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平成20年4月分飲んべえ日記

創価学会にとっての完全勝利、連戦連勝
4月30日水曜日晴れ あったか ×

 久しぶりに電波イッパイの気狂い新聞らしいアホな内容。
 「学会は『デマとの闘争』に完全勝利」という見出しの四月一七日の聖教新聞第四面です。副題として「識者 邪悪な捏造雑誌は出版界への冒涜」となっています。
 その内容によれば、いつもと同じように、
 正木理事長<日本を代表する大新聞の首脳が言われていたようだ。
「聖教新聞には、多くの『顔』が掲載されています。毎日、多くの人の写真が出ている。しかも、その表情が皆、明るい。印象的な笑顔ばかりです」
「聖教新聞は、活字文化を支え合う仲間です」
「先日の『寸鉄』に『デマ雑誌はクズ紙』とあったが、まったくその通りだ」。このようにいわれていたそうだ。>
略)
棚野男子部長<私がよく知る新聞記者も言っていた。
「デマを平然と書き散らすような捏造雑誌!あれこそ出版界への冒涜だ」と激怒していた。>
略)
正木理事長<実際に学会は、デマとの闘争に完全勝利してきた。デマ雑誌を訴えた裁判でも、圧倒的な勝利を収めてきた。>

だそうです。
 ある「日本を代表する大新聞の首脳」であったり、「私がよく知る新聞記者」であったりするのは、以前に池田大作ダイセンセイを賞賛していたどこかの「高名な評論家」であったり、どこかの「日本の目覚めた学者」であったり、これまた名前のわからん「ブラジルの言論人」であったり、「私が知っている学者」、「誰かが話し合っていた」というのと同じようなものでしょうか。
池田大作と恥性の栄誉

 ちなみに創価学会にとっての「完全勝利、連戦連勝」とはいったいどのようなものでしょう。
 「創価学会とは何か」(山田直樹著 新潮社刊)によると、「不倶戴天の敵である宗門(日蓮正宗)との訴訟結果を見ると、連戦連勝どころか、勝率は二割程で、八割ちかくが敗北している。
詳細は後述するが、その結果を学会員は知らされていない。情報が溢れるこの日本で信じられないことに、彼らは学会に都合のいい、誇張され、デフォルメされた情報だけを擦り込まされ、誤った事実を信じ込まされているのである。」
(同書P九二)
 そして、この山田氏の著書によると、一九九一年以降、創価学会が、学会本体や幹部、そして末端の学会員を原告として宗門を訴えた一二九件の訴訟と、逆に宗門側に訴えられた三五件の訴訟を二〇〇三年一一月一〇日現在で集計し、結果の出ている一二三件のパーセンテージでは、創価学会の二〇勝六八敗(和解の三五件を除き請求放棄を含む)だそうです。

 つまり、創価学会のいう連戦連勝とは
 二〇勝六八敗の勝率二二・七%の事だったのです。

 せめて、一流バッターの証である三割ぐらいは目指してほしい・・・

 そして、山田氏はこうも書いています。
「そもそも俗世の権力=司法の場に『正義』の決着を求めることは、果たして、宗教者(団体)にとって正しい姿なのだろうか。」
そして、
「宗教団体というものは、本来、信仰が自由独立である以上は自治組織であるべきはずだ。従って、そういった宗教団体がらみのトラブルが起きた時に、それを裁判所という国家権力に持ち出して、そこの判断を仰ぐ事によって解決しようということは、もともと教団の持っている自治権ないし自立権を自ら権力に売り渡すものとして、本来あってはならないという基本的見解を持っています」
 という自ら宗教者であった故遠藤誠弁護士の言葉を引用掲載し、その後に山田氏は
「ひたすら俗世の権力に擦り寄り、支配し、行使する創価学会の特異性は、この訴訟戦略一つ見ても明らかではないか」
と書いています。

 まあ、このような事も感じないから創価学会?

 バンブーさん来店。三名様来店。K@京城さん来店。わ。さん御夫妻来店。Eさん来店。
 ドンチャン。営業終了後、K@京城さんと「エムズバー」さんに伺う。記憶はあったと思う・・・・

昭和の日
4月29日火曜日晴れ △

 今日は「昭和の日」です。先帝陛下のお誕生日であるこの日は平成一九年から「昭和の日」とされましたが、それまで、「みどりの日」とかいうわけのわからない呼び方でした。十一月三日の「文化の日」は、国民の祝日に関する法律では「自由と平和を愛し、文化をすすめる」こととなっているそうで、昭和二一年にGHQにより押し付けられた憲法が公布された日で、だから「文化の日」に定められたとなっている。この日は明治天皇の誕生日であることから明治節(明治時代には天長節)という祝日になっていたが、あくまで、その明治帝のお誕生日ではないとしているのです。占領憲法の公布日と施行の日は祝っても、明治帝の誕生日は祝わないということです。
 以前も書きましたが、たとえば、十一月二三日は勤労感謝の日となっているが、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」ことが趣旨といわれても、はあっ?という感じです。どうして勤労感謝の日になったのか。その日が新嘗祭として天皇がその年の収穫を感謝する祭儀といわれると理解出来ます。それを、わざわざ隠す・・・・・

 我が国の祝日では軍関係の日はいっさいありません。それに対して、世界各国その国の国防軍関係の記念日があります。それは軍の貢献を称え、戦死者を追悼するための記念日であって、我が国の八月一五日に行われる先人への感謝もなしに、ただ、ただ、我が国は悪い事をしてきたと反省するだけの追悼集会とは違います。
 普通の国なら、独立国家たるためには国防が必要ということを理解し、その国防に携わる軍人に敬意をはらいます。そのため軍人が制服でレストランなどに入ると、自国の軍人だけでなく他国の軍人であっても敬意をはらい、そのレストランのよい席に案内する。
 我が国では、十一月一日が自衛隊記念日となっているそうですが、祝日にもなっていないこの日をどれほどの日本国民が知っているでしょう。戦前は我が国も陸軍記念日、海軍記念日がありました。三月一〇日の陸軍記念日は明治三八年に日露戦争の奉天大会戦で日本軍が勝利した日です。
 五月二七日であった海軍記念日は当然、明治三八年に世界海戦史上稀にみる一方的勝利であった日本海海戦を記念してのものです。
 日露戦争は我が国の存亡を賭けた戦いでした。この戦いに負けていれば、どうなっていたでしょう。

 自衛隊が軍隊であり、自衛艦が軍艦でありるのは当たり前のことで、PKO活動のために派遣される自衛隊員が、制服で成田空港か出発できなかったり、その任務を終えて、帰国する時にはわざわざ私服に着替えて帰国しなければいけなかったのは異常なのです。
 昨年、三月三〇日に自衛隊員六名が、ネパールPKO活動のために制服姿のままで成田空港から出発したが、同じく制服をの自衛隊員五〇人が見送ったのは当たり前のことなのです。 

 後生大事に守っている憲法九条の異常さ・・・・・


スポーツセンターに行く。昨日一日だけではまだ、肩とか三頭筋などに筋肉痛が残る。その他のメニューを消化。

 鳥取の保木本さんからのりっぱなタケノコ、美丈夫の濱川社長からポンカンで造ったリキュールが届く。ありがとうございます。

 今日は初めてのお客様Nさん朝霞から来店。剣道をボランティアで子供達に指導されているそうです。同じく初めてのお客様二名様来店。大台さん来店。Eさん四名様で来店。Iさん来店。マロさん来店。 

飲む。でも、今日は記憶あり。

 

主権回復 長野聖火リレーの真実
4月28日月曜日晴れ ○

 今日は昭和二七年四月二八日に、我が国がサンフランシスコ講和条約発効により主権を回復した日です。我が国はポツダム宣言を受諾してから今日まで、敗戦国として七年間も占領国の統治下に置かれていたのです。
 日本としてまさに記念すべき日です。それが、何の行事も行われない。いや、逆に隠そうとするかのような気さへします。
 日本国民として忘れてはいけない日の一つと思います。

 
http://jp.youtube.com/watch?v=YgcqjBJaeZI&NR=1
 この動画により、長野県警が支那人たちを保護し、優遇している様子がよくわかる。もし、日本人が、北京で同じ行動をとれば支那の警察官はどうするであろうか。
 長野県警は支那の手下か。

 今日一番目のお客様は、もう何度もいらしてくださっているお客様ですが、長野にチベット国旗を持って行かれたそうです。そこで、長野県警の誘導されるままに行くと、聖火と全く関係ないところに連れて行かれてしまったそうな。あと、支那人から暴行も受けたそうです。だいたい報道の支那人けが人四人とかいうのはなんだろう。それ以外のけが人はなかったのか。
 支那政府は我が国に留学してきている学生を五〇〇〇人動員したそうだが、その支那の学生の行動は朝日新聞によると、「沿道赤く愛国の旗」だそうです。
 日本人が国旗である日の丸の旗を振れば、どの様に書くのでしょう。
「危険なナショナリズム」でしょうか。

 一名様来店。長野での抗議行動お疲れ様です。Kさん三名様で来店。Kさん来店。Kさん、Hさん、Tさん来店。
 飲む。

自分にできる事を「北朝鮮への追加制裁を求める国民大集会」
4月27日日曜日晴れ○
(4月29日一部追記)
 昼頃より高田馬場にある新宿スポーツセンターに行く。今日もというか最近は「久しぶり」と言われる事が多い・・・のですが、私より少し年輩の方と久しぶりにお会いする。数年前にトレーニングのやりかたについて尋ねられたのがきっかけで、話をするようになった方ですが、お父上の介護で大変だったそうですが、そのお父上も一〇〇歳で最近お亡くなりになったそう。
スポーツセンターの帰りに高田馬場駅に行く途中にあった「カレーのチャンピオン」というカレー屋さんの前を通ったら、シャッターが閉まっていて「貸店舗」のはり紙。
 金沢で行列のできるカレー屋さんという触れ込みで、少し前にオープンしたお店。
一度だけ入ったが・・・・。私の通っていた大学の近所のカレー屋さんの方が一〇〇倍旨かったので、それっきり。
 この店の両隣りの中華料理屋さんと蕎麦屋さんはず〜と商売を続けているので、別に場所のせいではないと思います。


 二時より日比谷公会堂で開かれている「北朝鮮への追加制裁を求める国民大集会」へ参加する。三時間があっという間に終わる。拉致された方の御家族の胸中を思うと、一刻も早い解決を政府に求めていかなければならない。
 拉致議連幹事長の西村眞悟議員が今日、壇上での挨拶の中で話されていた「我が国一国でも、軍事行動ができるオプションを確保すべきである。」というのは主権国家として当然であり、やらなければ、できなければいけない事と思う。

