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一杯飲み屋の親父の酒と酒の日々
<のんべえ日記>平成22年12月分

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます



忘年会

12月31日金曜日晴れ×

 店を片付けてから、今年の忘年会場のめぐ蔵さん宅へ。

 

 ビール、スパークリングワイン、シャンパン、東洋美人出品酒、東洋美人一番纏でドンチャン。

 

 久しぶりに紅白を観ました。


 

最終営業日

12月30日木曜日晴れのち一時小雨×

 今日は河岸に行かず。

 予約が一件もなく、電話も鳴らず、最終日にオチャッピーかと思っていたら、金ちゃん、マロさん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 Nさん二名様で来店。

 Tさん来店。

 ドンチャン。

 カウンターの中で寝てました。

 洗い物は終わっていたし、包丁も研いであったがが記憶にない。

 サル


 

12月29日水曜日晴れ△

 今日はいろいろな物をいただきました。

 まず、山形県の加茂川酒造の杜氏である坪ちゃん、坪沼雪人氏より「古時計」と名付けられた貴醸酒古酒。一九七二年、一九七三年、一九七四年のブレンドだそうです。

 

 坪ちゃんは当店にいらしてくださっていたお客様で、其の後、杜氏になった三人目の人です。

加茂川酒造株式会社

山形県西置賜郡白鷹町大字鮎貝3258番地

tel0238-85-3151

 Sくん御夫妻来店。

 今年もバームクーヘンと奥様の手作りの煮豆を持って来てくださる。

 

 Nさん来店。

 初めてのお客様二名様来店。

 ホロン部員Yさん来店。

 TBSで放送された番組のDVDをSくん夫妻と観る。

 副店長さん来店。

 奥様の手作りの「紅焼肉」という煮物と揚げ物を持って来てくださる。

 副店長さんの奥様の料理の腕前はプロ級だが、この「紅焼肉」のレシピは副店長さんにも教えてくれないそう。

 以前に頂いた時もそういましたが、 食べてしまった後のスープに卵、肉を入れて煮ると二度、三度楽しめます。

 

 Kさん来店。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。


 

12月28日火曜日晴れ ×

 河岸で活けアンコウを購入。

 

 磯乃澤の蔵元であるケイザブロウさん来店。

 今年も干支の博多人形を持って来てくださる。

 

 バンブーさん来店。

 Tさん来店。

 五名様来店。

 だが、この団体さん、いかにもという鬱陶しい感じだったので、「酔ってますか?」と伺うと、

 「もう、酒は飲めない」とおっしゃる方がいたので、

 「外にも書いてますが、酔っ払いの方はお断りです。御帰り下さい」

と言って、みなさんに帰っていただく。

 西村眞悟氏、稲川和男氏、荒木和博氏四名様で来店。

 

 G23さん、かなえちゃん御夫妻来店。

 ドンチャン。

 気が付いたらカウンターの中で寝てました。

 サル


12月27日月曜日晴れ×

 今日は月曜日なので、いつもだったらお休みだが、年末という事もあり、開店。

 

 Sさん四名様で来店。

 昨年、退職されたFさんが退職後、すぐに御亡くなりになったらしい。

 Tさん来店。

 Iさん来店。

 Sさん御夫妻来店。

 Oさん二名様で来店。

 Sくん来店。

 今日はどういうわけか忙しい。

 めぐ蔵さんがお手伝いしてくださったので、メチャらくちん。

 早い時間からドンチャン。

 そういえば、めぐ蔵さんから、金曜日にカッシーズバーで空けたワインは二本ではなく三本だと指摘された・・・・・・・

 記憶はあったと思ったが、やっぱサル。

 今日もサル。


 

12月26日日曜日晴れ○

 店を片付けてから、年賀状作り。

 なんだかんだで、結構な時間がかかる。

 今日は其の後は何もする気にならず、風呂に入った後は、マンガの本を眠くなるまで布団の中で読んでいてそのまま寝る。


12月25日土曜日晴れ○

 初めてのお客様Oさん御夫妻来店。

 Oさん来店。

 今からご町内の火の用心の見回りだそう。

 昨年も同じパターンだった記憶が・・・・

 Kくん二名様で来店。

 Wさん御夫妻、Kさん来店。

 ドンチャンは、今日は無し。


 

12月24日金曜日晴れ△

 バンブーさん来店。

 初めてのお客様Aさん御夫妻来店。

 Aさん来店。

 初めてのお客様Iさん来店。

 Oさんのゲーム仲間だそう。

 Mさん二名様で来店。

 Mさんがクリスマスプレゼント?に持って来てくださったワイン。

 

 ついでにドンチャンで開けたワイン。

 

 

 ホロン部員Yさん来店。

 ドンチャン。

 

 営業終了後、Aさん、ホロン部員Yさんと新橋の「カッシーズバー」へ。

 三人でワイン二本。

 其の後、Aさんの案内で歌舞伎町へ。

 久しぶりの歌舞伎町で初めてのCLUB体験。

 帰りにホロン部員Yさんと職安通りにあるドンキーに寄り、腹筋ローラーを購入。

 記憶は一応あり。

 サルよりマシ。


 

天長節

12月23日木曜日晴れ △

 今日は天長節。

 コロコロと政治のトップが変わっても、国民が動揺もせず、生活出来るのは陛下の存在があるからこそです。

 このような国が世界中にあろうか。

 

 そして、この国が今あるのは先人のおかげです。

 仕込みを終え、午後より東池袋に向う。

  

 東池袋中央公園にある「永久平和を願って」と刻まれた碑に御参りする。

 

 

 いつ来ても、『永久平和を願って』と刻まれた言葉には違和感を感じざるをえない。

 広島の「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」と同じように思うのは私だけだろうか。

  警備の方が二人いらっしゃったが、そのお二人のうちの年配の方が若い方に「この人たちは日本の守り神になった方なんだ」とおっしゃっていた。

 京都より横須賀に出張されていたNさんが奥様と友人の方の三名様で来店。

 初めてのお客様来店。

 Kさん来店。

 今日は、営業終わり頃から一通り飲んだだけだったので記憶あり。

 サルよりマシ


12月22日水曜日晴れ △

アンコウ鍋をご予約いただき、久しぶりに仕入れた二・五キロの活けアンコウ。

 

 Oさん来店。

 Aさん来店。

 初めてのお客様二名様で来店。

 同じく初めてのお客様Kさん二名様で来店。

 Mさん御夫妻二名様で来店。

 Hさん八名様で来店。

 Oさん二名様で来店。

 アンコウ鍋でドンチャン。

 一名様来店。

 Sくん来店。

 Yさん二名様で来店。

 

今日はメチャ多くのお客様御来店いただき感謝。

また、多くのお客様からお電話を頂きましたが、御断りする事になり申し訳ございませんでした。

当店としては珍しい。

明日が怖い。

 

今日は営業が終わるまでほぼ飲めず、営業終了間際に少しだけ。

当然、サルにもエビにもならず。


 

変態新聞による醜い報道

12月21日火曜日晴れのち大雨 △

変態新聞(通名・毎日新聞)の下記のようなニュースがネットにありました。

以下引用

中国 ニシキゴイ輸入、日本に解禁打診…厳しい条件付きで

毎日新聞12月21日(火)15時1分配信

上海万博で展示された新潟県産のニシキゴイを鑑賞する中国人来場者ら=中国・上海で2010年10月15日、長岡市提供

 観賞用ニシキゴイなどのコイ科魚類をめぐり、日本からの輸入を禁止している中国が、日本側に解禁を打診していることが分かった。ところが、以前に比べ多くの種類の病気を検疫対象とするなど厳しい条件を挙げているため、主産地の新潟県内の養鯉(ようり)業者などは「コストがかかり過ぎる」と対応に苦慮している。【岡田英】

 中国は03年11月、日本国内でコイヘルペス(KHV)が発生したのを受け、コイ科魚類の輸入を禁止した。実際には、例外的に輸入が認められている香港を経由して入っていると見られるが、養鯉業者にとっては富裕層が台頭する中国は魅力的な市場で、輸出解禁は悲願だった。

 農林水産省などによると、中国の検疫当局は今年8月、上海万博の日本館でのニシキゴイの展示(10月13〜15日)を特別許可すると日本側に連絡。同時に、検疫サンプル数を日本が欧米などへ輸出する場合(30匹)の約5倍の150匹以上とすることや、コイが直接感染しないとされる病気も検疫対象とすることなどを条件に、輸入を解禁するとの文書を送ってきたという。

 しかし、新潟県内水面水産試験場によると、業者の負担するコストが増大するため、輸出できるのは規模の大きい数社に限られてしまうおそれがある。業界団体の全日本錦鯉振興会(加盟約430業者)内でも「必要以上の条件で、そのままでは受け入れられない」との意見が出ており、間野泉一理事長は「来年1月下旬の理事会で対応をとりまとめたい」と話している。

 中国が輸入解禁を目指す背景には、国内でニシキゴイの養殖・流通拠点の整備が進められているため、検疫を厳しくしたうえで、発祥地の新潟県長岡、小千谷市などトップブランドの養殖技術を導入したいとの思惑があるとみられる。農水省は「振興会などの意向を踏まえ、交渉を進めるか判断する」としている。

引用終わり

 これは、十一月二十三日の日記に書いた、「日本人の愛する錦鯉を毒殺した中国とその支那を擁護する森民夫長岡市長 」の事です。

 どこにも支那による毒殺された鯉の事が書かれていません。

 変態新聞は支那人の本質を隠して報道しているとしか思えない記事です。

 掲載された「上海万博で展示された新潟県産のニシキゴイを鑑賞する中国人来場者ら=中国・上海で2010年10月15日、長岡市提供」という写真の錦鯉はすべて、この写真の日付である十月十五日深夜に支那当局の手により、毒殺されているのです。

 この記事を書いた岡田英氏はどうして、「上海万博で展示された錦鯉を毒殺した支那は」あるいは「この写真に写っている錦鯉はこの後すべて支那により毒殺された」と真実を書かないのでしょう。

 そのような国に、わざわざトップブランドの養殖技術を盗まれるような愚かな事をする必要があるのでしょうか。

 ましてや、サンプル数を五倍にするなどということは、そのサンプルを横流しして儲けるなどということがあっても不思議でない国です。

 支那という国と国民の本当の姿を隠したまま報道することは、我が国国民の安全にも関わってくる事であるのに、どうして、マスコミはそこまでして、あの国を国民を美しく見せようとするのか。

 

 真実を隠して報道するような腐れ変態新聞である毎日新聞が一日も早く潰れてくれる事を祈るばかりです。

 

