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ピースボート来店???

平成19年1月13日土曜日晴れ ○ 
 河岸から帰ってきて仕込みをしていると、「ごめんください」という声。
おっ「野の花会」か?などと不純な?思いが横切る中出てみると、「ピースボートの者ですが、ポスターを貼ってもらいたいのですが」「はっ?ピースボートですか。あの辻元清美さんで有名な」「はい」「お断りいたします」「どこでも結構ですから」「いやです」
てなわけで、でも「活動内容です」とか言ってパンフレットを一部置いていきました。
それを読むと、ボランティアとしてこき使われているのが三〇〇人もいるそうで、応援の言葉として、小林カツ代氏、灰谷健次郎氏とともにあの筑紫哲也氏が出ていました。
筑紫氏のお言葉
<同じ目の高さで交流する冒険的な若者たち
 若い頃の船旅は格別だ。学生時代、貨物船に乗り込み、香港へ無銭旅行した経験が僕の野次馬根性の原点にある。
 ピースボートに集まる若者はいつも冒険的で大胆な発想で国際問題に挑んでいる。ひ弱な『国際人』が、目立つ昨今、屋台でメシを食らい、同じ目の高さで交流する姿勢は
ともに航海する者として頼もしい。>
だそうです。

 そして、そのパンフレットにはピースボート誕生のきっかけとして下記のように書かれています。
<ピースボートが誕生した契機は1982年の「教科諸問題」。教科書の検定時に日本によるアジアへの軍事侵略が「進出」と
歪曲された事実に対して、アジア各国の国民が激烈に抗議、国際問題になりました。この時、教科書では本当の歴史を学べないのではないか?という疑問と、日本はアジアからいったい何をしたのか?という興味を持つようになった若者たちが、実際に現地に行って、自らの目で事実を確認してみようと考えたのが出発点でした。>

 あのいわゆる教科書問題とされたのは誤報であり「進出」などと書かれた事がないという事を隠したままです。これは本多勝一氏も辻元女史との対談で<次に起こったのが、「侵略」と言う言葉を「進出」と変えさせ、それに対して中国その他の国々が非常に反発して、大騒ぎされたことがあって、これが第2次教科書事件です。>といかにも本当であったかのように言っています。
 パンフレットに書かれている「その名のとおり『平和を運ぶ船』であり続けることを目指して、ピースボートは旅を続けています」という言葉がいかにも空しい。

裏表紙