 あのアホの河野洋平議員や加藤紘一議員が主導して北朝鮮の言いなりに米や金をただでくれてやっりましたが、その結果、何か解決出来たでしょうか。
 一九七七年に「人命は地球より重い」と言い、ハイジャック犯の言いなりに身代金を当時の金で六〇〇万ドル払ったのは当時の福田赳夫首相、現総理の福田康夫氏のお父上ですが、拉致問題に何も進展の見られない今、また福田首相は先に来日した南朝鮮の李明博(りめいはく)大統領に「北朝鮮を説得するとき、(日朝国交正常化の暁には)『日本からのボーナスがある』と話してほしい」と今月二一日の首脳会談の席上、韓国と北朝鮮が相互に連絡事務所を常設する構想が実現すれば、国交正常化後に経済協力をするとの日本の基本的立場を北朝鮮側に伝えるよう二度も発言し依頼したというニュースが伝えられています。
 このまま国交正常化して拉致された皆様が救われるという補償はありません。それは今までの北朝鮮との交渉、援助などの結果となって現れています。
 ビビンバの会という恥ずかしい超党派議員連盟を作ったあのエロ拓こと山崎拓議員なども、同じく超党派の議員訪朝団を結成し、北朝鮮との国交正常化を押し進めようとしています。西村議員のお話にでてきた我が国に一国でも解決できるだけのオプションと覚悟を持たないまま、もし、このまま今の北朝鮮と国交正常化をしても、「泥棒に追い銭」よりもっと最悪の結果しか残せないでしょう。

 今日、来場していた中のおひとり、李光弼さんという方は南朝鮮で有名な歌手だそうだ。その方が、横田めぐみさんにささげる歌を作られ、それを会場でアカペラで歌ってくださったが、涙がでてきました。ある意味、歌の力は偉大です。西岡力救う会常任副会長が日本語に訳したものだそうです。李氏の高校時代の同級生である李宰煥氏は米国留学中に休暇で訪れたオーストリア・ウィーンで一九八七年に、北朝鮮に拉致されのちに死亡したとされる。李氏は拉致問題を許せない気持ちから、その同級生である李宰煥氏との友情のためにもなにかしたいと昨年一一月に南朝鮮の拉致被害者家族協議会の広報担当となって活動に取り組んでいる。李氏は、「CDアルバムは収益が目的ではない」として希望者に無料で配布している。今日も無料で二〇〇枚が希望者に配付されました。
 自分にできることを自分なりに少しでも。


 集会が終わり、会場を出たところで、西村慎吾議員と稲川氏にお会いし、挨拶させていただく。

 店に寄ったところ、鳥取の保木本さんから電話あり、タケノコを送って下さるそうな。ありがたい。
 部屋に帰り、風呂にはいる頃になると昨日トレーニングした個所が筋肉痛。
 今日は酒も飲まずに寝る。

赤来神社
4月26日土曜日くもりのち一時雨○
 現在では、支那の中華思想による侵略以外の世界の紛争の元となっているのは、多くは一神教を主因とするものです。この日本と言う国に住む我々は八百万の神々の世界に生きています。そのため、キリスト教などの一神教の布教率はいわゆる西側先進国といわれる国々の中ではダントツに低いです。日本人は自然崇拝により山、河、大地、海、岩から巨木から獣にいたるまで神が宿っているとして生きてきました。他の生き物を捕り、そのために、己が生かされ、己が生きていくために殺生をしたその生き物に対しての感謝と霊を慰めることを忘れません。築地の波除神社には海老塚など数々の塚が建っています。

 赤来神社の境内にある御神木ともいえる巨木が何本も切り倒されたのは以前にかきましたが、その赤来神社の前の掲示板に5月に本殿を取り壊す工事に入る事が書かれていました。
 本殿の後ろにマンションを建てる予定だそうです。赤来神社の境内には大きな木がたくさんありましたが、もうだいぶん切られています。境内にある赤城幼稚園も閉鎖するそうです。赤城幼稚園の園内にはりっぱな桜の樹がありますが、これも切られる事になるのでしょう。
 赤来神社はこの当たりでは一番の高台にあります。それは神様を見下ろす事のないようにこの地域の先人の人たちの意思によりこの地を選んで建てられたものだと思います。それなのに、その神社の後ろに建てられるマンションは当然神社を見下ろすように建てられるのでしょう。神様を足の下に置くように建てられるのです。
 いまの宮司は法的にこの神社の所有権を持っているのでしょうが、神社とかお寺さんとかは、日本全国どこでもその地域の人々のおかげでそこに土地を与えられて建てられて現在にいたり成り立っているものでしょう。
 宮司の御先祖がお金を出して神社を建てたわけでは決してないでしょう。この地域の先人の人々の力によりこの地で神社を任されてきたのではないでしょうか。
 神社の境内という神域にある御神木ともいえる巨木を平気で切り倒し、その神社を見下ろすマンションを自ら建てるというこんな宮司に対し、この神社の氏子の人たちはどう思っているのでしょう。
 

 
 午後からスポーツセンターに行く。久しぶりに会う方もいらっしゃる。当然「最近来てなかったね」という話になり、「いや〜ヨッパラッテ、転んで・・・」と何度か繰り返した会話・・・・ 
 時間がなかったので、部分的なメニューを消化。

 大宮からMさん二名様で来店。初めてのお客様Iさん二名様来店。御近所の方来店。横浜からYさん来店。

寺脇研
4月25日金曜日くもりのち雨 ×

 今、我が国では今までの文部省(現文部科学省)が進めてきた「ゆとり教育」という名の子供の白痴化が問題になり、見直しが行われています。小学算数に台形面積復活などを文科省が新指導要領を一部前倒しするというニュースがあったばかりです。
  神奈川の県立校で「日本史」必修にというニュースもありました。何度か書いていますが、植民地においてはその植民地民族の歴史、神話を教える事無く抹殺します。道徳教育、国歌、国旗に対しても同じです。それにより日本人という民族の自覚、自主性をもたぬ人間ができあがります。
 これらは、日教組などが目指してきたものです。
そして、その日教組が入り込んで、元社会党、労働運動家が大部分を占める民主党の目指すものも同じく日本民族の溶解です。(自民党も酷いのが大勢入るけど)

 日本民族の溶解を目指していろいろな活動を彼らはしてきました。国会議員として活動家を送り込む事もその一つです。
 そして、国家公務員として入り込み、我が国の背骨を溶かす事により日本民族の抹殺を謀ってきたものも数多くいます。
 寺脇研氏などもそのひとりです。
 寺脇氏はゆとり教育を推進してきておきながら、朝鮮人が設立「コリア国際学園」の設立に関わっています。ここは六年制の一貫教育校であり、週六日制で土曜日も授業が実施され、授業一単位時間五〇分、週授業時間数三九時間、年授業時間数は約一四〇〇時間で、現役大学合格に導く「体系化された学習計画」ということを教育の特色として掲げています。
 寺脇氏は我が国の子供達の教育にはそのような事はせずに、「円周率は三」などというアホを育てる教育カリキュラムを一生懸命作ってきました。そんな寺脇氏は朝鮮が大好きで、最近、見向きもされない朝鮮映画の本まで出しています。
 その朝鮮については下記のような事を言っています。
以下引用
 <よく、「なぜ、韓国とばかり交流するのか」と聞かれますが、隣国で、かつ、共有できる部分が多いからです。民主主義で人権重視でノノ。これだけだと「日米は同じ価値を共有している」みたいな話ですが、日韓は国内に大きな民族対立がないとか、宗教的寛容さ、非核保有国といった点でも同じです。こうやってみると、まずは韓国との関係を深めたいという私の考えがご理解いただけると思う。

それと、日本が史上、もっとも迷惑をかけた国は韓国でしょう。故河合隼雄・元文化庁長官が向こうの文化大臣と対談したとき、「日本は植民地支配で、鉄道を敷いたり学校を作ったりインフラ面で役に立つこともした。でもそれを帳消しにして余りあることをした。 それが名前と言葉を取り上げたことだ」と。でも、その過去を乗り越えられれば、世界的にも国家間の対立を乗り越える道筋が生まれるのではないかと思います。>
毎日新聞 二〇〇七年一〇月二四日

 寺脇氏の言っている名前と言葉を取り上げたという朝鮮人が吐くウソについては何度も指摘させていただいておりますので、改めては書きませんが、あきれるほど無知を曝け出しています。嘘つき朝鮮人の言うがままなのでしょう。
 そして、寺脇氏は支那のチベット侵略に対して四月一四日に関西地方のローカル番組「ちちんぷいぷい」に出演し、
 「かつて日本が韓国を植民地にした時に、日本側が当事者である韓国に対して『良いことをしてやっただろ』と主張しているのと同じようなもの」
とホザいたそうです。
 我が国が朝鮮を併合する事により、破壊した朝鮮の文化とは何があるのでしょう。具体的にお教え頂きたいものです。
 我が国を悪くするために公務員として一生懸命に働き、今は朝鮮のために一生懸命やっている。同じ一生懸命でも偉い違いだ。こんなやつを血税で食わしていたのです。

 バンブーさん来店。Yさん二名様で来店。二名様来店。二名様来店。久しぶりに土佐から相ちゃん来店。Tさん来店。Tさん来店。マロさん来店。
ドンチャン。記憶はあり。

今さらながら
4月24日木曜日晴れ○

 米国産牛肉の米国産牛肉の輸入再開以来初めて、BSEの危険部位の脊柱混入が発覚というニュースというのはアメリカ人のいい加減さを表すものですが、もちろん性質がちがいますが、我が国には死人も重体になった方も出ていません。そんな牛肉に対しては、我が国政府は即輸入にしたほどなのに、支那の毒入り殺人餃子については、輸入禁止にはしませんでした。
 アホの福田首相などは「支那は前向きによくやっている」とホザく始末でした。同じ事を殺人餃子で重体になった女の子の御家族の前で言ってみろ。

  その毒入り餃子の支那の対応について、在日支那人の言い種
 「二月初めに中国の調査団が事件解決のために来日した事は記憶に新しいが、それはその時点で中国当局が自分達の非を認めていたことにほかならない。中国人なら、誰でもそう捉える。  プライドが高い中国としては異例の英断なのに、日本の警察は『中国混入説』を繰り返して中国を逆ギレさせてしまった。一度怒らせてしまったら、梃子でも動かせないのが中国人だ。中国側の協力なくして事件の開明がありえないのだから、結果として日本は交渉の仕方を間違えたことになる」
  (自称)歌舞伎町案内人 李小牧
 週刊現代平成二〇年五月三日号p三八

 支那人というものの人間性がよくわかる言い種です。悪いのは支那人様のプライドを踏みにじった我が国だそう。

ドアホ

 仙台のIさん新幹線の時間までということで、来店してくださる。来月より東京の某国立大学で研究職につくことになり、東京へ出てこられるそうな。
Tさん二名様で来店。Mさん二名様で来店。淡路島の中学時代からの友人の甥ごさんだそうな。Fさん三名様で来店。Hさん五名様で来店。Nさん二名様で来店。
 ドンチャン。記憶あり。

