保安官が廃棄したことも公判で発覚し、弁護側は反発。最終弁論では、元高等海難審判庁長官による航跡図を基に「あたご後方を通り過ぎる進路だった漁船が直近で右転・増速したのが原因」と主張した。

 ■引き継ぎミス? 

 後潟被告は事故時に操船しておらず、海難審判裁決(09年1月)も、後潟被告の行為と事故との因果関係を否定した。だが検察側は「接近中の漁船を見誤り、長岩被告が回避行動を取る時間は短くなった」と、引き継ぎミスの責任を強調した。

 88年の海自潜水艦「なだしお」事故の釣り船側補佐人で、公判を傍聴した田川俊一弁護士は、検察側航跡を合理的と認めつつも、後潟被告の過失に関しては「引き継ぎ時点では距離が離れていて漁船の状況を正確に把握するのは難しい」と否定的だ。

 ◇2被告が異例の「組織批判」

 両被告は閉廷後に地裁近くで初めて会見し、防衛省への不満をにじませた。休職中とはいえ現役自衛官の「組織批判」は異例だ。

 同省は事故後、検察側と同じく、あたご側の責任を認める内容の報告書をまとめ、両被告ら計38人を処分した。後潟被告は、当時の防衛相らが遺族に謝罪したことなどを巡り「口惜しかった。防衛省の混乱を見ていて、命を預け得る組織なのか今も多大な疑問がある」と指摘。ただ「許されるのなら判決後に(仏前で)手を合わせに行きたい」と話した。

 長岩被告は、捜査側に好都合な供述調書を取られた隊員もいたとして「取り調べの誘導に乗ってはいけないという教訓を伝えていく使命を感じている。復職できれば、真っ先に船(上の勤務)を希望する」と訴えた。【松倉佑輔】>
引用終わり

<漁船のGPS(全地球測位システム)機器は水没してデータを復元できず、航跡を示す物的証拠はない。>

 GPSなどを引き上げるのを拒んだのは遺族側です。

以下過去の当店の日記より
<「早く見つけて」という見出しで、事故海域で父子家族らが事故から四日過ぎて、行方不明の海域を訪れて、日本酒や花束を海に投げ込んでいます。(二月二四日産経新聞)
 その同じ日の紙面に海洋研究開発機構の調査船「かいよう」を投入した捜索が二三日午前に始まったが、波の状況が悪く、同日午前一〇時過ぎに捜索を中止しています。
 そして、三月四日に海洋研究開発機構が、調査船「なつしま」が、漁船の無線機、方位探知機、操舵室の一部などを発見したというニュースとともに、「海底の船には、二人の魂が宿っているから」と家族が船を引き上げないで海上保安庁に要望したというニュースが出ていました。(三月五日産経新聞)
 その記事には<同じ船乗り同士。海保幹部は感銘を受けた。しかし、清徳丸の船体は、イージス艦乗組員の刑事責任を追及するための重要な証拠品。「原因究明のために必要なものだけにしますから」。そう説明して了承をもらったが、今後の引揚げには困難も伴う。>と書いていましたが、この証拠とはイージス艦乗組員の刑事責任だけではなく、漁船側にとっても証拠となりうるわけではないでしょうか。
 どういうわけか、いっしょに出漁していた僚船の無線に応答しなかったと言われています。小型船が大型船より小回りがきき、操船が容易なのは常識です。今回の漁船のような小型船が網を投げ入れてるなどの操業中でもなければ、大型船を避けるのはたやすい。七七五〇トンのイージス艦と七トンの漁船。ましてや、灯火高速船でレーダーを装備した漁船がどうして回避できなかったのでしょう。
 つまり、回避優先順位によるイージス艦の回避行動だけでは無く、操船が容易な高速漁船がどうして回避できなかったかという理由も問われてしかるべきではないでしょうか。居眠りをしていた可能性もあるわけですから。何度も書きますが、自分だけではなく泳げない自分の息子にライフジャケットも着用させずに乗組員として使っていたような船長失格といわれても仕方ない人間が操船していた漁船です。>
平成二十年五月九日の飲んべえ日記より

