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池田大作とは

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


お笑い池田大作の回想

平成19年8月22日水曜日晴れ
 以下引用
 
思えば、戦死した長兄は、一時除隊で中国大陸から戻った時、しみじみと語っていた。「日本軍はひどすぎる。あれでは中国の人たちが、あまりにも、かわいそうだ」
 二一歳で出征し、二九歳で戦死するまで、青春を滅茶苦茶にされた兄の遺言である。
 さらに、明治の末か大正の初めの二年間、韓国のソウル(当時、日本の支配下で京城と呼ばれていた)に滞在していた父もまた、激怒して言った。
「どうして日本人は、こんなに威張りくさって、傲慢なんだ。あんないい人たちを、苛めて、苛めて、苛め抜いて、日本はなんという国か!」と怒りを込めて語っていた。
 終戦直前の空襲が激しかったころ、疎開先の馬込の家の近くに、撃墜された飛行機から、若きアメリカ兵がパラシュートで降りてきた。
 アメリカ兵は、人々に棒で、さんざんに殴られ、蹴られた。
 挙げ句に、目隠しをされて憲兵に連れて行かれた。
 その光景を、母に伝えると、「かわいそうに!かわいそうに!!かわいそうに!その人のお母さんは、どんなに心配していることだろうね」と言っていた。
 あの母の声は、今も心に響いて離れない。
 こうした父と兄の憤怒、そして母の祈りを胸に、私は、中国にも、韓国にも、アメリカにも、そして全世界に、平和友好と相互信頼の「金の橋」を築き上げてきた。

引用終わり
 平成一九年八月二〇日気狂い新聞(通名聖教新聞)第三面

 これを読んで、違和感を感じない日本人はいるでしょうか。
 文面からは当時の日本人が海外で、また唯一、事例としてあげている無差別爆撃のアメリカ兵に対しての民衆の怒りは当然だとしても、国内でも醜い行為しかしてこなかったといっているのです。その中にあって、この池田大作氏の家族だけは、まさに聖人のような家族だったのです。
 違和感ありあり

 ちなみに、昭和五七年文春新春号を飾ったこのレリーフは、創価学会が、日蓮正宗総本山大石寺に寄進した正本堂にあったもので、池田大作をモデルとして製作したものだそうな。 おえ〜 気色悪!!!!!!!

この感覚がわからんです。

 ちなみに、今日の聖教新聞には池田氏の家の事が書かれています。
以下引用
「もともと東京の蒲田区(現・大田区)麹谷三丁目の二階建ての屋敷に住んでいた。
 広い敷地には鯉や鮒が泳ぐ大きな池があり、楓や桜、さらにイチジクやザクロも植えられていた。
 とんぼ捕りなど、幼き日の楽しい思い出が光るこの家も、昭和一三年(三八年)、兄たちの出征と相前後して人手に渡り、軍需工場へと変わった。
 略)
 麹谷二丁目に移り住んだ立派な家も、東京大空襲の後、空襲の類焼を防ぐために取り壊されることが決まり、強制疎開させられた。そこで、当時、田園が広がる大森区(現・大田区)馬込のおばの家に、一棟建て増しさせてもらい、移り住むことになった。
 五月二四日。新しい家ができあがり、荷物もリヤカーで運び終え、あすから皆で暮らせるというその夜のことだった。
 「落っこちた!落っこちた!」と、防空壕の皆が騒ぎ始めた。
 無情なる空襲によって焼夷弾が、我が家に命中した。完成したばかりの我が家は全焼してしまったのである。父と母は人生をかけて築き上げてきた大切な幸福の城を、戦争はことごとく破壊してしまった。
 なんとか運び出した長持ちに入っていたのは、たくさんの「ひな人形」だった。それでも、「このおひなさまがかざれるような家に、きっと住めるようになるよ」と皆をはげましてくれる母の明るさが、我が家の希望の光りとなった。」

引用終わり

 同じ紙面に「小学校五年生の私も、海苔製造業の家業を手伝い、六年生からは新聞配達も始めた」と書いています。二年間京城にいたお父上はやり手の海苔製造業者だったようです。ふ〜ん