無断撮影
4月23日水曜日晴れ 

 テロ朝の報道番組での無断撮影というニュースがありました。
以下引用
 
テレビ朝日の報道番組「報道ステーション」が放送した青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場に関する特集について、同工場を所有する日本原燃(本社・六ヶ所村)が「許可していない場所を無断で撮影され、放映された」などとして、テレビ朝日に文書で抗議していたことが17日わかった。
 番組は11日夜に放映され、日本原燃によると、同社の敷地内で撮影を禁止している場所の映像が流されたほか、多量の放射能が放出されているかのような誤解を生じさせる表現があったという

(読売新聞 - 04月17日 13:30)
引用終わり

 無断撮影とかいうのであれば、あの李纓氏という支那人監督による「靖国」という映画はどうなのでしょう。いっしょに大騒ぎしていた電波芸者の
田原総一郎氏などもこの話題にはふれません。
 田原氏は過去にも高市早苗議員に対して暴言をはいております。そして靖国神社へは「日本で下品な人間、憎らしい顔をしたのが集まってるんだ」とまでテレビの全国ネットでいっています。
 有村治子議員による下記の指摘を電波芸者田原総一郎氏、李纓氏は知らないふりをしたままです。もちろん、大騒ぎした朝日新聞、NHK、TBSなどの腐れマスコミもこのことについては報道していません。
以下有村議員のホームページより引用
http://www.arimura.tv/news/20080414.html
 
映画宣伝用ビラの中央に掲載されている神社参拝者の肖像権は、全く守られていません
国会質問を準備する過程で、驚くべき事実が次々と出てきました。本映画の宣伝用ビラの、一面中央に大々的に掲載されている男性は、たまたま靖国神社を参拝されている国民であり、参拝しているところを李纓監督側に撮影され、その参拝映像の一部始終が映画に無断で使われた上に、この映画宣伝用ビラにおいても、ご本人の承諾なく肖像が勝手に掲載されていることが判明したのです。4月13日今日現在においても、この映画宣伝用ビラはご本人のあずかり知らない所で世間に広がっており、この男性の肖像権や信教の自由を尊ぶプライバシーは、侵害されている状況が続いています。
略)
そして、刈谷さんご夫妻が、そもそもこの映画「靖国」に出演することを承諾されておらず、刈谷さんのご自宅を訪れた李纓監督と中村高寛助監督に対して、
「刈谷の名前を除かないと上映はだめですよ。まず完成品を通し(・・)で見せてください」と直接対面で伝えられていたにもかかわらず、その後もご夫妻には、映画の完成品を見る機会が与えられておらず、監督側の不誠実な対応に閉口されているようすをお話下さいました。
略)
しかし、刈谷さんご夫妻との経緯について、的確な取材をされることもなく、国会質問から2週間近く経った4月9日夕刻になって、突然、共同通信配信による第一報から、「出演を承諾していた刈谷さんの気持ちを、有村が変心させた」という李纓監督の憶測に基づく主張だけがクローズアップされ、「政治介入」と決め付ける報道が全国で一斉に始まりました。
略)
私・有村に対する、事実無根の痛烈な批判として、「出演者に連絡をとるなどもってのほか。恥を知れ」という旨の、数々の「文化人」による心無いコメントが、各新聞紙上で紹介されていますが、では、肖像権をはじめとする刈谷さんご夫妻の基本的人権を、一体誰が守ったのでしょうか。映画「靖国」に自らの映像が使われることを知らされず、「美術工芸品としての刀を鋳造する刀匠の半生をドキュメンタリーにしたい」という、映画監督と名乗る中国人青年の「真摯な」申し出によって、これが現役最後の仕事になると覚悟を決められ、刈谷さんは渾身の想いで自らを奮い立たせ、刀を鋳造する撮影に協力されたのです。

李纓監督達に対して「だまされた」(=高知新聞4月10日)と感じ、「自分の名前と映像を除いてほしい」と監督側に直接対面で訴えられながらも、その希望が一向にかなえられず、なしのつぶてで、困り果てていらっしゃった老夫婦の窮状に、一体誰が耳を傾けたでしょうか。

特に、今回の一連の騒動で「国会議員の圧力許せない」と声高に嘘の喧伝をし、分刻みで仕事と移動を重ねている私を執拗に追いかけ、お決まりの「欠席裁判」で舌鋒鋭く私を断罪した「善良なジャーナリスト」の皆様のうち、一体どのマスコミの方が、刈谷さんご夫妻のか細き声を聞き届けて下さったのでしょうか。

国会質問という責任ある公的な場で、正確な情報に基づいて質問を展開しなければならない私の前に、どなたかが、刈谷さんの現状を的確に報道して下さっていたならば、そもそも私が、刈谷さんご夫妻に連絡をとる必要など全くなかったのです。残念ながら本件について、私達国民がメディアから知りうる情報が一切なかったために、私が自分自身の手で原点にあたって調べる以外に、なすすべがなかったというのが真相です。

引用終わり

 今日の産経新聞のコラム「正論」において、「再論『靖国』」と題して 国学院大学教授の大原康男氏が、論点がずらされた事、映画の中にでてくる三人のキャストのうち二人は「小泉首相靖国神社参拝訴訟」の原告であり、しかも、その一人は現在係争中の「靖国神社霊璽簿等抹消訴訟」の原告でもある。残りの一人は有村議員も取り上げられていた刀匠の刈谷直治氏であり、刈谷氏は李監督は信用できないので、自分の映っている場面の削除を求めていることなどとともに、靖國神社側も無断撮影による通知などを行っているアンフェアな制作による映画であり、到底公金助成に値する映画でないことを指摘している。
 そして、大原氏はコラムの最後に「多くのメディアや文化人・各種団体などが今回の上映中止を激しく非難しているが、彼らは旧ソ連の樺太侵攻によって貴い命を失った9人の乙女を描いた「氷雪の門」がソ連の圧力によって上映中止になった昭和48年に同様な声をあげたのか。
 今回、いち早く抗議声明を発した映画演劇労働組合連合会は平成10年に封切られた「プライド−運命の瞬間(とき)」の上映中止運動を展開したのではなかったか。この点をとくと尋ねてみたい。」
と記しています。
しごくごもっとも。
 有村議員や大原氏の発言に対して、腐れ支那人監督の李纓氏を擁護してきた電波芸者の田原総一郎氏や「善良なる」ジャーナリストのみなさんはどう反論するのでしょう。今まで我が国を貶めるために数々の捏造報道を続けてきた朝日新聞は、この支那人監督の不誠実さを報道したのでしょうか。
 
 今日は河岸が休みなので、午後からスポーツセンターに行く。今日は時間がないので、軽めで一通りのメニューを消化。
 Fさん二名様で来店。Sくん来店。大台さん来店。

 

保阪正康
4月22日火曜日晴れ ×

 今発売中の週刊現代五月三日号に、ノンフィクション作家保阪正康氏の「今こそ日本の『罪の世代』が『歴史問題』を清算せよ」と題した記事が掲載されている。それには福田議員が首相に就任する少し前に保阪氏と福田氏の会食の会話から始まるもので、下記のような内容です。
以下引用。
 <福田氏は当時日本で起こっていた感情的な中国批判の風潮を「ああいうことをやって何の意味があるのか」と深く嘆いていた。私もまったく同感だった。
 終戦の六年前、昭和一四年に生まれた私は「戦争体験」は持っているが「戦場体験」は持っていない。それは福田首相もそうだ。
 ところが、五月に訪日予定の胡錦濤主席(四二年生まれ)や、昨年四月に来日した温家宝首相(同)ら私と同世代の中国人らは戦争体験だけでなく、戦場体験も持ち合わせている。なぜなら、八年間続いた日中戦争の戦場は、中国全土にわたったからだ。
 五年ほど前、中国の東北部(旧満州)を訪問したが、案内役の中国人元外交官は、私と同世代だった。この外交官が、雑談の最中にふと漏らした。
「私が育った新京(現在の吉林省長春)では、小学校の同級生の過半数が、親族の誰かを日本軍に殺されていました。親族を日本軍に殺された彼らの怒りは、戦後何年経っても消えることはありません。」
 私はこの話を聞いた時、日中間で戦争認識の”ズレ”があることを再認識した。
 戦争体験を持った日本人に求められているのは、むしろ彼等の声を真摯に受けとめることなのである。我々の世代が彼らの叫びをきちんと受けとめてやることによって、初めて日中間の不幸な歴史を精算することが可能となるのだ。
 その意味では、現在七一歳の福田首相も、六八歳の私もいわば「罪を負った世代」である。だからわれわれの世代が、負うべき罪をきちんと背負って使命を終えることで、次の世代は歴史に対してフリーハンドになれる。
 逆に、いま歴史問題に対して、中国側の主張に対応することは、日本にとって得にはならない。なぜなら、そのような態度を取れば、われわれはいつまでたっても歴史を精算できないからだ。対中強硬派の主張は、歴史を精算しようとしているかに見えて、結局は回り道をしているのだ>

引用終わり
 (週刊現代平成二〇年五月三日号p二九〜三〇)

 保坂氏はまず、我が国国民と違って、支那の国民を「戦争体験」だけでなく「戦場体験」を持っているとしているが、我が国も米軍による無差別爆撃により焦土とされ、沖縄においては我が国政府は一七八隻もの艦艇による一六万人の沖縄県民の疎開させたのち、残された沖縄県民の方々は日本軍とともに戦い多くの方が亡くなられました。その後の過った歴史教育によりその米軍より、我が国軍隊が悪というイメージがまかり通っていますが、我が国国民も戦場体験を持っているのです。
 沖縄において、米軍より我が軍に対して悪い感情を持っているのは、戦後の沖縄においての政策、教育であり、同様に支那人の現在の我が国に対しての反日感情は支那政府の政策であり、教育なのです。

 支那へ我が国が軍隊を送り、支那大陸においての戦闘により多くの民間人が命を失ったことは事実である。しかし、現在、支那政府が行っている反日政策は、それにより支那にとって大成功しているからです。
 支那にとっての反日政策について、古森義久氏の著書「日中再考」(扶桑社刊)に二〇〇〇年一〇月一一日のAP通信の報道として下記のような記述があります。
 「中国共産党は、日本軍への抗戦を主導したことを統治の正当性(レジティマシー)の支えとし、そのためには日本軍の残虐行為などに関する記憶を国家が管理するメディアの頻繁な報道でいつまでも生き生きとさせておこうとする」(P三八〜三九)
 このAP通信の記事は支那がいつまでも我が国を糾弾する理由としての要因を示しています。そして、古森氏は外務省の北京駐在支那専門官の指摘として、支那の現在の中高教科書に我が国の戦争行為にかんする記述だけで、戦後の日本に関する記述がほとんど無い事なども書いています。我が国が憲法第九条を後生大事にし、非核三原則を守り、戦後一度も軍事力を行使していないなどということは支那の子供達には教えられていないのです。つまり、我が国のイメージは戦前のままなのです。
 それはどうしてか。そのほうが、現在の一党独裁という共産党統治を支えるための政治宣伝としては効果が高められることになるからです。
 古森氏はまた、香港の英字新聞サウスチャイナ・モーニングポスト二〇〇〇年一〇月六日のマイク・オニ−ル記者の「われわれは許さない。だがあなた方のカネは取る」と題した記事よりの引用として
「中国共産党が貿易、経済援助、投資、観光などの最有力相手の日本を過去の戦争問題でたたきつづけるのは、日本を決して贖罪を果たし得ない罪人として押さえておくという戦略のためだ」「日本がいくら謝罪しても、いくら援助資金を贈っても、絶対に十分というふうにはならない」(アジア人外交官)
 そして、オニ−ル記者は結びとして、支那側の日本糾弾の理由のひとつを強調しているそうです。
 「それはこの反日政策が大成功であることだ。日本を間断なく攻撃しても、中国側になんの不利な結果もないことだ。日本の企業は中国に依然、投資を続け、観光客は訪中をつづけ、正負は援助資金を提供し続けてきた」
 だから中国にとってこれほど便利な外交戦略はなかったというのである。(同書P四二)