 今日は途中から激しい雨。

 Kさん来店。

 酔狂師さん来店。

 ホロン部員Yさん来店。

 Kさん来店。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。

 


 

アキカン首相硫黄島へ

12月20日月曜日晴れ ○

 下記はどうしようもないアホであるアキカン首相のホームページに書かれている事です。

http://kanfullblog.kantei.go.jp/saki_wo_misuete/

以下引用

<12/14(火曜日)

先を見すえて/菅直人直筆のページ

略)

そして一夜明け、今日14日は、御遺族やボランティア、そして超党派の議員などと共に、4年ぶりに硫黄島に出かけた。国内最多の日本兵の御遺骨が未帰還のまま眠るこの地の問題は、私が野党時代から国会質問などでも取り組んできた懸案だ。

この夏、総理になって、私の指示で設置した「硫黄島からの遺骨帰還のための特命チーム」の阿久津幸彦衆議院議員が、米国公文書館の調査に出向き、日本兵の大きな集団埋葬地の存在を見つけてきた。

今日は私自身も参加して、この集団埋葬地で遺骨収容に当たった。最近20年近く、この島で収容できる御遺骨は年間ほぼ数十柱に留まっていたが、今回判明した場所からは、既に300柱に及ぶ御遺骨が見つかり、更に作業は続行している。

 

戦時中、国は、御家族にとってかけがえのない存在をお預かりした。元気な姿で帰還いただくことができなかったならば、せめて御遺骨を、御家族の待つ地にお返ししなければならない。これは国の責務であることを、今日の追悼式ではっきりと申し上げた。

これは、単なる過去の話ではない。後世代に戦争の悲惨さを伝える、平和へのメッセージでもある。>

引用終わり

 このアキカン首相は国旗である日の丸も国歌である君が代も否定し、靖國神社にも参拝した事はありません。

 偉そうに「せめて御遺骨を、御家族の待つ地にお返ししなければならない。国の責務である」とほざくのであれば、まず、靖國神社に参拝し最高指揮官(残念だが事実である)として英霊との約束を守るのが先ず第一だろう。

 御遺骨に帰還願うというのであれば、乗船していた艦とともに海底深く眠っている英霊はどうなる。

 いかにもアキカン総理らしい腐った詭弁である。

 アサヒビール名誉顧問の中條高徳氏(陸軍士官学校六十期元陸軍少尉)は、靖國神社に毎日参拝する為に、その近くに住居を定められた方です。中條氏は小野田寛郎氏(元陸軍少尉)と対談した「だから、日本人よ、靖国へ行こう」(共著 WAC 平成十六年刊)において「靖国は国家そのもの」と題して下記のように述べておられます。 

<毎朝六時、私は必ず靖國神社を訪れる。大鳥居からゆっくり歩いて参拝し、朝の体操の会にも参加している。これが四十年間続く私の大切な日課です。

 陸軍士官学校を出て、職業軍人だった私は、あと一歩で靖國神社におさまるところだった人間です。靖國神社は、英霊になられた二四六万人にとって、また私のような人間にとって特別な場所なのです。

 この神社の「代替施設を作ろう」などという構想は、言語道断というよりほかない。

二四六万人の英霊は、もはや声をあげて語る事はできないが、靖国に近い場所にいる私の立場は、彼等と同じものです。私達に言わせれば、こんなけしからん論理はありません。

 今、「代替施設」を支持する人達は、おおむね、近隣諸国から言われた文句をそのまま伝えているだけにすぎない。日本人の筈なのに、日本人ではないような感覚で物を言っている。私には許せない。総ての英霊が怒っていると思います。

 彼等は、戦争を好んだわけではない。しかし、国家が侵される危機に臨んで、国を守る防人として、命を懸けて戦った。それは、恋しい女に、家族に、心を残しもしたでしょうが、「後に残る者のためにも」と戦った。

 それでも苦しかったであろう彼等の心のよりどころが、靖國神社だった。「決して死にたいわけではないけれども、死んでしまっても、俺たちは靖國神社に入るのだ。ここで友とまた会えるのだ」と。

 靖國神社は、「神社」ではなく、「国家そのもの」なのです。

 「代替え施設」などと言う話を聞いたら、彼等のすべてが怒るでしょう。自分たちは国を忘れたような人達の為に一命を捧げたわけではない、と哀しむでしょう。>

(中條高徳 小野田寛郎 共著 WAC 平成十六年刊)P百五十八〜百五十九

 

 そして、小野田寛郎元少尉は同書で下記のように述べておられます。

 <国のために死んだら靖國神社に御祀りするというのは、戦争で死んだ者たちとの約束です。それを国が護持しない、別の施設を作る、などというのは、借金を返さないよりももっとたちが悪い。

 死んだ人に嘘はつけない、というのは、日本人の良心です。死んでしまったからもういいんだ、約束は流してしまっていいんだ、などというのはとんでもないことです。

 中国人にはわからないかもしれないが、決して死んだ人との約束を違えてはならない、死者に鞭打つようなことはしてはいけない、というのは日本人の古来の感情ですよ。

 略)

 小泉総理が、若者たちは「心ならずも」戦争に行かされて、戦死したような言い方をしましたが、とんでもないことです。

 既婚者は、家族を遺して死ぬ事に心残りもあったかもしれないけれども、独身の若い者たちは、自分が先頭に立って戦わねば、とみな思っていた。年寄りを前に立たせたって仕方ないのですから。これは何処の国だって同じでしょう。命がなくなる事は覚悟していた。

 略)

 私たちだけでない。みな若い人は覚悟を決めていました。「心ならずも」なんていう気持ちで、特攻機に乗れますか?

 だから、彼等は死んで私達に恩恵を与えてくれる神様なんです。独身者は、親兄弟がしんだら、もう御祀りしてくれる人はいません。でも靖國神社がある。国のため戦死した人を国が祀ることは当たり前で、これは、日本だけのことではない。どこの国だって当たり前の感覚です。

 日本人はそれさえわからなくなってしまったのか、と思います。>

(中條高徳 小野田寛郎 共著 WAC 平成十六年刊)P百四十六〜百五十

 靖國神社に参拝もしないで、英霊との約束を守ろうとしないクソ総理大臣が偉そうな事をぬかすな!

 つうことです。

 こんなアホやから、仙石や岡崎みたいな人間のクズにまで入室しても無視されコケにされる。

 首相の威厳もへったくれもない。

 

 今日起きると、やっぱり、両肩、背中、腕、腹筋などあちこちが筋肉痛。

 午後より、古本屋さんに久しぶりに寄るが何も購入せず。

 夜は風呂に入った後は、ゴロゴロと何もせずにマンガの本を読んで寝る。

 酒は飲まず。


 

12月19日日曜日晴れ ○

店を片付けて、高田馬場に出る。

芳林堂さんに寄り、雑誌など数冊購入。

夕方より、メチャ久しぶりにスポーツセンターへ。

いろいろな方より、「久しぶり〜」「生きてたんだ〜」と温かいお言葉。

今日は時間もあったので、ほぼ三時間近く滞在し、それなりにメニューを消化。

ベンチプレスは六十キロでアップし百キロまで。それから五キロ刻みで六十キロまで。インターバルは一分。

百キロでの回数が伸び悩み。

店に寄ってから帰宅。

帰宅後は何もする気になれずに、風呂に入った後はマンガの本を読んで終わり。

酒は飲まず。


 

「日本再生同志の会」総会と「尖閣諸島死守、皇室不敬、民主党倒閣デモ」

12月18日土曜日晴れ △

 午後一時より靖国会館で開かれる「日本再生同志の会」総会に参加させていただく。

 其の後、懇親会。

   

 

 

 今日はギリギリに到着だったので、靖國神社参拝は懇親会の帰り。

 開かれていたフリマで二冊購入。お会計の時に、表示価格五百円の半分の二百五十円にしてくださったので二冊で五百円なり。感謝。

  

 着替える間もなかったので、そのまま渋谷に移動し、「尖閣諸島死守、皇室不敬、民主党倒閣デモ」に参加。

 スーツでデモに参加するのは初めて・・・・・・

 遅れて行ったので、最後尾だったが、途中で参加される方も多く、知らない間に後ろに多くの方がいらっしゃった。

  

  

  

 

 

 

 いつものことながら、動員をかけられ、渋々参加している腐れどものデモと違って、お年を召している方、若い方、お子さん連れの方、御夫妻で参加されている方。国を憂いているみなさんが自主的に参加されている。

  

  

 

 何よりも腐れどものデモには、日本民族の誇りである美しい日の丸はない。

 今回も四千二百人以上の参加者だったそうな。

 開店準備も在り、途中でぬけさせていただくつもりが、結局、終点まで。

 ハチ公前で開かれている集会を横目に大急ぎで帰る。

 

 Kさん五名様で来店。

 Kさん二名様で来店。

 二名様来店。

 一名様来店。

 江上さん御夫妻来店。

 Oさん来店。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。


紅?瓦小吃部

12月17日金曜日晴れ ×

西村眞悟氏が水曜日にご来店くださった時に話されていた台湾の「紅?瓦小吃部」というお店のTシャツを贈ってくださる。

 このお店についてネットで調べると、「無情の都市」と書いたTシャツで店主がインタビューに答えている動画がある。

http://www.youtube.com/watch?v=-uAYdGvRJ_c

 この店主、および台湾の事について西村氏は御自身のメルマガで下記のように書かれている。

以下引用

<西村真悟の時事通信(平成 22 年 11 月 12 日号)

台湾南部の高雄と竹田と潮州

 十一月六日の東京での集会とデモ、七日の地元堺泉ヶ丘における時局講演において、心情と本音をお伝えさせていただき、翌八日の朝から十一日の夜まで、台湾の南部、高雄と潮州および最南端のギャランピーまで訪問してきた。

 戦前から情報分野で活動されてこられた門脇秀朝さんは、今年九十七歳になられるが、お嬢さんの付き添いを得て十一月二日に台北に入り時計回りに台湾の東海岸を花蓮、台東と廻り八日には潮州に入られた。

 私は、八日の朝大阪を発ち夕刻潮州で門脇さんに合流した。門脇さん一行は、潮州までは山岳部の台湾原住民の地を主に廻られてきた。

 私の合流した潮州からは完全な日本語を日常使っている人々との意見交換と意気投合と会食の三日間だった。ここは、北部の台北とは全く違う台湾であった。彼らの立ち居振る舞いは、昔の日本人そのものであった。

