今田真人の著書「吉田証言は生きている」の違和感その一

今田真人の著書「吉田証言は生きている」の違和感その一
8月5日水曜日晴れ✖️
今田真人
<(略歴)
1955年8月 広島市生まれ。
1980年3月 名古屋大学文学部史学科(西洋史専攻)卒業。
1980年4月 全国紙の新聞記者になる。政経部、社会部、経済部などの各部の第一線の記者を歴任。
2011年5月31日 同上の記者を55歳で退職。
2011年6月1日 フリーの経済ジャーナリストとして活動を始める。

専門分野
経済の各分野。とくに国際経済や外国為替、貿易、金融、財政、税制、企業会計など。社会分野では、貧困問題や非正規雇用問題、路上生活者と生活保護問題、汚染米や輸入食品の安全問題など。

〈主な論文〉
①「アジア通貨危機の本当の原因は何か――『タイ中央銀行調査報告書』についての考察」(『前衛』2000年4月号所収)
②「日本資本主義発達史と三回の『デフレ』現象」(新日本出版社『経済』2002年10月号所収)
③「日本の産業空洞化と為替調整――『人民元・円問題』を中心に」(新日本出版社『経済』2003年7月号所収)

〈主な著書〉
①2012年2月、『円高と円安の経済学――産業空洞化の隠された原因に迫る』(かもがわ出版)を発行。
②2015年4月、『緊急出版・吉田証言は生きている――慰安婦狩りを命がけで告発!初公開の赤旗インタビュー』(共栄書房)を発行。>
以上今田氏のホームページより

今田氏の著書『緊急出版・吉田証言は生きている――慰安婦狩りを命がけで告発!初公開の赤旗インタビュー』には
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<かって吉田氏を直接取材したジャーナリストの一人として、私には吉田証言がどうしても、嘘だとは思えないからだ。>
①p六

<吉田証言の信憑性は慎重に、かつ組織的に検討され、信頼できるものという判断があったことは間違いない。
当時、吉田氏をめぐっては、日本の侵略戦争の事実を否定することに躍起になっていた右翼タカ派の論客達が、吉田氏のプライバシーまで徹底的に暴いて攻撃した。
略)
その内容は、済州島での慰安婦狩り証言の真偽の検証というよりも、日本共産党への偏見を利用し、吉田氏の人格を貶めるものだった。
例えば、吉田氏が戦後直後、山口県の下関市議選に日本共産党公認で立候補したことをあげへつらい、「元・共産党員、吉田清治氏の従軍慰安婦狩り証言は、真実か。その証言を検証しつつ、その『偽証』実態を明確にする」(雑誌『自由』九十二年九月号所収の上杉千年論文「総括・従軍慰安婦狩りの『作り話』)といった共産党への偏見と憎悪を煽るような文章であった。
私を含め当時の赤旗記者は「産経新聞なんて信用できない」とほとんど相手にしなかった。
略)>
①P九十八〜九十九

<吉田氏は生前、九十二年に突如として始まった産経新聞などによる「吉田証言は虚偽だ」とする攻撃に、朝日新聞などのメディアの取材では、今回の赤旗取材を除き、一切反論しなかった。それは当時の時代状況が、吉田証言を事実上裏付ける勢だったからでもある。
この構図は、今でも変わっていない。公文書の発掘でいえば、当時よりも現在の方がむしろ吉田証言を事実上、広い意味で裏付けるものが多く出ている。
少なくなっているのは、加害者や被害者、つまり当事者である。吉田氏も二〇〇〇年七月に死去し、「慰安婦」被害者の女性も次々と他界している。安倍政権を震源とする今回の吉田証言否定の動きは、そういった当事者の相次ぐ死去につけ込んだ卑劣な策動と思えてならない。
今回発表の吉田証言には、産経新聞などの攻撃に反論する新たな事実もいくつか盛り込まれている。当時、私はこの事実を記事にしなかった。裏付けが取れないだけで吉田氏を「詐欺師」とし、その証言を「虚構」だとレッテルを貼る秦郁彦氏や産経新聞などの批判の手法は、あまりにも低劣で非論理的であり、反論する価値もないと思ったからである。
しかし、現在ではそうは言っておれない。吉田証言のインタビュー資料全文を公表するのは息を吹き返したかに見える産経新聞らの卑劣な攻撃に徹底的に反論するためである。>
①P〜百二〜百三