 これらから、支那の我が国に対する歴史問題というものがどのようなものかよく解るし、保坂氏が書くような「我々の世代が彼らの叫びをきちんと受けとめてやることによって、初めて日中間の不幸な歴史を精算することが可能となるのだ。」ということでは決してない事もわかる。ましてや、「「罪を負った世代」である。だからわれわれの世代が、負うべき罪をきちんと背負って使命を終えることで、次の世代は歴史に対してフリーハンドになれる。」と書くようにフリーハンドにはなれない。支那がそうさせないからです。

 ところで、この週刊現代も胡錦濤や温家宝にわざわざ(フージンタオ)、(ウエンジャバオ)と振り仮名を朝日新聞なみにふってあったが、これって、この雑誌の姿勢を表している?

 インチキラクターさん来店。Hさん二名様で来店。Sさん四日市からの出張ということで来店。大野さん来店。Iさん来店。
ドンチャン。記憶ありと思う・・・・・

渋谷へ
4月21日月曜日晴れ △

 今日、起きた時にテレビをつけたら、「暴れん坊将軍」という番組のエンディングの場面で、将軍役の俳優が神輿の上に乗った場面がありました。私の田舎の淡路島では神輿の上に乗るなど絶対にありえない事です。ましてやそのエンディングでは神輿の後ろには女性も乗っていました。神輿に女性が触る事も絶対にない事です。私の育った部落の祭では神輿を担ぐ役の人たちは、みんなで前日より小屋に泊まり生臭ものを断ち、祭当日には夜明け前に海に行き、塩浴びといわれる身を浄めるための海の水をあびてから、神社に帰ってきて、白装束で神輿を担ぎます。

 今日は午後から立川の歯医者さんに行く。その後、渋谷へ行く。約束の時間より早く着いてしまったので、渋谷の街をぶらぶら。
 渋谷の街をぶらぶらするのはひさしぶり。めちゃ変わっていて、浦島太郎状態。初めて水商売に入ったのが渋谷。それからもう三〇年・・・・
 今回はその当時にお世話になった方で、富ヶ谷のお蕎麦屋さんの旦那さんに御会いする。わたしが神楽坂のこの場所に移ってきてから、ここ一〇年以上は年賀状だけのおつき合いでしたから。
 酔狂師さんと待ち合わせ「渋谷rest」さんに伺う。
 前回も酔狂師さんとおつき合いしていただいて飲んだ時もそうでしたが、今日もワインということで、白一本、赤いっぱい・・・・
 このお店は伺うのは初めてだったのですが、知らないところでいろいろと繋がっているようで・・・・
 帰りの電車の時間をチェックしているつもりだったのに、結果はいつもどおりタクシーにお世話になり、気がついたら部屋の側。
 

井村雅代女史
4月20日日曜日くもり

 昨日の産経新聞のスポーツ欄に現在北京で行われているシンクロの北京五輪最終予選の事が掲載されていた。
 その中で、引き抜かれて支那チームの指導をしている井村雅代ヘッドコーチは、大気汚染や食の安全など、支那の問題に対しての我が国報道陣や観光客に対して嫌気がさしている様子として、「日本人で集団でマスクをしてくる人は許せない。空気が汚いからって・・・。私は中国に来て病気になったことがない。それだったら中国の人みんな死んでますよ。中国に対して非常に失礼ですよ」と批判したそうである。

 おいおい、批判の対象がちがうやろ。失礼もなにも、空気が汚いのは支那の責任だし、それに対して、マスクをしていくのはどこが悪いのだろう。男子マラソンの世界記録保持者、ハイレ・ゲブレシラシエが北京五輪の欠場を正式に表明したし、女子の世界記録保持者、ポーラ・ラドクリフも特殊マスクを着用して練習し、英国オリンピック委員会は出場する同国選手に大気汚染対策でマスクを支給することを検討しているという報道もあった。支那人もマスクをしている写真が多くある。
 食べ物に関しても、過去にも同じ産経新聞に、支那の食べ物が安心できないので、支那政府の高官の家族が東京に住んでいて、本人も絶対に外食しないというニュースもあった。
 今日の産経新聞第一面によると、ゴールデンウイークの支那方面の旅行が他の国と較べてあまり人気がないようです。まあ、当たり前ですけど。
 
 「それだったら中国の人みんな死んでますよ」
 いや、食い物で現実に死んでるんですけど。その丈夫なはずの支那人が・・・・・

 店を片付けた後、高田馬場の芳林堂に寄り、二冊購入。同じビルの地下にあるトンカツ屋さんで食事をした後にスポーツセンターに行く。
 店に寄ったあと、帰宅する。
 今日購入した「世界が仰天する中国人の野蛮」(黄文雄、宮崎正弘著 徳間書店)、「『モンスター新聞』が日本を滅ぼす」(高山正之著、PHP研究所刊)を読み終える。

4月19日土曜日雨のつくもり ×××
 私が店を始めて一年後ぐらいからもう二〇年以上もおつき合いしていただいている築地マグロ中卸しの「松長」社長である鵜野慎吾氏。というよりシンゴちゃんが新聞に載ったW
 
 スポーツセンターに行く。今日は時間がないので胸部と三頭筋のみ。
 二名様来店。三名様来店。当店の転送ソフトの事でへべれけさんにお世話になる。
 営業終了後、中野の石松さんに酒を持ち込みドンチャン。記憶完全に無し。サル、猿・・・・・・・

 

朝鮮と琉球の共通点
4月18日金曜日雨△

 「豊かで平和な琉球王国」というのは「豊かで平和な李氏朝鮮」と言っている朝鮮人と同じという事を、沖縄の人々は理解しているのでしょうか。
 つまり沖縄県になるまえの琉球の真実の姿というものを理解しているのでしょうか。
 恵氏の著書「誰も書かなかった沖縄」には下記のような記述があります。
 琉球王尚泰の四男尚順(男爵、沖縄戦で死去)はその遺稿で首里王城の正月(旧正月)の光景をこう回願している。
「五族の大旗を建て、国王が北京の紫禁城に向かって遥拝される式であって設備装備は純粋の支那風によって挙行され、左右より羽扇を翳して国王が進み来られると同時に黄冠、紅冠をつけし唐栄(久米村人)の連中ばかりの活動で、黄色のクロスを掛けたテーブルの上には龍紋彫の黄金の香炉を置き、海南に沈香を薫いて礼拝を行う。(中略)黄冠をつけた久米の先生達がケーウ、ケーウというのは中国語の叩頭のことだ」
 こうして、首里城では欧米人が世界で最も屈辱的な礼式と批判した、三跪九叩頭(三回跪き、九回地面に額をこすりつける)の礼が執り行われたと書かれています。(p一八〜一九)
 これは、小中華を自任し、ある意味中華よりも中華的であり、「四書五経」、支那史のみに没頭し、ハングル文字を蔑み、漢文を尊んだ朝鮮の李朝時代から、わが国により支那の影響下から解放され、近代化されたという点では朝鮮半島も沖縄も共通のところがあります。
朝鮮で行われていた三跪九叩頭の礼までそっくりです。
 わが国が日清戦争に負けていたなら、支那の郡県に再編されていた可能性があるのもそっくりです。
 
 そして、その王の下には醜い統治が行われていていたところまでそっくりです。

 Oさん来店。最近は金曜日に来店してくださる事が多くなった。Sさん二名様で来店。御近所にお住いというHさん来店。

沖縄の支那隷従
4月17日木曜日雨 ×

 「誰も書かなかった沖縄」(恵隆之介著 PHP研究所刊)に、沖縄と支那との関係について書いています。それによると、明治二八年(一八九八年)、日清戦争による清国の敗北まで、沖縄は支那の強い影響下におかれていて、ペリー提督の「琉球訪問記」には、通貨は琉球独自のものはなく、日本または一部中国銭が通用していると記録されている。
 明治二七年四月、熊本師範学校修学旅行生一〇〇名が沖縄を旅をした時に、公会堂とされた南陽館の扁額がすべて支那の冊封使のものばかりで、しかも、沖縄県内の支那系移民によって組織された支那党の存在に、嫌悪感さえ覚えたそうです。当時、支那党は人口の一%、五〇〇〇人を超えていた。
 沖縄が支那の隷下に入ったのは一三七二年、明国皇帝が琉球に朝貢を求めてきたことから始まったとされ、薩摩藩が琉球に侵攻する一六〇九年までその監督下にあった。
 
 那覇市内にある久米は、一四世紀以降支那人の居留地域となっていて、一八世紀まで浮島と呼ばれる島であった。
 寛永二一年(一六四四年)、明が滅び清国が成立した時に、満州族の支配を忌避して明人、すなわち漢族の三六性の家族(部族)が移民してきたとされ、一九世紀になっても支那語が話されており、日清戦争の終了まで沖縄をことごとく支那圏に留めようと画策していた。
 支那系移民がいかに琉球の政権に固着したかを物語る歴史的事件として、恵氏は同書に一九世紀初頭に起きた官生騒動を例として書いています。
それによると、官生とは、官費留学生制度つまり国費留学生制度のことであり、一五二五年、琉球王尚真が北京の国子監へ久米村人の中から四人を選び留学させたのを皮きりに、その後約三〇〇年間続いた制度で、その官生はすべて久米村出身者で占められていた。一八〇一年、尚温王は琉球王府の教育権に主体性をもたせるべく首里に国学を作り、官生四人の枠のうち二人を地元の首里出身者にしょうとした。これを知った久米村人が猛烈に反発し暴動が起きた。この年、尚温王はわずか一九歳という若さで亡くなる。毒殺説が根強く残る。
 
 そして、現在約三〇〇〇人の沖縄県民がその子孫を自認しており、約一〇億円の共有貯金と会館を運営している。

 一名様来店。マロさん来店。初めてのお客様Aさん三名様で来店。
 営業終了後、高円寺のイタリアンレストラン「やっちゃま」でドンチャン。もう一件ハシゴ。最後は神楽坂の「エムズバー」さん