 水没していてもデーター復元は可能です。現実に犯罪国家北朝鮮の工作船が引き揚げられた時に発見された携帯電話より通話記録などが復元されています。
 船長失格者が操船していた漁船の遺族が証拠になるものの引き上げを拒み、それを了承するという捜査方法に意図的なものを感じるのは私だけでしょうか。

  昨日というか今朝までゴロゴロと雑誌、漫画などを時間を気にせずに読んでいて、寝たのが朝方だったが、九時過ぎに目が覚める。
 お茶を飲んだ後、淡路島の実家の敷地内にある建物の一つの不動産取得税の支払い期日が今日までだったのを思い出し、銀行に行く。
 ど田舎の物件ですから、支払う金額はめちゃ安いが、自分が住んでいるわけでもないし、名義も替わっていないので自分のものでもないという何か釈然としないものがあるが、法的にそうなっているのでしょうがない。早く片付けないと。

 日本海側では昨日、今日と大雪で大変らしいが、59Les Paulさんからも下記のような写真が届きました。
 
 

 学生時代に金沢といっても野々市町に居た時もここまでの大雪は、四十八年、五十二年ぐらいでそんなに多くなかったと思います。

 今日は帰宅後も部屋で雑誌、漫画、単行本等を読んで過ごす。酒は飲まず。


イージス艦「あたご」
平成23年5月15日日曜日晴れ △ 51
 今日の産経新聞のネットに花岡信昭氏の訃報が掲載されていました。
 ご冥福をお祈りいたします。

 下記は自衛隊イージス艦「あたご」と漁船の衝突事件について書いた花岡氏のブログですが、これが絶筆になったものと思われます。

<はなさんのポリログ
http://hanasan.iza.ne.jp/blog/
以下引用
<3年前に房総半島沖で発生した自衛隊イージス艦「あたご」と漁船の衝突事件で、横浜地裁は「あたご」の当直責任者であった3等海佐2人に無罪(求刑禁固2年)を言い渡した。
 
 裁判の結果だから厳粛に受け止めたいが、あの当時、以下のようなコラム記事を産経新聞に書いていたのを思い出した。
 
 こういう事件が起きると、自衛隊へのすさまじいばかりのバッシングとなる。自衛隊「悪玉」論が席巻するのだ。
 
 そういう社会状況にひとこと、ものを言いたかった。改めて再掲したい。
 
<<「なだしお」「雫石」の再現を憂える>>
【産経新聞連載コラム「政論探求」2008年2月27日】
 海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故をめぐり、野党は石破茂防衛相の辞任を要求している。漁船の父子2人がいまだ行方不明という痛ましい事故だ。むろん、第3管区海上保安本部には徹底捜査を望みたい。
 前防衛事務次官の「ゴルフ接待汚職」といい、相次ぐ機密漏洩といい、防衛省・自衛隊には「タガの緩み」を払拭して本来の国防任務をまっとうできるよう、大改革・大刷新を求めなくてはなるまい。
 そうしたことを前提として、あえて言及しなくてはならないのは、今回の事故の受け止め方が、「なだしお」「雫石」を連想させることだ。

 昭和63年7月、海自潜水艦「なだしお」と遊漁船「第一富士丸」が横須賀沖で衝突、「第一富士丸」が沈没し、30人が犠牲となった。これより先、昭和46年7月には、岩手県雫石町上空で全日空の旅客機と訓練中の航空自衛隊戦闘機が衝突、双方とも墜落して全日空機の162人全員が死亡した。戦闘機の訓練生はパラシュートで脱出、生還した。