 そして、世の指導者を峻別する、絶対に譲れない基準として
「軍部権力と戦ったか、どうか。この一点であった」
 と書いています。
 では池田氏は、まわりの国々に脅威となっている現在の支那政府の事をどう思っているのでしょう。 池田ダイセンセイが永遠の友情を誓いあったパナマの指導者であるノリエガ将軍。ルーマニアのチャウシェスク大統領のことはどうおもっているのでしょう。
 そんな基準で選んだという「生を賭けても悔いのない師」(同日の聖教新聞より)である戸田氏に対して、死の直後に池田氏が戸田氏宅に乗り込み、遺品類、古美術、など四億円相当の遺産を強制的に差し押え、葬儀に寄せられた四千万円あまりの香典さえ、遺族に渡さず、創価学会が取ってしまい、未亡人らの抗議でやっと、ほんの一部が返されただけだそうです。そのあとも色紙、メダルにいたるまですべて回収して二代会長色を一掃したそうです。自宅は、池田氏会長就任後に池田氏自身の手により売り払われたそうです。
 死んでしまえば、自分の師だった方の御遺族に対してのこの醜い鬼畜のような仕打ち。
 書いてることと違和感ありあり。

 大森の朝鮮部落で海苔漁師の息子とかいうお話もあったようですが、どうなのでしょう。

イダイなる(笑い)ダイセンセイが語る聖教新聞の使命とは

平成19年10月7日日曜日曇り ○
 昨日の気狂い新聞(通名聖教新聞)にはこの新聞の「果たすべき使命と役割」として池田大作ダイセンセイのお言葉が掲載されていました。
以下引用
「一般の新聞は、暗いニュースに満ちている。それは、社会の反映だから仕方がないにしても、そうした社会のなかで、人びとが、どうすれば希望を見い出していけるのか、歓喜をわき立たせていくことができるのかを考え、編集している新聞はない。
 また、人生の苦悩に対して、いかに挑み、克服していくかを教えている新聞もない。しかし、社会が最も必要としているのは、そういう新聞だ。
 それをやっているのは、聖教新聞はまさに人間の機関紙という以外にない」
「聖教新聞の使命は極めて大きい。学会にあっては、信心の教科書であり、同志と同志の心をつなぐ絆になっていかなくてはならない。また、社会にあっては、不正、邪悪と戦い、仏法の慈光をもって、まことの人間の道を照らし、万人に幸福と平和への道を指し示していく使命がある」

 (聖教新聞平成一九年一〇月六日第四面)

 第一面に毎日のように池田大作ダイセンセイが
金で買った名誉を掲載することが、「人びとが、希望を見い出していける」「歓喜をわき立たせていくことができる」「人生の苦悩に対して、いかに挑み、克服していくかを教えている」ということなのでしょうか。
 自分の食い残しを他人に
食べさせて喜んでいる変態が、ここまで言うかという感じです。

 ちなみに、今日はギリシャ国際作家・芸術家協会とかいうところが、「桂冠詩人」の池田大作ダイセンセイを顕彰だそうです。

これほど、世界で有名といわれているお方も少ないでしょう。

あほらし

池田大作氏

平成22年12月13日月曜日雨 ○

 池田大作氏が表に出なくなってから久しい。

 もう、八十二歳だそうだからいつ逝ってもおかしくないでしょう。

例えば、築地の市場でキチガイ新聞と呼ばれている聖教新聞には、十一月四日の「栄光の創立八十周年を全同志と慶祝」という見出しと共に、北朝鮮と見まがうばかりの行事の写真が多く掲載されていたが、その大切な行事には池田氏は出席せず、二〇〇〇年三月に写した写真が掲載され、SGI会長が祝福とあり、「見事でした。満点です」というそこにいるかのようなメッセージのみです。

 

 十一月十八日にはそのチキガイ新聞の一面には、十一月十四日に新宿区内で写したとされる「世界百九十二か国・地域の友に心から感謝と謝辞を捧げる池田名誉会長夫妻」と金屏風の前で香峯子夫人と二人で写った写真が掲載されているが、第三者が写ってなく、本当に十一月十四日に写したものか証明出来るものがない。

 

