朝鮮人強制連行のウソ

朝鮮人強制連行のウソ
文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます。


朝鮮人強制連行の嘘
平成24年7月8日日曜日曇り ○
嘘は朝鮮人の国技です。
だから、朝鮮人は平気で嘘を言います。
今は信じている日本人はアホばかりですが、「在日朝鮮人は強制連行されて来た」などという嘘もそうです。
そのどうしようもないアホか嘘つきの日本人のひとりに原口一博がいます。

原口一博のウソ 「私たち朝鮮人は強制連行されてきた」
http://www.youtube.com/watch?v=DP2dGgtR49o

この人間のクズである原口一博の嘘を国会の場で、高市早苗議員が暴いています。

以下引用
<衆議院議事録174回国会 外務委員会 第3号
平成二十二年三月十日(水曜日)

高市委員 はい、わかりました。
この永住外国人地方参政権付与法案が仮に成立いたしますと、主管大臣となりますのは原口総務大臣であると思います。原口総務大臣は、一月十四日、日本外国特派員協会で、自分の意思に反して日本に連れてこられた人が地方での投票の権利を持つのは日本の国家として大事なことだと発言された旨が報道されています。また、仙谷国家戦略担当大臣も、一月十五日の大臣記者会見で、戦前の植民地侵略の歴史があり、その残滓としての在日問題がかかわっている、その方々の権利保障を十二分にしなければならない、地方参政権も認めていくべきだと発言されております。
鳩山総理初めこれらの閣僚の御発言から、鳩山内閣が在日外国人への参政権付与を実現しようとされている背景には、主に日韓併合など歴史的経緯が根拠として存在するということが明らかでございます。
きょうは、渡辺総務副大臣、お見えでしょうか。ありがとうございます。
副大臣は、自分の意思に反して連れてこられた人が地方での投票の権利を持つのは日本の国家として大事なことだという原口大臣のお考えに賛成でしょうか。
略)
高市委員 では、今私が申し上げたことについてはどうでしょうか。原口大臣がどうおっしゃったということよりも、この外国人参政権の問題をいわゆる強制連行とされることと関連づけて考えている、こういう考え方についてはどうでしょうか。
略)
高市委員 どうもよくわからない答弁でございましたけれども、少なくとも鳩山内閣におきまして複数の閣僚の方が、日韓併合によって同じ日本人として戦時徴用されて内地に来られた朝鮮人の方々の存在、今残っていらっしゃる方々の存在というものを外国人に参政権を付与すべきだというその必要性の根拠にされていることは確かでございます。
そうしますと、いわゆる強制連行というものが実際に行われたのかどうか、そしてまた、その徴用された方々が帰国できなかった、自分のふるさとに帰れなかった、そして残っていらっしゃるということについて、事実関係というものを国として明らかにし、その上で結論を出していくということも必要であると私は思います。それを外国人参政権付与の根拠とされる閣僚が複数いらっしゃる、また、総理も日韓併合百年ということをおっしゃっている、そういった事実がある限りは、この歴史的な経緯を解明していくということも大事だと思っております。
きょう委員の皆様に、また答弁席の皆様にもお配りをしているかと思いますが、先日外務省からちょうだいしたんですけれども、昭和三十五年二月外務省発表集第十号というものがお手元にあるかと思います。少し長いんですけれども、読み上げさせていただきます。
第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがつてまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する。実情は次のとおりである。
ということで、次の事項を挙げています。
一九三九年末現在日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約一〇〇万人であつたが、一九四五年終戦直前にはその数は約二〇〇万人に達していた。そして、この間に増加した約一〇〇万人のうち、約七〇万人は自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加によるのであり、残りの三〇万人の大部分は工鉱業、土木事業等による募集に応じて自由契約にもとづき内地に渡来したものであり、国民徴用令により導入されたいわゆる徴用労務者の数はごく少部分である。しかしてかれらに対しては、当時、所定の賃金等が支払われている。
元来国民徴用令は朝鮮人のみに限らず、日本国民全般を対象としたものであり、日本内地ではすでに一九三九年七月に施行されたが、朝鮮への適用は、できる限り差し控え、ようやく一九四四年九月に至つて、はじめて、朝鮮から内地へ送り出される労務者について実施された。かくていわゆる朝鮮人徴用労務者が導入されたのは一九四四年九月から一九四五年三月までの短期間であつた。
一九四五年三月以降は、往復する便が途絶していたということで、導入が事実上困難であったということも書かれております。続いて、
終戦後、在日朝鮮人の約七五%が朝鮮に引揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。
ということで、次の事項を挙げております。
まず一九四五年八月から一九四六年三月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によつて、約九〇万人、個別的引揚げで約五〇万人合計約一四〇万人が朝鮮へ引揚げた。右引揚げにあたつては、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。
ついで日本政府は連合国最高司令官の指令に基づき一九四六年三月には残留朝鮮人全員約六五万人について帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者は約五〇万人ということであつたが、実際に朝鮮へ引揚げたものはその約一六%、約八万人にすぎず、残余のものは自から日本に残る途をえらんだ。
その後、ちょっと北朝鮮関係の方のことを書いてあるところを飛ばします。
こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残つたものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であつた。戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残つたものは極めて少数である。
すなわち現在登録されている在日朝鮮人の総数は約六一万であるが、最近、関係省の当局において、外国人登録票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは二四五人にすぎないことが明らかとなつた。そして、前述のとおり、終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であつて、現在日本に居住している者は、前記二四五人を含みみな自分の自由意志によつて日本に留つた者また日本生れのものである。したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もない。
というものでございました。
これは外務省の報道用資料でございます。外務省発表集について、その位置づけを確認いたしましたら、そういうことでございます。
もし、この記載が正しければ、いわゆる強制連行と呼ばれる事実がなく、同じ日本国民としての戦時徴用と呼ぶべきであるということ、それから、昭和三十五年時点で戦時中に徴用労務者として日本内地に来られた方が二百四十五人にすぎず、原口大臣がおっしゃった強制連行論というのは、四十六万九千四百十五人も現在おられる永住韓国人への参政権付与の根拠とはなり得ないこと、そしてまた、日本政府として、特にこの戦時徴用者を優先して、韓国に帰還したい方々の帰還支援を行っていたということが示されたと言えると思います。
そこで外務大臣に伺います。
外務大臣は、その歴史的経緯にかかわらず、すべての永住外国人への参政権付与を目指される立場だとこれまでの御発言から私は推測をいたしておりますけれども、複数の閣僚がこの強制連行論を参政権付与の必要性の根拠にされているので、この昭和三十五年二月の外務省発表集第十号の記載というのは現在も有効なものなのか、それとも無効なものなのか伺います。