 いずれも悲惨な事件であったが、共通しているのは、自衛隊側を非難する報道ラッシュと当時の防衛庁長官が辞任したことだ。これにより、自衛隊側が100%悪いというイメージが定着した。
 だが、「なだしお」の場合、海難審判では双方に過失があったとされ、刑事事件としても「なだしお」艦長と「第一富士丸」船長に執行猶予付きの禁固判決が出ている。
 「雫石」の場合、訓練生とこれを指導していた別の戦闘機の教官が業務上過失致死、航空法違反で逮捕、起訴されたが、訓練生は無罪、教官は執行猶予付きの禁固刑となった。刑事裁判では全日空機側の衝突回避対応の遅れも認定され、民事裁判では過失割合が「国2、全日空1」とされた。
 つまり、いずれも発生直後の「自衛隊全面悪玉」報道と最終的に明らかにされた構図とは、相当の食い違いがあったのだ。
 海上衝突予防法では、ほぼ真向かいですれ違う場合(「行き会い船」という)は右側通行を義務付け、一方で、互いに進路を横切る場合(「横切り船」)は、相手を右側に見る側は相手の進路を横切ってはいけない、などと定めている。
 「清徳丸」の僚船は1隻が右左に蛇行し、他の1隻は「あたご」の直前を横切っている。「あたご」が漁船群の中を自動操舵で進行しようとしていたのも不可解には違いないが、見張り隊員が「相手がよけてくれると思った」と証言しているという報道もある。
 事故原因は現段階では断片的に伝えられていることばかりなのだ。ここは政治の舞台でも冷静さがほしい。「なだしお」のケースでは、国際社会では「軍艦」の通航が最大限に優先されるのが常識、という指摘があったことも想起しておきたい。>
引用終わり

 花岡氏も<こういう事件が起きると、自衛隊へのすさまじいばかりのバッシングとなる。自衛隊「悪玉」論が席巻するのだ。>とブログに書いていましたが、そのとおりだと思います。

 私は、このイージス艦については下記のように自分のmixiの五月十一日の日記で下記のように書きました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1719965951&owner_id=4418116

 <この事については、私自身のホームページにおいて何度も書いていますが、軍艦を軍艦と認めていない我が国の法がおかしいのです。

イージス艦と漁船の海難事故について
/i-jisukann20.2.19.6.html

 私のホームページにも引用させていただいた西村眞悟氏のメルマガに書かれている事が総てです。

 西村眞悟氏は、御自身のメルマガ<西村眞悟の時事通信(平成二〇年二月二二日号>で下記のように書いていらっしゃいます。
以下引用
 はっきり言って、議論が矮小化されてきている。首相も防衛大臣も、自分への「事故の報告が遅れた」といっている。
 では、午前4時5分、即刻、官邸で寝ている福田さんや自宅で寝ている石破氏をたたき起こして報告すればよかったのか。
そうではないだろう。この二人をたたき起こして何ができたのか。現場海域に変化はない。
 問題は、このような事態に対処できる体制があったのか。その体制に基づいて対処されていたのかということである。
 つまり、海上自衛隊にいざというときの「ROE」(ルール・オブ・エンゲイジメント)、交戦規定とも訳されるルールがあったのかということではないのか。 
 つまり、イージス艦という世界最新鋭の軍艦を運用する体制を我が国は保有しているのかが問われねばならない。
 突き詰めれば、我が国は「海軍」そして「軍隊」を運用する体制を保持しているのかということである。しかも、この体制を創設する責務は、政治つまり総理や防衛大臣が担っているのだ。
 よって、はっきり言って、軍隊を運用する体制を整えることなくイージス艦を運用していながら、事故が起これば、報告が遅れたと部下を非難しても始まらないではないか。
 午前4時過ぎに、この「おっさん方」が叩き起こされれば、漁民が助かったとでも言うのか。事故直後から起きていましたという言い訳ができたということくらいであろう。
 
 何故、こういう思いを持ったのかと言えば、この二人は、自衛隊は軍隊かと尋ねられれば、「軍隊ではありません」と答える閣僚だからである。石破氏には、かつて安全保障委員会で確認済みである。
 正真正銘軍隊でしか運用できない船を運用する組織の長でありながら、「軍隊だ」と答えることは回避する。しかし、事故が起これば報告が遅いと組織をなじる。まるで、平安朝の公家が、武士に守られながら昇殿は許さず、細かい落ち度だけはなじっているようではないか。
 では、あらゆる不祥事を即座に報告されたら、福田、石破両氏はどうなる。寝られなくなるだろう。アメリカ大統領が夜に寝られるのは、対処する体制があるからである。我が国も同様でなければならない。