 その翌日の十一月十九日の気違い新聞には、民衆が輝く百周年へ出発」と第一面にあり、記念勤行会が創価文化会館を始め全国で行われたそうだが、池田大作氏は信濃町にある学会本部で、各部の代表ととも勤行したそうだが、写真はその池田氏の勤行の写真ではなく、どういうわけか原田氏の創価文化会館での写真。

  

 十二月一日にもブラジルアマゾナス教育科学技術連邦大学とやらより池田夫妻に三百一番目の名誉博士号が贈られ、翌十二月二日の気違い新聞には支那の大連海事大学から池田氏に名誉教授称号が贈られ、わざわざ、来日して創価大学で授与式があったらしいが、池田氏は自作と言われる漢詩を贈っただけだったらしい。

 まあ、池田氏はこんなものよりノーベル平和賞が何よりも欲しいのだろうが、それはいくら問題のあるノーベル平和賞でも、あかんだろう。

 それよりも、当店のURAホームページの常連である愛国青年氏がダボハゼ池田大作氏に支那のお笑い「孔子平和賞」とかやればと投稿してくださいましたが、まさに的を得ていると思います。ダボハゼ池田大作氏だったら、喜んで食いつくでしょう。

何しろ、どこかの小学校の名誉PTA会長やアメリカの小学校の名誉校長になったという事さへ、気違い新聞の一面に掲載される程ですから。

あほらし。

店に寄り、資源ゴミを出してから帰宅。

今日は、酒は飲まず。


池田大作氏の本名

平成20年5月27日火曜日晴れ ○5日め
 五月二一日水曜日の聖教新聞で、池田大作氏の著作の海外出版総数が一〇〇〇点にものぼる事が掲載されていました。
 見出しとして 
 <池田先生の作品は民衆を結ぶ偉大な思想>
 <百年、千年先のために五〇カ国 四〇言語で発刊>
 とされ、記事には下記のような事が書かれています。
 <人類が求める英知たるSGI会長の海外出版。その第一号は、小説「人間革命」第一巻の英語版。一九六五年(昭和四〇年)に発刊された>

 一人の人間がどうしたらこれほどの執筆活動が可能なのでしょう。

まさに超人(棒読み)

流石は池田大作ダイセンセイ(同じく棒読み)

 創価学会には池田氏の「ダイサク」チームというものが存在するそうです。これは池田「大作」はではなく池田「代作」チームとして存在するもので、その名も「特別書籍」といい、その責任者だった原島嵩元創価学会教学部長は、池田氏の著作物の大半はその「代作」チームの手によるものだったことを明らかにしています。
 
つまり、創価学会の信者皆様にとっての偉大な指導者様の本名とは

池田大作ではなく池田代作だったわけです。

ということで、池田大作というのは芸名だったわけです。

 普通はこんな行為は恥ずかしくてできないでしょうが、学会員の前で平気で「自動演奏ピアノ」にて堂々と「演奏」する「ふり」という犬なみの芸を披露して喜んでいる池田犬作氏、いや、失礼。池田代作氏だけの事はあります。

 しかし、書いてもいないものを書くふりをするというのも苦痛でしょう。
 あっ、苦痛じゃあないから池田代作氏ですか。なるほど、納得。
 まるで、同じトンつながりの金正日なみです。

 あほらし。

池田大作「私ひとり」

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成19年7月10日火曜日雨 ×
 気狂い新聞といわれている聖教新聞に先週の金曜日に「世界桂冠詩人」である池田大作ダイセンセイの「詩みたいなもの」が見開き二ページを使って掲載されていた。あくまで「詩みたいなもの」です。
その長文の「詩みたいなもの」の一部引用です。
以下引用
我が人生の栄光を謳う
正義と真実の師弟の道   山本 伸一
略)
陰険にして悪辣な
妬みと僻みに狂った輩は
偉大なる功績の牧口先生
さらにまた戸田先生
そして
私を
捻じ曲げて攻撃した。

略)
初代会長・牧口先生と
二代会長・戸田先生は
そうであられた。
皆がご存じの通りだ。

戸田先生と弟子の私も
同じ方程式であった。
師弟一体で戦い
師弟一体で苦しみ
師弟一体で勝ち抜き
師弟一体で今日(こんにち)まで
勝ちまくってきたのだ。
略)
偉大な広宣流布の師匠
戸田城聖先生の
最も優れた弟子は
私一人であった。

略)
正義と真実の
師弟不二の私は
永遠なる勝利へ
永遠なる栄光へ
永遠なる完勝へと
戦い続けていくのだ。
広宣流布のために!

