歪んだマスコミの自主規制(皇室関係)

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成19年9月4日火曜日晴れ ×
 天皇陛下御在位六〇年泰祝事業の一端として、ドキュメンタリー映画を製作するという企画を、日本を守る国民会議(加瀬俊一議長)が決定。運営委員長の黛敏郎氏より江藤淳氏に映画の監修を依頼され、江藤氏が引き受けた時のエピソードとして、その著書「閉ざされた言語空間」(文春文庫)より引用させていただきます。
以下引用
 私が奇異に感じたのは、ほかでもない、映画社側が、こと天皇と皇室に対する言葉遣いの問題になると、なぜか忽ち神経質かつ防衛的な態度を露呈するという、きわめて顕著な反応ぶりについてであった。それも敬意の示し方が足りないからいけない、というのではない。敬意を示し過ぎぬよう、いつも戦々兢々としていなければいけない、というのである。
 たとえば、この記録映画の監修を引き受けたときから私の念頭にあったのは、今上陛下の御製をできるだけ多く用いたいという構成案であった。御製はいうまでもなく陛下の心情告白であり、陛下御自身のお言葉である。人は、あるいは執政官御就任以来今日までの六〇有余年の陛下の御足跡を、どうとでもあげへつらうことができるかも知れない。しかし、御製にあらわれている天皇の御心情の真摯さについては、何人もこれを疑うことはできない。陛下御自身のお言葉を以て、今上陛下の御事蹟を綴らしめよ。それ以上に真実な御在位六〇年の記録は、あり得ないはずではないか。
 ところが、これに対する映画社側の反応は、私の予想を少なからず裏切っていた。なによりもまず、その御製がちょっと、その、というのである。ちょっと、そのとは、なんですかと訊き返すと、御製という言葉は今は使わないのだ、いや、使ってはいけないのだ、という返事である。それならなんといえばいいのかと重ねて訊いたところ、いまは「お歌」といわなければいけないことになっている、という答であった。
 ここにおいて、私はいささか色をなした。冗談じゃあない、「お歌」とは何事か。幼稚園児の唱歌じゃあるまいし、天皇の詠じられた詩歌を、どうして「お歌」などという甘ったるい言葉で呼べるか。それに「御製」を「お歌」と言い換えることによって、いったい何がどう変わるというのか。国語の用法に関しては不正確、天皇に対しては敬意を失するだけではないか。そもそも誰がかかる禁止を命じたのか、いや、命じ得る権限を有すると主張するというのか。
引用終わりp三四九〜三五〇

 それに対する返答として、
以下引用
 
「御製」は時代錯誤だから使わないことにしているのだ。なにしろ宮内庁がやかましいので、放送会社も映画会社もそれぞれ手引きをつくり、かりそめにも「お歌」を「御製」などといい間違えないように、慎重の上にも慎重を期しているのだ、と。
引用終わりp三五〇〜三五一

 それに対しての江藤氏の反問として、
 以下引用
 宮内庁の示唆ないしは干渉によって、各放送会社と映画会社は、現に自主検閲を行なっていることになるのではないか。現行一九四六年憲法は、GHQ民政局が起草し日本政府に提示した草案に拠っているが、このGHQ製憲法とはいえども、その第二一条第二項には、
 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
という明文を掲げている。
 現在、天皇と皇室に関して、宮内庁の指導下に放送・映画各社が行なっているという用語の自主規制は、もし事実とすれば、明らかに現行憲法のこの「検閲禁止」条項に接触するではないか。それどころか、このことはさらに進んで、
現行憲法の施行後もなお、冥冥裡にCCDの検閲が続行していた占領下のそれと同質の言語空間が、少なくとも天皇と皇室に関する限り、依然として日本人の自由な自己表現を拘束しつづけていることを意味する。
引用終わりP三五一

 そして江藤氏は自分自身がこの映画の監修として関わる限り、この不可解な現状に同調する事は出来ないとして全責任は持つからと下記のように映画会社にいう。
 以下引用
 「
御製」はあくまで御製であって、「お歌」などではあり得ない。本件に関して、全責任は私が持つ。宮内庁から文句をいって来たら、早速取次いでもらいたい。場合によっては、これが検閲に相当する事実を指摘し、法的対応をも辞さぬ所存である。もちろんその費用については、映画社にも国民会議にも、びた一文迷惑は掛けない。
引用終わり P三五一