 そして、これ全て門脇さんの国を超えた地下水のような人脈の御陰である。まことに門脇さんの人脈は貴重である。国と国との関係もこの人脈が成り立たせる。

 高雄での昼食の場として招いてくれた店の本来は店の名を掲げる大きな表看板そして玄関前の柱には、びっくりするようなスローガンが大書されていた。

 まず玄関の上の表看板には「報告 蒋総統 馬英九造反了」、玄関の左右の柱には、「拒絶招待中国人」と「公平審判陳水篇」が大書されていた。

 これは、「蒋介石総統に報告する。馬英九(現総統)は裏切った」、「中国人は招待しない」、「陳水篇(前総統)に公平な裁判を」という意味である。

 店主からもらった名刺にも「拒絶招待中国人及台奸」とあった。これは、中国人と台湾を裏切る台湾人(台奸)は店にはいるなという意味。また、帰るときに、Tシャツをもらったが、その胸のところには「馬上通匪売台」と書いてあった(馬の字は上下逆さま)。これは、馬総統は中共と通じて台湾を売るという意味である。

 このような店、台北にあるはずがない。昼食を共にした十名ほどの人々は、皆身内を2・28の白色テロで蒋介石に殺された方ばかりであった。この痛々しい体験が生々しく残る高雄では、「もし、中共が台湾を飲み込んだら、この店主は共産党に殺される。それを覚悟で店のスローガンを書いている」という説明は現実味を帯びている。

 この店は次の場所にある。料理は大変おいしい。高雄に行かれたらこの店に立ち寄られたし。表の看板ですぐ分かる。

 高雄市三民區大連街238號 TEL3233315

 さて、高雄そして近くの竹田に来て日本に来たような気がしたのであるが、果たして今会って日本語で話し合っている人々は日本人ではないのだろうか。

 もし彼らが「日本国籍確認の訴え」を起こしたならば、日本国籍が確認されるのではないか。

 我が国は、サンフランシスコ講和条約第二条で次のことを宣言した。

「Japan renounces all right,title and claim to Forumosa and Pescadores.」

 即ち、我が国は、台湾に対する「主権」(sovereibnty)を放棄するとは言わず、「処分権」、「占用権」、「宣言権」を放棄しただけである。また、台湾は我が国の領土であって植民地ではない。テキサスがアメリカ合衆国の領土であって植民地ではないのと同じである。

 従って、我が国は第二条で放棄したもの以外の「残存主権」を未だに台湾に有している。また、我が国が第二条の放棄をしたからといって台湾における日本人がその国籍を失うことにはならないことは当然である。従って、蒋介石が二.二八事件以来の白色テロで殺したのは、「日本人」だったということになる。

 以上の思いをもって指摘したいのは、十月三十一日の産経新聞朝刊に載った「日台分断を防ぐには」という台北支局長の山本勲さんの記事である。

 まことに時期を得た適切で示唆に富む記事である。ここには、尖閣諸島周辺海域における漁業権に関して配慮すべきことが書かれていた。

 尖閣に関して、我が国政治家が歴史を背景に構想を練るならば、日台が中共に分断されるどころか、我が国が中共を台湾から遮断することができる。

 私は、高雄そして隣の竹田において、次のように述べた。

「尖閣諸島とその周辺海域は、日本人が開拓した日本人の島であり海域である。その日本人のなかには台湾の人々も入る」>

引用終わり。

 台湾からのお客様がご来店時にはこのTシャツで対応させていただきます。

 今日はご予約が一件もなかったのですが、当店としては珍しく多くのお客様ご来店。

 バンブーさん来店。

 Wさん御夫妻来店。

 めぐろのしみずさん来店。

 ナベちゃん来店。

 二名様来店。

 KくんOさんと来店。

 Sくん来店。

 Iさん、Sさん四名様で来店。

 営業終了後、カッシーさんが開いたという新橋のワインバーへ伺う。

 遅くまでお邪魔してしまって、すみませんでした。


 

北朝鮮による朝鮮高校教科書の嘘

12月16日木曜日晴れ ○

 産経新聞の記事です。

以下引用

歴史歪曲で北を「正当化」…朝鮮学校の小学教科書

2010.12.13 22:43産經新聞

 朝鮮学校の小学生用歴史教科書に朝鮮戦争などの史実を歪(わい)曲(きょく)した記述があることが13日、分かった。無償化問題では、高校の歴史教科書での史実の歪曲や反日的記述が問題視されているが、小学校の歴史教育にも同様の問題がある実態が浮かび上がった。

 教科書は昨年発行され、現在、全国の朝鮮初級(小)学校の6年生の教科で使われている「朝鮮歴史」。北朝鮮の民主化に取り組むNPO「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」(RENK)が入手し13日、公開した。

 「朝鮮歴史」では、日本統治からの解放について「朝鮮人民革命軍は1945年8月9日、総攻撃を開始した。対日戦争に参加した朝鮮人民革命軍とソ連軍の激しい攻撃に日帝は8月15日、無条件降伏した」と描く。だが、朝鮮人民革命軍として対日参戦した史実はなく、故金日成主席は終戦までソ連に逃れていた。

 北朝鮮が先に韓国に侵攻した朝鮮戦争については「米帝(米国)は共和国(北朝鮮)をなくしてしまおうと、不意に戦争を引き起こした。わが人民は3年間の祖国解放戦争で英雄的に戦い、米帝を打ち破った…」と記述している。

 朝鮮学校側は、教科書が日本社会での認識に合うよう改訂された点を強調。高校無償化問題を理由に大阪府など、小中学校への補助金まで凍結する自治体への非難を強めている。しかし、「朝鮮歴史」の記述は高校の「現代朝鮮史」同様、北朝鮮を正当化するための歪曲は依然改まっていない事実を示している。

引用終わり

 この記事にも書かれている手元にある朝鮮高校の「現代朝鮮史」にも同様の事が言えます。

 救う会のホームページにも北朝鮮の教科書についての記述があります。

http://www.sukuukai.jp/report02.php?itemid=2360

 <二〇〇二年九月、朝日平壌宣言発表以後、日本当局は「拉致問題」を極大化し、反共和国・反総連・反朝鮮人騒動を大々的にくり広げることによって、日本社会には極端な民族排他主義的な雰囲気が作り出されていった。>

「現代朝鮮歴史 高級3」P百二十二

<二〇〇二年九月十七日には歴史的な朝日平壌宣言が発表された。 半世紀以上、共和国を敵視したり遠ざけてきた諸国が共和国政府を正式に認め、関係改善の道に乗り出してきた事は、アメリカの国際的な「対朝鮮包囲網」が崩れ、反共和国孤立圧殺策動が危機に瀕するようになったことを示すものであった。>

「現代朝鮮歴史 高級3」P百四十三

 拉致という許されない犯罪を豚金正日が認めた事、謝罪した事を隠し、完全に被害者面です。

 流石に、朝鮮人です。

 それは、朝銀破綻についても同様です。

<日本経済は一九九一年に「バブル景気」が壊れ、長期的な不景気状態に置かれるようになり、中小企業の破産や大量解雇(リストラ)で失業者が急速に増えていった。

 こうした環境の中で民族金融機関である朝銀が相次いで破産した。>

 「現代朝鮮歴史 高級3」P百〇八

 当たり前の事でが、朝銀破綻の原因は北朝鮮によるものです。

 その他にも、「解放直後の在日同胞の志向と立場」として、下記のように記されている。

<異国の地であらゆる民族的蔑視と虐待を受けながら生きてきた在日同胞が祖国解放を迎えたときの感激は並み外れて大きかった。

 彼らは「金日成将軍万歳!」「祖国解放万歳!」を声高らかに叫び、抱き合って喜びの涙を流した。>

「現代朝鮮歴史 高級1」P五十七

 

 ソビエト政府の傀儡朝鮮人である金日成がその時の絶対的指導者であるはずもなく、その名前を当時の我が国に居た朝鮮人が叫ぶはずもない。

 金日成は自ら起こした朝鮮戦争の時に、家族を逃がした後、自らも逃亡したような腐れ朝鮮人である。

 この朝鮮人の嘘は其の後も続きます。

 <解放された民族の堂々たる地位を占めた在日同胞たちは一日も早く家族親類の待つ懐かしい祖国に帰って、新しい祖国の建設に貢献しようとした。しかし在日同胞の期待と願いは米日当局の不当な策動によって思い通りに実現出来なかった。>

「現代朝鮮歴史 高級1」P五十七

 こういうのを読むと、やっぱ朝鮮人の「嘘つき」というのは血だな、まさに国技だと思います。

 名前を奪われたと言っては、平気で通名という偽名を使い、無理矢理慰安婦にさせられたと言っては、現在でも若い腐れ朝鮮人売春婦どもが出稼ぎで来ては上野、鴬谷あたりにゴロゴロしている。

 強制連行されて来たと言って、其の後も我が国が帰さなかったから帰れなかったといいながら居座っているが、平気で密航してまで戦前から現在まで我が国に来る。

 下記は当時の宰相である吉田茂が連合軍最高司令官マッカーサー宛に出したものです。

<「朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。彼らは、総数一〇〇万に近く、その約半数は不法入国であります。

 これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。

 その理由は、次の通りであります。

 現在および将来の日本の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。

 米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。

 略)一

 朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。

 大多数の朝鮮人は、日本経済の復興にまったく貢献しておりません。

 このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。

 略)二

 朝鮮人の中に犯罪分子が大きな割合を占めております。

 彼らの多くは共産主義社およびそのシンパで、最も悪辣な種類の政治犯罪を犯す傾向が強く、常時七千名以上が獄中にいるという状態であります。

 さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。

 略)三

 戦後の朝鮮人による起訴犯罪事件数は次のとおりです。

(詳細省略、一九四八年五月末までで、九万一二三五名の朝鮮人が犯罪に関与したという数字をあげている)

 略)四

上述のような見解を、原則的に閣下が御承認下さるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する予算並びに他の具体的処置を提出するものです。

朝鮮人の本国送還に関する私の意見は次のとおりです。

さて、原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。

日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければな

敬具 

                        吉田茂

連合国最高司令官 

 ダグラス・マッカーサー元帥>

「在日外国人」(田中宏 岩波新書 平成三年刊)

<原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。>

 当時も、そして、現在も朝鮮人という存在が我が国にとり「迷惑」な存在であり続けて来たことがこの吉田茂の書簡よりわかります。

 続く

 Mさん来店。

 ホロン部員Yさん来店。

 Mさん二名様で来店。

 いや〜オチャピーでなくて良かった。

 サルにもエビにもならずに一日が終わりました。


 