似非人権団体「神奈川人権センター」
4月16日水曜日晴れ △
 昨日の日記にも書きましたが、神奈川人権センターという団体があります。
 「人道的」処置により定住資格を与えられた不法滞在犯罪者の姜賛圭という朝鮮人家族の支援もしていた団体です。
 
 その人権にうるさいはずの神奈川人権センターとはどのようなものか。
 神奈川人権センターのホームページによれば、「めざすもの」として下記のような内容の事が書かれています。
<基本的人権が侵されている人々やマイノリティー(少数者)の人権の擁護・発展・確立をめざし、県内をはじめ、国内において国際社会で取り決められた人権基準がすべての人に保障される社会をめざしています。>
 
 そして、人権に関するシンポジウムや講演会として、国際人権、開発と人権、女性問題、障害者問題、滞日外国人問題、在日外国人問題、部落問題などについて講師の派遣などもやっています。
 あの殺人者金嬉老をヨイショした恥ずかしい「文化人」グループのひとりであった日高六郎元東大教授が理事長をつとめていましたが、現在は江原由美子氏が理事長だそうです。そして、その構成団体には
 朝鮮人関係では、あの
朝鮮総聯神奈川県本部をはじめとして、神奈川県朝鮮人強制連行真相調査団かながわみんとうれん(民族差別と闘う神奈川連絡協議会)、民族差別撤廃・外登法改正をめざす神奈川県連絡会議などがあり、その他、天皇制を問い続けるかながわ連絡会議。部落差別問題関係では部落解放神奈川県共闘会議、部落解放同盟神奈川県連合会など。自治労では全日本自治団体労働組合神奈川県本部、その他、神奈川県高等学校教職員組合まで、反日団体のオンパレードです。

 
派遣講師も田中宏氏清水澄子氏西野瑠美子氏石毛えい子氏 と「我が国のためにはならないことだったらなんでもする。」というわかりやすい皆様が並んでおられます。当然、当店の売国奴列伝の常連様です。

 人権には厳しいはずの「神奈川人権センター」なのに、ジャーナリストの櫻井よしこさんを講師に予定していた、一九九七年一月の講演会(神奈川県・三浦商工会議所主催)を「従軍慰安婦に強制連行はない」などと問題発言したとして神奈川人権センター側は、
「言論の自由は差別発言の自由ではない」「かつての植民地侵略を美化し、民族差別、女性差別を扇動するものだ」と厳しく抗議し一月二十七日、櫻井女史を講演会の講師として招く予定だった神奈川県三浦市の三浦商工会議所に対し、講師の再検討を文書で申し入れた結果、三浦商工会議所側も、この申し入れを受け入れて二十八日に講演会の中止を決めています。
 そして、当時の高橋孝吉・神奈川人権センター事務局長は
「櫻井差別発言は言論の自由以前の問題。公的な機関や社会的な影響力をもった団体の場合、講演会の講師選定は人権擁護の観点をきちんともって行なうべきだ。櫻井発言は、いま全国的に動き出している「自由主義史観」グループの宣伝に利用されている可能性がある。このグループの動きを放置すれば危険だ。一歩も引けない闘いだ」と語っています。

 櫻井氏の発言を批判するのは自由だが、自分の意見と違うとして、その発表を封じながら、「人権センター」を名乗る・・・・
 どんな団体かよくわかります。そして、朝鮮総連が構成団体に入っているという現実・・・・醜いものです。
 朝鮮総連は北朝鮮での金正日による虐殺に声も挙げずに、その独裁者の手先として我が国で犯罪を犯しながら、人権を叫んでいる犯罪組織です。
 このような犯罪組織が属している団体が守ろうとしている「人権」とはいったいなんなのでしょう。
  当然、この「人権」を守ると気狂いのように五月蝿く言っている連中は、支那のチベット、東トルキスタン侵略、支那国内における人権問題、北朝鮮の独裁者金正日による朝鮮民族虐殺などには抗議などすることはありません。このように腐れ似非人権団体なのです。

 あほらし。

 初めてのお客様Nさん三名様来店。Yさん二名様で来店。大台さん二名様で来店。Hさん奥様、お嬢さんの三名様で来店。五名様来店。
 

似非人道主義
4月15日火曜日晴れ △
 下記のようなニュースが先日ありました。
以下引用
 
川崎の韓国籍一家に在留許可 社会 2008/03/26
 川崎市川崎区桜本に住む韓国籍の姜(カン)賛圭(チャンギュ)さん(44)と家族の 計四人が、国に在留特別許可の不許可処分を取り消すよう求めた訴訟をめぐり、法務省は二十六日までに、四人に一年更新の定住資格を与えた。学齢期に当たる子供二人への影響などに配慮した人道的措置とみられる。
 姜さんは妻の李(イ)金和(クンハ)さん(40)と中学三年の長男(15)、小学六年の長女(12)の四人家族。一家は昨年三月、入管難民法違反に問われて在留の不許可処分を受け、姜さんは同年十月に仮放免されるまでの約七カ月間収容されていた。
 一家は二カ月後に処分の取り消しを求めて東京地裁に提訴。支援者らが約一万二千人余の署名や学校関係者の自筆嘆願書を集めるなどしていた。
 横浜市中区で二十六日に開かれた「神奈川人権センター」の定期総会に出席した姜さんは、一連の経緯を説明し「同じ立場の人たちが安心して暮らせるようになってほしい」と謝意を示した。代理人の三木恵美子弁護士は「途中から来日した子供の学び続ける権利を保障した点で、 意義のある判断が下された」と話していた。
 姜さんは一九九〇年に夫婦で来日。一度韓国に帰国して起業したが倒産。九七年に再来日し、その二年後に学齢期に達した子供二人を呼び寄せたという。

引用終わり
神奈川新聞 社会 2008/03/26

 この記事を読んで、どこが人道的に扱う必要がある家族というのであろうか。この朝鮮人は不法滞在している犯罪者であり、その犯罪者が厚かましくも自分の子供を呼び寄せて暮らしていただけの家族です。一年更新の滞在許可を得て、今後どうするつもりであろうか。子供達が卒業したらそのまま日本に居着くためのあれやこれや厚かましい理屈を言っていろいろ工作をするのであろうか。
 そもそも、「途中から来日した子供の学び続ける権利を保障した」とはどういう事であろうか。勝手に自分の子供を呼び寄せておいて、学ぶ権利もなにもないだろう。そのまま朝鮮に置いておけば済む事です。
 二年後の一九九九年に呼び寄せたということは二年間その子供の面倒を見ていた親戚なり、肉親なりがいたことになります。
 朝鮮人は小学生からアメリカに留学させたりしていますが、そんな小さな時からの留学も人道的には問題ないわけです。ただ、その留学中の朝鮮人小学生が小学五年生なのに、性犯罪容疑で拘束されるというのは流石というべきでしょうか?
以下引用
 
アメリカに親の同伴なく早期留学中の韓国人小学生2人が、女子小学生と2歳の幼女を相手に性犯罪をはたらいた容疑で現地警察に逮捕されたことが分かり、早期留学に格別 の注意が必要だという指摘がなされている。
略)
外交通商部はこの事件に関して、海外安全旅行サイトの告知事項欄を通じ、「アメリカなど外国への早期留学が急増しているが、
幼い 生徒たちが文化的な違いを認識する前に今回のような状況に直面する可能性があり、親たちの格別の注意が要求される」と表明した。
ソウル聯合ニュース(2006/03/25 11:10)
http://www.chosun.com/national/news/200603/200603250161.html

 外交通商部の「アメリカなど外国への早期留学が急増しているが、幼い 生徒たちが文化的な違いを認識する前に今回のような状況に直面する可能性があり、親たちの格別の注意が要求される」という声明もすごいものがあります。

 あと、不法残留二〇年もしていて、その犯罪者が「実績評価して」と厚かましくも提訴しているというニュースもありました。犯罪の実績を評価しろということでしょうか。
以下引用
 
約20年も不法残留し、東京都内で焼き肉店を経営している韓国人夫婦が、退去強制処分の取り消しを求める訴訟を東京地裁に起こしたことが6日、分かった。夫婦の代理人によると、これほど長期間の不法残留者の処分取り消し訴訟は極めて珍しいという。夫婦は「いまさら『国に帰れ』は酷。日本での生活実績を評価してほしい」と訴えている。
 提訴したのは、姜柄勲(カン・ビョンフン)さん(53)夫婦。訴状によると、夫婦は昭和63年に短期滞在資格で入国し、そのまま飲食店従業員として働いていた。平成16年に東京・池袋で焼き肉店を開店。同店のオーナーとして約20人の日本人を雇用して経営に当たっていた。
 夫婦は18年、法的に不安定な立場を解消しようと、自ら東京入国管理局に出頭。在留特別許可を申請したが認められず、昨年末から茨城県牛久市の入管施設に収容されている。
 夫婦には不法残留以外の違法行為はない。韓国に生活拠点がないため、帰国させられれば生活に困ることは明白という。夫婦の知人らは、処分取り消しを求める署名活動を始めている。
 代理人によると、長期間平穏に生活していたことを理由に退去強制処分の取り消しを認めた裁判例は、地裁判決が1例あるだけ。このケースも高裁で原告が逆転敗訴し、最高裁で敗訴が確定している。訴えが認められるのは、かなり難しいとみられる。

引用終わり
産経2008.4.7 00:56

 勝手に我が国に来ておきながら「いまさら『国に帰れ』は酷。」「韓国に生活拠点がないため、帰国させられれば生活に困ることは明白」とは呆れてものが言えぬ。似非人権団体がよく不法滞在イコール弱者というイメージを一般化させようとしているとしか思えない。いずれのケースも不法滞在するつもりでわが国に入国した彼ら自身の責任であり、正規の手続で入国しなかったのが悪いのです。彼らはわが国の法を犯した犯罪者以外のなにものでもありません。そして、その犯罪者を支援する似非人権団体も多く存在します。神奈川人権センターなどもそのひとつです。その似非人権団体の問題点は、改めて記させていただきます。

 二名様来店。Iさん来店。Hさん来店。下駄履きでSさん来店。そういえば、学生時代に私も下駄をよくはいていたのを思い出しました。
 ドンチャン。記憶あり。


契約更新
4月14日月曜日晴れ ○

 今日も店は休みですが、契約更新のため神楽坂駅側の「イッコウホーム」さんに伺う。早いもので、契約更新も六回め。ここで一二年、早稲田の「酒いわしや」時代一〇年、合計二二年もやっていてな〜んも変わっていない・・・あきまへんな・・・

 自宅への帰りの途中に古本屋さんに寄り、古森義久氏の著書「亡国の日本大使館」「外交崩壊」など数冊購入。
 今日のニュースで、猪口邦子議員の千葉県知事立候補が報じられていた。もし、猪口氏が県知事に当選してしまったら、堂本暁子現知事に続いて、またジェンダフリーを叫ぶ異常としか言い様のない知事が二人も続くわけで、千葉県民の皆様にはお気の毒様としう言葉しか見つからない。あんなのが知事にならないことをお祈りいたします。

