このページは旧ホームページです。新しい「酒たまねぎやホームページ」へ

 

菅直人は朝鮮人である

日記の文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


流石は朝鮮人の菅直人

平成23年12月17日土曜日晴れ×

 写真はネットにあったお遍路でのアホ菅の写真。

 

 靖國神社にはもちろん、神社等普段は参拝等した事もないのだろう。いくら格好を付けても、左手に水を受けて口を洗うという手水の作法さへ知らないどうしようもない人間のクズ。

 

 朝鮮人としての水の飲み方は心得ているんですけどね。

 

 日本人じゃあないから仕方ないのか。

 やっぱ、人間のクズだな。

 

 福島からのお客様二度目の来店。

 Mさん、さくらさん来店。

 Iさん三名様で来店。

 ドンチャン。

 ワインボトルゴロゴロ。

 記憶なし。

 サル。


 

やっぱりゴミの菅直人

平成23年5月21日土曜日晴れ×56

 アホカンが支那、南朝鮮の首脳と一緒に被災地を訪問し、サクランボを食うというパフォーマンスをやったそうです。

以下引用

中韓首脳パフォーマンス全開! 菅首相との友好演出には冷淡 福島入り

2011.5.21 22:54 産経新聞

 中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領が21日、日中韓首脳会議出席のため来日し、菅直人首相とともに東京電力福島第1原発の周辺住民が避難している福島市の体育館を訪れ、被災者を激励した。日本政府の事故対応に不信感を募らせる中韓首脳は、菅首相との友好演出には関心が薄く、個別のパフォーマンスに精を出した。

 午後3時すぎ、福島市のあづま総合体育館で合流した3首脳は、風評被害を受ける福島県産のミニトマトなどを試食し、安全性をアピール。菅首相は「食べてもらって本当にありがとうございます」と2首脳に礼を言った。

 李大統領は韓国の子供たちのメッセージを書いたうちわなどを大量に持参。体育館内の避難ブースにあぐらをかいて座り、子供たちの頭をなでて回り、帰り際は被災者の握手攻めにも笑顔で応じた。

 温首相も子供たちにパンダのぬいぐるみ、大人にはポロシャツやラジオなどを大量にプレゼント。高齢者らと膝詰めとなり「気を落とさないでいつまでも元気で」などと励ました。

 菅首相のお土産はなし。中韓首脳に随行するようにブースを回ったが、両首脳はほとんど振り向きもしなかった。一番先に体育館を去ったのも菅首相。滞在時間はわずか18分間だった。

温首相と話をした女性(76)は「言っちゃ悪いけど菅さんより人情深い感じがした」。菅首相に声をかけられた女性(57)は「『準備があるのでお先に失礼します』とサッと行ってしまった。温首相らに比べるともの足りない」。

 菅首相は当初、福島での開会式を希望したが、中韓首脳が拒否。菅首相との同一行動は“得点”にならないと考え、個別に宮城県内の被災地を慰問した。

 李大統領は名取市の閖上(ゆりあげ)公民館で献花し黙祷(もくとう)。韓国レスキュー隊が活動した多賀城市の避難所も訪れ、「頑張ってください」と日本語で激励した。

 温首相は津波で倒壊した名取市の漁協跡地で献花。避難所の館腰(たてこし)小学校では「13億人がみんな応援している」などとねぎらった。

 夜は都内のホテルで人気グループSMAPのメンバーと「世界に一つだけの花」を中国語で合唱、9月の中国公演をとりつけた。おかげで菅首相主催の夕食会は50分遅れとなった。

 22日は都内の迎賓館で日中韓首脳会議を開催。日中、日韓の首脳会談も行われる。

引用終わり

以下引用

<東日本大震災>日中韓首脳が福島入り 原発避難住民励ます

(毎日新聞05月21日 22:42)

 略)

 外国首脳が福島県を訪問するのは、原発事故後初めて。3首脳は午後3時ごろ、福島市の体育館に到着。菅首相の勧めで福島県産のサクランボ、キュウリ、ミニトマトなどを試食した。菅首相は両首脳に「本当にありがとうございました」と述べた。その後、約20分間、体育館内の避難住民を励まし、「いつまでもお元気で」などと声をかけた。

 

略)

 両首脳は同日夜、東京・元赤坂の迎賓館で菅首相主催の夕食会に出席。福島産の日本酒や被災地産の食材を使った料理がふるまわれた。菅首相は席上、福島訪問や農産物試食に触れて「風評被害をはねのける上で、本当に大きな力になると確信している」と述べた。

略)

【西田進一郎、須藤唯哉】

引用終わり

以下引用

食の安全アピール期待…日中韓首脳の福島訪問

(読売新聞05月21日 21:16)