12月15日水曜日晴れ △

Kさん来店。

ひとり飲んべえの会。

中学の同級生・奥野の娘さんであるミカちゃん五名様で来店。

西村眞悟氏、稲川和男氏、佐波優子氏六名様で来店。

 

アンナさん来店。

小胡子さん来店。

ドンチャン。

一応記憶はあったが、洗い物もする気になれずに、ドッチャリと残ったまま。

サルよりマシ。

エビにもならず。


美丈夫の兎

12月14日火曜日雨のちくもり ×

  めぐ蔵さんが設定をしてくださったので、Twitterを始めてみたものの、いまいちよくわからん事ばかり。

 美丈夫蔵元である濱川社長が今年も贈ってくださった美丈夫干支シリーズ(の特別バージョンだそうです)。

 ありがとうございます。

 沖縄よりHさん来店。Oさんと当店で待ち合わせされていたそうで、

後で、Oさん合流。

 初めてのお客様Iさん二名様で来店。

 同じく初めてのお客様Kさん二名様で来店。

 初めてのお客様Sさん二名様来店。

 Tさん来店。

 今日はOさんとTさん以外は皆様初めてご来店いただいたお客様という珍しい日でした。

 Tさんとドンチャン。

 記憶はあったと思ったが、気が付いたらカウンターで灯つけっぱなし、ファンヒーターつけっぱなし、鍵もかけずに寝てました。

 サル。

 でもエビではない。


 

池田大作氏

12月13日月曜日雨 ○

 池田大作氏が表に出なくなってから久しい。

 もう、八十二歳だそうだからいつ逝ってもおかしくないでしょう。

例えば、築地の市場でキチガイ新聞と呼ばれている聖教新聞には、十一月四日の「栄光の創立八十周年を全同志と慶祝」という見出しと共に、北朝鮮と見まがうばかりの行事の写真が多く掲載されていたが、その大切な行事には池田氏は出席せず、二〇〇〇年三月に写した写真が掲載され、SGI会長が祝福とあり、「見事でした。満点です」というそこにいるかのようなメッセージのみです。

 

 十一月十八日にはそのチキガイ新聞の一面には、十一月十四日に新宿区内で写したとされる「世界百九十二か国・地域の友に心から感謝と謝辞を捧げる池田名誉会長夫妻」と金屏風の前で香峯子夫人と二人で写った写真が掲載されているが、第三者が写ってなく、本当に十一月十四日に写したものか証明出来るものがない。

 

 その翌日の十一月十九日の気違い新聞には、民衆が輝く百周年へ出発」と第一面にあり、記念勤行会が創価文化会館を始め全国で行われたそうだが、池田大作氏は信濃町にある学会本部で、各部の代表ととも勤行したそうだが、写真はその池田氏の勤行の写真ではなく、どういうわけか原田氏の創価文化会館での写真。

  

 十二月一日にもブラジルアマゾナス教育科学技術連邦大学とやらより池田夫妻に三百一番目の名誉博士号が贈られ、翌十二月二日の気違い新聞には支那の大連海事大学から池田氏に名誉教授称号が贈られ、わざわざ、来日して創価大学で授与式があったらしいが、池田氏は自作と言われる漢詩を贈っただけだったらしい。

 まあ、池田氏はこんなものよりノーベル平和賞が何よりも欲しいのだろうが、それはいくら問題のあるノーベル平和賞でも、あかんだろう。

 それよりも、当店のURAホームページの常連である愛国青年氏がダボハゼ池田大作氏に支那のお笑い「孔子平和賞」とかやればと投稿してくださいましたが、まさに的を得ていると思います。ダボハゼ池田大作氏だったら、喜んで食いつくでしょう。

何しろ、どこかの小学校の名誉PTA会長やアメリカの小学校の名誉校長になったという事さへ、気違い新聞の一面に掲載される程ですから。

あほらし。

店に寄り、資源ゴミを出してから帰宅。

今日は、酒は飲まず。


 

磯自慢の会

12月12日日曜日晴れ △

今日は午後三時より酒たまねぎや飲んべえの会。今回は静岡の銘酒・磯自慢。

寺岡社長、そして第一秘書?醴泉の山田社長も御参加くださる。

乾杯は磯自慢の最高酒「アダージョ」。

 今日の出品酒

NO.1 磯自慢 純米大吟醸 中汲み35%  古酒 アダージョ 2本
NO.2 磯自慢 純米大吟醸 中汲み35% 平成22年(21BY)2本
NO.3 磯自慢 純米大吟醸 中汲み35% 平成21年(20BY)2本
NO.4 磯自慢 純米大吟醸 中汲み35% 平成20年(19BY)2本

 

NO.5 磯自慢 純米大吟醸 山田錦40% 古家 (21BY) 2本
NO.6 磯自慢 純米大吟醸 山田錦40% 常田 (21BY) 2本
NO.7 磯自慢 純米大吟醸 山田錦40% 西戸 (21BY) 2本
NO.8 磯自慢 純米大吟醸 愛山40% グラッパボトル(21BY)2本

NO.9 磯自慢 大吟醸   山田錦45%       (21BY)
NO.10 磯自慢 純米吟醸 多田信男 山田錦50%  (21BY)
NO.11 磯自慢 純米吟醸 多田信男 山田錦50%  (14BY)
NO.12 磯自慢 大吟醸 水響華 山田錦50% (21BY)
NO.13 磯自慢 純米吟醸 山田錦       (21BY)

本日、寺岡社長が当店の会にと絞りたての吟醸を三本も。

後はドンチャン。

  

 

 

 

六時に中締め。

後はダラダラ。

 

 

 

本日参加してくださった皆様へのお土産として、磯自慢の酒粕。

其の後、いつものように残った皆様と高田馬場にあるラーメン屋さんへ。

今日はめぐ蔵さんがお手伝いでいらしてくださり、メチャらくちん。

記憶あり。

サルよりマシ。

エビにもならず。


 

朝鮮人の族譜の嘘

12月11日土曜日晴れ ○

 朝鮮人は「息を吐くように嘘を吐く」あるいは「息をするように嘘を言う」などと言われています。

 嘘は、朝鮮人にとって、まさに売春、強姦、放火と並ぶ「国技」と言うべきものです。

 あのどうしようもないドアホウの井筒和幸氏は朝鮮の族譜について

<どんな人でも一〇〇〇年ぐらい昔の家系がわかっている>

「民族の壁どついたる!」p四十八

 そして、これまたどうしようもない大バカで算数もできないくせに、大阪市立大学教授である朴一氏は、「族譜」というものについて、

<韓国には、自分のルーツを明らかにするものがある。実は私の家にも族譜があり、毎年一一月になると故郷の慶尚南道で法事があり、そこに私も一族の長として参加する。わたしのところにはだいたい二〇〇坪ほどの墓に、先祖代々五〇の墓が集まっていて、そこに三〇代前まで遡って、密陽朴家の墓がずらりと並べてある。私も三五代目の朴家の長男であることが、族譜の中に書かれている。

略)

 そうすると、ごくあたりまえのことですが、自分の存在の上には、お父さん、お母さんがいて、その上にはおじいちゃん、おばあちゃんが四人いるわけである。さらに、そのおじいちゃんとおばあちゃんの上には八人いて、さらにその上には一六人いる。それを三三代まで、私は名前を書きながらずっとたどっていってみたことがある、記録していったものが族譜です。そうすると自分の上には何千人もの人々がそびえ立っていることがわかる。>

「『在日コリアン』ってなんでんねん」(P三三〜三四)

と自分の著書に書いている。

 どんな人でも千年ということになると、三十年平均で三十三代ということになる。

 そうすると、朴一氏のいうように三十五代目という人もいることになる。

 しかし、朝鮮の現在現存するもっとも古い族譜は成化十二年(一四七六年)に刊行された『安東権氏世譜』である。

 そして、我が国が併合するまで四十%が奴隷だった国である。

 生殺与奪を飼い主に握られている奴隷に名字などそあるはずがなく、奴隷が名字を持てるようになったのは我が国が朝鮮半島を併合してからである。

 現実に現存する族譜の編纂時期は我が国が併合した明治四十三年(一九一〇年)以降のものが約半分を占めている。

玄大松氏(財団法人アジア太平洋研究会)の論文によると

 <族譜を編纂時期別にみると、十五世紀に二十三点、十六世紀に四十三点、十七世紀に百四十八点、十八世紀に三百九十八点、十九世紀に五百八十点である。二十世紀には、一九四五年以前が四百十七点、一九四六年以後が六百八十四点である。(『姓氏の故郷』第3版、中央日報社、千九百九十年)編纂年度が不明な三百三点を含め、千九百九十年現在で把握されている二千五百九十六二点の族譜のなか、二十世紀以前のものが千百九十二点、二十世紀以後のものが千百一点である。現存する韓国の族譜の半分近くが二十世紀に入ってから編纂されたものであることが分かる。これは何を意味するのか。

略)

朝鮮中期まででも身分が低い人は名字がなく、出身地をあらわす本貫しかもっていなかった。韓国で誰もが名字を持つようになったのは身分制度が打破されてからであり、日本の植民地支配の過程で一九〇九年民籍法が施行されてからのことである。

 では、今まで名字がなかった人々はどのように名字を付けたのであろうか。四つの事例がある。第一に、戸籍書記と警察とが本人の希望通り、あるいは適当に作ってあげた。第二に、奴婢の場合、主人の名字を使うことが多かった。第三に、出身地で最も多い大姓を名乗った。第四に、戸籍書記が記録のとき、漢字を間違ったのがそのまま名字になった。

 改めて述べるまでもなく、十七世紀以降族譜の刊行が盛んであったため、族譜に名を連ねている祖先の多くの功績が文禄・慶長の役での活躍である。そして、彼らが公式的な文書、歴史物語のなかにも登場する。それと同時に、田舎には文禄・慶長の役で戦死した祖先を祀る霊廟が町内にあり、人々が参拝してはその祖先が成し遂げたことを回想する。祖先の物語が現在も生活の中に息づいているのである。

略)

しかし、前述したように韓国人のすべてが名字を持つようになったのは、二十世紀に入ってからである。

 十五世紀に二十三点、十六世紀に四十三点、十七世紀に百四十八点に過ぎなかった族譜の刊行が、十八世紀に三百九十八点へと飛躍的に増えたのは、単に印刷技術の発達によるだけではない。族譜があれば軍役が免除されるなど、族譜をもつこと自体が特権であったためでもある。それゆえ族譜の偽造が大量に行われた事実は『朝鮮王朝実録』の記事にも散見できる。十九世紀末の身分制度の崩壊と、植民地時代での身分の変動に伴い、一九二〇年代には毎年族譜がベストセラーになったくらい、族譜の編纂は盛んになった。その多くが「作られた伝説」であることは言うまでもない。すなわち、いま各家庭で神聖なものとして奉られているほとんどの族譜が実は「幻の族譜」なのである。