岡田国務大臣 今委員御説明いただいたこの資料の性格というのは、ちょっと今、急に聞かれても、私、把握しておりませんので、わかりません。
外務省発表集第十号と書いてありますので、外務省が関与した資料であることは間違いないというふうに思いますが、これが現在の外務省の考え方を示すものであるのか、その後、異なる見解があったのかなかったのか、そういうことについては、突然の御質問ですので、私は把握しておりません。

高市委員 これは日本の名誉や国益にかかわることでございます。この外国人参政権の問題だけではなくて、過去の経緯というものや事実関係がどうだったのか、当時の調査ではこうであったけれども、それが間違っていたのか間違っていないのか、やはりこういったことというのはこれからもさまざまな局面で国益にかかわってくることだと思いますので、資料の請求をさせてください。
この外務省発表集というのは、昭和三十五年の上半期からは外務省公表資料集と合併して外務省公表集となりました。発行元は外務省情報文化局でございます。昭和五十九年から発行元が外務省大臣官房報道課に移りまして、それから、現在はプレスリリースという形になっております。外務省発表集の記事資料とも書いてございますが、これは、外務省としての正式発表のうち、外務報道官としての公式見解等を表明する場合及び外務省より正式発表を行うものという位置づけであると理解をいたしております。
きのうの夕方からも外務省の方に問い合わせをいたしましたし、また、外務省のこの資料の位置づけということに関するお答えとともに、国会図書館にも確認をいたしましたので、今私が申し上げた位置づけは間違っていないと思います。
もしもその後、政府としての調査内容また見解というものに変更があるのであれば、またこれは重要なことでございますので、ぜひとも資料の提出をお願いしたいんですが、いかがでしょうか。