 日中韓3首脳による21日の福島県訪問は、日本の農作物などの安全性のアピールを期待した菅首相の強い意向によるものだ。

 同日夜の菅首相主催夕食会でも、岩手県の前沢牛や宮城県のアワビなど被災地の食材を使った料理を提供した。

 菅首相は夕食会の冒頭、中韓首脳の福島訪問に謝意を伝え、「私がお願いしてサクランボなどを一緒に食していただいた。風評被害をはねのけるうえで、本当に大きな力になる。明日は売り切れるのではないか」と語った。

略)

引用終わり

 

 

 「私がお願いしてサクランボなどを一緒に食していただいた。風評被害をはねのけるうえで、本当に大きな力になる。明日は売り切れるのではないか

 もうアホ全開です。だいたい、今頃のサクランボはハウス栽培で、露地物ではないと指摘されている方もございました。

 たった十八分のこんなアホなパフォーマンスのおかげで、どれだけの警察官が警備にさかれた事だろう。

 アホカンと比べるのも畏れ多いが、陛下は被災地に行幸される際も、警備等の事を気にされ、自衛隊のヘリ、そして現地ではバスで移動されたと報道していた。

 

 アホカンはどうだったのだろう。

 今日は大家さんから脚立を借りて店のツタを伐る。

 

 

 

 初めてのお客様二名様来店。

 Y@横浜さん来店。

 ゴリさん、グチさん来店。

(どちらも女性の方です)

 営業終了後、遅い時間まで開いていてくれるところつうことで、「Arrivee」さんに伺う。其の後「エムズバー」さんに伺う。

 一応記憶はあったと思ったが、メチャアヤフヤ。

 サルよりマシかもしれないが、自信無し・・・・・

 でも、エビではない。


 

日独交流150周年にあたり日独友好関係の増進に関する決議

平成23年3月30日水曜日晴れ △

 Mさん二名様で来店。

 二名様来店。

 民主党の長尾たかし議員、加藤さんと来店。

 お二人は長尾議員がまだ議員になられる前にチャンネル桜の収録が終わったその足でいらしてくださったのが最初。

 昨年十一月二十八日日曜日に文京区区民センターで行われた「北朝鮮の韓国砲撃に抗議し拉致被害者救出に万全の備えを求める緊急集会」にもお忙しい中いらしていて、その日の私の飲んべえ日記はこのように書いてあった。

国会議員の方は松原仁氏、長尾敬氏、小池百合子氏が壇上上がられそれぞれお話をされていたが、一番違和感があったのは政界渡り鳥の小池百合子氏でした。

政界での争いごとをそのまま持ち込んでいて、非常に聞き苦しい。

 小池百合子という人間性がよく出ていて判りやすい。

 長尾敬氏は以前に別の集会にもいらしていた時に、心ない一部の人間から民主党ということだけで罵声を浴びていたことがあったが、真摯に対応されていた事を思い出しました。

 国会議員で長尾氏だけ壇上から降りた後も最後まで席にいらした。

 小池氏とは別の意味で長尾氏のその人間性がよく出ている。>

 

 今日、その長尾議員より明日とんでも決議案が可決される可能性がある。それに対して反対する長尾議員に対し内部でのバッシングが右からも左からも醜いようです。

 以下長尾議員からいただいたそのとんでも決議案の文面を引用させいただきます。

以下引用

<日独交流百五十周年に当たり日独友好関係の増進に関する決議(案)

 今から百五十年前の一八六一年、我が国は日・ブロイセン修好通商条約に調印し.日本とドイツの醇身であるプロイセンとの間に公式な関係が樹立された。

 一八七一年にブロイセンを中心に統一を達成したドイツは、我が国が近代化に当たり模範とした国の一つであり、我が国はドイツから、法学、医学.芸術を始め、様々な分野で多くを学んできた、また、浮世絵を始めとする日本の伝統文化も、ドイツを含むヨーロッパの芸術に少なからぬ影響を及ぼすなど、日独両国は、友好関係を築いてきた。

 両国は第一次世界大戦で敵対したものの、先の大戦においては、一九四○年に日独伊三国同盟を結び、同盟国となった。しかし両国は、その侵略行為により、近隣諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えることとなった。

 あわせて、敗戦の中から両国は奇跡の経済復興を遂げ、同時に戦争への反省に立ち.今日、自由、民主主義、人権の尊重という基本的な価値観を分かち合いつつ、世界の平和と繁栄のために緊密に協力している。さらに、両国の国民は、相互の文化と価値観に対する尊敬の念を基礎に、広範多岐にわたる交流を着実に進めている。

 本院は、日独交流百五十周年に当たるこの機会に、日独両国が国際社会の平和と安定に大きく寄与していることを確認するとともに、今後とも我が国は、信頼関係に基づくパートナーであるドイツと共に、国際平和の実現に向けて最大限の努力を継続する所存であることを、ここに銘記する。

