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「硫黄島からの手紙」と「男たちの大和」

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成19年1月15日月曜日晴れ ○
 午後よりスポーツセンターへ行く。時間があまり無かったので、背中、二頭筋、前腕のみのメニューを消化。店により資源ゴミを出した後に、李さんと待ち合わせて新宿の映画館にて「硫黄島からの手紙」を観る。
 この映画は監督であるクリント・イーストウッドが五日で落とせるとアメリカ軍がいっていた硫黄島で三六日間戦い抜いて、上陸した六万一千人のうち死傷者二万六千人というアメリカ軍史上、最大の犠牲が硫黄島で生まれました。その最大の犠牲を絶望的な物量差のなかでアメリカに強いた日本守備隊二万一千人を畏敬の念を持って描いているように思います。たとえ、日本兵を嫌々ながら戦うという姿に描いていたとしても、先日来店してくださったSさんがおっしゃっていたように、とてもアメリカ人が監督で製作した映画とは思えないほどの作品でした。(ただ、最初の方に出てくる陸軍の上官のヘルメットは????)
 沖縄への海上特攻という同じように全員が死を覚悟した戦いを生存者の方の証言などをもとに書いた辺見じゅん氏の小説「男たちの大和」。これを原作にして製作された映画では、原作には沖縄に向かう大和において昭和二〇年四月五日午後六時に「酒保開け」「各分隊、酒を受け取れ」という艦内スピーカの声により乗員が各々最後と覚悟した酒宴をやり、三時間後の午後九時に流れた「きょうは、みな愉快にやって大いによろし、これでやめよ」という能村次郎副長の声により艦内の騒ぎは収まった。そして「この期に及んでも艦内の規律は寸毫の狂いもなく、出撃に際し一丸となった意気込みを感じ取ることができた」という能村次郎氏の言葉とともに紹介していますが、映画では酒を飲んで殴り合う乗組員たちを制止た長島一茂ふんする白淵海軍大尉に「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めるのが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める。それ以外にどうして日本は救われるのか 今日目覚めずしていつ救われるのか。俺たちはその先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃあないか」といわせています。原作と映画とは違って当たり前ですが、あまりにも違和感があります。
 同じく四月六日夕刻、能村副長の訓示のあと、艦上よりの「宮城遥拝」、「君が代」斉唱、「皇国万歳」三唱が行われたという。それについては映画「男たちの大和」のパンフレットにも元乗組員である小林健氏の言葉として「君が代」に続いて「海ゆかば」を斉唱し、その後それぞれの故郷に向かって別れの挨拶をしたと書かれていますがそのような場面もありませんでした。「男たちの大和」の監督の佐藤純彌氏は「日中一五年戦争」(パンフレットより)などという言葉を使っている歴史観の人ですから仕方ないのかも知れません。「硫黄島からの手紙」はそんな「男たちの大和」よりはすばらしい映画と思います。

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