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高嶋伸欣琉球大学教授

平成20年7月13日日曜日晴れ ○
 午前中に店を片付けてから、午後よりスポーツセンターに行く。今日は機能出来なかった肩、腕、下半身と有酸素運動。
 帰りに、芳鈴堂さんにてネタ本として購入した高嶋伸欣琉球大学教授の著書「拉致問題で歪む日本の民主主義」は、北朝鮮の事を本文の一番最初のページに「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮、以下、共和国)」と書いているように、北朝鮮のことをすべて「共和国」という単語で表示している本。こんな人間が国立大学で教授ができるというのがすごいが、東大でもアホ教授がいっぱいいるからいっしょか。
 
 高嶋氏にとっては、日本人同胞の拉致というより、日本国内における「共和国」バッシング、在日朝鮮人バッシングの方が大問題のようで、
「在日朝鮮人・韓国人の人々への迫害にどう対応するか」として、
「在日朝鮮人・韓国人の人たちが求めているのは、いざとなったら、理不尽な攻撃をしかけてくる者と在日朝鮮人・韓国人の人との間に割って入り、盾となって在日朝鮮人・韓国人の人々に危害が及ぶのを防ぐ人々の出現ではないか、というのが以前から私の認識だった」
P三三
「そうした標的の一つとして自分を晒すしかない」として、「石を投げるなら私に投げろ!」P三四とまで書いています。
 この高嶋氏もお約束どおり、あの犯罪国家である北朝鮮による拉致被害者の家族会、産經新聞などに対しては著書の中で攻撃しているが、北朝鮮およびその犯罪の手先である朝鮮総連、在日朝鮮人に対しては、何も無い。
 同胞である日本人の罪も無い一般市民が、無慈悲にも犯罪国家北朝鮮にさらわれるという悲劇も、高嶋氏にとれば、悲劇でもなく、北朝鮮への食料援助に反対した事を下記のように書いています。
換言すれば、場合によっては数百万人の餓死者が出てもかまわないと、日本社会の六割以上の人々が考えていることになる。そうした悪魔のような心が、いつから日本では人々の心を支配するようになったのだろうか」P四九

 同じく、扶桑社版教科書に横田めぐみさんの名前と写真が掲載され、北朝鮮の拉致という国家犯罪を指摘されたことについて、この食料援助反対にからませて、
国交正常化交渉も進んで日朝両国の交流が現在より活発になることは充分に予想される。そうなった時に、共和国側から二〇〇二年秋以降の日本からの食糧援助途絶で、救えるはずの少なくとも数一〇万の生命が死に追いやられたと指摘された場合、日本側がどれだけ合理的な弁明が可能となるだろうか。
 教科書で顔写真や個人名を強調された横田めぐみさんが、そうした日本側の理性よりも憎悪の感情ばかりに突き動かされた悪鬼のような言動の象徴として、この件に関心を持つ人々の間で長く語り継がれる可能性が今強まっている。」
P五七

 今までの我が国の援助が何もなってないのにもかかわらず、下記のような事をほざきます。
 
「拉致は人権問題という根源の命題に立ち戻り、その問題解決に集中すると同時に、そのために新たな人権問題や人の生命、尊厳を損なう事象を発生させない万全の気配りと目配りをした時、初めて国内外の人々から心からの支持が寄せられることになる。そうなった時、それでもなお共和国側が問題解決に冷淡でいるとすれば、国際的孤立を深めることになる。政治・軍事・経済の重要部分で共和国を支えている中国やさらに韓国も、共和国との距離を置かざるを得なくなってくる。そうなることが分かっているだけに、共和国も柔軟に対応せざるをえなくなるはずだ。」P一五六

 そして同じ本の中で、制裁論が間違っていると下記のように書きます。
「共和国の窮状は深刻の極みなのだから経済制裁の効果は絶大になるはずという主張にしても、うさん臭いものとなり果てている。」P一六〇

 北朝鮮バッシング報道として
「共和国の幼稚園で驚くべき反米思想教育がされているとして、その映像を流し続けた。そこでは共和国全般のことなのか、限られた事例なのかの言及は一切ない。
略)
 日本国内でも、教育勅語を信奉させる教育をいている私立学校が少なくない。靖國神社や伊勢神宮参拝をしている学校はなお多い。それらの学校だけを取材して、いかにも日本中が同様なのだと思わせる報道を海外でされた時、われわれは黙っていられるだろうか。」
P一七四
 高嶋氏は、民主主義国家である我が国と全体主義国家である北朝鮮と同じ政治形態と思っておられるのであろうか。北朝鮮に私立学校があるのであろうか。また、靖國神社や伊勢神宮参拝をしている学校と報道されても別に困る事ではないでしょう。創価学会でないかぎり。