 右決議する。>

引用終わり

 長尾議員はこれを排除すべく奔走されている。

 来店中も電話など多くあり。

 ぜひ、負の遺産を残さないためにも頑張ってほしいものです。

 

 ちなみに、我が国を陥れるこの決議案を通すためにある意味頑張っている売国奴は、「民主党日本・ドイツ友好議員連盟」会長である田中眞紀子などです。

 我が国は売国奴・村山富市、土井たか子などがどのようにしていわゆる村山談話「戦後五十年 謝罪談話」を通したかは。私もhttp://www.tamanegiya.com/kyouikukihonnhou18.11.202.html

に引用させていただいたが、西村眞悟氏のメルマガ「西村眞悟の時事通信 No.192 平成17年 4月29日(金)」に詳しい。

そしてそれは、河野談話などと同様に我が国の負の遺産となっている。

<五〇年決議における売国奴・村山富市の成果> 

 われわれは、これからの我が国のために一刻も早くこれらの負の遺産を取り除き、そしてこれ以上負の遺産を増やさないように努力しなければならない。

 今日はいつも通り一通り飲む。

 でも、サルではない。エビでもない。

日独交流150周年にあたり日独友好関係の増進に関する決議 追記

4月26日火曜日晴れ ××× 35

 三月三十日水曜日の日記に民主党の長尾たかし議員が来店してくださり翌日に議決される可能性のあるとんでもない決議案のことについて書きましたが、そのとんでもない決議案が議決されたというニュースが先週ありました。

自民、日独友好決議直前に自主投票に 異論相次ぐ

2011/4/22 20:01日本経済新聞

 22日の自民党代議士会で、直後の衆院本会議にかける「日独友好に関する決議」に「事実誤認がある」「事前に知らなかった」などと批判が相次いだため、賛成方針を撤回し、自主投票となる一幕があった。採決では安倍晋三、麻生太郎両元首相ら40人以上の議員が退席し、反対した議員もいた。決議は民主、公明両党などの賛成多数で採択された。

略)

 共産、社民両党は当初の文案にあった第2次世界大戦での「侵略」という表現が削除されたため反対。たちあがれ日本は歴史認識が間違っているとして退席した。>

 まず、長尾議員からいただいたそのとんでも決議案の原案です。

以下引用

<日独交流百五十周年に当たり日独友好関係の増進に関する決議(案)

 今から百五十年前の一八六一年、我が国は日・ブロイセン修好通商条約に調印し.日本とドイツの醇身であるプロイセンとの間に公式な関係が樹立された。

 一八七一年にブロイセンを中心に統一を達成したドイツは、我が国が近代化に当たり模範とした国の一つであり、我が国はドイツから、法学、医学.芸術を始め、様々な分野で多くを学んできた、また、浮世絵を始めとする日本の伝統文化も、ドイツを含むヨーロッパの芸術に少なからぬ影響を及ぼすなど、日独両国は、友好関係を築いてきた。

 両国は第一次世界大戦で敵対したものの、先の大戦においては、一九四○年に日独伊三国同盟を結び、同盟国となった。

 しかし両国は、その侵略行為により、近隣諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えることとなった。

 あわせて、敗戦の中から両国は奇跡の経済復興を遂げ、同時に戦争への反省に立ち.今日、自由、民主主義、人権の尊重という基本的な価値観を分かち合いつつ、世界の平和と繁栄のために緊密に協力している。さらに、両国の国民は、相互の文化と価値観に対する尊敬の念を基礎に、広範多岐にわたる交流を着実に進めている。

 本院は、日独交流百五十周年に当たるこの機会に、日独両国が国際社会の平和と安定に大きく寄与していることを確認するとともに、今後とも我が国は、信頼関係に基づくパートナーであるドイツと共に、国際平和の実現に向けて最大限の努力を継続する所存であることを、ここに銘記する。

 右決議する。>

引用終わり

 そして、今回議決された決議内容です。

<日独交流百五十周年に当たり日独友好関係の増進に関する決議 (第一七七回、決議第五号)

 今から百五十年前の一八六一年、我が国は日・プロイセン修好通商条約に調印し、日本とドイツの前身であるプロイセンとの間に公式な関係が樹立された。

 一八七一年にプロイセンを中心に統一を達成したドイツは、我が国が近代化に当たり模範とした国の一つであり、日独両国はお互いに影響を及ぼし合いながら、友好関係を築いてきた。

 両国は、第一次世界大戦で敵対したものの、先の大戦においては、一九四〇年に日独伊三国同盟を結び、同盟国となった。

 その後、各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけるに至り、両国も多くの犠牲を払った。

 しかし、両国は奇跡の経済復興を遂げ、同時に戦争への反省に立ち、今日、自由、民主主義、人権の尊重という基本的な価値観を分かち合いつつ、世界の平和と繁栄のために緊密に協力している。さらに、両国の国民は、相互の文化と価値観に対する尊敬の念を基礎に、広範多岐にわたる交流を着実に進めている。