 できあがったフィルムとシナリオを読んでみると、少なからず敬語の用法に問題があったそうで、それを指摘して訂正させた後に、もう少し短く編集し直してテレビでも放映したらどうだといったところ、演出家は「テレビでは通らない」と言ったそうで、その理由は、後に映画社から国民会議に手渡された毎日放送の「皇室関係用語集・改訂版」(昭和五〇年九月作成)にて明らかになったそうです。
 それには江藤氏は氏名を明らかにしていませんが、毎日放送取締役番組審議室長・同放送用語連絡会議委員長(同一人物)名で掲げられている序文には下記のような事が書かれていたそうです。
以下引用
 
戦前の皇室用語がもつイメージ………いわく、難解、陳腐、大時代…………を、分り易い今日の日本語に再構成するのは、かなり根気と時間が要る作業でした。
 略)
 なお、原稿作成には、
各方面の御協力をいただきました。
引用終わり
そして、「まえがき」には下記のようなことが記されていたそうです。
以下引用
 一)
用語は現代感覚にてらして慎重に検討し、とくに時代錯誤をチェックした。また、用語集として無味乾燥をさけるため、つとめて分かりやすく説明をつけた。ミニ皇室事典として御活用願いたい。
 二)「御即位」「即位の礼」、「大喪の礼」は、とくに見開きのページとし、右ページに儀式の順序を、時間の進行とともに、できるだけ具体的に記載した。
 三)説明欄に(例)として挙げたものは、主として、大正天皇及び現天皇に関する新聞記事から引用した。
 なお、「即位式」、「即位の礼」、「大喪の礼」などの儀式、行事が今後どのような形式で行なわれるかは未定であり、これに関する用語の扱いについては、注意されたい。
 四)略
引用終わり
P三五五〜三五六

 そして、凡例として、以下のような驚くべき事項が列記されているそうです。
 一)「
使わないことば」には、実用の便を考え、念のために×印を付した。ただし伝統的儀式などの名称は、「使わないことば」がその中に含まれていても、そのまま用いた。
略)
 二)「使うことば」の中、△印のあるものは、できるだけやさしい説明を加えて使用する。


 現在、宮内庁のホームページを見ると、
践祚(せんそ)という言葉自体、宮内庁のホームページから消えています。
http://www.kunaicho.go.jp/

 以下は江藤氏の著書「閉ざされた言語空間」に掲載されていた表の一部にふりがなを付けたものです。


使わない言葉

使う言葉
×践祚(せんそ) 即位
×践祚式 即位式
×御名(ぎょめい) 天皇のお名前
×御名御璽(ぎょめいぎょじ) 天皇のお名前とご印
国璽
御璽
×勅使 天皇(陛下)のお使い
×皇后宮使 皇后(陛下)のお使い
×東宮使 皇太子(殿下)のお使い
行幸 おでかけ
ご旅行
ご訪問
×親拝 (天皇が)参拝される
ご参拝
ご拝礼
×出御(しゅつぎょ) お出まし
×玉座
 御座
お席
×勅宜
 勅語(ちょくご)
おことば
×入御(にゅうぎょ、じゅぎょ) ご退席
ご退場
お帰り
×親謁 (天皇が)みずから参拝される
(天皇が)ご参拝になる
×還幸(かんこう)
 還御(かんぎょ)
お帰りになる
×御違例
×御不例
×御不予
ご病気
×天機を泰伺 お見舞いにあがる
×追号
×謚号
おくり名
×聖上 天皇
×今上 天皇陛下
×皇后宮 皇后
皇后陛下
皇后さま
×東宮殿下 皇太子殿下
皇太子
皇太子さま
東宮さま
×臣籍降下 皇族の身分を離れる