略)
素晴らしき人生を
生き抜くのだ。
幸福も 歓喜も
平和も 慈悲も
その中に
厳として輝いているのだ。
略)
 二〇〇七年七月三日  学会本部・師弟会館にて 
世界桂冠詩人
引用終わり
 つまり、世の中の輩は誹謗中傷をしてきた。初代会長は二代会長、二代め会長と池田大作ダイセンセイの関係は同じ。「最も優れた弟子は私一人であった」。まあ、普通は自分では中々こうは言えません。面の皮の厚い世界桂冠詩人である池田大作ダイセンセイだからこそのお言葉でございます。
そして、布教活動をしていけば、幸せが来ると言っているのです。流石は現世主義の腐れ創価学会です。

ところで、どうしてその優れた弟子の池田大作ダイセンセイの優れたお弟子さんの名前として四代会長がでてこないのでしょうか?池田大作ダイセンセイの後の方のお名前が出てこないのはどうしてでしょうか??????

あほらし。
惚けてるとしか思えん。

池田大作の醜い歴史観(原爆投下)

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成19年7月28日土曜日晴れ ×
 コンビニに入ると「週刊現代」の表紙に「池田大作『原爆投下は創価学会誹謗の報いだ」という文字。早速購入。脂ぎった宗教人らしからぬ写真が掲載されたその池田氏の記事によると
以下引用
 
池田氏の問題発言は'五八年五月一八日、福岡県久留米市で開かれた創価学会の第一回男子部九州総会の講演中のもの。当時、池田氏は創価学会会長に就任する前で、参謀室長という役職だった。
略)
 一三世紀に中国の元が日本を攻撃した「元冦」を、鎌倉幕府の日蓮上人迫害と結びつけ、こう話した。
 「大聖人様御在世に大聖人様を迫害したがゆえに一国謗法であり、一国が正法を護持しなかったゆえに他国侵逼の難、二回の他国侵逼の難がございました」
 つまり、鎌倉幕府が日蓮上人を迫害したために元が日本を攻めたというのだ。
略)
 
「大東亜戦争の際、日蓮正宗を国家が弾圧し、創価学会を弾圧し、二度の原子爆弾の投下をされております。一発は九州、一発は広島。日本の国が正法を誹謗した報いです。」
略)
 わかりやすくいえば、広島、長崎に原爆が落とされたのは日本政府が正法=日蓮正法の教え、ひいては創価学会を誹謗した報いだというのだ。
 この講演は創価学会が'六一年に発行した「会長講演集第三巻」にも掲載されている。
略)
 創価学会広報室は本誌の取材に対して、次のように回答した。
 「国民に国家神道を強制して思想の自由を奪い、さらにそれに従わなかった創価学会の牧口初代会長を獄死に至らしめるというような時の軍部政権の狂気が、結果として原爆の投下という悲惨を招いた、という主旨です」

引用終わり
 週刊現代平成一九年八月一一日号p三〇

 何とも醜い、そして独善的としか言い様のない発言でしょう。また、池田大作の発言を擁護する創価学会。

こんな発言の池田大作という人間を崇め奉る創価学会とは、私には普通の人の集まりとは到底思えません。

大笑い自作自演名誉博士号

平成20年7月7日月曜日晴れ ○
 あの世界有数の勲章コレクター、名誉博士コレクター、名誉市民コレクターとして有名な池田大作ダイセンセイ。その中には多くの「笑える」名誉称号が贈られていますが、最近のヒットは何といっても「アメリカ創価大学が決定」「池田SGI会長に第一号の名誉博士号」「創立者の人生と功績こそ本学の最高の理想」という見出しでしょうか。(二〇〇八年五月二三日聖教新聞)

 自分が創立した大学からの「名誉博士 第一号」とは流石です。謙虚さ、奥ゆかしさなど微塵も感じさせないその日本人とは到底思えぬ厚顔無恥ぶり、流石です。

 