 本院は、日独交流百五十周年に当たるこの機会に、今後とも我が国は、信頼関係に基づくパートナーであるドイツと共に、国際平和の実現に向けて最大限の努力を継続する所存であることを、ここに銘記する。

 右決議する。>

http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/topics/ketugi110422(3)-1.html

 まあ、醜いものです。

 最初の「しかし両国は、その侵略行為により、近隣諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えることとなった。」が「 その後、各国と戦争状態に入り、多大な迷惑をかけるに至り、両国も多くの犠牲を払った。」となっている。

 これについて、退席したひとりである自民党の下村博文議員は御自身のブログ「日独友好決議に本会議退席する」と題したブログに下記のように記されている。

<理由は@ 文案は「両国は第一次世界大戦で敵対したものの、先の大戦においては、1940年に日独伊三国同盟を結び同盟国となった。その後、各国と戦争状態に入り多大な迷惑をかけるに至り、両国も多くの犠牲を払った」となっている。

しかし、ドイツの戦争は1939年ポーランド侵攻に始まり、歴史事実を誤認して同盟を結んだ後、世界に戦争を行ったという文案は国会の見識が問われる。

理由のAは、ドイツを開戦時期も経緯も異なるのに、一方的に両国が「各国と戦争状態に入り多大な迷惑をかけるに至った」と同一に論じれば、特にユダヤ人残滅を企画して計画的に虐殺を実施したナチスドイツのホロコーストを含むドイツの歴史と我が国の歴史を同一視する事になり、断じて容認できない。

結果的には石原伸晃幹事長が「党議拘束を外す」と決定したため、約40人が退席、議場に残った議員の多くも起立採決に座ったまま反対した。

そもそも事前に党の部会などで議論がなく、この決議案の内容を事前に知っていた議員もほとんどいない。こんなことで容易に採決に応じていること事態、国会議員としての見識も問われる。

決議は、民主、公明両党や自民党の一部など賛成多数で可決したが、歴史に汚点を残した。

ドイツに対しても友好決議とはならなかった。>

 

 ちなみに、アホの集まりである社民党も反対したがその反対理由は別の意味での反対である。

 

<日本政府においても、一九九五年、戦後五十周年に当たっての「村山談話」で、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことの反省とお詫びの気持ちを表明し、この「村山談話」は現政権まで一貫して継承されております。

 本決議案も、最初に理事会において提示された案文は、日独友好議員連盟や外務省の意見も踏まえて練り上げられたもので、日独両国が「侵略行為により、近隣諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えることとなった」との歴史認識を表明しておりました。それが、土壇場において「侵略行為」という文言が削除されました。

 このように誤った歴史認識に立った決議を採択することは、政府見解と明白に齟齬をきたすのみならず、国会の権威と品位を貶めるものであり、>

服部良一(社民党)「日独交流百五十周年に当たり日独友好関係の増進に関する決議案」反対討論より

 これは、いかに売国奴村山富市の「五〇年決議」の影響が大きいかを示すものです。

参照→五〇年決議と村山富市(西村眞悟議員のメルマガより)

参照→五〇年決議における売国奴・村山富市の成果

 だいたいこの国難の時にこのような決議をする必要がどこにあるのか。

 そんな、時間があるのであれば、東日本大震災関係の法案のひとつも通せドアホウが。

このアホな決議を無理強いした「民主党日本・ドイツ連邦共和国友好議員連盟」とは

田中 眞紀子 (会長)

川端 達夫

奥村 展三  (幹事長)

小川 淳也  (事務局長)

楠田大蔵

中林美恵子

行田邦子

湯原俊二

渡辺義彦

友近聡朗

吉田統彦

 が判明しています。

 我が国の為にならない事は何でもやる腐れ議員連中です。

 今日の築地本願寺の蓮。

 

 河岸で携帯電話を水の中に落としてしまったが、Gショック防水携帯でよかった。

 

 Sさん来店。

 I@仙台さん(今は府中だけど)来店。

 ご実家は大丈夫だったようです。

 Oさん来店。

 Mさん来店。

 今日はヒマつうことで早い時間からドンチャン。

 営業終了後、Mさんと「アンブラ」さんに伺う。

 ドンチャン。記憶無し。

 サル以下。でも、エビではない・・・・と思う。


 