 帰宅してから今日買って来た本を読み始める。上野千鶴子女史の著書はネタがてんこもり。結局、また、夜中まで読んでしまい寝たのがいつもの時間。


1954年
4月13日日曜日雨のちくもり ×

 店を片づけてから、スポーツセンターに行くと、一本だけソメイヨシノがまだ花をつけていました。

 三時からSくん御夫妻、Kくんとで誕生年のワインということで、ラフィット・ロートシルト一九五四のマグナムボトルを飲む会。我々の生れ年はボルドーは星がひとつという悲惨な年ですが、楽しめました。
 他にはグラシアンのピンクなど。
 その後、歌舞伎町でミホちゃん、チホちゃん母子の帰国祝いでドンチャンやっているデカナベさん、松岡さん、並木さん、本間さん、藤原さん、ハナちゃん御夫妻などに合流。ドンチャン。
一度、店に寄ってから帰宅。


明日への遺言に使用された写真について
4月12日土曜日雨 ×××

 評論家の本郷美則氏(元朝日新聞研修所長)が「正論」四月号の牧野弘道氏(元産経新聞編集委員、父君はレイテ戦における第一六師団長・牧野四郎中将)との対談で指摘しているが、この映画の中に支那上海で線路上にただ一人取り残されて泣叫ぶ赤ん坊の写真が使われています。
 これは、アメリカの写真誌「ライフ」が昭和一二年(一九三七年)一〇月四日号に掲載した有名なものであり、同じく「ライフ」一九三八年一月三日号は「読者が選ぶ一九三七年ニュース物語ベスト一〇」に選びました。
 撮影者は支那系アメリカ人H・S・ワン(王小亭)です。
 そして、フランク・キャプラ監督によるアメリカの宣伝映画「バトル・オブ・チャイナ」。同じくアメリカの小冊子「日本・世界の敵」(Japan: The World Enemy)、「ルック」一九三七年一二月二一日号などの写真、画像を分析した方々より宣伝のために製作されたものであるという意見もある写真です。
 東中野修道氏は小山栄三氏の「戦時宣伝論」(昭和一七年)p一六六よりの引用として下記のことを指摘している。
以下引用
 各国の通信員はいづれも意識すると、しないとに拘らず其の国の利益代表者であるか、叉はセンセーショナルなニュースを巻き起こした、日本軍の爆撃で廃虚になった南京(ママ・上海の間違い?)停車場に唯一人親から離れて迷子となった二つ位の子供の泣いている悲惨な写真がある。
 然しこれは幸にもシカゴ・トリビューン・プレス・サービスのポウェル君がその写真は子供を後から連れてきてポーズさせてとった偽造写真であることを更に写真で証明してるので偽造写真であることを一般人に納得させることが出来たが、これは蒋介石お気に入りハースト系カメラマンとして、満州事変当時から其の辣腕を知られてる「ニュースリール王」(原注「ニュースリールは渾名」)の作品であり、パネー号事件の報道と並んで、米国民の対日感情を急激に悪化せしめたという曰くつきの宣伝写真である。
 支那側は事々に自己の敗戦による悲惨を誇大化して泣訴し、第三国の対日干渉を誘発せんとしてるのだ。この種の「拵へられた」宣伝写真が欧州大戦当時既にどれ程重要な役割を演じたか今猶種々の記録を通じて周く知られてる事実である。
引用終わり
 私は東中野修道氏の著書「南京事件 証拠写真を検証する」(草思社)p八一より引用

 もちろん、この写真について逆の検証もありますが、多くの疑義があるのも確かです。そのような写真を連合軍の戦犯裁判の醜さに対しての抗議の意味で使うのであればそれなりの意味があると思いますが、そうでなく、ただ、爆撃の残虐さを現すという意味で使用したのであれば、このような疑義のある写真を使用すべきではないのではと思います。

河岸からの帰りに地下鉄東西線に茅場町から乗ると、目の前に平気でハンバーガー、ポテトを食べているアホな女性。
 この女性は、食べ終わった後は、化粧を始めました。
 人前で化粧をするのは娼婦というのを聞いた事がありますが、この女性の場合は化粧だけでなく、飯まで食っているのですから、それ以下か?

 一名様来店。Kさん三名様で来店。二名様来店。Sさん来店。一名様来店。Yさん来店。マロさん来店。
 ドンチャン。


 

辛淑玉女史と帰化申請の虚構
4月11日金曜日晴れ ○
 在日朝鮮人ということを免罪符としている姜尚中氏。帰化するつもりもなく、在日朝鮮人のまま特権だけ寄越せと騒いでいる朴一氏や、辛淑玉女史。 その辛淑玉女史は帰化しようとしたが、日本の帰化制度のせいで帰化できなかったと、手元にある自身の著書「韓国・北朝鮮・在日コリアン社会がわかる本」(KKベストセラーズ 一九九五年刊)において下記のように帰化をしようと思った時の事を書いています。
以下引用
 瞬間的に思う事はよくあります。
 在日コリアンであることがプラスになることが少なかったために、日本人になりすます生活が楽に感じられたからです。
 しかし、日本への「帰化」は、諸外国でいうところの「市民権」とは異なり、民族と国籍をイコールで考えています。ですから、日本の国籍を取得することは民族を否定することになるため、どうしても踏ん切りがつかないのです。
 一度、法務省に帰化申請を取りに行った時、日本名は当用漢字など決められた文字を遣うように、との指示をされました。「辛」も「淑」「玉」もすべてその中にあるので、そのまま「シンシュクギョク」でいかがかと申し出たところ「それでは良き日本人になる意思が感じられない」との理由で、申請書さえもらえませんでした。では「譲司」や「真理亜」はどうなのかと食下がったら、怒られてしまいました。
 良き日本人になるのは、日本人以上に難しいものです。
引用終わり
(P一九七)

 そして、こんな辛淑玉女史は何と自身の体験を国会において厚かましくも参考人として開陳しています。
 以下引用
 これは法務省に行った時の話ですが、私は帰化したいと思いました。というのは、百万回帰化したいと思うのですね。それから、帰化した私の周りの朝鮮人たちは威張るんですね。おれは帰化ができる人間だみたいな。結局、自分をそこいらにいる朝鮮人とは違うんだよということを誇りにしたいのかも知れません。
 引用終わり
(一九九九年八月三日、国会衆議院法務委員会議事録第二六号、十六頁)

 <日本への「帰化」は、諸外国でいうところの「市民権」とは異なり、民族と国籍をイコールで考えています。ですから、日本の国籍を取得することは民族を否定することになるため、どうしても踏ん切りがつかないのです。>
 辛淑玉女史は日本国籍取得がどうして、民族の否定につながるのか。当店のお客様で、支那から日本に帰化された方がいらっしゃいますが、その方は支那名のまま帰化されています。在日朝鮮人が普段は通名という偽名をなのり、都合のいい時だけ朝鮮を振りかざす方がよほど民族の否定ではないでしょうか。
 <良き日本人になるのは、日本人以上に難しいものです。>と辛淑玉女史は書くが、在日朝鮮人の帰化申請は一九九五年ですら一〇三二七人中九三人とわずか一%未満が不許可になっただけであり、九九%が認められている。
九十九%が許可になる現在の帰化制度を「良き日本人になるのは、日本人以上に難しいものです。」と流石は偽証が我が国の六七一倍(朝鮮日報二〇〇三年二月一三日)という民族の特徴はこういうところにも現れている。

 辛淑玉女史によるアホな本「韓国・北朝鮮・在日コリアン社会がわかる本」につきましては私自身の
感想がございますが、辛淑玉女史の「帰化申請体験キャンペーン」の虚構については、自身も帰化した体験を持つ朝鮮系日本人である浅川晃広氏が著書「在日論の嘘」に下記のように書いています。
<まず、「法務省に帰化申請を取りに行った」という記述が、信憑性に欠ける。帰化申請は、法務省民事局の出先機関である「法務局」に出向き、そこで必要書類を取りまとめ、正式に申請し、法務局での調査を経て、申請書が法務省本省に送られ、最終的には法務大臣の決裁の後、官報告示を経て正式許可となり、本人に通知される。
 このため、申請者本人は絶対に「法務省」に行く事はない。おそらくは「法務局」の誤解だと思われる。
 そして、この「申請体験」の最大の問題点は、「いつ」のことかが全く触れられていないことだ。
引用終わり
 
 そして、浅川氏は同じ著書で、辛淑玉女史が他の本(「月刊民主」一九九三年三月号のちに「福島瑞穂の新世紀対談」明石書店刊に再録)での帰化申請体験談も問題にしている。
 辛淑玉女史は帰化申請を何回かしたことがあり、弁護士と一緒に行ったが、結局必要な書類も全部くれなかった。お金があっても、自分の家がないといけない。最期に警察の地域社会に対する聞き込み調査がある。などと福島瑞穂女史との対談で述べている事の内容の嘘について指摘しています。
 まず、ここでも「いつ」という時期に触れていない。帰化申請では行政書士に依頼したりすることはあるが、弁護士はまれである。申請行為そのものは自分でしなければならないもので、通常の帰化申請でほとんど考えられない異常な行為とまで書いています。
 そして、「お金がないと帰化できない」「家がないと帰化できない」についても大いに疑問であるとして、朝鮮人帰化許可者の例として、主婦、学生、パート、アルバイト、無職までいることをあげています。
 警察による調査についても、法務局担当員による調査が申請者本人に対する訪問調査が行われたのが一〇%未満の例をあげて、多くの申請者にはその訪問調査すら行われていない現状において、警察のしかも地域社会に対する聞き込み調査というのはあまりにも現実離れしていると書いています。
 ましてや、辛淑玉女史はあの上野千鶴子女史との共著「ジェンダーフリーは止まらない」(松香堂書店刊)では「申請書が通った後に、公安の調査が入るわけですよ。これがまたひどいんです」(P一〇四)と福島女史との対談時の「警察の聞き込み」から「公安」まで一気にレベルアップしているそうです。浅川氏は二〇〇二年現在の一四三三九人という膨大な帰化申請者数をあげて、あまりにも酷い実態との懸け離れた辛淑玉女史の発言の問題点を指摘しています。  
 そして、浅川氏は辛淑玉女史の自ら帰化申請しなかったことに正統性があり(判明しているのは二〇〇一年三月二二日の福島瑞穂女史の国会での発言により一九八七年ころというのみ)
「民族性を否定する」帰化制度、日本政府こそ問題であると煽動する辛淑玉女史の姿勢を批判しています。
 
 先日の日記にも書きましたように、外国人が日本人になるのに、審査がありその審査がある程度厳しいのは当然であり、他国ではその審査が厳しくなっているのが現実です。このような反日を商売にして、我が国でのうのうと生きている面の皮の厚いこのような人間が朝鮮系日本人になっても我が国にとって害になれこそすれ、国益になることは万に一つもありえないでしょう。
 辛淑玉女史、本当に在日朝鮮人の人々にとっても恥ずかしい存在の人間だと思います。