 十六−十七世紀には、姓氏さえも持っていなかった奴婢は全体人口の三十−四十%であり、人口の四十−五十%を占めていた百姓も族譜を持つことは不可能であった。にも拘わらず、現在韓国のほとんどの家庭が五−六世紀からの始祖から始まる族譜を持っている。族譜からみて、現在の韓国人は皆これまでこの国を作り、支配してきた王様か、両班貴族の末裔である。

「族譜・アイデンティティ・日韓関係」玄大松氏(財団法人アジア太平洋研究会)

 朝鮮人ではないがどうしようもないアホな井筒和幸氏、朝鮮人らしく嘘つきなだけでなく算数も出来ない朴一氏だけでなく、族譜については平気で嘘を言っている連中が多い。

 我が国が併合したおかげで、朝鮮人の半分近くが奴隷から解放され、名字を持つ事ができたのです。

 

 玄大松氏のこの言葉が朝鮮人というものをよく現している。

 <十六−十七世紀には、姓氏さえも持っていなかった奴婢は全体人口の三十−四十%であり、人口の四十−五十%を占めていた百姓も族譜を持つことは不可能であった。にも拘わらず、現在韓国のほとんどの家庭が五−六世紀からの始祖から始まる族譜を持っている。族譜からみて、現在の韓国人は皆これまでこの国を作り、支配してきた王様か、両班貴族の末裔である。>

 朝鮮人は本当の事を少しは言った方がいいと思う。

 いくら「嘘」が国技だからといっても・・・・・・・

 そういや、当店のお客様が昔お付合いしていた在日朝鮮人も「うちの家系は済州島の王族の家系だ」と言っていたそうです。

 今日はメチャヒマで、四回目のオチャピーかと思っていたら、久しぶりにご近所に住まわれている外国の方が二名様来店。

 一名様来店。

 いや〜オチャピーでなくて良かった。

 今日は飲まずに、明日の準備。


 

12月10日金曜日晴れのち小雨△

夕方、宅急便のオヤジさんがえらく重そうな荷物を配達してくれる。

中には磯自慢の吟醸粕がどっちゃり。

バンブーさん来店。

Oさん二名様で来店。

目黒のしみずさん来店。

恒例となった「磯自慢三十五%」一人垂直。

今回はアダージョ付。

Kさん、Hさん来店。

Sさん五名様で来店。

営業終了後、めぐ蔵さんと日曜日の予習ということで、

磯自慢四十%四種、磯自慢三十五%四種、アダージョの見比べでドンチャン。

記憶あり。

サルよりマシ。

エビにもならず。


 

磯自慢

12月9日木日曜日晴れ △

磯自慢アダージョ 

昨年は三〇〇〇mlで五十一本。今年は四合瓶(七二〇ml)で出荷だそうです。

中に入っていたパンフレットでは170Lとなっていたので、製品として出されるのは多くても二百本ちょっとだろうと思います。

 

 

 

 飲んべえの会の出品予定酒

 

NO.1 磯自慢 純米大吟醸 中汲み35%  古酒 アダージョ 2本
NO.2 磯自慢 純米大吟醸 中汲み35% 平成22年(21BY)2本
NO.3 磯自慢 純米大吟醸 中汲み35% 平成21年(20BY)2本
NO.4 磯自慢 純米大吟醸 中汲み35% 平成20年(19BY)2本

 

NO.5 磯自慢 純米大吟醸 山田錦40% 古家 (21BY) 2本
NO.6 磯自慢 純米大吟醸 山田錦40% 常田 (21BY) 2本
NO.7 磯自慢 純米大吟醸 山田錦40% 西戸 (21BY) 2本
NO.8 磯自慢 純米大吟醸 愛山40% グラッパボトル(21BY)2本

NO.9 磯自慢 大吟醸   山田錦45%       (21BY)
NO.10 磯自慢 純米吟醸 多田信男 山田錦50%  (21BY)
NO.11 磯自慢 純米吟醸 多田信男 山田錦50%  (14BY)
NO.12 磯自慢 大吟醸 水響華 山田錦50% (21BY)
NO.13 磯自慢 純米吟醸 山田錦       (21BY)

 

富山よりURAホームページをご覧頂いたKさん初めてのご来店。

興味深いお話をうかがう事ができました。

Sくん来店。

NさんSさんと来店。

Hさん三名様で来店。

Mさん副店長さんと来店。

後で一名様合流。

ドンチャン。

今日は飲み始めが遅い事もあり、記憶あり。

サルよりマシ。


 

渡邉文男という御仁

12月8日水曜日晴れ △

渡邉文男氏。

自称「日本一の探偵」(酔っぱらって、本人が警官に向って大声で言っていた動画がどっかにあると思います。随分前に見た覚えあり)

ゴシップサイト「探偵ファイル」代表。

この人は戦後四十年経っても沖縄の防空壕に肉片を発見出来る人です。

20年前、年老いた自営タクシーを一週間貸し切って海にも行かず戦跡だけ回ったことを書いたと思う。← 書いたっけ? 本と混同してるかも知れない。御免。

凄かったなぁ。集団自決の防空壕に突き刺さった頭がい骨や女学生のモンペや肉片。どうせ政治家なんて「何とか記念館」しか見てないだろう。

沖縄は日本じゃない。公用語は日本語だけど、植民地なんだ。

独立を宣言しよう。今なら米軍も自衛隊も動かない。大阪都が出来る前にやってしまおう。

BOZZ

http://www.tanteifile.com/diary/2010/05/29_02/index.html

沖縄では、高温多湿であろう洞窟内で四十年経っても肉片が確認出来るのですか。

独立するには単独で自立できなければ、結局、どこかの属国になります。我が国から独立して、完全な独立国でいられるその根拠は何処にあるのでしょう。

独立を宣言して、そして、支那の属国になった方がいいとでも言うのであろうか。

そして、こういう事も書いています。

<漁船がぶつかってきた。そんなもの99.9%の日本人は最初から分かっている。あえて言うなら中国人だって知っている。

俺の親父は上海で海軍少尉だった。

  白の軍服姿。

  毎日、鉄砲でブタを殺して食べクーニャン(若い娘)とデート。少し田舎に行くと女性を強姦したりその後殺したりなんて当たり前の世界だった。

親父曰く。

戦争で一番怖かったのは

『戦争に負けて日本に帰ってくる時の飛行機だったな。いつ撃ち落とされるかヒヤヒヤした。』

どうして日本が負けたのか、最後の最後まで理由が分からなった典型的なアホ軍人の一人である。

親父は南京の大虐殺も知っていた。この方面の海軍は平和だったというせいもあって入ってくる情報は逆に正確だった。

俺の親父がわざわざ息子に軽蔑を招く嘘をつく必要も無い。

 当時(中国に対しては戦勝)の日本の軍人が何をしてきたのか、タモガミの論文を頭から信じる前に中国に行って墓を掘り起こせ。真実を本当に知りたければそこまでしないと駄目だ。 >

http://www.tanteifile.com/diary/2010/11/11_01/index.html

 白の軍服の海軍少尉

 毎日、豚を鉄砲で殺し、

 支那から復員するのに「飛行機」

 だそうです。

 この方は写真かなにかで、お父上の第二軍装をご覧になったのでしょう。他に、第一軍装である紺色、ましてや、海軍で支那方面に多かった陸戦隊だと第三軍装もあるが、上海に於いて白い軍服の海軍少尉ということは、まさか第三軍装の上海陸戦隊ではないと思うが、そうすると、豚を撃ち殺す鉄砲とは何をいうのだろう。

 帝国海軍少尉ということは士官である。船に乗る海軍士官が持つ銃といえば思い浮かぶのは護身用としての拳銃だが、帝国海軍士官は必要でもないので拳銃は自費購入したそうなので、お父上は何をお持ちだったのだろう。

 あと、なぜ、何の必要があって毎日どこで豚を殺すのにその鉄砲(拳銃?)をぶっ放すのでしょう。

 

 毎日豚を殺しはしないと思うが、もしそうだとしても、普通は毎日家畜の豚を殺すのに高価な弾を使わないと思うし、使う必要もない。豚を食うのであれば、包丁で殺した方が確実だし、後が楽です。

 使う必要もないものをどうして使うのでしょう?

 ましてや、少尉が毎日豚を殺し若い娘とデートできるほど軍隊は暇ではないと思うがどうなのでしょう。

 あと、いち海軍少尉が復員するのに「飛行機」でっか?

 マジでっか?

 海軍の輸送機だと、主力である定員二十名程の零式輸送機にでも乗って帰国したのでしょうか?

 

 上海方面より、戦後、いつ撃ち落とされるかヒヤヒヤしながら飛行機でイチ海軍少尉が帰国したという方のお話は私の記憶では初めてです。

 

 私は普通帰国するのに使うのは、てっきり、復員船だと思っていました。

 飛行機で復員するとは、いったい、どのような重要人物だったのでしょう。ぜひ、その帰国時に使われた機種、着陸場所、同乗者など公開願いたいものです。

 すべて言葉のあやだというのであれば、このような書き方をすべきではないし、何よりも、支那人が現在進行形で我が国に対し暴虐を働いているのと、我が国が過去に支那において戦争をした事をどうして引き合いに出さなければならないのか。

 

 あほちゃうか。

 そして、したり顔で平気で嘘をつく。

 あほらし

 Tさん来店。

 Mさん二名様で来店。

 一名様来店。

 初めてのお客様Sさん御夫妻来店。

 Nさん来店。今日は横須賀からわざわざ。

 Tさん三名様で来店。

 ドンチャン。

 でも記憶あり。

 サルよりマシ。


 