菅政権の台湾に対する非礼

平成23年3月31日木曜日晴れ ○ 13

 能天気ジジイ村山富一が首相をしていた時にあった阪神淡路大震災の時は、同盟国であるアメリカが申し出た空母派遣を断った。

 そして、パフォーマンスしか頭にない菅直人が首相の時に未曾有の東日本大震災が起った。

 この時も菅直人は自分のパフォーマンスを優先し、原発に降り立ち、処置を遅らせた。

 それだけでなく、左巻き政権は支那の顔色を伺い親日国である台湾に対し非礼を働いている。

 下記は永山英樹氏(台湾研究フォーラム代表)のメルマガ版「台湾は日本の生命線!」に掲載された

「ありがとう!台湾救援隊が被災地入りー二度と許されない日本政府の非礼」

と題する文章です。

運動拡大のため転載可とされていましたので、転載させていただきます。

<台湾が九九年、九・二一大地震に見舞われた際、中国は各国に対し、「義捐金は中国を通せ」と要求し、あるいはロシア救援隊の領空通過を拒否するなど、さまざまな妨害を行ったが、それと対照的に日本は、救援隊を真っ先に派遣し、被災地で懸命の作業に当たった。これによって台湾では、中国を「同胞」とする国共両党の虚構宣伝はすっ飛び、逆に日本が信頼し、頼りになる国だと認識されたのだった。

当時日本隊の隊長を務めた人から直接聞いた話だが、任務を終えて帰国の飛行機に乗り込もうと隊員たちが空港ロビーに入ったときのこと。これを見た群衆は一瞬静まり返ったそうだ。ところがそこへ誰かが「ヒーロー」と叫んだ。すると広大なロビー全体が感謝の拍手に包まれたという。

〇九年、台風八号で大被害を被った時、国民党政権は各国の支援や救援隊派遣を当初断った。それは過剰な対中宥和政策をとる同政権の中国への配慮だったとされる。中国は自国より先に日米などが救援に乗り出すことを恐れていたのは確かである。あの国にとって台湾人の親日米・反中感情は「中国統一」(台湾併呑)の最大障害だからだ。

さて日本で三月十一日午後、東日本大地震が発生した。台湾政府はそれから一時間も経たないうちに日本政府に対し、義捐金、医療物資の提供、そして救援隊、医療隊の派遣を申し出た。

ところが救援隊の派遣に関して日本側は、最初は受け入れると回答したものの、その後「被災地は極めて混乱しており、詳細な検討後、改めて通知する」と「婉曲に断ってきた」(台湾外交部プレスリリース)という。

ただ十二日にディーゼル発電機やストーブなどそれぞれ五百台以上、防寒服など千人分、ビスケットなどの食品は緊急救援物資として正式に要請している。

「モノ」なら受け取ってやるということか。だが日本政府は台湾以外の国の「ヒト」(救援隊)は受け入れているのである。

つまり日本政府は「1972年に台湾と断交、『台湾は中国の一部』とする中国の立場に配慮しており、台湾隊受け入れをためらったとみられる」(朝日新聞)。台湾側も「『中国要因でしょう』(外交関係者)と受け止めている」(同)そうだ。

それにしても、確かに政府は台湾の大統領、首相、外相、国防相の来日は拒否する方針だが、救援隊を、しかもこの緊急時のなかで拒否するというのは尋常ではなく、おそらく中国から大きな圧力が加えられたのではないだろうか。

王式的なあの国は日本国民が台湾に親しみを抱くことを恐れている。なぜなら良好で強い日台関係もまた「中国統一」の大障害だからだ。

ところで政府は国民の生命より中国の方が大切なのだろうか。こうした常識外れの行為に出るのは、親中勢力の一大特徴でもある。

さて中国の救援隊が日本入りした十三日の夜になり、政府は一転して台湾隊の受け入れを決定した。

この不自然さはいったい何のためなのか。台湾より先に中国に花を持たせるため、台湾の受け入れ表明をわざわざ遅らせたのだろうか。それとも中国の側から「台湾隊も入れていい」との許しが出たからだろうか。

だがこれほどの非礼を受けながらも台湾隊二十八名は、十四日朝に台北を飛び立ち、東京へ。そして十五日午前三時に被災地仙台へ到着。韓国、フランス、ロシアのチームと合流した。

台湾では現在、大勢の人々が日本の災害状況を、まるで我が事であるかのように見守っており、「日本を助けよう」との声が澎湃と起こっている。「九・二一大地震では日本に助けられたから」と、当時の被災者たちが救援募金を開始したとの報道もある。

このような国から、そしてこのような国の人々の思いを担い、日本人の生命を守るために今、あの危険極まりない被災地に入っているのが台湾の救援隊なのである。

この兄弟国の勇者たちを歓迎し、感謝するため、私は「万歳」を叫びたい気持ちだ。

日本政府の台湾に対する傲慢な忘恩、背信行為は今後二度と許されてはならない!>

ブログでは関連写真も↓

http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1451.html

 そして、アホカン民主党はこの非常事態にお揃いの防災服を新調するそうである。

以下引用

<お民主“おそろい防災服”800万円超で新調…今、できること?