 Kさん、Yさん来店。Sさん二名様で来店。バンブーさん来店。一名様来店。Iさん三名様で亜移転。Oさん来店。Hさん来店。Yさん三名様で来店。一名様来店。二名様来店。二名様来店。
今日はメチャ忙しい。明日は嵐か・・・・・・

軍艦旗の秘話
4月10日木曜日雨 ××××

 「敵兵を救助せよ」「誰も書かなかった沖縄」などの著書のある恵隆之介氏は沖縄ゴザ市生まれで、防衛大学卒業後、海上自衛隊にて勤務された方ですが、自らの体験として、海上自衛隊の練習艦隊が入港した英国ポーツマスの英国海軍訓練支援艦L一一(一三〇〇〇トン)士官室にて、リチャード・ルキモ海軍大尉よりの激励を受けたことを著書に書いています。それは「恵少尉、われわれは日本海軍を尊敬している。ドイツが戦後海軍旗を変更したが、海上自衛隊は、帝国海軍旗を世襲した。われわれはこの事に最も敬意を表している」という事でした。
(「敵兵を救助せよ」草思社刊 P三二四)
 
 その軍艦旗についてのエピソードが先日(四月二日)の産経新聞に「軍艦旗救った画家の良心」と題された野口裕之氏の記事が掲載されていました。
以下、全文を引用掲載させていただきます。
 海上自衛隊のシンボル「十六条旭日旗」には秘話がある。海自で事件・事故が続いた、この時期だからこそ紹介したい。海上自衛官に、誇りを取り戻してほしいからだけではない。国民とメディアに「国軍」の重みを知ってもらいたいのだ。
 日章から16条の旭光が出ている、きらびやかで、しかも雄雄しいこの旗はかつて大日本帝國海軍の「軍艦旗」であった。軍艦は国家の延長とされ、国外では不可侵権など大使館同様の特権を持つ。大きな権能を有する軍艦の証が軍艦旗である。今も昔も、軍艦旗を掲揚する艦艇に行き会った民間船は自らの国旗を少し下げ、元の位置に戻す、敬礼をする海の慣行がある。領海では各国の警察権が及ぶが、公海では伝統的に軍艦が“警察権”を担保してきた。そうした軍艦の役割に敬意を表しているからだ。
 国内法上は「自衛艦」と呼ばれる海自艦艇も国際法上は軍艦として扱われる。当然、軍艦旗を掲げねばならないが、軍艦と呼べないため「自衛艦旗」と命名された。歩兵を「普通科」と呼ぶなど軍隊色を薄めるための小ざかしい詭弁(きべん)が戦後ずっと、日本語としてまかり通っている。
 ところが、である。かくも屈辱的な境遇にあって軍艦旗は今も、海自艦艇に自衛艦旗として翩翻(へんぽん)と翻っている。
 昭和29年7月の防衛庁・自衛隊創設を前に、防衛庁設置法や自衛隊法の研究を始め、旗章も全面見直しとなった。海自の前身・保安庁警備隊内外の意見を聞いた結果、軍艦旗復活が多数意見だと判明。
 一方で戦後の情緒的な反軍平和の世論が軍艦旗復活に反対するのでは−との危惧(きぐ)もあった。そこで@直線的A単色B一目瞭然(りようぜん)CすっきりD士気高揚E海上部隊を象徴するF視認性−を条件に考案する方針になった。
 方針を受け東京芸術大学の意見を聞いたところ「軍艦旗は国旗との関連や海の色との調和など、条件を満たしている」との回答を得た。そして米内穂豊画伯に図案作成を依頼。画伯は悩み抜いた末、結論に至る。
 「軍艦旗は黄金分割による形状、日章の大きさ、位置光線の配合など実に素晴らしいもので、これ以上の図案は考えようがない。それで、軍艦旗そのままの寸法で1枚書き上げた。お気に召さなければご辞退致します。画家としての良心が許しませんので」
 “画伯の作品”は「創設する海自への影響」「国民感情」などを焦点に庁議にかけられたが、保安庁長官は裁可した。詰まる所、旗の持つ動かしがたいきらびやかさ、雄雄しさ、芸術性は敗戦で自信を失った関係者の心を揺さぶり、引いてはならぬ一線=誇りの存在を気付かせたのではないか。海軍魂の象徴・軍艦旗の消滅を惜しんだ海軍OBや芸術家、官僚らが期せずして心を一にし阿吽(あうん)の呼吸の結果、軍艦旗を自衛艦旗として蘇生(そせい)させたのではないか。
 自衛艦旗を最終的に承認した吉田茂首相も「呼吸」を共にした一人に違いない。説明を聞いた首相は、こう語っている。
 「世界中でこの旗を知らぬ国はない。どこの海に在っても日本の艦だと一目瞭然で誠に結構だ。海軍の良い伝統を受け継ぎ、海国日本の守りをしっかりやってもらいたい」
 吉田には安全保障を犠牲にし経済復興を優先させたという批判も一部にある。だが、この言葉には敗戦への悔しさと、米英と同じ海洋国家であることへの矜持(きょうじ)を感じてしまう。(野口裕之)
引用終わり

 <阿吽の呼吸の結果、軍艦旗を自衛艦旗として蘇生させたのではないか。>
 なんとも、いい話です。
 そして、<日章から16条の旭光が出ている、きらびやかで、しかも雄雄しいこの旗はかつて大日本帝國海軍の「軍艦旗」であった。軍艦は国家の延長とされ、国外では不可侵権など大使館同様の特権を持つ。>
 このことは世界各国何処の国でも当たり前の事であり、我が国が自衛艦を軍艦として認識し、その感覚を持っていれば、あのイージス艦と接触した漁船のような事故もなかったわけです。
 あの漁船の御遺族が「タマシイ」が宿っているからと発見された操船部分を引き上げないでくれと言い、それに対して同じ海に生きるものとして気持ちはわかるという捜索側のコメントが随分前の新聞にでていましたが、マジかいと言いたい。事故のその真相が解る可能性が高い操船部分を引き上げないでくれと言ったのは御遺族の保険会社に対して 過失という真相がわかったら困るということがあったのではないのでしょうか。それでなかったら、あれほどの捜索をする前にそういうふうに言っていたと思います。
 何度もこういうふうに書くと、御批判もあるでしょうが、私は泳げもしない自分の息子に対してライフジャケットも着用させていないアホ船長がまともな操船をやってきたとは到底思えません。そんな考えも持たないアホな船長が起こした起こるべきして起こった事故なのです。

 河岸から帰ってきて仕込みをしていると、クレジットカード会社から電話があり、河岸の場内にある銀行さんに落っことしてあって、親切な方が届けてくれたそうな。そのカードは使用停止にし、新しいカードを発行してくれるそうな。
 銀行に行った時にキャッシュカードを出した時に落としたのでしょうが、電話をいただくまで全く気付きませんでした。ヨッパラッテなかったんですが・・・・・・・


 新酒が出始める時期です。今日は初亀の出品酒。限定三〇本ほど。今年初めてという御湖鶴の山田錦三五%純米大吟醸生は限定一二本だそうな。ラベルに本数が書いてあるのでは私がいただいた酒では最小本数かも・・・(初亀さんの出品酒で限定一本とかありましたが、ラベルに書いてなかったし)

 現在デジカメがダメなので、携帯電話で初めて店内で撮影したがそれなりに写る。買った時は高かったデジカメ・・・・


 今日はめちゃヒマ。ひょっとして今年初めてのゼロかと思っていたら、N議員がIさん、秘書のAさんの三名様で来店。前回御来店頂いた時は、開店前で失礼をしていまいましたが、今日は貸し切り状態。当然、私も参加させていただきドンチャン。N議員は「中国を糾弾する緊急国民集会」に参加してからの帰りだったそうで、その集会には国会議員はN議員以外にはだれも参加していなかったそうな。対馬に行かれた時のお話を伺ったが、対馬はある意味現在の我が国がおかれている状況の縮図。この危機感を感じている国会議員はどれほどいるのであろうか。支那大好き、朝鮮大好きで我が国を守れると思っているのであろうか。それとも、自分達の子孫の代に現在のチベットと同じ状況に我が国が置かれてもいいと思っているのであろうか。

 そういうわけで、今日は店としてはヒマであったが、私にとっては大変ありがたかった。
 
 営業終了後、阿佐ヶ谷の「ひげ」さんに酒持ち込みでおじゃましてドンチャン。ひげのマスターともう一件おじゃましてドンチャン。
 サル・・・・・・寝る前にアミノバイタル飲めませんでした。←わかる人にはわかる・・・・


 

またも
4月9日水曜日晴れ △

 青森県陸奥湾のホタテ漁船の遭難事故において、ライフジャケットを着用していれば、少しは違った展開になったかも知れないと思います。私の短い経験からでも、海はあっという間に姿を変えます。そんな海上での事故の時に、少しでも生存率をあげるための装備、設備などがあります。ライフジャケットはその中でも一番手軽に生存率を上げる事ができるものです。それを着ける心構えさえあればいいのですから。ライフジャケットなど着用して仕事などできるかというアホな漁業従事者の人もいるが、そんな事は絶対にない。あのイージス艦との衝突で行方不明になった船長は泳げない息子にそれを着用させずに乗船させていました。船長として失格です。

 今日は河岸が休みなので、午後からスポーツセンターに行く。いつも一緒になるナカちゃんが、いつもと違ったやり方を取り入れているので、私もマネをさせてもらう。筋力トレーニングは追い込みが必要となるが、そのやり方は色々あるので、自分にあったと思うものをやっている。ナカちゃんがやっていたのは、ベンチプレスの一セットが終わる度に、すぐに腕立て伏せ。もちろん、ベンチプレスで上がるだけの回数をやっているので、腕立て伏せは数回というか笑う程の回数しか出来ないが、これにより、より追い込む事ができる。
 私の場合は、最近というかここしばらくベンチプレスはスロートレーニングでやっているので、潰れてからの二回を補助についていただいた方に助けていただいて上げる事により追い込んでいる。補助のつかないというか補助が難しいインクラインベンチプレスの時に取り入れてやってみることにする。
 
 初めてのお客様Yさん三名様で来店。Nさん来店。一名様来店。Kくん、マルガリータさん来店。ジャンさんフランスから来日のお父上とともに五名様で来店。
 ドンチャン。記憶は珍しくあり。今日はサルよりまし。


山下泰裕氏と日の丸君が代
4月8日火曜日雨のちくもり ○
 日の丸、君が代について、柔道の山下泰裕氏について、産経新聞ワシントン駐在編集特別委員・古森義久氏は産経新聞のコラム「あめりかノート」に山下氏が二月下旬、ワシントンを訪れた際、「ワシントン日本語継承センター」という米国定住の日本人や両親の一方が日本人の子供たちが主対象である日本語学校に招かれ講演した時に、「オリンピックで優勝し、君が代を聞き、日の丸をみたときが一番うれしかった」という結びの講演だった。そして、山下氏らが「継承センター」を去るとき、生徒たちがさっと起立して、代表が「ではわたしたちからのプレゼントです」と述べ、みんなが君が代を斉唱し、通っている米国人子弟の姉妹も山下氏もいっしょに君が代を歌っていた事が書かれていました。(産経新聞平成二〇年三月二四日)