 この毎日放送の取締役の書いた「戦前の皇室用語がもつイメージ………いわく、難解、陳腐、大時代…………を、分り易い今日の日本語に再構成する」「用語は現代感覚にてらして慎重に検討し、とくに時代錯誤をチェック」という醜い、そしてえらそうな言葉が、現在の多くのマスコミがどのようなものであるかをよく現している。


マスゴミ

平成24年6月10日日曜日くもり △ 

 小名木 善行氏のブログ「ねずさんのひとりごと」よりの拡散希望です。

以下引用

寛仁親王殿下ご薨去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。

竹田恒泰さんからの緊急拡散のお願いです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【報道関係者へ】

寛仁親王殿下は正確には「三笠宮」ではありません。

正確には「寛仁親王殿下」と申し上げます。

さらに正確にいえば「寛」の字は一角多い「※」が正しい字です。

また皇室典範の規定により「さま」ではなく「殿下」を使用すべきです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

大手メディアの全てが、「薨去(こうきょ)」ではなく「逝去(せいきょ)」と報じています。

三位以上の貴人が亡くなられた時は「薨去(こうきょ)」です。

「逝去」は、一般人に使われる言葉です。

メディアが伝統ある正しい日本語を使わなければ、一般の我々国民が知る術がありません。

ひどい話です。

メディアに抗議の声をあげましょう!!

また、本件、拡散をお願いします。

引用終わり

木下注(申し訳ございませんが、※の箇所の文字は私のパソコンでは正しく表示出来ません。)

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1537.html

 

 

 下記は、ネットにあった産経新聞の 仁親王殿下薨去に際しての野田首相謹話です。

以下引用

<全文 首相謹話

2012.6.6 18:46産経新聞

 野田佳彦首相が6日、寛仁親王殿下のご逝去について発表した謹話の全文は次の通り。

 諮m親王殿下の突然のご訃報に接し、驚きと悲しみの念を禁じ得ません。

 殿下には、三笠宮殿下のご長男としてお生まれになり、皇族として、障害者福祉、スポーツ振興、青少年育成、国際親善等さまざまな分野にわたり、幅広い貢献をしてこられました。

 とりわけ、心身に障害を持つ方々や難病等の方々が自立して社会参加できるよう、身障者と健常者が一体となって「共に生きる」社会基盤づくりのため、啓(けい)蒙(もう)・実践両面の活動にご尽力してこられました。

 さまざまな機会に国民と飾ることなく親しく接せられる殿下に、国民は深い敬愛の念を抱き、引き続き積極的なご活動を望んでいたところ、思いもむなしく薨(こう)去(きょ)されましたことは、誠に痛惜の思いに堪えません。

 皇室を始めご近親の方々の深いお悲しみをお察し申し上げ、ここに、国民とともに、謹んで心から哀悼の意を表するものであります。>

引用終わり

 そして、平成二十四年六月七日付け主要各紙に掲載された首相謹話に関する記事です。

朝日新聞

<野田首相が謹話

 野田佳彦首相は6日、

「突然のご訃報(ふほう)に接し、驚きと悲しみの念を禁じえません。皇室をはじめご近親の方々の深いお悲しみをお察し申し上げ、心から哀悼の意を表する」

との謹話を発表した。>

第三十五面(ニュース記事最終面)

読売新聞

<寛仁さまご逝去 首相が哀悼の意

 野田首相は6日、三笠宮家の寛仁親王殿下のご逝去について、

「国民とともに、謹んで心から哀悼の意を表します」との謹話を発表した。謹話は「国民と飾ることなく親しく接せられる殿下に、引き続き積極的なご活動を望んでいたところ、思いもむなしく薨去(こうきょ)されましたことは、誠に痛惜の思いに堪えません」としている。

※ 薨去=皇族がお亡くなりになること>

第二面

毎日新聞

<首相が哀悼の意

 野田佳彦首相は6日、寛仁さまの逝去を受け「国民とともに、謹んで心から哀悼の意を表する」との謹話を発表した。

 首相は「心身に障害を持つ方々や難病の方々が自立して社会参加できるよう、身障者と健常者が一体となって「共に生きる」社会基盤づくりのため、啓蒙(けいもう)・実践両面の活動にご尽力してこられた。誠に痛惜の思いに堪えません」と悼んだ。>