2011.03.31産経新聞

菅首相以下、閣僚らも防災服で閣議に臨んでいるが、何の意味があるのか

 菅直人首相率いる民主党のあぜんとする情報が飛び込んできた。東日本大震災を受け、国会議員や秘書が着用するおそろいの防災服をあつらえることを決めたというのだ。単純計算で800万円以上かかるが、被災者支援に寄付した方がいいのではないか。

 注目の防災服は、右腕に「民主党」の文字と、赤い丸を2つ重ねた同党ロゴマークが入るデザイン。党総務委員会が議員に配布した「党防災服購入のご案内」によると、色は濃紺。サイズはSSから5Lまで8種類を用意し、金額は5000円程度。4月中旬に配布する予定という。  民主党の国会議員は衆参409人。議員1人に3人いる公設秘書は1227人で合計1636人。単純計算で防災服代は818万円にもなる。

 防災服をめぐっては、閣僚が各省庁の防災服姿で国会答弁している姿でさえも「現場に行くわけでもないのにわざとらしい」(若手)との批判も。3万人近い死者・行方不明者、17万人を超える避難民を前に、外見を気にしている場合ではないはずだが。>

引用終わり

 引っ越しの時にいちいち作業服を揃えるのか。動き易かったら、ジャージでもなんでもええだろうに。

 それを責める奴もおらんだろう。

 産経新聞の記事にもあるが、現場に行くのであれば多少はわかるが、東京にいて防災服での記者会見も意味が分からん。

 

 現場に行って何も作業もしないのだったら作業服でなくともええし。

 本田宗一郎氏がツナギを着ていたのは、本田氏が根っからの技術屋であり常に油まみれになっていたという必要性からです。

 このゴミどもは作業服を単なる格好付けにしか見ていないのだろう。

 

 どうしようもないドアホウどもです。

 今日はメチャ暇。

 Yさん来店。

 Tさん来店。

 だけ。

 調子がイマイチなので、今日は飲まず。

 サルでもエビでもない。

 昨日も飲んだ後、飲みに出る元気がなかったが今日もサッサと寝る。


 

アキカン首相硫黄島へ

平成22年12月20日月曜日晴れ ○

 下記はどうしようもないアホであるアキカン首相のホームページに書かれている事です。

http://kanfullblog.kantei.go.jp/saki_wo_misuete/

以下引用

<12/14(火曜日)

先を見すえて/菅直人直筆のページ

略)

そして一夜明け、今日14日は、御遺族やボランティア、そして超党派の議員などと共に、4年ぶりに硫黄島に出かけた。国内最多の日本兵の御遺骨が未帰還のまま眠るこの地の問題は、私が野党時代から国会質問などでも取り組んできた懸案だ。

この夏、総理になって、私の指示で設置した「硫黄島からの遺骨帰還のための特命チーム」の阿久津幸彦衆議院議員が、米国公文書館の調査に出向き、日本兵の大きな集団埋葬地の存在を見つけてきた。

今日は私自身も参加して、この集団埋葬地で遺骨収容に当たった。最近20年近く、この島で収容できる御遺骨は年間ほぼ数十柱に留まっていたが、今回判明した場所からは、既に300柱に及ぶ御遺骨が見つかり、更に作業は続行している。

 

戦時中、国は、御家族にとってかけがえのない存在をお預かりした。元気な姿で帰還いただくことができなかったならば、せめて御遺骨を、御家族の待つ地にお返ししなければならない。これは国の責務であることを、今日の追悼式ではっきりと申し上げた。

これは、単なる過去の話ではない。後世代に戦争の悲惨さを伝える、平和へのメッセージでもある。>

引用終わり

 このアキカン首相は国旗である日の丸も国歌である君が代も否定し、靖國神社にも参拝した事はありません。

 偉そうに「せめて御遺骨を、御家族の待つ地にお返ししなければならない。国の責務である」とほざくのであれば、まず、靖國神社に参拝し最高指揮官(残念だが事実である)として英霊との約束を守るのが先ず第一だろう。

 御遺骨に帰還願うというのであれば、乗船していた艦とともに海底深く眠っている英霊はどうなる。

 いかにもアキカン総理らしい腐った詭弁である。

 アサヒビール名誉顧問の中條高徳氏(陸軍士官学校六十期元陸軍少尉)は、靖國神社に毎日参拝する為に、その近くに住居を定められた方です。中條氏は小野田寛郎氏(元陸軍少尉)と対談した「だから、日本人よ、靖国へ行こう」(共著 WAC 平成十六年刊)において「靖国は国家そのもの」と題して下記のように述べておられます。 

<毎朝六時、私は必ず靖國神社を訪れる。大鳥居からゆっくり歩いて参拝し、朝の体操の会にも参加している。これが四十年間続く私の大切な日課です。

 陸軍士官学校を出て、職業軍人だった私は、あと一歩で靖國神社におさまるところだった人間です。靖國神社は、英霊になられた二四六万人にとって、また私のような人間にとって特別な場所なのです。