岡田国務大臣 先ほど言いましたように、突然のお尋ねでありますのでこの場でお答えすることはできませんが、その後、これに類するものあるいはこれと異なるもの、そういうものがあるのかどうか調べて御返事したいと思います。

高市委員 どうもありがとうございます。
それでは、調べていただいて、もしこれと全く異なる見解を発表されていたり修正されていた場合にはお知らせをいただきたいと思います。
私は、当時、帰国したかったけれども、日本政府が帰国の希望を聞いたりいろいろしたけれども、やむない事情があってどうしても帰国できなかった、しかし今は帰国をしたいという方がいらっしゃるのであれば、日本の参政権を付与するよりは、政府として帰国支援を行うのが筋だと思っております。
そしてまた、サンフランシスコ平和条約を根拠にされる御意見も閣僚内におありでございます。これも原口総務大臣なんですが、平成二十二年一月三十日、読売テレビでの御発言です。さまざまなところに報道されていますので副大臣も御承知かと思いますが、サンフランシスコ平和条約で日本国籍を離脱しなければならなかった特別永住外国人への付与とそれ以外の人では全く議論が違うという発言でございます。
略)
高市委員 それでは、これから外国人参政権問題の主管の役所としていろいろと詰めていかれるお立場でございますので、私なりの考え方をお伝えして、ぜひとも御一考いただきたいと思っております。
サンフランシスコ平和条約が発効する直前に、法務府民事局長通達というものが出ております。昭和二十七年四月十九日でございます。これは、「条約発効後に、朝鮮人及び台湾人が日本の国籍を取得するには、一般の外国人と同様、もつぱら国籍法の規定による帰化の手続によることを要する。」と記載されております。つまり、サンフランシスコ平和条約が発効してしまいますと、それをもって、それまで日本国籍であった朝鮮人、台湾人の方々は日本人ではなくなってしまいますので、その後国籍を取得するのは、ほかの国の外国人と同じような手続をとれますということが書いてあるんですね。ですから、みずからの意思に反して条約の発効によって日本国籍を奪われたけれども日本人に戻りたいという方については、その道は閉ざされていなかったわけでございます。
私自身は、戦争が繰り返された不幸な時代にみずからの国籍を変更しなきゃならなかった方々が民族としての誇りを傷つけられた、そしてまた住みなれない土地で多くの困難に直面されたであろうということは、日本人として深く思いをいたさなければならないことだと考えております。
しかし、日本国籍を離脱しなければならなかったが日本人でいたいというような方々については、原口総務大臣がおっしゃるように外国人としての限定的な地方参政権を認めるよりも、日本人として国政参政権まで得ていただける帰化を勧めるのが順当だと考えております。ぜひともこの点をお伝えください。
先ほど来、原口大臣が示された二つの論拠というものについて、私の考えも申し上げました。その外務省の発表集の資料もあわせてお渡しいただけたらと思います。よろしくお願いいたします。>
引用終わり

http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=26126&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=9&DOC_ID=6522&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=26184

高市早苗 朝鮮人強制連行の嘘を証明 20100310

http://www.youtube.com/watch?v=htRK9TIfCso

<昭和三十五年二月外務省発表集第十号
第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがつてまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する。実情は次のとおりである。
一九三九年末現在日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約一〇〇万人であつたが、一九四五年終戦直前にはその数は約二〇〇万人に達していた。そして、この間に増加した約一〇〇万人のうち、約七〇万人は自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加によるのであり、残りの三〇万人の大部分は工鉱業、土木事業等による募集に応じて自由契約にもとづき内地に渡来したものであり、国民徴用令により導入されたいわゆる徴用労務者の数はごく少部分である。しかしてかれらに対しては、当時、所定の賃金等が支払われている。
元来国民徴用令は朝鮮人のみに限らず、日本国民全般を対象としたものであり、日本内地ではすでに一九三九年七月に施行されたが、朝鮮への適用は、できる限り差し控え、ようやく一九四四年九月に至つて、はじめて、朝鮮から内地へ送り出される労務者について実施された。かくていわゆる朝鮮人徴用労務者が導入されたのは一九四四年九月から一九四五年三月までの短期間であつた。
一九四五年三月以降は、往復する便が途絶していたということで、導入が事実上困難であった。
終戦後、在日朝鮮人の約七五%が朝鮮に引揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。
一九四五年八月から一九四六年三月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によつて、約九〇万人、個別的引揚げで約五〇万人合計約一四〇万人が朝鮮へ引揚げた。右引揚げにあたつては、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。
ついで日本政府は連合国最高司令官の指令に基づき一九四六年三月には残留朝鮮人全員約六五万人について帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者は約五〇万人ということであつたが、実際に朝鮮へ引揚げたものはその約一六%、約八万人にすぎず、残余のものは自から日本に残る途をえらんだ。
略)
こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残つたものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であつた。戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残つたものは極めて少数である。
すなわち現在登録されている在日朝鮮人の総数は約六一万であるが、最近、関係省の当局において、外国人登録票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは二四五人にすぎないことが明らかとなつた。そして、前述のとおり、終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であつて、現在日本に居住している者は、前記二四五人を含みみな自分の自由意志によつて日本に留つた者また日本生れのものである。したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もない。>