と書く。
この今田真人氏の著書の内容についての違和感はなんだろうと思っていたのですが、すぐに判りました。
今田氏は吉田清治の証言に対して検証というものをしていないというかしたつもりになっている自己満足の典型です。
なにしろ、<「裏付け得られず虚偽と判断」という認識論は大きな誤り>として、
<裏取りとは、それができなければ、その証言が嘘になるという性質のものでもない。矛盾した証言が別の当事者から出たら、今度は、どちらが正しいかを検討し、必要なら、さらに別の当事者を探す。それが真実を追求するジャーナリストの取材方法である。
だから、済州島に行って慰安婦狩りの裏付け証言が得られなかったということは吉田証言が嘘という証明に全くならない。
もし、住民の中に「(そんなことは)聞いたこともない」という人だけでなく(当事者でなければ、聞いたこともない住民が圧倒的に多いのは当たり前だ)、「そのようなことはない」と言い切る住民がいたらどうなるか。十四年十二月二十二日発表の朝日新聞社第三者委員会の報告書(三十一頁)には、そう言い切った老人がいたというが、それなら今度はなぜ、そう言い切れるのか、その人の経歴を調べ、その証言の信憑性を調べなければならない。
朝日の検証は、約四十人の住民に取材して「(慰安婦狩りは)聞いたこともない」という人がほとんどだったというものだ。これでは吉田証言を虚偽と証明していることにはならないだろう。なぜなら、今後、一人でも「慰安婦狩りがあったことを知っている」という関係者が出て来れば、「虚偽」だとする検証結果は全てひっくり返るからである。その可能性は依然として存在する。朝日の検証は、認識的にいって、実に危うい。>
①p百五〜百六

と書いているが、真実を追求するジャーナリストの取材方法であるという今田氏自身がその吉田証言の裏付けとなる取材を全くしていない。あるのは吉田清治の証言のみである。
つまり、朝鮮人戦時売春婦ババアが言ったのだから事実であるとほざいている気違いどもと同じである。

だから、吉田証言?の「分析と解説」とほざいて下記のような戯けたことも平気(わざと?)で書く。

<第一は、植民地朝鮮の人々は、終戦二、三年前から、男も女も老いも若きも軍用産業などの戦争遂行の労働力として徹底的に徴用されていた。このため、植民地朝鮮も深刻な人手不足になり、慰安婦にするための若い女性も、最終的に強制連行していた男性と同様、強制連行するほかなかったということだ。
「(昭和)十七年以降、つまり真珠湾攻撃があってアジア全域を占領した時の労務者不足と、慰安婦の不足に対処する為に、強制連行、朝鮮半島からの強制連行は、奴隷狩り中の奴隷狩り(になった)」>
①P百六〜百七

この今田氏が書く吉田清治のインタビュー部分は下記の箇所です。

吉田清治の証言(一九九三年十月四日初インタビュー)
<(昭和)十七年以降、つまり真珠湾攻撃があってアジア全域を占領した時の労務者不足と、慰安婦の不足に対処する為に、強制連行、朝鮮半島からの強制連行は、奴隷狩り中の奴隷狩り(になった)>
①p二十一〜

<私が受けた、その徴用命令は、無茶苦茶な数字の南方送りの命令を、西部軍司令部命令で、西部軍司令部というのは山口県と九州全部を統括しているわけで、ついでにいいますと昭和十九年頃は、十八年頃だったか、日本列島を五つか、軍管区に分けて、東部軍管区とか、分けて、県知事もなんにも、その軍司令官が命令を下して、事実上の軍政を日本列島に敷いていたわけなんです。
略)
その命令が、県知事宛に何月何日まで、正式な名前は、皇軍慰問が頭につくんです。皇軍慰問、天皇の軍隊の慰問、皇軍慰問朝鮮人女子艇(ママ)身隊の動員に関する件と。そういう、命令書。一つ。なになに。という命令書。陸軍用便箋に手書きした奴です。
ゴム印に西部軍(司令部)と、ただ、それだけです。そのゴム印がポンと押してあるだけです。そして、誰かの係りの将校のハンコ。それも階級も何も軍事機密だから、なんもない。なんかハンコが一つ置いてある。