 この神社の「代替施設を作ろう」などという構想は、言語道断というよりほかない。

二四六万人の英霊は、もはや声をあげて語る事はできないが、靖国に近い場所にいる私の立場は、彼等と同じものです。私達に言わせれば、こんなけしからん論理はありません。

 今、「代替施設」を支持する人達は、おおむね、近隣諸国から言われた文句をそのまま伝えているだけにすぎない。日本人の筈なのに、日本人ではないような感覚で物を言っている。私には許せない。総ての英霊が怒っていると思います。

 彼等は、戦争を好んだわけではない。しかし、国家が侵される危機に臨んで、国を守る防人として、命を懸けて戦った。それは、恋しい女に、家族に、心を残しもしたでしょうが、「後に残る者のためにも」と戦った。

 それでも苦しかったであろう彼等の心のよりどころが、靖國神社だった。「決して死にたいわけではないけれども、死んでしまっても、俺たちは靖國神社に入るのだ。ここで友とまた会えるのだ」と。

 靖國神社は、「神社」ではなく、「国家そのもの」なのです。

 「代替え施設」などと言う話を聞いたら、彼等のすべてが怒るでしょう。自分たちは国を忘れたような人達の為に一命を捧げたわけではない、と哀しむでしょう。>

(中條高徳 小野田寛郎 共著 WAC 平成十六年刊)P百五十八〜百五十九

 

 そして、小野田寛郎元少尉は同書で下記のように述べておられます。

 <国のために死んだら靖國神社に御祀りするというのは、戦争で死んだ者たちとの約束です。それを国が護持しない、別の施設を作る、などというのは、借金を返さないよりももっとたちが悪い。

 死んだ人に嘘はつけない、というのは、日本人の良心です。死んでしまったからもういいんだ、約束は流してしまっていいんだ、などというのはとんでもないことです。

 中国人にはわからないかもしれないが、決して死んだ人との約束を違えてはならない、死者に鞭打つようなことはしてはいけない、というのは日本人の古来の感情ですよ。

 略)

 小泉総理が、若者たちは「心ならずも」戦争に行かされて、戦死したような言い方をしましたが、とんでもないことです。

 既婚者は、家族を遺して死ぬ事に心残りもあったかもしれないけれども、独身の若い者たちは、自分が先頭に立って戦わねば、とみな思っていた。年寄りを前に立たせたって仕方ないのですから。これは何処の国だって同じでしょう。命がなくなる事は覚悟していた。

 略)

 私たちだけでない。みな若い人は覚悟を決めていました。「心ならずも」なんていう気持ちで、特攻機に乗れますか?

 だから、彼等は死んで私達に恩恵を与えてくれる神様なんです。独身者は、親兄弟がしんだら、もう御祀りしてくれる人はいません。でも靖國神社がある。国のため戦死した人を国が祀ることは当たり前で、これは、日本だけのことではない。どこの国だって当たり前の感覚です。

 日本人はそれさえわからなくなってしまったのか、と思います。>

(中條高徳 小野田寛郎 共著 WAC 平成十六年刊)P百四十六〜百五十

 靖國神社に参拝もしないで、英霊との約束を守ろうとしないクソ総理大臣が偉そうな事をぬかすな!

 つうことです。

 こんなアホやから、仙石や岡崎みたいな人間のクズにまで入室しても無視されコケにされる。

 首相の威厳もへったくれもない。

 

 今日起きると、やっぱり、両肩、背中、腕、腹筋などあちこちが筋肉痛。

 午後より、古本屋さんに久しぶりに寄るが何も購入せず。

 夜は風呂に入った後は、ゴロゴロと何もせずにマンガの本を読んで寝る。

 酒は飲まず。


 

菅直人は朝鮮人である。

平成22年8月19日木曜日晴れ △

 菅直人は朝鮮人である。

 こういうと、証拠はあるのかというアホな人もいるであろう。

 私も菅直人氏の血筋は知らない。

 しかし、八月十日に発表したあのアホとしか言いようのない内閣総理大臣談話をよく読んでいただきたい。

 <本年は、日韓関係にとって大きな節目の年です。ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。

 私は、歴史に対して誠実に向き合いたいと思います。歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたいと思います。痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることは出来ないものです。この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。

 このような認識の下、これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していきます。また、これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます。さらに、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。

 日本と韓国は、二千年来の活発な文化の交流や人の往来を通じ、世界に誇る素晴らしい文化と伝統を深く共有しています。さらに、今日の両国の交流は極めて重層的かつ広範多岐にわたり、両国の国民が互いに抱く親近感と友情はかつてないほど強くなっております。また、両国の経済関係や人的交流の規模は国交正常化以来飛躍的に拡大し、互いに切磋琢磨しながら、その結び付きは極めて強固なものとなっています。