 

 

 聖教新聞に「庶民の王者」というコーナーが出来ているんですね。これって、昨年、支那の温首相来日時に池田大作ダイセンセイが会った時に、「庶民の王者と会ってくださり」とぬかしたのと無関係なんざんしょか?、
 
あほらし。

 

池田大作の戦い お笑い

平成21年1月17日日曜日晴れ 

 <私に対して、先生は絶対の信頼を寄せてくださった。  それまで、だれもやったことのない、またできなかった戦いである。しかし私は「やります!断じてやります!」と、決然と申し上げ、戦いを開始した。

 マスコミで誤報が流れれば、すぐさま関係者に会い、直接、誤りを正した。悪意の中傷をする者がいれば、厳重に抗議した。真実を明らかにするため、論陣も張った。 ある時、地方の新聞に学会を批判する記事が出た。事実無根のデマによるものであった。  私は即座に、その新聞社に飛んでいき、抗議した。誠実に、そして明確に、真実を伝えた。>

(各部合同協議会でのスピーチより 二〇〇八年六月二八日聖教新聞)

 あれっ、藤原氏に対しての言論弾圧事件の時はどうだったのでしょう?

正々堂々と、抗議したのでしょうか?

論陣をはったのでしょうか?

 こういうのを、厚顔無恥、大嘘つきというのではないでしょうか?

<四十年前、激しい圧迫の嵐が吹き荒れるなか、私は日中の国交正常化を、勇気をもって提言しました。

   どれだけの反対があったか。非難、中傷があったか。危険を避けるため、自宅にいられないことさえあった。  略)  かって日本は、この、一番の大恩人の国を侵略した。とんでもないことだ。その歴史は、あまりにも重い。>

(延安大学「終身教授」称号授与式 創価教育同窓の集い・未来部総会 広布第二幕第八回全国青年幹部会でのスピーチ (長過ぎるわいアホが) 聖教新聞二〇〇八年五月十三日)

 日中国交正常化を言っただけで、どこから、どのような圧力がかかるのというのだろう。

 ましてや、自宅にいられないほどの。

 やっぱ、池田大作ダイセンセイは私には偉大すぎて理解出来ません。

 こんなのを祭り上げて喜んでいるのは、アホとしか言いようが無い。

 

池田大作氏自画自賛

平成21年1月20日火曜日晴れ 寒い

<全世界から「五六〇」の名誉市民称号もいただきました。五大陸から、お贈りいただいた顕彰は、「三〇〇〇」を超えております。

 モスクワ大学での二度の講演を筆頭に、世界の大学やアカデミーでの講演は、三二回を数えます。

 今でも、多くの大学から講演の要請をいただいています。

 世界的名門のハーバード大学では、二回、講演を行いました。その際に私が論じた仏法の生死観を、多くの人々が希望の指針としてくださいました。今でも、最高峰の知性の方々が、この講演について論じてくださいます。

 リハーノフ先生との対談集をはじめ、世界で出版された私の著作は、四〇言語、九五〇点を超えました。

 さらに、ロシアのコスイギン首相、中国の周恩来総理をはじめ、私が対話をしてきた世界の指導者、人類の知性も七〇〇〇人を超えております。

略)

 私は弟子として、この五〇年、いかなる難も勝ち越え、堂々たる王者の証を打ち立てたのであります。

 そして、私は今、この世界一の英知の月桂冠と絶対勝利の宝剣を、我が愛する、大切な学園生に譲り託したいのであります。(大拍手)>

 意味わかりますか?