いまさらながらですが

フジテレビドラマ「戦場のなでしこ隊」の醜い嘘 追記2

平成22年12月7日火曜日晴れのち雨 △

 今我が国の多くの放送局、あるいはその親会社が外国人により株式が買い占められています。

 たとえば、外国人株主が「建前」放送免許取り消しラインギリギリの十九・九九%というフジテレビ。

まあ、この数字についてもこう開き直っております。

(1)名義書換の拒否について

当社は、平成20年10月1日を効力発生日とする新設分割及び商号変更を行い、従来の放送事業会社から認定放送持株会社に移行しました。

認定放送持株会社は、放送法で定める外国人等の有する議決権について、上掲@からBまでに掲げる者により直接に占められる議決権の割合とこれらの者によりCに掲げる者を通じて間接に占められる議決権の割合として総務省令で定める割合とを合計した割合が、議決権の20%以上となる場合には、放送法の規定により、認定放送持株会社の認定が取り消されることになります。そのため、このような状態に至るときには、外国人等からの株式の名義書換請求等による株主名簿への記載・記録を拒否し、又は、外国人等の議決権行使を制限することができるとされています(放送法第52条

の32第1項及び第2項)。>

http://www.c-direct.ne.jp/public/japanese/uj/pdf/10114676/20091021178336.pdf

つまり、外国人等からの株式の名義書換請求等による株主名簿への記載・記録を拒否」して維持しているのが十九・九九%という数字です。

実際は、二五・八四%もの株式が外国人に握られています。

証券保管振替機構のホームページより

http://www.jasdec.com/reading/for_pubinfo.php

 こういった会社ですから、いろいろとやってくれます。

 有名なのは浅田真央選手に対しての扱い。

http://www.youtube.com/watch?v=wE3d5wB4NFw

 南朝鮮国歌は流すのに、日本選手が優勝しても国歌を流さない。

http://www.youtube.com/watch?v=nPKT0DznO7g

 サッカーでは二〇一〇年一〇月十二日の国際親善試合を「韓日戦」と放送。

 昨年の十月にフジテレビドラマ「戦場のなでしこ隊」の醜い嘘というのを書いたが、その後、すぐにこのテレビドラマを録画したDVDを、親しくさせていただいているIさんというお客様から観せていただく機会がありました。

当時、Iさんと話をしていて、すぐに私が否定したことがあります。

 それは、ドラマにも登場する穴澤利夫少尉(二階級特進後大尉)の婚約者である孫田智恵子さんの事です。

 このドラマを観ている人はほとんどは、穴澤少尉の婚約者であった智恵子さんという方が、戦後も穴澤少尉のことを思い続けて独身のままでいらしたと思っているのではないでしょうか。

 当然、Iさんもそうでした。

 Iさんがそう思ったその原因は、観ているものをそのように思わせるこのドラマの作り方にあると思います。

 残された孫田智恵子さんあての穴澤少尉の遺書には下記のような箇所があります。

「あなたの幸せを希う以外に何物もない。

 徒に過去の小羲に拘る勿れ。あなたは過去に生きるのではない。

 勇気を持って過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。

 あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。

 穴沢は現実の世界にはもう存在しないのだ。

 略)

今更何を言うかと自分でも考へるが、ちょっぴり欲を言って見たい。

読みたい本 「万葉集」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」

観たい画 ラファエル 「聖母像」、芳崖「非母観音」 

智恵子 会いたい、話したい、無性に。

    今後は明るく明らかに。

    自分も負けずに明らかに笑って征く

   

     昭和二十年四月十二日       」

 孫田智恵子さんは、この穴澤少尉が「あなたの幸せを希う以外に何物もない。徒に過去の小羲に拘る勿れ。あなたは過去に生きるのではない。」と遺書に書かれたように、昭和二十九年、友人の紹介により伊達亟夫氏と結婚して、孫田より伊達に性が変わっているのです。

 (昭和四十八年に夫である伊達亟夫氏はお亡くなりになっている。)

 ところが、婚約者である孫田智恵子さんの苗字、「孫田」という苗字が一度もこのフジテレビのドラマにはただの一度も出てこない。

出て来るのは伊達智恵子という名前と「六十三年間ひとりの男性を思い続ける」というナレーション。

 

 

 「六十三年ぶりの対面」という穴澤少尉との軍服を抱いて嗚咽する場面でのナレーション。

 

 

 いずれも伊達智恵子さんと紹介されている。

 主人公のひとりであるなでしこ隊の前田笙子さんは、結婚して永崎笙子さんに変わったことなど、画面には何度も「永崎笙子(旧姓前田)」とわざわざ書かれている。

 

 

他のなでしこ隊の方も同じです。

「菊永トミ子(79歳)(旧姓上野)」

「前田要子(78歳)(旧姓森)」

 昭和四十四年に永崎笙子さんを訪ねる場面では画面には下記のように

「永崎笙子(35歳)旧姓前田」と表示される。

伊達知恵子さんの場合は、

「穴澤の婚約者 伊達智恵子 (45歳)」と表示される。

 「永崎笙子(旧姓前田)」とは表示しているのに、「伊達智恵子(旧姓孫田)」と表示しないのである。

  大東亜戦争時代の写真でも同じです。

 永崎笙子さんの場合は「前田笙子(当時15歳)」

 

 菊永トミ子さんの場合「上野トミ子(当時15歳)」

 

 伊達知恵子さんの場合は「穴澤の婚約者 知恵子(当時21歳)」

 だけです。

 

 

 伊達智恵子さんは、両足が不自由になった夫の伊達亟夫氏がお亡くなりになるまで一生懸命尽くしてこられたそうです。そして、その後の人生を、先の遺書の最後にあるように「智恵子 会いたい、話したい、無性に」と遺書に残された穴澤少尉との思い出に浸りながら生きてきたとしても何もウソはないでしょう。

 フジテレビのこのドラマは、そんな智恵子さんの結婚を隠すことにより、戦争の悲惨さを描こうとしたのかもしれないが、それは、知恵子さんの夫である伊達亟夫氏だけでなく、この遺書に記されている穴澤利夫少尉の思いを蔑ろにしているとしか私には思えない。

 

ちなみに、このゴミドラマを作ったのは

企 画

立松 嗣章

 

 プロデュース

成田 一樹

中津留 誠(アニマ21)

西田 治彦(ジン・ネット)

 中山 ケイ子(FCC)

 

演 出

田島 大輔(FCC)

大川 卓弥(ジン・ネット)

というクズどもです。

 

 このドラマが参考にしたという「特攻の町・知覧」の著者佐藤早苗氏は、続編である「特攻基地 知覧 始末記」(光人社 二〇〇八年刊)にあとがきとして下記のように書いています。

長くなりますが、その一部を引用したいと思います。

以下引用

<一番驚いたことは、日本人の変貌である。一分の隙もなく、今も厳然と存在しているのは、まさにぶれることなく敵艦めがけて目的を果たした特攻隊員たちだけだった。

 そしてそれをありのまま保ち、伝え続けているのは靖國神社や、特攻祈念館など、特別な場所だけだ。つまりそこに行って自分で確かめなければ、真実には出逢えないということだ。

 この「変貌」は、決して歴史の風化でもなければ忘却でもない。明らかに人為的意図的改竄である。

 現代人が、自分たちの価値観や好みに合わせて勝手に「特攻」を作り替えてしまった、ということだ。

 人間一人の命の重さとか、あの戦争は間違っていたとか、これらは戦後の考え方で、当時はなかった価値観だ。

 それぞれの考え方で、戦争や「特攻」を論ずるのは自由だが、「事実」を歪曲するのは間違っている。恐らく戦後教育を受けた世代に迎合した小説や映画を作っているうちに、徐々に本来の真実の姿までねじ曲げてしまったのだろう。

 

もっともわかりやすい例を一つあげると、「特攻隊員たちは、みんな嫌々出撃していった」という決めつけだ。これは、天皇陛下のためだの、国のためだの、肉親のために自分の命をかけて敵艦に突っ込むなど、絶対にできない現代人が、自分の能力で憶測し、作り上げたフィクションだ。

 平和な世の中に暮らす人たちが、たった六十三年前のこととはいえ、突然逆転した価値観を徹底的に植えつけられたことを思えば戦争中の切迫した状況は想像しにくいのは解る。

しかし、現実は現実として認めるべきだ。

 私も戦争には絶対に反対だし、まして特攻作戦などという無計画で刹那的な作戦は認めない。だが、それとこれとは別問題だ。いいことも悪いことも、納得できないことも、事実は事実として受け止め、公正な歴史を後世に伝えなければならない。どんな歴史であっても、それは決して切り離された「額の中の絵」ではない。時間は必ず繋がっていて、その上に新しい歴史を紡いで行くことになる。>

引用終わり

(「特攻基地 知覧 始末記」佐藤早苗 光人社 二〇〇八年刊)P二百二十五〜二百二十七

 このドラマのように「永崎笙子さんの証言と、当時の貴重な日記を元にドラマ化。ドキュメンタリーを織り交ぜながら、少女たちだけが見た封印され続けた特攻隊の真実に迫る。」といいながら、事実を隠し、なかった事を事実のように描くことが許される筈もありません。

 何度も書きますが、特攻という戦法については当然批判されるべきであるが、

国を守るために散華された先人については、その覚悟、生き様は事実を伝えるべきであると思います。

 今日、ちょうどこの「戦場のなでしこ隊」のビデオでお世話になったIさん来店。

 Kさん二名様で来店。

 Wさん御夫妻来店。

 江戸川橋でお店をやる事が本決まりだそうです。

 今日はサプライズと言うか何と言うか、大阪で地下鉄と喧嘩して負けて、右腕骨折で手術までして、禁酒中だというoresama777さんが、「医者もびっくりの回復力」(あくまで本人談)ということで、来店。

約束してあった「美丈夫 うすにごり」でドンチャン。

帰りは東西線の車両と喧嘩せんかったようです。

 ドンチャン。

 今日は記憶はあったと思ったが、

やっぱ、サル。

 でも、エビではない。


北朝鮮による朝鮮高校教科書の嘘

高木義明という人間のクズ

12月6日月曜日晴れ△

<「教育内容は問わず」文科相が基準発表 朝鮮学校無償化>というアホ民主党の文部科学相である高木義明氏が言ったのは十一月の初めです。

北朝鮮影響下の思想教育や反日教育が批判される朝鮮学校へ高校授業料無償化適用が検討されている問題で、高木義明文部科学相は5日、教育内容を問わずに適用の是非を判断する適用基準を正式発表した。文科省は、この基準に基づいて年内にも各朝鮮学校を個別に審査するが、無償化適用は、ほぼ確実な情勢。膠着(こうちゃく)状態が続く拉致問題で、日本が軟化したという誤ったメッセージを北朝鮮側に送る可能性もあるが、民主党政権は無償化適用へ舵を切った。