 日韓両国は、今この二十一世紀において、民主主義や自由、市場経済といった価値を共有する最も重要で緊密な隣国同士となっています。それは、二国間関係にとどまらず、将来の東アジア共同体の構築をも念頭に置いたこの地域の平和と安定、世界経済の成長と発展、そして、核軍縮や気候変動、貧困や平和構築といった地球規模の課題まで、幅広く地域と世界の平和と繁栄のために協力してリーダーシップを発揮するパートナーの関係です。

 私は、この大きな歴史の節目に、日韓両国の絆がより深く、より固いものとなることを強く希求するとともに、両国間の未来をひらくために不断の努力を惜しまない決意を表明いたします。>

 これを読んで、日本人が起草した文章だと思う日本人がいたら、そいつは異常である。

<百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。>

 日韓併合は明治四十三年(一九一〇年)八月二十二日より昭和二十年八月十五日までの三十五年に満たない期間である。

 九月二日の降伏文書調印までだという人もいるが、それでも三十六年にはほど遠い。

 日本人で三十六年など使うアホウはいない。

 三十六年などとアホを言うのは、嘘が強姦、放火、売春などと国技のひとつである朝鮮人だけです。

 <三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。>

 文化など奪ってはいない。世界最貧国で支那の属国であった朝鮮を独立させたが、アホな朝鮮人はその独立を維持出来なかった。

 我が国は朝鮮のインフラを整え、奴隷を解放し、人口を倍にし、二十四才だった平均寿命を二十才以上延ばした。文盲だった民衆にハングル文字を普及させた。

 恩知らずは朝鮮人である。

 管直人氏は小沢一郎氏と同じく精神は朝鮮人に間違いありません。

 我が国の不幸は、精神が朝鮮人の小沢一郎氏、菅直人氏のような人間が政治家をそれも与党の中心人物であることです。

 朝鮮と関わって良い事などなにもありません。

 

 よく知られているように、戦後、朝鮮人は我が国において非道、暴虐の限りを尽くしました。

 しかし、今、問題なのは現在、我が国においての朝鮮人なのです。

 元公安調査庁・調査第二部長だった菅沼光弘氏は、平成十八年十月十九日に外国人特派員協会における講演で、

現在の日本のヤクザにおける構成員あるいは純構成員といわれる人たちの割合を

六十%が同和関係者、三十%が在日朝鮮人

と述べています。

 

 現在、我が国の人口一億二千万人のうち在日朝鮮人は〇・五%程度の五二万人

 平成十九年末の警視庁発表の我が国の暴力団構成員及び純構成員は約八万四千二百人となっているので、

 その三十%が在日朝鮮人だとすると、

 八万四千二百×三十%=二万五千二百六十人となる。

 在日朝鮮人の成人男子は約二二〜三万人として、十一%弱がヤクザということになる。

 朝鮮人とは成人男子のうち約九〜十人に一人が腐れヤクザをやっている民族ということになります。

 現実に日本人の五・六倍もの生活保護受給率である在日朝鮮人による犯罪は、

 殺人では日本人の二・八倍、強盗では四・五倍、強姦三倍

 暴行四・五倍、恐喝三・六倍、詐欺二・四倍、覚醒剤取締法違反五倍という統計もあります。

http://web2.nazca.co.jp/midorinosono/#431

 

 これだけでも充分「ああ、やっぱり」と言われる確立は高くなると思うのですがいかがでしょう。

 通名などという偽名を使いながら「民族の誇り」などとクソ戯けた事を言い、

「差別だ」「差別だ」と叫びながらも生活保護、犯罪率の高いままの在日朝鮮人は、

もっと、自分たちの現実を見つめ直した方がよい。

 何度も書いてきましたが、他国において外国人として生きていくためには、あるいは帰化後も何らかのハンディを負って生きていかねばなりません。

 「差別するな」「差別するな」と叫ぶだけでなく、

そのハンディを乗り越え、その住んでいる国に奉仕し、その民族が尊敬されるようになるためには、そこの国民以上の努力が必要です。 

米国における日系二世部隊の苦闘をみるまでもなく、解決するのは、他人ではなく自分たちの努力しか無い事を肝に銘じるべきです。

 

 精神が朝鮮人であるアホ管、我が国の為に早く死んでくれるか、心の祖国である朝鮮に帰ってくれ。

 ちなみに、同じく売国奴で精神が朝鮮人だった土井たか子女史は昭和六十二年に北朝鮮にて金日成から

「スケジュールはきつくありませんか。」とねぎらわれて、「いいえ、自分の家に帰ったようです。」とほざいたそうです。

 初めてのお客様三名様来店。同じく初めてのお客様三名様来店。どうやら当店にお酒を楽しみにいらしたのではなく、待ち合わせにお使いだったようです。初めてのお客様一名様来店。

 Kくん三名様で来店。ホロン部員Yさん来店。

 ドンチャン。

 記憶あり。

 サルよりマシ。



表紙にもどる

URAホームページ