池上彰という電波芸者を押すドアホウども

池上彰という電波芸者を押すドアホウども
平成24年1月8日火曜日晴れ △
都知事選の候補者について、少し前の週刊ポストはこう書いていた。
<微風さえ吹きようが無い選挙のなかで、告示まで世間から一身に期待されていた人物がいた。>

その人物は池上彰だそう。
その池上彰について「政治報道のタブーを破った人物」として下記のように書いています。
<池上氏が世間から「政治報道の旅—を破った」と評されたのは、十年七月参院選挙開票時に司会をした民放の選挙特番だった。「民主党支持の日教組の組織票はどれくらいか」、「公明党と創価学会の結びつき」などを平易に解説。大メディアが腫れ物に触るように扱っていた「政党と支持母体」の話題に大きく踏み込んだ。
著書「池上彰の政治の学校」(朝日新書)ではこう書く。
(「農村票が、自民党にとって基礎票の一つになってきました。もう一つ有名なのは「医師会票」。つまり、開業医の人たちの票です。
創価学会と宗教的に対立している他の宗教団体はどうしているのかご存知ですか。たとえば、立正佼成会などは「反公明党」ということで、民主党の応援をしたり、自民党の応援をしたりしています。)
もし特定の政治勢力と結びついているなら、このような歯に衣着せぬ解説はできない。これが政治色の強い現在の候補者たちと池上氏の決定的違いであり、待望論が高まる理由でもある>(週刊ポスト 平成二十四年十一月十日号p三十四)

そして、あの思考が朝鮮人としか思えない人間のクズである小沢一郎の機関誌である週刊現代は「アッパレ池上彰」という見出しで下記のように書いています。
<浮かれる政治家連中タジタジ 池上彰「ジャーナリスト」の面目躍如
視聴率8.6% 宗教、組織票、世襲もタブーなし
「パプアニューギニアやフィリピンを北朝鮮と同じように呼ぶから“暴走老人”と呼ばれると思うのですがいかがですか」
「失敬だね、君は!」
日本維新の会代表の石原慎太郎と生中継で丁々発止のやりとりを行い、気色ばませたのはジャーナリストの池上彰(六十二)。選挙戦当日、四時間半にわたって生放送されたテレビ東京「池上彰の総選挙ライブ」でのひとコマだ。
しばらくして再び中継がつながった石原が、「先ほどはあなたと知らずに怒鳴ってすみませんでした」と謝罪。すると、「どうも石原さんは、相手によって態度を変えるようです」と視聴者に向けて“解説”する。視聴率は八、六%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と民放四位だが、ほかにも顔を引きつらせる質問を連発し、数字以上に大きなインパクトを残した。
世襲議員の自民党・小渕優子に対しては「お父さんが議員じゃなかったら、あなたは政治家にはならなかったのでしょうか?」と切り込む。復活を果たした公明党元代表の太田昭宏にも「山口代表と元代表と。なんか山口さん、やりにくいということはないですかね」と直球勝負だ。憲法改正と自衛隊を国防軍に改称することを掲げる安倍晋三に対しては「戦争もする、交戦規定もあるということは、国防軍の兵士に死者が出ることもある。そういうことを命令するお立場になるということでよろしいんですか?」。
とにかく、視聴者が「よくぞ聞いた!」と膝を打つような質問を容赦なくぶつけまくり、当選に浮かれる政治家連中をタジタジにさせたのだからアッパレというほかない。
「番組構成もよかった。候補者を単純に政党で区分けするのではなく、世襲、官僚、組織票など当選要因に分けたのも斬新。そのまんま東のプロフィル紹介に『おそるべき上昇志向 たけし軍団→知事→国会?』と書くなど毒も効いていた。民主党の細野は『スキャンダルを乗り越え党政調会長』でしたからね。よそはタブー視して触れたがらない政治と宗教の問題も積極的に扱っていて独自色を存分に発揮していた」(業界関係者)
まさにジャーナリストの面目躍如。次回の参院選でもテレビ東京は池上を選挙特番の司会に起用する。他局の毒にも薬にもならないキャスター連中は、爪の垢(あか)を煎じて飲むべきだ。>
(日刊ゲンダイ平成二十四年十二月十八日号)

アホちゃうか。

この電波芸者は当時の麻生総理のバー通いを散々批判し、菅直人のラーメン好き=庶民派として紹介し、露骨なほどに民主党擁護をやりました。

池上彰の電波芸者ぶりを解説した有名な、「池上彰とフジTVの捏造をわかり易く解説【Mrニュース】」

早瀬善彦氏は、下記のように電波芸者・池上彰の左巻き思想を批判しています。

<「細川は太平洋戦争についての認識を問われ、『侵略戦争、間違った戦争』であったと明言しました。これは歴代の総理大臣としては初めての発言でした。ここにも新時代の到来を感じさせたのです」
(「そうだったのか。日本現代史」p二十八)
大東亜戦争をめぐる戦略的な評価の善し悪しはあってもよいだろう。しかし、細川以前の歴代総理は国家のトップとして先の戦争に対し安直な評価は下さなかった。
当時を生きた日本人の一人として、日米開戦という苦渋の選択へと踏み切った日本人なりの正義をどこかで信じていたからである。
だが、家柄だけが取り得の細川総理にはそうした日本の歴史に思いを馳せる愛情や大局観が欠けていた。この細川総理の軽薄極まりない侵略肯定発言を「新しい時代」と絶賛する池上氏には、日本人としての自覚があるのか。大きな疑問を感じざるを得ない。
さらに、日本を今なお縛り続ける村山談話の発表についても、池上氏は初の社会党総理であったからこその偉業だと持ち上げる。
「従来の自民党政権でできなかったことを実現したことも確かです。『戦後五〇年に際しての談話』を発表し、日本の戦争責任をはっきりと認めました。・・・このように村山内閣の『功罪』、評価は別れます」
(「そうだったのか。日本現代史」p四百三〜四百四)
池上氏によれば、村山談話は社会党総理による功罪の「功」の部分であるらしい。明らかに社会党寄りに立った記述である。と同時に、中国、韓国から付け入られる隙をつくった元凶、村山談話を無邪気に評価する池上氏の施政には、誰しもが日本のジャーナリストとしての資質を疑ってしまう。 >
ここが変だよ、池上さん 早瀬善彦 「反日マスコミの真実」(オークラ出版平成二十三年刊)p五十五〜五十六

こんな電波芸者のボケがすばらしいと絶賛する腐れマスゴミども。
脳味噌が腐っているとしか思えません。

あほらし。

二名様来店。
一名様来店。
Kさん来店。

ドンチャン。
記憶あり。
サルよりまし。