このページは旧ホームページです。新しい「酒たまねぎやホームページ」へ

失言?

平成18年3月8日水曜日晴れ あったか
 
手許に古本屋さんで買ってきた「大失言」という題名の本があります。情報出版センターというところより2000年7月13日に出され、著者が失言認定委員会となっていて、巻末に失言王認定委員会委員長・牧野武文と書かれています。
 この本で「失言」として掲載されているものとして、「日本の朝鮮統治は恩恵も与えた」という久保田発言として有名な久保田貫一郎外務省参与(昭和28年)の発言。
「戦争裁判は野蛮人のすることだと思う。食人種の部落の喧嘩で勝った方が首祭りをするようなものだ」大達茂雄文部大臣(昭和29年)
「我が国の防衛ができないという場合は、その基地を侵略してもよい」鳩山一郎首相(昭和31年)
「太平洋戦争は東南アジアの諸国の独立に貢献した」重光葵外務大臣(昭和31年)
「憲法九条を破棄するときがきた」岸信介首相(昭和33年)
「自衛隊の海外派遣も検討する」椎名悦三郎外務大臣(昭和41年)
「現行憲法は他力本願。やはり軍艦や大砲がなければだめだ」倉石忠雄農林大臣(昭和43年)
「国旗、国歌を法制化するときがきた」田中角栄首相(昭和49年)
「自衛隊は緊急時には超法規的行動をする」来栖弘臣統幕議長(昭和53年)
「戦後の平等教育には誤りがあった。教育勅語を全て否定したのは誤り」砂田重民文部大臣(昭和53年)
「国への忠節、礼信、武勇、信義、そして質素。畏くもかつての明治天皇の軍人へのお諭しは、時代が変わっても、断じて忘却してはならない金言であります」石田和外元最高裁長官(昭和54年)
「自主憲法の制定は望ましい」奥野誠亮法務大臣(昭和55年)
「先守防衛は戦いにくい」竹田五郎統幕議長(昭和56年)
「東京裁判が客観性を持っているかどうか」藤尾正行文部大臣(昭和61年)
「日韓併合は韓国にも責任がある」藤尾正行文部大臣(昭和61年)
「南京大虐殺はでっちあげ」石原慎太郎議員(平成2年)
「一国平和主義を主張する土井たか子のような、ばかなことをいう」住友電工会長(平成3年)
「第2次世界大戦は世界の人が反省を」石原官房副長官(平成3年)
「当時、公娼制度があった」(慰安婦問題について)梶山静六官房長官(平成9年)
「当時、望んでそういう道を選んだ人がいる」(慰安婦問題について)島村宣伸広報本部長(平成9年)
「歴史的事実として教科書に載せることに疑問を感じている」(慰安婦問題について)中川昭一農水大臣(平成11年)
「軍隊も持てないような憲法を作られて、もがいている」中村正三郎法務大臣(平成11年)
「日本も核武装したほうがいい」西村慎吾防衛庁政務次官(平成11年)
「日本は天皇を中心とした神の国」森喜朗首相(平成12年)
「東京では不法入国した多くの三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している」石原慎太郎東京都知事(平成12年)

 などなど、どこが失言になるのだろうか。私等はよくぞ言ってくれたと思うものばかりなのです。こんな当たり前の事を言っているのに、支那、朝鮮のアホな戯言に対して、バカマスコミが騒いで辞めさせられた方も多いのは嘆かわしいことです。
そういう意味では、我が国も支那、朝鮮、在日の人たちに対して当たり前、本当の事をいえるという普通の国にほんの少しづつですが近づいているということでしょう。この本でも<昭和57年には、「中国への侵略」を「進出」に改めよという検定意見が問題になり、中国をはじめアジア各国から激しい批判を浴びたこともある>P166と嘘を平気で書いてあります。
 これは、朝日新聞をはじめとした日本のマスコミの誤報であり、それに対して支那、朝鮮がここぞとばかりに反応し、それに対して、売国奴の宮澤、河野コンビが乗っただけの話です。しかも、誤報を後に訂正謝罪したのは産経新聞だけ。
ウソを一〇〇回言えば真実となるという手法は支那、南北朝鮮の恥知らず国家の得意技でありますが、我が国の売国奴の得意技でもあります。

 今日は河岸が休みなので、お昼ごろにスポーツセンターにいく。平日の昼間は空いていてメニューを消化しやすい。
 SさんSさんと来店。ヒマ〜という話しをしていたら、遅くなってHさん来店。KAZUMIさん四名様で来店。Kさん三名様で来店。Nさん三名様で来店。Hさん来店。営業終了後、Hさんとエムズバーにおじゃまする。ドンチャン。記憶無し・・・・でも、椅子の上で寝ていました。


裏表紙