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パラオ

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 


あの辻元清美のバカがあたらしくホームページを作っています。
辻元清美の寄り道ネット
とかいうページです。

 

その中で辻元のバカは
かつて、太平洋の島パラオで、おばあさんからこんな話を聞きました。
 「日本の兵隊さんは、島を守るために武器を持って来たといっていたが、武器を持った兵隊さんが島に来たから、攻撃の対象になって、攻められ、民間人がたくさん死んでしまった。
」(日ごころ通信第6回より)
などとほざいているのですが、


 実はパラオという国は世界一親日的な国かも知れない程の国なのです。
何しろ国旗は日の丸を元にして決めた程の国です。
 そして、パラオのペリリュー島という小さな島で12000人の日本守備隊は大東亜戦争において
兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍の敵に対し、持久戦に持ち込み、全く補給なしに73日間守りとおして死闘の末に玉砕しました。
その戦闘は戦後 ニミッツ提督はその著『太平洋海戦史』の中で、ペリリュー島の戦闘に相当のページをさき、次のように結んでいます。
「ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約四〇パーセント〉を甘受しなければならなかった。既に制海権制空権を持っていた米軍が、死傷者あわせて一万人を超える犠牲者を出して、この島を占領したことは、今もって疑問である」
というほどの激しい戦闘にかかわらず現地住民はひとりも死んではいないのです。ペリリュー島には、それまで現地住民が住んでいました。日本軍としては、住民を戦火に巻き込んではならないという配慮から、船舶の乏しい中、空襲を避けつつ夜間を利用して全員をパラオ本島に退避させました。
だから最大激戦地であるペリリュー島において島民の方は一人も死んでいないのです。


 そして昭和五十七年五月には、「青年神職南洋群島慰霊巡拝団」によるペリリュー神社を創建しました。御祭神は天照大神と戦死者一万余名の「護国の英霊」です。現在、神社前の左の掲示板には、ペリリュー島のイサオ・シゲオ尊長(そんちょう)によってこの趣旨が書かれています。そして右の掲示板には、戦闘の経過が要約され、米国公刊戦史に載っているとして、次の詩的な一文で結ばれています。

「この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を……」


原文は

Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.


ペリュリュ−島にある慰霊碑には

「諸国から訪れる旅人たちよ 
この島を守る為に日本軍人が
いかに勇敢な愛国心を持って戦い
 玉砕したかをつたえられよ。」
米大平洋艦隊司令長官
      C.ニミッツ

と記されています。


 この詩を作ったのは何と敵であった米大平洋艦隊司令長官のニミッツ提督です。

 この詩は、戦終ればかつて敵であった日本軍の忠勇武烈ぶりを、このように讃えております。そしてこの島を訪れる旅人に、その勇戦ぶりを伝えてくれ、と戦死者に代って願っているのです。


ましてや、パラオの国定教科書には462ページのうち36ページも「日の丸の旗のもとに」と題されて日本統治時代の事にさかれているそうです。 日本がパラオを支配するようになった経緯だけでなく、日本の行った学校教育、産業・経済活動等についても詳しく述べられています。
そして、クニオ・ナカムラ前大統領は、「新しい歴史教科書をつくる会」に賛同する署名もしていて、大統領専用の便箋に記された署名文書には、心に迫るコメントが添えられています。

<<日本国民と日本人が「どの民族も例外なく持っている自国の正史を回復すべく」努力している活動を支持する。 この活動が実を結ぶことは、日本の未来の世代をして、偉大なる自国の歴史、伝統、文化に目を見開かせることに積極的な貢献をなすだろう>>

パラオの国旗は、日の丸を元に、太陽のかわりに満月を、白地には大平洋の青い海の色をデザインされてつくられるほどパラオという国は、日本人を敬い、日本統治時代を懐かしむこそすれ、朝鮮人のように日本人を逆恨みなどしていないと我々はもっと知っていてもいいと思います。

パラオの国旗についての説明です


 このような親日的な国でもあの辻元清美のような心の腐ったバカ女にはゆがんでみえて反日にしてしまいたいようです。
まるで、あいつの大好きな北朝鮮や支那みたいな女です。

さすがは内縁の夫が元日本赤軍のバリバリのメンバーだけの事はあります。
9月17日に北朝鮮が拉致を認めた事についてのコメントがこの辻元のホームページには、まだ載っていません。早く更新してほしいものです。


そういえば、当時首相だったあの国賊の村山富市はパラオ独立一周年の時に祝電の一つも打たなかったそうで、ナカムラ大統領はひどく悲しそうにしていたそうです。

今度の総選挙で社民党が消滅する事を願ってやみません。

下記にパラオの事を書いたアドレスを載せておきますので、ぜひ御覧ください。本日書いた事はこちらを引用及び参考にさせていただきました。

日出ずる処のニウス

http://gomushi.at.infoseek.co.jp/world/palau/003.html

名越二荒之助著、展転社刊、
「世界に生きる日本の心」よりペリリュー島のサクラと神社

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/nagoshi/palau.htm

なけてきます。

辻元清美

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