 これは、昨年三月に行われた創価学会関係の卒業式においての池田大作ダイセンセイの祝辞のお言葉でございます。

 私には、単なる自己顕示欲の固まりということしか理解できません。

 池田ダイセンセイはこれ以外にもいろいろと述べていらっしゃいます。

 <晩年、戸田先生は、私の手をがっちりと握りながら、「君がいてくれたから、私は本当にいい人生を送れた」と落涙された。

 あまりにも美しい師弟の姿であった。

 略)

 戦後の最大の苦境のなか、私は戸田先生をお護りした。

 命を賭して師匠を護る これが本当の師弟である。

 古今東西の歴史を見ても、私ほど師匠に仕え切った弟子はいないと自負している。

 略)

 この言語に絶する師弟の道をつくってきたからこそ、学会は世界的な発展を遂げたのである。>

 (全国最高協議会でのスピーチ 聖教新聞平成二〇年八月一日より)

普通の日本人だったら、自分でこんなこと言うか〜

「 あまりにも美しい師弟の姿であった。

まあ、日本人じゃあなかったら知らんけど・・・・

そんな、「古今東西の歴史を見ても、私ほど師匠に仕え切った弟子はいないと自負している。」という自称世界一の弟子は、師匠である戸田氏が亡くなった時に、どういう仕打ちをしたか。

 死の直後に池田氏が戸田氏宅に乗り込み、遺品類、古美術、など四億円相当の遺産を強制的に差し押え、葬儀に寄せられた四千万円あまりの香典さえ、遺族に渡さず、創価学会が取ってしまい、未亡人らの抗議でやっと、ほんの一部が返されただけだそうです。そのあとも色紙、メダルにいたるまですべて回収して二代会長色を一掃したそうです。自宅は、池田氏会長就任後に池田氏自身の手により売り払われた。

参照(池田大作の素顔

 <じつは私は「桂冠詩人」であり、「世界桂冠詩人」の賞もいただいております。詩人にとって詩を贈ることは、最大の栄誉を贈ることなのです。>

 (胡錦濤来日時に胡錦濤に詩を贈ったときの言葉 平成二十年五月九日聖教新聞より)

  ちなみに池田大作氏は、聖教新聞に「詩」を発表するときも、

一番最後に

<桂冠詩人

 世界桂冠詩人

 世界民衆詩人>

 と書いています。

その詩の中には、

<「第三代会長を守れば

  広宣流布は必ずできる」

「第三代は一生涯

会長として指揮を執れ!」

 これは

恩師の絶対の遺言であった

皆が生命に刻みつけた

最大の遺訓であった。>

という「アリガタイ」お言葉もございます。

何回も書きますけど、こんな人をどこをどうすれば指導者として、あがめる事が可能なのか。私程度の頭では理解不能です。

こんな、「偉大な」指導者様は、私は池田大作氏以外には金正日将軍様しか知りません。

 あほらし。

 Mixiに当店の一番古くからのお客さまでもある大野さんが、阪神淡路大震災の時に経験した事を書かれていた。

 私も、あの地震では忘れる事の出来ないことがある。

 当店のお客様であるMさんから、地震のその日に営業前でアパートでテレビをつけっぱなしで見てした時に、心配して電話をいただいた。

 「木下さん、ご実家は大丈夫ですか」

 「ありがとうございます。連絡がまだとれないので、わからないのです。Mさんこそ、ご実家は大丈夫ですか」

 「私もとれていないのですが、大丈夫だと思います」

でっ、うちの実家はおんぼろ車庫がぶっ壊れただけで、たいした事が無かった。

 Mさんの芦屋のご実家は全壊。

 そして、妹さんがお亡くなりになったことを後で知った。

 決して、忘れる事の出来ない出来事です。

 小胡子さん、BOOちゃん来店。小胡子さんインフルエンザで大変だったそう。

 

 

池田大作の収入

平成20年9月5日金曜日晴れ ×
 下記は、今日発売のフライデーに掲載されていた「池田大作氏の納税額の推移」です。すげ〜と思うかふ〜んと思うかは人それぞれでしょうが。

池田大作氏の納税額の推移
年度 納税額 四谷税務署内順位 都内順位 全国順位
1995年度 2億4109万円

4位

91位

185位

1996年度 2億1206万円

4位

106位

219位

1997年度 2億3751万円

4位

77位

155位

1998年度 1億7200万円

5位

133位

273位

1999年度 1億5396万円

5位

162位

318位

2000年度 1億1883万円

1位

258位

481位

2001年度 1億3616万円

2位

214位

428位

2002年度 1億1537万円

7位

285位

532位

2003年度 1億2774万円

4位

238位

435位

2004年度 1億2895万円

5位

245位

465位

 

 

 

 

 

裏表紙