①p二十七

<西部軍派遣軍から県知事宛になんかきて、県知事のところに西部軍司令部の、福岡にありますが、そこから幹部候補生のいわゆる招集された将校が、中年将校が、民間人のような将校でしたが、戦争に使えないよなののが、まあ、事務屋ですね。それが県庁に電話掛けてきて、そして県に明日来るとかいって県に来る。そして私も県庁に行って待っている。
そこで命令伝達がある。宛名は県知事だ。すぐ書類だけで、形式的に知事、そこで労務報国会の私達に直接話をする。だから書類上では、軍司令部の政府軍司令官の大田?県知事宛の陸軍便箋に黒いインクで書いたやつですよね。手書きの。そしてゴム印の「西部軍司令部」とかいた、そのハンコだけ。横に誰か個人のハンコがあるだけなんです。
階級も何もない軍事機密ですから、それで「極秘」というハンもある。そして、一つ何々、一つ何々。決まり切った形になるんですね。
(本の後ろに講演記録として付いている記述にある)家内の日記になんとかということ、あれは誰でも、もう丸暗記していますよ。この形式しかなかったんですから。その程度のありふれた形式なんです>
①p五十九〜六十

以下、これらの吉田氏の証言その他の矛盾点を私の手許にある本「朝鮮人慰安婦と日本人」(吉田清治著 人物往来社 昭和五十二年刊)より引用させていただく。
DSCN3707以下引用
< 十五、朝鮮女子挺身隊
昭和十九年
私は「朝鮮人女子挺身隊」の動員命令書を県庁の労政課で中村主事から手渡された。当日は定例の県内労報支部の日備労務者動員会議が午後五時過ぎに終わり、下関労報の私だけが残るように言われた。
略)
中村主事は書類ばさみから動員命令書をはずして、無造作に差し出した。
「朝鮮人だけの女子挺身隊です。南支の陸軍部隊への派遣で、期日は四月十日です」
「職種は何ですか」
「皇軍慰問の勤労奉仕。南支の兵隊さんも長期戦でだいぶ女に不自由しているらしい」
「慰安婦ですね。軍はどうして商売女をつかわんのですか」
「あんたはその方面にうといが、このごろのの遊廓は年増の女郎しか残ってないですよ。若い子はみんな産業戦士になって、赤たすきかけて軍需工場で働いてるんだから。朝鮮総督府の女子挺身隊は、大陸で兵隊さんに評判がいいそうですよ。若くて日本語がうまいから、クーニャンとかちがって、情がわくんでしょうな」
「労務報国会に、慰安婦の動員までやらせるようになったんですか」
「動員署は去年から、日本人の慰安婦の徴用をやっていますよ。実は課長が県内の事情を話して、こんどは朝鮮人を出すことで話がつきました。それで課長がこの動員は下関労報にと言いましてね」>
②p百五十〜百五十一

今田氏の著書の吉田証言には
<西部軍派遣軍から県知事宛になんかきて、県知事のところに西部軍司令部の、福岡にありますが、そこから幹部候補生のいわゆる招集された将校が、中年将校が、民間人のような将校でしたが、戦争に使えないよなののが、まあ、事務屋ですね。それが県庁に電話掛けてきて、そして県に明日来るとかいって県に来る。そして私も県庁に行って待っている。
そこで命令伝達がある。宛名は県知事だ。すぐ書類だけで、形式的に知事、そこで労務報国会の私達に直接話をする。>
①p五十九

となっているが、吉田氏の著書「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」では
<動員命令書を県庁の労政課で中村主事から手渡された。>
②p百五十
となっている。
どこにも、西部軍司令部の将校がどこにも出てこない。

それを不思議とも何も思わない御仁である。

続く

めちゃヒマ。
Hさん来店。
営業終了後、Hさんと「アンブラ」さん「オブデュモンド」さんとハシゴ。
記憶なし。
サル以下