 高嶋氏は家族会、産經新聞の報道をさんざん暴走、邪推、誤報と書きながら、自身が平気で下記のように書く。
一九八二年度は、日本軍のアジア『侵略』を『進出』に改変させていた事実に内外の批判が集中し、是正を国際公約とすることで収拾するという屈辱を文部省とタカ派は味わった」P一八四
 これについては、何度も指摘されているように、侵略を進出と改変させた事実は無く、朝日新聞を始めとするマスコミの誤報であったが、それを指摘した文部省の公式発言を無視した売国奴の宮澤喜一により、政府の責任において教科書の記述を是正するとの支那、朝鮮に対しての通達されたものです。
 高嶋氏はこの事実を隠し、このようにいかにもあったように書く。まあ、あの本田勝一氏も辻元清美女史との対談において同じ手法を使っていますが。

 そもそも、北朝鮮の人々の飢えは金正日による独裁政治の結果であり、我が国は何も責任が無いはずであるのに、高嶋氏は下記のよう書きます。
「共和国の場合は、分断国家として韓国との対峙が続き、その背後には日米軍事同盟があるのだから、先軍思想は捨てられない。しかも、日韓両国は米国の核の傘の下にある。その一方で、ロシアは共和国を核の傘に入れる余裕が無い。とすれば自力で核を持とうと発想するだろうことは、充分に予想出来たはずだ」P一九三
 ロシアの核の傘に入らなくとも、北朝鮮は支那との間に軍事同盟が結ばれており、支那の核の傘の下には入っていたが、そのことには一切触れない高嶋氏。
 それについて、意図して触れないようにしているとしか思えないのは、巻末に書かれている年表には、日米安保についての記述はあっても、北朝鮮と支那との間に一九六一年に結ばれ、現在も有効な「中朝友好相互援助条約軍事同盟」の記述が欠落?していることです。

こマレー華僑虐殺事件と反日日本人の暗躍


「日中戦争いまだ終わらず」によりわかる反日日本人の暗躍

高嶋伸欣と林博史

平成21年9月17日木曜日晴れ △

 中島みち氏の著書「日中戦争いまだ終わらず マレー『虐殺』の謎」(文藝春秋 平成三年刊)を読む。

 この著書には先の大戦でマレー半島において日本帝国陸軍が行ったとされる「住民虐殺」の実態について、そして、売国奴どもとの繋がりなどが詳しく描かれている。

 何よりも、支那人とはどこにいても同じ事をやる、「平気で嘘をつく」民族だということがよくわかる。

 中島氏はシンガポールに行った時に戦争資料館において、中共支那にある「南京虐殺記念館」と同じ空気を感じる。

 そこには、広島に落とされ多くの方が虐殺された時の原爆雲の写真が展示され、記念品売り場には、一九八五年処版の黒地に鮮血飛び散る装幀にて、「1942−1945 日本統治下的新加城」と題する大判の写真集が、華文と英文で書かれた解説と共に売られていたそうである。

 これは、国立公文書局が同局主催の同名の展示会の内容を収めて出版したもので、その内容は、今後益々日本に対して告発して行く姿勢が伝わるものであった。

「シンガポールは英国の難攻不落の要塞都市であったが、住民の暮らしは素朴とはいえ平和で、みんな植民地生活に満足していた。

 ところが、ある日、コタバルに上陸した日本軍は、たった五十五日間でシンガポールを攻略し・・・・」(実際は五十五日間でシンガポール半島を攻略)

日本軍の華人虐殺と日本軍政を告発し

「自由は奪われ、食物は不足し、ビジネスは停止してしまい、今もシンガポールの古老たちは、まざまざと日治時期の塗炭の苦しみを思い返す」

「しかし、日本軍政側は関係書類を一切残していない。そこで我々は一九八一年にプロジェクトを作り、口述記録を集め、戦争と日本統治に関するかぎりの、ありとあらゆる文書、写真、身の回り品の類まで探し出し、後世に遺す作業に取りかかった」

「戦争と日治時期を知らぬ若いシンガポール人にこの経験を分かち与えたい。そして、まだまだ資料は足りない。語り伝えるべき話、写真、資料、あるいは品物を持っている人は、どんどん出て来て、このコレクションを充実させてほしい」

と訴えている。

 戦争資料館内のパネルで二万人以上となっていた第二十五軍による敵性華僑粛清、華僑側のいう「大検証」の犠牲者数が、この本では五万人にまでふくれあがっているそうである。