このように、朝鮮人ども、原口一博などの嘘はこの高市氏が示した外務省の公式資料により完全に否定されているのです。

朝鮮人とそれに味方する原口一博のような売国奴どもは嘘を平気で言っても何も思わない連中なのです。

在日朝鮮人は、原口一博が言うように、本人の意に反して、我が国にいるわけではないのです。

もし、我が国が嫌いで嫌いで仕方ないのであれば、さっさと帰国してもらうのが一番なのです。
普通で考えても、いつでも帰れるのに帰りもせずに、「強制連行されて来た」などとホザイている朝鮮人とそれに同調している連中がおかしいのです。

「ゴミはごみ箱へ。朝鮮人は朝鮮半島へ」というのが、当時からの方針であったのだが、そのゴミが残ったり、戦後漂着したのが、今の在日朝鮮人どもなのです。

「ゴミはごみ箱へ。朝鮮人は朝鮮半島へ」

知れば知る程嫌になる支那人と朝鮮人。

あほらし
店の片付け。

今日は酒は飲まず。

サルでもエビでもない。


以下、特に表記のない場合は井筒和幸氏の著書「民族の壁どついたる!」(河出書房新社刊)より引用
<在日コリアンは難民ではありません。日本が朝鮮を植民地支配して、たくさんの朝鮮人を日本に連れてきました。
略)
朝鮮半島を植民地化するために軍隊と警察と役人を送り、それまで平和に暮らしていた朝鮮人たちを虐げ、やがて朝鮮人としての名前まで日本風のものに変えてしまう・・・。同じ民族であるにもかかわらず、やがて朝鮮半島は北と南に分断されてしまいます。>p二六~二七

<日本は一九一九〇年に朝鮮を植民地化しました。韓国併合という出来事です。植民地支配ですから、朝鮮にいた朝鮮人は、「あなたは今日から日本人ですよ」と宣告されました。支配というのは、そんなやさしいものではありません。朝鮮人としてのアイデンティティーを奪われたのです。
略)
荒廃した朝鮮半島では食っていけない。そこで朝鮮を離れ、日本で生活の基盤をつくろうと、たくさんの朝鮮人が海を渡って日本に来ました。
略)
その後、一九五二年に発効されたサンフランシスコ講和条約によって、在日コリアンは日本国籍を離れることが決まりました。ただ勝手に日本国籍にさせられた在日たちにとって、今度はまた勝手に日本国籍を奪われてしまう・・・つまり「外国人扱い」されてしまうことになったのです。>p三〇~三一

<日本が朝鮮半島を支配したとき、多くの朝鮮人が土地を奪われたり、労働力として日本に連れてこられたり、戦地に送りこまれたしました。支配される人にとっては情け容赦ないものです。>p六〇

<ただし自分の意志で日本に来たわけではありません。強制的に連れてこられた朝鮮人も数知れない。祖国・朝鮮から引きはがされるように日本に連れてこられ、再び家族の顔を見ることなく死んでいった朝鮮人がたくさんいるんです。
この猛烈な人口増の裏には、とてもひと言では語りきれない事情が隠されています。でも現在の在日コリアンのことを知るためには、ぜひ学んでおかねばならない歴史があるんです。>p九三