 高木文科相は同日午後、記者会見し、教育内容について「自主的改善を促す」とする大臣談話を発表した。

 基準は、朝鮮学校の外形的なカリキュラムが日本の高校課程に準ずるかどうかを判断の柱とする内容で、無償化で支出される就学支援金が、生徒の授業料として使われるか財務を確認するなどしたうえで、無償化を決めるよう定めている。しかし、具体的な教育内容については不問にしており、思想教育や反日教育がそのままで、適用が決められる。産經新聞2010年 11月5日(金)14時38分配信> 

 

 この高木を始めとする民主党のボケ議員どもは、テロ国家北朝鮮の我が国の犯罪組織である朝鮮総聯の支配下にあるテロ工作員養成学校である朝鮮学校の無償化を決めるための実績作りとして、この前日(十一月四日)に国会で開かれた衆院拉致問題特別委員会に横田滋氏ら拉致被害者家族の皆様を参考人として招き、「形だけ」意見を聞いています。

 家族会の皆様はテロ工作員養成学校の朝鮮学校の無償化には強く反対されましたが、その翌日にはその馬脚を現しているのです。

 何処に、現在進行形のテロを行っている当事国の出先機関の養成学校に対して、授業料免除をする国があるだろうか。

 普通の常識も持ち合わせていない売国奴民主党。

 昔は社会党、今は民主党が賛成する事に対して反対をしていれば間違いない売国政党。

 高木義明氏が「普通の教育機関」として「思って」扱っている朝鮮学校の教科書内容について、民間の有志の皆様がその実物を入手され、翻訳されました。

 民間ができる事を、やろうともしない、やるつもりもない腐れ国会議員・高木義明。そして民主党。

 これを訳した九人のうちの御一人である荻原遼氏は下記のように述べています。

<「私は決定前後に行われた自民党の会議に呼ばれて出席しましたが、そこには文化省の役人も来ていましてね」

略)

「その会議では安倍晋三元首相が『オウムで人殺しのテクニックを学ばせる教育機関があったが、そこに税金を投入するのと同じ事。拉致や暴力、破壊行為、反日教育を教える学校をなぜ支援しなければならないのか』と役人を怒鳴りつけていましたが、まさにその通りだと思います」

略)

 「私達でも一冊を一週間ほどで翻訳出来たのだから、公安や外務省などの朝鮮語の分かる人間を数人集めれば、ほんの一日か二日で訳せる筈。

 なぜそんな簡単な努力さへしなかったのかと文化省の役人を問いただしましたが、彼等は言葉を濁すばかりでした」>

週刊新潮「特集 常識人なら開いた口が塞がらない 教科書は将軍サマ礼讃と歪曲反日 朝鮮高校無償化」

 平成二十二年十一月二十五日号p五十三〜五十五

 

 

 結果、このテロ養成学校十校全てが「無償化」を申請した。

 それに対して、高木義明氏は

高木文科相は同日の閣議後会見で「(朝鮮学校の生徒には)こういう事情なので、いましばらく状況を見守ってほしい」と述べた。>

毎日新聞 2010年12月1日 東京朝刊

いましばらく状況を見守ってほしい」だそうです。

 こいつの精神は日本人ではありません。朝鮮人です。

 なにしろ、金豚が出した「朝鮮学校を無償化させろ」という指示に忠実に従っているのですから。

<「朝鮮学校無償化せよ」 金総書記が総連に指示

朝鮮学校をめぐり、北朝鮮の金正日総書記(68)から下された「民族教育強化」の方針を基に、朝鮮総連中央本部から全国の学校幹部に高校授業料無償化を獲得する運動を展開するよう指示が出されていたことが11日、総連の内部文書で分かった。無償化適用を訴える学校側の運動が金総書記の意向に直結している実態が浮き彫りになった。2010/03/12 02:05産經新聞

 その高木氏がどうしても無償化したくてしかたないテロ工作員養成学校である朝鮮高校の教科書の内容はどういったものか。

 この教科書を翻訳した荻原氏は、その入手の困難さを下記のように述べています。

<そもそも朝鮮高校の教科書は、まるで極秘文章のような扱いで入手自体が極めて困難でした。生徒たちですら、外部に持ち出すのは厳禁されているようです。

 この厳重な管理自体が、教科書の特異性を象徴していると思います。>

週刊新潮 p五十四

同じく、荻原氏はこのテロ工作員養成学校の教科書について下記のようにも述べています。

<例えば、三年生用を見ると、全百四十九ページ中、金日成、金正日父子の写真掲載が二十三回もある。これは六ページ半に一回の割合です。

著述でも、金日成への言及が六十七回で、これは二ページ半に一回。さらに金正日に至っては八十六回で、二ページ足らずのうちに一回の割合で搭乗している。

 要するに、これは歴史教科書というより、金父子の家系史、英雄伝。

 全三巻に通じて言える事ですが、金父子に対する徹底した個人崇拝のための教科書になっているんです。>

週刊新潮 p五十四

 

 そして、この教科書は北朝鮮本国で朝鮮総聯の指導を担当する『統一戦線事業部』傘下の『第一〇一連絡所』で作られ、日本で印刷されたものであることを荻原氏は指摘しています。

続く

 今日は七時より、ホロン部員Yさんとめぐ蔵さんの三人で神楽坂でドンチャン。

 まず、老舗の「伊勢藤」さんに伺う。其の後はめぐ蔵さんのお知り合いが開いたという「かも蔵?」さん。

 最後は当店にてドンチャン。

 今日はサルよりマシ。


 

二種類の台湾人

12月5日日曜日晴れ ○

台湾研究フォーラム代表の永山英樹氏のブログ「台湾は日本の生命線!」にて、<安倍晋三元首相をも侮辱した台湾・国民党政権の「親中反日」欺瞞>と題するものがありました。

http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1355.html

以下引用

<訪台した安倍元首相をタクシーに   

十月三十一日から十一月一日まで台湾を訪問した安倍晋三元首相は、総統府ではVIPとして馬英九総統の手厚い歓迎を受けたものの、野党民進党の蔡英文主席との会見会場へ向かう際は、まるで一般観光客のように自分でタクシーを拾っている。

そこで台湾国内では「中国には媚びるが日本の元首相は侮辱するのか」との国民党政権批判が巻き起こった。これにはさすがに呉敦義行政院長(首相)も「もし事実なら失礼なことだ」と、政府側の対応の過ちを認めざるを得なかった。

その後の報道によると、安倍氏サイドは当初、台湾外交部(外務省)に蔡氏との会見を希望したが、セッティングを断られたのだそうだ。そこで自身のルートで会見を設定したのだが、外交部は警護を外し、車輌も出さなかった。外交部は「蔡氏は選挙で忙しいからセッティングは難しい」と説明したらしい。しかし蔡氏側は外交部から、安倍氏が会見を希望していることなど聞かされていなかったことが判明している。

つまり国民党政権による民進党への嫌がらせなのである。

ことに十一月二十七日の五大都市長選挙を間近に控える時期に、新北市長候補でもある蔡氏が安倍氏と会見し、同党の日本との関係の強さをアピールし、得点を稼いでほしくなかったのだろう。そこで台湾に友好的な日本の元首相の行程を平気で妨害して見せたのだ。

■日本人と台湾人の結合を嫌う国民党

実はその数週間前にも、外交部は同じ手口で、欧州の二カ国からの要人と民進党側との会見を妨害したそうだ。

さらにいえば国民党政権は〇八年の発足以降、日本から来訪する大勢の国会議員たちにも同様のことをしているらしい。

まず「誰と会いたいか」と聞くそうだ。すると多くは李登輝、馬英九、蔡英文の名を挙げるのだが、「蔡」と聞くだけで「彼女は忙しい」というらしい。ことに各種選挙の前あたりでは、日本の国会議員のほとんどは「選挙で多忙」と聞かされ、面会を諦めさせられている。

このように自己の利益のためなら手段を選ばず、良心、公正さを放棄して国益も眼中に入れず、さらには政敵(競争相手)への憎悪を滲ませながら、平然と人を欺く「詐の文化」に、国民党は中国から台湾へ亡命してきて六十年を越えながら、いまだに染まり続けているのか。

ちなみにこうした妨害は、民進党=台湾人政治勢力への憎悪のためだけではないと思う。おそらく日本人と台湾人を分断、離間させたいとの感情、計算も働いているのではないか。国民党内部の中国人勢力は、台湾亡命当時から日本人と台湾人との再結合を恐れてきたのは事実だ。>

引用終わり

そして、同じく宮崎正弘氏のメルマガより

<「博訊新聞網」(12月3日付け)の特ダネ報道に拠れば、馬英九総統は、密かに米国民間外交ルートを通じて打診のあったノーベル平和賞式典への出席打診を、自ら婉曲に断ったという。

 米国に亡命している多くの中国人学者、留学生が中心となって獄中にある劉暁波の早期釈放を要求している。スエーデンの受賞式典には、民主活動家の代理人が出席を予定しているが、米国の民間外交を推進する学者グループが、ひそかに台湾を訪問し、馬総統と面談した。この席上で、「台湾総統がノーベル平和賞式典に参加することになれば、これはニクソン・キッシンジャーの北京訪問に匹敵する外交上の地殻変動をもたらす、一種快挙になる」と説得したらしい(同博訊新聞網)。

 馬総統はノーベル平和賞が劉暁波にきまったとき、受賞を喜ぶ発言をして「自由、民主」の価値を強調したものの「早期釈放を要求する」という発言は日をおいてからとなった。

 こんども自ら出席を婉曲に断ることによって、千載一遇の外交チャンスを自ら逸した。>

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成22年(2010)12月4日(土曜日)通巻3150号 

よく言われているように、台湾には二種類の台湾人が居る。

台湾人蒋介石という神話馬英九と高金素梅

我が国国民として五十年間過ごした本省人と言われる「台湾人」の方たちとその子孫。

もう一つは、蒋介石と一緒に支那大陸から戦後逃げて来た外省人と言われる「支那乞食」のゴミどもとその子孫。

残念な事に、我が国が残したインフラなどはすべてこの支那乞食に乗っ取られ、国民党は世界一の金持ち政党と言われるようになりました。

今の国民党馬英九総統はその支那乞食の末裔ですからこのような醜い行動が自然に出ます。

支那乞食ですから仕方のない事なのです。

日本人も台湾住民とおつき合いする時は、台湾人なのか、それとも支那乞食なのかを見極めてお付合いする事が大切です。

店を片付けてから帰宅。

今日はスポーツセンターへ行かなかったので、下手すると二週間空き。

部屋では何もする気になれずに、そのままゴロゴロとしてマンガを読んで一日が終わる。

酒は飲まず。


 