 かつて、高校生の演習船「えひめ丸」がハワイ沖でアメリカの原子力潜水艦に沈められた。その時、当時の森総理はゴルフをしていた。そして、国会の委員会での質問は、いつゴルフを辞めて首相官邸に入ったのかということに集中していた。
 私が質問にたったとき、「総理が何時官邸に入ったかなどは、痰小化された議論である。問題は、この事態に対処する体制があったのかということである。」と官房長官に言った。その時の官房長官は今の福田総理であり、ホッとしたように肯いていた。私は、我が国に体制があれば、総理はそれから9番でも18番でもゴルフを続けてよいと思っていた。

 
さらに、もう一つの観点を述べたい。
 イージス艦に漁船が衝突した。イージス艦が漁船を回避できなかったからだ。その結果、漁民の行方がわからなくなった。けしからん。これだけで済ませて良いのであろうか。
 
 この船が、実は漁船ではなく爆薬を満載した漁船に偽装した工作船だったらどうなったのか。
 我が国のイージス艦は、偽装漁船一隻によって撃沈されるということではないのか。
 最高指揮官たるもの、部下を叱るなら、こういう観点からも叱責して欲しいものだ。
 「お前たちは、7トン半の漁船に撃沈されかねないような気の弛んだ状態で国家にとって貴重なイージス艦を操船していたのか」と。
 とは言っても、この場合においても、軍隊であることを否定して、イージス艦を運用させている政治の総責任者には、部下を叱責する資格はないだろう。イージス艦の弛みというより戦後国家の弛み、戦後政治の弛みだ。

 かつて、アメリカの空母が、ペルシャ湾で自艦の上空を通過しようとする民間の旅客機を撃墜したことがあった。これに対して、アメリカを非難する国はなかった。空母の上を無断で通過しようとする航空機の方に落ち度があると国際社会が観たからである。ソビエトも、自国領空に無断で侵入しようとする航空機を無警告で撃墜することを常とした。その航空機に核が搭載されているかも知れないからである。
 つまり、このアメリカもソビエトも、最悪の事態を想定してそれを防ぐための措置り藉躇うことなく実行したのである。
 ここに、国家国民を守る国防を担う組織の厳しさ非情さがある。
 この度のイージス艦も、自艦の損失は即我が国防衛体制の破綻であると認識し、自艦へのあらゆるものの接近に神経を研ぎ澄まし、接触など断じてありえないという体制で東京湾に向かっていたら、二人の漁師の親子は今頃家で夕餉を食べられたであろうに。
 夫と息子の二人が冷たい海から未だ帰らないご家族の心中を思えば言葉がない。
引用終わり

 軍隊を軍隊として、そして軍艦を軍艦として扱えない現在の我が国の不幸が招いた事なのです。

 これも、私が自分のホームページに書いた事ですが、法的な問題と今回の事故においてどちらが正しかった、悪かったというのとは別問題です。
 小さなことかも知れませんが、私が今回のマスコミの報道で思う事は、漁船が最低限、自分の身を守るために必要な事を怠っていたという事に触れていないことです。
 御亡くなりになった方に対しての言葉としての批判は覚悟の上で書きますが、
泳げない息子にライフジャケットも着けさせないで乗船させる。乗組員の命を守る最低限の事さえ怠っていたこの漁船の船長である父親が、まともな操船をしていたとは私は到底思えません。>

 軍艦を軍艦と認めない現在の我が国の法を改めない限り、同様の不幸は続くでしょう。

 昼頃にスポーツセンターへ行く。
 今日は時間もあったので、久しぶりにそれなりのメニューを消化。少しはベンチプレスで上がるウエイトが戻ってきたようだが、まだ百キロの回数が少ない。
 
 高田馬場の芳林堂さんで雑誌など数冊を購入後、トンカツ屋さんで食事。
 午後四時に店を開ける。
 初めてのお客様三名様来店。後に一名様合流。
 シンガポールからKさん二名様で来店。
 理科大ラグビー部OBのデカナベさん宮崎のフルーツトマトをお土産に来店。
 同じく理科大ラグビー部OBの本間さん社会人クラブのラグビー部仲間の方たち七名様と来店。
 ホロン部員Yさん来店。

 日曜日なのに大忙し。
 ドンチャン。

 記憶あり。
 サルでもエビでもない。


 
 
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