<突然トラックでさらわれて・・・・
ある朝鮮人は、畑で仕事をしていたらトラックがやってきて、「おい、貴様、いいから乗れ」と命令されました。そのまま日本に連れてこられたりしたそうです。「いやだ」と反抗すれば、殴ってでも連れてきたんでしょう。「これは命令だ」と。それが強制連行のおそろしいところです。
このようにして日本に連れてこられた朝鮮人は、日本側の発表で約七〇万人とされていますが、朝鮮側の統計では一〇〇万人を軽く超えていると言われています。こんなに多くの人々が、朝鮮から日本に連れてこられたんです。>p六七

<一九四一年、大平洋戦争がはじまると、ますます日本本土で労働力が不足していきます。
略)
「官あっせん」というやり方でそうしました。
このときも表向きは「募集」としていたのですが、じっさいは強制に近かった。その後、「徴用」と名目を変えてはいますが、じっさいは暴力でねじふせて無理やり日本に連れてきた。これが「強制連行」です。>p一二一

<ある朝鮮人の青年は、田んぼで仕事をしていたら、日本の役人のトラックがやってきて、「おまえ、米なんか作っている場合じゃないぞ。いいから乗れ」って。徴用する名簿に名前が載っているんだとか言って、身支度もろくにさせず、家族や親に「行ってきます」も「さよなら」もいうひまも与えず連行されました。>p一二二

いまどきこんな戯言というか在日朝鮮人がつくようなウソを信じる日本人がいるのでしょうか。井筒氏は参考文献にはあげていませんが、職業詐欺師の吉田清治の著書「朝鮮人私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」(三一書房 1983)に井筒氏の書くような場面が出てきます。

井筒氏は、拉致されるようにして「嫌で嫌でしかたない日本」に連れてこられた朝鮮人が、戦争が終わり、自由に帰国できるようになっても、帰国しないで、わが国に居座り続ける朝鮮人が多いのはどうしてか不思議に思わないのでしょうか。
あほ卑劣な犯罪国家である北朝鮮に拉致された我が国の同胞の皆様は二〇年たっても日本に帰国されました。朝鮮人はたった一年や二年、あるいは数年なのに生活基盤が本国(朝鮮半島)に無くなってしまったとでもいうのでしょうか。
戦後もそして現代も続々と朝鮮人は日本に来ています。我が国で一番の不法滞在者は朝鮮人です。これも日本が悪いのでしょうか。
井筒氏はこのような朝鮮人の行動についてどう思っているのでしょう。

まず、井筒氏は「強制連行」というものについて<日本に連れてこられた朝鮮人は、日本側の発表で約七〇万人とされていますが、朝鮮側の統計では一〇〇万人を軽く超えている>と数字を挙げながらその数字がどこよりの引用かも書いていない。日本側の発表として「七〇万人」などという数字がいかにも公的な数字のように書くが、そのような公的な数字は無い。<「官あっせん」・・・じっさいは強制に近かった。><「徴用」と名目を変えてはいますが、じっさいは暴力でねじふせて無理やり日本に連れてきた。これが「強制連行」です>と書き、<徴用する名簿に名前が載っているんだとか言って、身支度もろくにさせず、家族や親に「行ってきます」も「さよなら」もいうひまも与えず連行。>とまで書く。
職業詐欺師、そして売国奴の吉田清治については、中村粲氏、板倉由明氏、上杉千年氏らの検証によって、軍の命令系統から本人の経歴まで全てが嘘であることが判明している。参照→吉田清治

また、官斡旋と徴用を井筒氏は同様に書くが(同様の間違いというか意図的な混用?は「朝鮮人強制連行の記録」など他の著書でも多い。)官斡旋と徴用の違いを分かっているのであろうか。井筒氏は徴兵と徴用の違いも分かっていないように思えるが・・
官斡旋と徴用の決定的な違いは罰則の有無です。官斡旋の場合は、予定企業に就職後、辞めて他の企業に務めても良い。前渡金、食費、未払い賃金など金銭的な精算さえすれば、何の犯罪にもならない。