12月4日土曜日晴れ 寒い △

 今年も各蔵元さんの最高酒クラスの酒が発売される時期。

 「義侠 妙」

 「磯乃澤 俊 冠大吟醸」

 「松の司 純米大吟醸 斗瓶取り」

 「磯自慢 中取り三十五%」

 「東一 選抜酒」

 「十四代 龍月 双虹 龍泉」

 などなど。

 

 Oさん来店。

 Mさん二名様で来店。

 新居へのお引っ越しも済んだそうで、

 今日はお土産として、「ファイブ・ミロ」を持って来てくださる。

 「ファイブ・ミロ」・・・・・「ミロ」・・・・・

    

 彼の国の醜いパチもん。

  

 代表的な「真露」からしてどう見ても「J&B」のデザインのパクリですし。

 

 まあ、四千年宗主国様の支那からしてパチもんだらけの国ですから。 

 そういや、当店のお土産コーナにある「百年の孤独」ならぬこの支那の「百年孤独」をお土産で持って来てくださったのもMさんでした。

 

 今日は軽く飲んでオシマイ。

 当然、サルにはならず。

 もちろんエビにもならず。


 

12月3日金曜日晴れ △

 バンブーさん来店。

 Tさん七名様で来店。

 S@池袋さん三名様で来店。

 Oさん来店。

 Oさん三名様で来店。

 Kさん来店。

 メチャ忙しい。

 めぐ蔵さんがお手伝いに来てくださり大助かり。

 ドンチャン。

 サルよりマシ。

 もちろんエビにもなっていない。


日本が滅んでもかまわないというアホ・大橋巨泉

12月2日木曜日晴れのち雨 △

 週刊現代の古いのを片付けていたら、大橋巨泉氏のコラム「今週の遺言」というコラムが目に留まる。

 <永住外国人に、地方参政権を与えるという法案が、リトマス試験紙になる。

 亀井静香などというコンクリート製アタマの持ち主は、「この法案は日本を滅ぼす」だと。

 誰がどうやって滅ぼすのか、データーを揃えて説明してほしい。

 いつか櫻井よしこさんの反論にお答えしたように、そんな事は起らない。第一その程度の権利(被選挙権もない、ただの投票権)を与えただけで「滅びる」ような国なら、滅んでも構わない。

 問題は、世界の趨勢に対して、ネガティヴな「保守」をしたがる政治家の存在である。彼等はたった数十年前まで、日本人が北米で、どれだけの差別に苦しんできたか、忘れてしまったのか。

 ネガティヴからは何も生まれない。

 ポジティヴに考えてこそ、新しい展開が見えてくるというものだ。>

 「週刊現代」(講談社 平成二十二年五月八日十五日合併号)p八十九より

 アホとしか言いようのない御仁です。

 

 支那人がその豊富な人口という武器を使い、世界中でどのような事をやっているか。

 歴史をいうのであれば、マレーシアが英国から昭和三十八年に独立してからわずか二年後の昭和四十年に、独立したばかりのマレーシアからその一州であったシンガポールがどうして分離独立したか。いくらアホでもその背景ぐらいは知っているでしょう。

 

 同様な事が、ロシア、イタリア、カナダ、アフリカ諸国など今世界中で起きています。

 この大橋巨泉という御仁はその事実を見ようともせず、老害をバラまいているだけの人間です。

 櫻井よしこ氏が指摘していたように、支那へでも移住された方がいいのではないでしょうか。まあ、支那人がどのようなものか体験するだけだったら、「犬猫以下のゴキブリなみの支那人」が生息する芝園団地にでも体験入居されてみてはいかがでしょう。カナダのバンクーバーが現在どのようになっているか。カナダに年に何ヶ月も御住まいで、バンクーバー、バンフに「OKギフトショップ」という日本人向け土産物屋を持っている大橋巨泉氏が知らないはずはないでしょう。

 ましてや、<彼等はたった数十年前まで、日本人が北米で、どれだけの差別に苦しんできたか、忘れてしまったのか。>と書くが、先の大戦で、日系二世の方々は米国において四四二連隊、第一〇〇大隊の二世部隊として欧州戦線において米軍史上に輝く戦果を挙げているが、それは祖国として生まれた米国に対して忠誠を誓い、そしてそれを表す為に戦ったのである。

 今、我が国にいる支那人、朝鮮人が我が国のために命を懸けて戦ってくれるとでも思っているのであろうか。

 大阪よりYさん来店。

 Nさん来店。

 メチャヒマ。

 つうことで、早い時間からドンチャン。

 記憶はあった・・・・と思う。

 サルよりマシ。


 

南朝鮮においての帰化条件

 12月1日水曜日晴れ △

 「新コリア百科」(むくげの会編 明石書店 平成十三年刊)によると、南朝鮮において国籍を取る場合の条件は下記のようなものであるそうな。

 まず、対象者の帰化要件として下記の五つが必要。

 居住条件(五年以上継続して大韓民に住所がある事)

 年齢要件(大韓民国の民法により成年である事)(成年=二十歳以上)

 品行要件(品行が端正である事)

 生計要件(自己の資産もしくは技能によりまたは生計を同じくする家族に依存して生計を維持する能力があること)

 同化条件(国語能力および大韓民国の風習に対する理解など大韓民国の国民としての基本素養を備えている事)

 そして、この五つの帰化要件を基礎として、韓国民との血縁あるいは韓国との地縁がある一定の外国人については要件が一部緩和される。

 この中で特に注目すべきところは、生計要件です。

 大韓民国政府が生活保護の負担を避ける為のものであるが、問題は生計維持能力の経済的な具体的基準であるとして下記のように示しています。

 規則第三条二項四号(帰化許可申請者の添付書類)

 三〇〇〇万ウオン以上の貯金残高証明。

 三〇〇〇万ウオン以上に相当する不動産登記謄本・不動産契約書写し。

 在職証明書。

 就業予定事実証明書。

 これにより、確実な職業についている事。あるいは、三〇〇〇万ウオン以上の財産を持っている事が最低限の基準となることがわかる。

 それだけではなく、下記の要件も満たす必要がある。

 規則第三条二項六号

 二人以上の者が作成した推薦書を添付するように要求している。

 推薦人の条件(規則第三条三項、指針第三条・第四条)

 国会・地方議員、

 地方自治団体の長・教育委員、

 判事・検事・裁判官、

 上級教員、

 上級公務員、

 金融機関・新聞社・放送局・上場会社等の上級職員等、

 指針第九条により帰化申請者は誓約書の提出が必要となる。

(誓約文の書式は指針別紙第五号)

「この度大韓民国に帰化するに際して、大韓民国に忠誠を尽くし、国民としてのあらゆる義務を誠実に履行し、善良な風習と社会秩序を順守し、模範的な国民となる事を誓約します。」

(我が国の場合は、「私は、法律を守り善良な国民となる事を誓います」だけである。)

帰化申請

第一段階

居住・年齢・生計能力・婚姻関係についての調査

大韓民国国民と婚姻している者に対しては、偽装結婚を見逃さない為に、「配偶者と正常な婚姻関係を維持しているかどうか」につき、居住地の実地調査など適切な方法で確認しなければならないと規定している。(令第四条第二項)

 この居住・年齢・生計能力・婚姻関係についての照会・調査・確認の結果、総ての要件を備えているものに限り、次の第二段階の審査に進めるものとしている。(令第四条第三項)

第二段階

品行・同化についての「帰化適格審査」

居住・年齢・生計能力・婚姻関係の用件をクリアした帰化申請者にたいしては、次いで抽象的な基準である品行要件(品行端正ママ)・同化要件(大韓民国国民としての基本素養)についての審査がなされる。

 此の審査を帰化適格審査という(令第四条第三項)

 筆記試験

 筆記試験では、大韓民国の歴史・政治・文化・国語および風習など大韓民国の国民になる為に備えるべき基本素養に関する事項を審査し、論述式または択一式で十問ないし二十問を出題する。(規則第四条第二項)

 筆記試験は、初等学校四学年ないし六学年の水準の大韓民国の歴史・政治・文化・国語および風習などの基本素養についての問題を、主観式十問、客観式十問の二十問を出題し、各門の配点を五点として合計百点で評価する。(指針第七条)

 面接審査

 面接審査では、国語能力および大韓民国の国民としての姿勢と自由民主的基本秩序への信念など大韓民国の国民として備えるべき基本要件を審査する。(規則第四条第三項)

 

 韓国語能力の程度については、「初等学校四学年ないし六学年の水準の実力、特に話す能力は意思疎通に支障がない程度でなければならない」とされている。(大韓民国法務部 問答式新国籍法解説QAより)

 合格基準

 帰化適格検査の対象者の中で、筆記試験において百点満点中六十点以上を得点し、面接審査において適合評価を受けた者を帰化適格者として判定する。(令第四条第六項)

 最終審査・治安要件に関する帰化不許可事由

 帰化許可除外者

 一、大韓民国に敵対行為をする国家(引用先では国歌となっているが明らかな間違いと思われる)や団体の国民またはその構成員であった者。

 二、国家または社会に危害を及ぼした前歴がある者。

 三、国家の安全保障・秩序維持または公共福利のために帰化許可することが不適当であると認められる者。

帰化手続き手数料は一人当たり十万ウオンである。

 以上は手元にある「新コリア百科」(むくげの会編 明石書店 平成十三年刊)よりですので、多少変わったところもあると思いますが、いまさならながら、これらに比べ、我が国の帰化条件がいかに緩やかな事か。

(1)引き続き5年以上日本に住んでいること

(2)20歳以上でその外国人の本国法によって能力を有すること。

(3)素行が善良であること。

(4)自分自身あるいは配偶者や親族の資産・技能によって、生活が十分成り立つこと。

(5)帰化した際に元の国籍を離脱すること、あるいは無国籍者であること

(6)日本政府を暴力で破壊することを企て主張したり、そういった活動を行う政党や団体を結成・加入したことがないこと。

上記の条件をすべて備えていなければ、帰化は許可されない(法5条)。

建前は此のようになっているが、平成十九年に我が国に帰化した石平氏も御自身の帰化の過程について「あっけないほどだった」と書いておられたが、試験も思想調査もない。国家に忠誠誓う事もない。   

 一番判りやすい例が、朝鮮総聯に属していて、久米裕氏の拉致実行犯である憎むべき犯罪朝鮮人の李秋吉は、その後、我が国に帰化し大山秋吉と名乗って堂々と東京都下で生活している。

 Oさん来店。

 初めてのお客様Mさん二名様で来店。

 Iさん二名様で来店。

 遅い時間にホロン部員Yさん来店。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。

 



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