第一面

日経新聞

<悲しみの関係者

野田佳彦首相(56)

 心身に障害を持つ方々や、難病等の方々が自立して社会参加できるよう、身障者と健常者が一体となって「共に生きる」社会基盤づくりのため、啓蒙・実践両面の活動にご尽力してこられました。

 様々な機会に国民と飾ることなく親しく接せられる殿下に、国民は深い敬愛の念を抱き、引き続き積極的なご活動を望んでいた。誠に痛惜の思いに堪えません。>

第三十八面

産経新聞

<首相謹話

野田佳彦首相は6日、寛仁親王殿下のご逝去を受け、「国民と飾ることなく親しく接せられる殿下に、国民は深い敬愛の念を抱き、引き続き積極的なご活動を望んでいたところ、思いもむなしく薨去(こうきょ)されましたことは、誠に痛惜の思いに堪えません。謹んで心から哀悼の意を表します。」との談話を発表した>

第一面

 薨去という単語は新聞社として使った所は何処も無く、首相謹話引用としては読売、産経の二社のみです。

 

 その他、仁親王殿下薨去に関する各紙の記事より見えてくるものは。

 新聞各紙の第一面

 

 

 

 記事

 朝日新聞 第一面、第三十五面

 読売新聞 第一面、第二面、第三十二面(グラフ)、第三十三面、第三十四面、第三十五面

 毎日新聞 第一面、第二十一面、第二十五面

 日経新聞 第一面、第三十八面、第三十九面

 産経新聞 第一面、第二面、第三面、第八面、第九面(グラフ)、第十三面、第十五面、第二十六面、第二十七面

 そして、「親王殿下」という尊称を一部でも使用したのは、読売新聞(一回、寛仁殿下一回)、毎日新聞(三回)、産経新聞(二十六回)

 朝日新聞、日経新聞はなし。

まあ、この二つの新聞は仁親王殿下薨去の記事をすみっこに掲載していますから、その姿勢が分かるというものです。

 その一番多くの「親王殿下」という尊称を使っている産経新聞にしても、本文ではすべて「さま」を使っています。

 

 このように、「親王殿下」という尊称は徹底して排除しています。

 それは、各紙に掲載されている御「皇室の構成」にも現在のマスコミの姿がよく現れています。

 朝日新聞は「皇室の構成」として両陛下以外は「さま」

 読売新聞は「皇室の構成」として陛下以外は「さま」

 毎日新聞は「皇室の構成」として尊称なしという醜さ

 日経新聞は「皇室の構成」として陛下以外は皇后陛下を含めすべて「さま」

 産経新聞は「皇室の方々」としてすべて尊称

 以前に江藤淳氏の「閉ざされた言語空間」(文春文庫)よりの引用として「歪んだマスコミの自主規制(皇室関係)」というのを書いたことがございますが、江藤氏が著書の中に書いていた

現行憲法の施行後もなお、冥冥裡にCCDの検閲が続行していた占領下のそれと同質の言語空間が、少なくとも天皇と皇室に関する限り、依然として日本人の自由な自己表現を拘束しつづけていることを意味する。>

 ということなのでしょう。

 そういう意味では、日本民族の背骨を溶かすための米国の七年間という長期に渡る占領政策のその成果は見事な結果を残しているということなのでしょう。

参照→歪んだマスコミの自主規制(皇室関係)

http://www.tamanegiya.com/kouzokukinnsiyougo19.9.3.html

 我が国のためには、こういった米国の占領政策による戦後の呪縛を断ち切ることが必要です。

 

 しかし、築地のまぐろ仲卸「松長」の慎吾ちゃんが「いくらスポーツ新聞といっても、日本人としてはずかしい」と言っていたので、買ってきてみたが、スポーツ新聞のこの日の一面がすべて、「AKB48」とかいう連中どもの写真。

 たしかに、日本人として恥ずかしい。

 今日は何処へも出かけず。

 夕方より食事に初めての店に入り、ビールとおでん。

 買い物を済ませてから帰宅。

 サルでもエビでもない。


 

裏表紙