井筒氏の書くような事は法治国家であった日本ではあり得ないと元朝鮮総督府の幹部であった坪井幸生氏と大師堂経慰氏は以下のように述べています。
(大師堂氏)<徴用礼状には、何月何日にどこどこにへ集まり、徴用されていく先はどこで、こういう仕事だということが書かれている。これを受け取った人は指定の場所に集まり、引率されていくのが普通のやり方です。前述の教科書にある「土足で家に上がりこみ、手錠をかけて・・・」というやり方は、普通の例ではありません。何度も徴用を拒否して出てこない人の徴用令違反で逮捕された時の描写だと思います。逮捕されると、検事局に送られ、起訴されて裁判に掛けられます。徴用令違反は一年以下の懲役でした。
略)
手錠をかけて連れていくというようなことが徴用の一般的な実態だったとしたら、労働行政は成り立ちません。終戦まで行政はしっかり機能していました。 >
(月刊正論平成一五年三月号 p五二~五三)

そして、朝鮮半島からの渡航については、下記のように述べている。
(坪井氏)<保安課で外事警察をやりながら、内鮮係も兼務していた昭和一四年ごろ、内務省の警備局保安課との折衝で、こんな事を思い出しました。当時、朝鮮人が日本内地にどんどん来るので、内地としては、労働の需給関係や治安問題もあって、内務省は「渡航を制限したい」というのです。しかし、朝鮮人も日本人であり、総督府としては困るわけです。内地は気候がよく生活水準も高いし、いろんな面で魅力があるわけです。渡航してきた朝鮮人hば家族を呼び、係累を呼びます。当時は、朝鮮人の渡航を制限しようとする内務省と、制限するなという朝鮮総督府の方針が対立しました。
やがて、日本で労働力を必要とするようになり、「朝鮮人労働者を入れてほしい」と変わってきた。企業が労働力を補充するため、朝鮮半島へ募集に行ったりした。最後は、徴用令を敷いて労働力を補充したというのが実態です。
略)
どこの国だって、徴兵もし、労働力を補充するための徴用もする。法治国であれば、法律の手続きの下で行われます。
(大師堂氏)それを「国家犯罪だ」というのは、戦争中の動員を国家犯罪だと言っていることと同じです>p五三~五四

井筒氏は朝鮮半島に駐留していた我国の軍隊をどのくらいと思っているのであろうか。また、日本人の警察官の占める割合はどのくらいと思っているのであろうか。
行政官の占める日本人の割合をどのくらいと思っているのであろうか。
朝鮮併合時の憲兵の数はたった二〇一九名であり、そのうち一〇一二名の憲兵補助員は朝鮮人であった。すなわち、悪名高い「憲兵警察」はたった一〇〇七名の日本人が朝鮮半島全土に散らばって配置されたのである。
軍隊は朝鮮半島には二個師団しか駐留していなかった。
併合して間も無い昭和七年でも常備団隊として配備されていたのは、第十九師団(羅南)、第二〇師団(龍山)のたった二個師団です。終戦時には関東軍の下にあり第一七方面軍朝鮮管区として上月良夫中将でした。(「別冊一億人の昭和史 日本陸軍史」毎日新聞社昭和五四年刊)
この二個師団で朝鮮半島を納めていたのです。

井筒氏は独立運動について
<一九一九年には二〇〇万人規模の独立運動も起きました>p一〇六
と書きますが、その独立運動とやらの程度がこれで良くわかります。

警察官においては、警務官→警視→警部→巡査→巡査補となっていたが、併合間も無い一九一〇年末における日本人と朝鮮人との割合は下記の通りであった。

スクリーンショット 2016-08-29 2.12.59

「歴史を偽造する韓国」中川八洋著徳間書店(中川氏は「総監府時代の財政」友邦協会p一二二より引用)

つまり、上級職である警務官と警視の三割は朝鮮人であった。これは先の官吏について同じ事であるが、日本の朝鮮統治が「日本の警察による支配」といく批判が的外れであることを意味する。併合間も無い時期ですら警察幹部の三分の一が朝鮮人であり、その朝鮮人幹部の下に日本人警察官の警部、巡査がついていた事がわかる。また、警察の末端だけが朝鮮人であったということも間違いである事がわかる。
武断政治といわれている我国の朝鮮統治がウソである事が良くわかる。