 中島氏は松井太久郎中将の長男に嫁がれた方であったが、この本に掲載されていたのは、松井太久郎中将ではなく、松井岩根大将の写真であったそうで、このような簡単なチェックもできない連中の仕事に疑問を持ち、調査をされている。

 街中で売られている一九八四年発売の華文の「新馬華人抗日史料」という本などでは、山本五十六大将、東条英機大将などの写真が並び「混世魔王群像及其罪行」と題されているそうである。

(同書P二十八)

 そして、なぜ今の時期に(一九八六年)告発なのであるか疑問を抱いている。

 その裏には、南京虐殺記念館には日本社会党の活躍?があったのと同じであるが、反日日本人どもが暗躍している事を突き止めている。

 「日治時期森州華族蒙難資料」(森美蘭中華大会堂出版)の出版目的として、あの我が国の教科書問題の誤報に端を発した教科書検定、そして、靖国参拝への「追討」まで掲げているそうである。

 キーワードとして、

「被害者としてのヒロシマから加害者としての広島の自覚へ」

「原爆都市ヒロシマは、加害の軍都広島であることに目を向けよ」

であるそうで、

 一九八六年十二月八日、マレー半島上陸から四十六年も経た時に、広島を本拠地とする第五師団および歩兵第十一聯隊の「住民大量虐殺の陣中日誌発見」という新聞記事が掲載されたそうである。

(同書P三十三)

 防衛庁防衛研究所図書館に遺されていたという歩兵第十一聯隊第七中隊の陣中日誌の内容は

「治安粛清の命を受け支那人掃討を行い、昭和十七年三月の約三週間で計五百八十四人を刺殺、八月には銃殺も交えて八十人殺したと記録されている」というものであり、この後、第十一聯隊関係者への風当たりが強まったようである。

 これらは、高嶋伸欣筑波大学付属高校経論(一九九六年附属高校教員を退職し、琉球大学教育学部教授に就任。二〇〇八年、同大を停年退職。現在、同大名誉教授、非常勤講師)と、林博史関東学院大学講師(現経済学部教授)の二人が、日本側での裏付け資料を探しているうちに、林氏が見つけたものであるという。

 ちなみに、開戦記念日にこの共同通信配信記事を掲載しているのは地方紙のみであったが、翌年二月には、目出たく?全国紙に掲載される。

 全国紙初登場は当然、朝日新聞(一九八八年二月二十七日)

「日本軍のマレー華人虐殺・・・生存者が証言、資料集に」

その記事は、マレーシア華僑による資料集「日治時期森州華族蒙難資料」の作成経過については、「歴史教科書を侵略でなく進出に書き換えた教科書問題をきっかけに、ネグリセンビラン州の華人団体が『歴史の真実を後世に残さなければ』と聞き書きした」ものであると説明するに留まるが、

 この「日治時期森州華族蒙難資料」そのものにも、現地新聞(「南洋商報」一九八七年一二月二十五日)にも出版自体が高嶋氏、林氏の二人の供出金(全費用日本円で三六万円のうち、二六万円)により初めて可能であったと書かれているのに、朝日新聞は一切報道していない。

(同書P三十四〜五)

 そして、中島氏はたった三六万円の寄付も集まらないような写真集についても疑問をていしています。

同書に書かれていた内訳は

 高嶋氏、林氏二六万円(現地通貨として四千五百五十元)

ネグリセンビラン州の「虐殺生き残り華人」より千元、中華交友会、華人公会など、約二十口、それぞれ三百〜二十元の寄付に過ぎなかった。

 反日日本人二人から二六万円を除いて、一元が五十七円として、一番多くだした華僑が五万七千円、その他は一万七千円から千百円程度の寄付しか集まっていない出版物を我が国の全国紙は隠して報道しているのである。

 これらは、先に書いたように、南京大虐殺記念館が、日本社会党が建設費から資料まで提供し「作らせた」のと同じ構造により、我が国の反日グループとの連携によりこれらが問題化させられたのである。

 

 六千〜一〇万人とされる粛清とされた華人の数も支那人、朝鮮人が得意とするところの嘘八百であることが、中島氏の調査より解明されている。

 あと、この中島氏の著書には我が軍の仕業であるとされる「赤ん坊を放り投げて銃剣で串刺しにする」事についての検証もされている。

 これについては、林氏、朝日新聞との連係プレーとして、華人粛清数とともに改めて書かせていただきます。

ちなみに、

林博史氏は藤原彰氏、高嶋伸欣氏は家永三郎氏に師事している。

 売国奴の系列というものがよく判る例です。

日本の為にならない事だったらなんでもする腐れ売国奴ども

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