朝鮮には一三の道(県)があり、知事ポストの約四割が朝鮮人でした。(終戦時には五)
例えば、江原道の知事ポストは李圭完から終戦時の孫永穆まですべて朝鮮人でした。一三道の日本統治時代の全知事総数一二五名のうち日本人知事は七六名、朝鮮人知事は四九名と三九%が朝鮮人が占めていました。
ちなみに、知事に直結して朝鮮の民情をすくいあげ具申する任務の特殊副知事ともいうべき参与官は一三道すべてが朝鮮人でした。
慶尚北道の一九三二年(昭和七年)一月現在の県知事は朝鮮人であり、四名の部長(内務部、産業部、財務部、警察部)のうち産業部長は朝鮮人。そして、四つの部にいた部長以外の日本人官吏は一九四名。つまり、三名の日本人部長もその他一九四名の日本人官吏も、朝鮮人知事に仕えていた。
一九四〇年の朝鮮総督府における朝鮮人高級官吏の実態として
内務局には局長以下三一名の高級官吏のうち三名が朝鮮人。財務局は局長以下一三名のうち一名が朝鮮人。学務局は局長以下一九名のうち三名が朝鮮人であった。学務局の三名の朝鮮人高級官吏のうち一名は視学官という高官であった。
その他の例として京城履審法院の一三名の判事のうち二名が朝鮮人、京城地方法院二八名の判事のうち三名が朝鮮人、京城地方法院検事局の検事一四名のうち一名が朝鮮人であった。
学務局の最高ポストである学務局長として李軫鎬が一九二四年から二九年まで就いている。

朝鮮半島における地方行政機構は、道知事の下に、日本の市にあたる府、日本の町と村にあたる邑と面、邑と面を統括する郡があった。一九一七年において、一四府、一二八郡、五一邑、二三七四面であった。済州島と鬱陵島のみ島庁をおき、島司を任命していた。この島司は郡守と同格であった。
準・議会が道、府、邑にそれぞれあり、一九三一年(昭和六年)より府会、邑会、一九三三年(昭和八年)より道会といった。議長はそれぞれ道知事、府?(市長)、邑長が兼ねるために完全な三権分立的な議会でないが、議決機関であった。村にあたる面の面協議会は諮問機関であり、準々・議会といってもよいものであった。
道会議員の三分の一の議員は官選、三分の二の議員は、府会、邑会、面協議会の議員が選挙した。道会議員の内訳は日本人が四分の一、朝鮮人が四分の三がおおむね基準であった。
例えば、一九三二年における京幾道の道会議員三七名中、日本人は一〇名で朝鮮人が二七名であった。
このように朝鮮半島における地方議員の多くは朝鮮人であり、朝鮮人対日本人というような多数決になれば日本人は敗れるしかなかった。
郡守、邑長、面長は、ほぼすべて朝鮮人であった。(郡守、邑長にごくわずかの例外あり)
朝鮮半島に移民してきた日本人は朝鮮人の郡守、邑長、面長の統治下にあったといってよい。
このような状態で、強制連行が行う事ができたと思う方が狂っている。
朝鮮半島における在日本人は特権というものが無かった。一九三七年より配給制と朝鮮半島もなってきたが、塩、砂糖などの配給で日本人と朝鮮人との差別はなかった。キムチのために朝鮮人に塩を多くし、日本人には砂糖を多くするなど公正な調整がされていた。
配給の行列ですら日本人、朝鮮人の区別なく一緒に並んだ。(参考文献「歴史を偽造する韓国」中川八洋著徳間書店)

井筒氏は参考文献には挙げていませんでしたが、在日朝鮮人のが強制連行について書いた著書の一つに「朝鮮人強制連行の記録」(朴慶植著 未来社 一九六五年第一刷)という本があります。
当時、朝鮮学校教師であった著者により書かれていているウソ満載の本ですが、この本の与えた影響は小さくありません。 私の手元にあるのは未来社より一九七一年に発行されたものですが、六年間で一二刷となっています。
参考文献
「歴史を偽造する韓国」中川八洋著徳間書店
「別冊一億人の昭和史 日本陸軍史」毎日新聞社昭和五四年刊
月刊正論平成一五年三月号 p五二~五三

裏表紙