 日の丸、君が代という国旗、国歌についていろいろいう人が多いが、自国の国旗国歌を大切にするのは当たり前の事であり、それは他国の国民も同じです。つまり、自国の国旗国歌に敬意もはらえないような人間が他国の国旗国歌に敬意もはらえるはずもない。

 どうして、国旗国歌を大切にするか。それは「国家は自明のものではない」つまり、その時々の主権の行使によって国家(領土・国民)は拡大もし、縮みもする。戦前、戦後のわが国の例をあげながら、八木秀次高崎経済大学教授は「国家は自明の存在でなく、生成概念だと考えるべきなのであるとし、世界中のほとんどの国はそのことを理解している。だから『国民』であることを意識するために国旗や国歌を重要視する。意識しなければ国家は容易に解体すると考えているからだ」と書いています。(正論二〇〇八年五月号p三九)

 「修身の教科書」には「国旗を大切にする」として、次のような文章が掲載されていたそうです。
<日の丸の旗は、日本のしるしですから、私たち日本人は、だれでもこれを大切にします。それと同じように、外国の人も、自分の国の国旗を大切にします。私たちは、外国の国旗にも、礼儀を失わないように心がけましょう。>

 先日の毎日新聞の湯谷茂樹記者が書いていた不起立で処分される根津公子という教師の「不起立は、根津さん個人の思いに基づく行動だ」というのが教師としてどれほど不適格な事かよくわかります。根津女史はモラルを持ち合わせていない、日本国民でない日本を崩壊させる人間を作る事に一生懸命になっていたのです。
 そのイデオロギーからなんとなく一生懸命になっていた理由がわかります。

  日の丸、君が代という国旗、国歌に反対する朝日新聞、社民党、日教組を始めとする連中は、日本という国家の解体を狙っている売国奴連中といっても言い過ぎではないのです。

 どういうわけか、朝日新聞の社旗は軍艦旗そっくりですけど・・・・・

 昨日からの雨は築地からの帰りも降り止まず。
 築地に今の季節のものとして桜海老の釜揚げが入っていたので、買ってくる。お通しとしてワサビの茎を湯引して醤油につけたのを刻んで、大根おろしと混ぜたものをのせて出すことにする。
 今日はメチャヒマ。お一人様来店。大台さん二名様で来店。
ということで?飲む。昨日、一昨日と飲んでいなかったのと、明日が河岸が休みということでよけいにグイグイ。

 

青い目の日本人の「愛国者の流儀」
4月7日月曜日晴れのち雨 ○ 

 昨日、高田馬場の芳林堂さんで購入した本のうちの一冊であるビル・トッテン氏という米国系日本人の方の著書「愛国者の流儀」が面白かったです。アメリカのカリフォルニア州に一九四一年に生まれたビル氏は、来日して三八年たった二〇〇六年八月に日本に帰化しましたが、その時の動機書が掲載されていました。
 以下引用
 ここに日本国籍をいただきたい理由を説明します。
 私は昭和四四年に二八歳で来日して以来、これまでの人生の半分以上の三六年間を日本で生活しています。今後も日本以外の国に住みたくありませんし、ほかの国に行きたいとも思いません。
 私の妻も京都生まれの日本人で、同様に日本以外(京都以外)に住みたいと思っていません。
 私の二人の娘も日本人で、日本生まれの日本育ちです。次女は高校と大学はアメリカに留学し、卒業後一橋大学の大学院を出て、アメリカ人の夫と上海に住んでいますので、日本語も英語も十分ですが、長女は一年間のアメリカでのホームステイ以外ずっと日本にいますので、日本語しか話せませんし、日本以外の国に住みたいと思っていません。
 私の多くの友人は、この三六年間に出会った日本人たちです。 
 私は昭和四七年に日本で株式会社アシストを創立し、その後ずっと代表取締役を努めてきて、まだまだたくさんやるべき仕事があります。
 現在七〇〇人の社員を抱え、たくさんの会社にうちの商品を扱っていただいており、これからも私が守っていくべきと思っています。
 しかし、日本に住み続けることができれば、これらのことは日本国籍がなくても解決できます。日本国籍をいただきたい最大の理由は精神的な理由です。
 生まれた国よりもどの国よりも日本を愛しています。私の一番大事な人々は、日本に住む妻、子供たち、友だち、そして仕事の仲間です。私は自分をアメリカ人というより日本人だと思っています。もし日本がいつかアメリカや他国ともめることがあれば、私は間違いなく自分のすべての力を使って日本と日本にいる妻や子供や友だちや仕事の仲間を守ります。ですから私は、アメリカに誠実な国民ではありません。日本以外の国に誠実にはなれませんので、日本国籍をいただきたいと思います。
引用終わり
(「愛国者の流儀」PHP研究所刊P一九〜二一)

 そして、ビル氏はその後にこう続けています。
「これが私の偽らざる思いである。私の外見は、どこからどう見ても青い目の外国人であろう。しかし、その心情は日本を愛し、日本人を愛している。『帰化の動機書』にも書いたように、日本が他国と争いごとに巻き込まれたら、たとえその相手が私の出身国アメリカであったとしても、私は日本に加担するだろう。なぜなら、私は『日本人』だからである」

 現在多くの支那人、朝鮮人が帰化している。そして、今以上の帰化手続の簡略化も叫ばれているが、それらの人々の中で、このビル・トッテン氏のような日本に対する思いで帰化している人はどれほどいるのであろうか。
帰化を簡略化し、日本を母国と考えない、日本も愛してもいない外国系日本人を増やしても、わが国にとって害になることはあっても、国益にはなりはしないでしょう。
 ビル・トッテン氏はこの著書で、戦後の西洋文化至上主義への警告、アメリカによるわが国への洗脳などについても書いています。

 朝起きてから風呂に入った後、銀行に行き、帰りに古本屋さんに寄る。その古本屋さんで、あの売国奴でバチが当たっておっ死んだ松井やより女史が中心となって開催した「日本軍性奴隷制裁く女性国際戦犯法廷」について寄稿している「世界」を見つけ購入。気狂いネタとしてめちゃ面白そう。他には「週刊新潮が報じたスキャンダル戦後史」(新潮社)これも当時の写真も多く掲載されており面白い。何と言っても帯の「人は所詮、金と女と権力欲! 昭和三一年から五〇年、書き続けた美談と常識の裏側」というのが楽しい。

 やっぱり、背中など上半身のあっちこっちが筋肉痛・・・今日こそは早く寝るつもりが、いつもどおりの時間。


大御所
4月6日日曜日晴れ
 ○
店を片付けてから、スポーツセンターに行くために神楽坂の駅に行く途中に「天才 アラーキー」氏御一行に遭遇。現在、産経新聞にコーナーを持って、ここしばらく神楽坂界隈の写真を掲載しているが、まさに御一行様というような感じ。大御所ですから・・・・・
 今日もスロートレーニング。帰りに高田馬場にある方林堂により、立ち読みをした後に「台湾と日本人」「未帰還兵」など数冊購入後帰宅。
 久しぶりだし、また明日あたりあっちこっち痛いいんだろうな・・・・
 

4月5日土曜日晴れ ×
 Sさんの御母堂の告別式出席のため府中へ。帰りに立川へ寄り、マルガリータさんに歯の治療をお願いする。
 横浜からのお客様来店。Mさん初めての来店。Kさん、Sさん来店。ハナちゃん来店。ハナちゃんは二ヶ月後にはインドネシア赴任だそう。
ドンチャン。

4月4日金曜日晴れ ×
バンブーさん来店。一名様来店。江上さん三名様で来店。AIKOさん二名様で来店。塩月さん二名様で来店。
 ドンチャン

 

4月3日木曜日晴れ ×
 青森から伊勢先輩が来店。今回は奥様とお二人のお子さんも御一緒。伊勢先輩には大学時代に随分お世話になる。
 Mさん来店。Fさん二名様で来店。四名様来店。金ちゃん、RIEちゃん、マロさん来店。

毎日新聞 湯谷茂樹記者
4月2日水曜日晴れ ×
 毎日新聞の湯谷茂樹記者が、当店のホームページにも取り上げさせていただいている反日教師根津公子女史が首になる事について残念がっております。
(しかし、グ−グルで「湯谷茂樹」と入れると、<ウソ、バカな事も何百回も繰り替えして言っていると、こんな気狂い女性から影響を受けるアホな記者まで現れます。>という「歴史の経験者」と題されたこの湯谷記者が書いたアホな記事についての
当店のホームページが一番最初にくるのがなんとも痛々しい・・・・・)

 以下引用
 
記者の目:君が代 不起立で処分される教師=湯谷茂樹
・卒業式で「君が代」が斉唱される約1分間の不起立を理由に今春、一人の東京都立校教師が学校から追われようとしている。卒業・入学式で国旗掲揚・国歌斉唱を実施するようにとの指導が強まり、反対してきた教師が次々に起立・斉唱に転ずるなか、この教師は、自らの良心に従って不起立を貫いてきた。その姿は、周囲をうかがい迎合するのではなく、勇気を持って行動することの大切さを教えているようにも見える。この静かな不服従に東京都教育委員会が免職や停職処分で臨むことは、はたして適切な教育行政なのだろうか。

 教師の名は根津公子さん(57)。都内の公立中で家庭科を教え、平和教育にも取り組んできた。 昨春から都立南大沢学園養護学校で勤務している。
 根津さんは不起立の理由を「『自分の頭で考えて、おかしいと思ったら、やらない。正しいと思うことだったら、一人でも行動すべきだ』と生徒たちに語ってきた自分の教育に反してしまうから」と説明する。
略)
 国旗・国歌法成立時の官房長官だった野中広務・元自民党幹事長も「東京の処分は間違い。私は答弁で、人の内心まで入ってはいけないと言った」と批判する。

 不起立は、根津さん個人の思いに基づく行動だ。
略)
 君が代不起立は、授業をしないとか、生徒を傷つける言動を繰り返すといった事案とは異なる。処分を巡る司法判断は分かれるが、「10・23通達」を違憲とした06年9月の東京地裁判決が「皇国思想や軍国主義の精神的支柱として用いられ、現在も宗教的、政治的に価値中立的なものと認められるまでには至っていない」と君が代について指摘したように重い歴史のある問題だ。
略)
 私たちは、多くの命が奪われたアジア・太平洋戦争から、「お国」も間違うことを学んだ。国旗・国歌はそれぞれ歴史を持つ「お国」の象徴だ。国民それぞれに思いがあるのは自然だ。
 「良心に基づく不服従」への処分は、東京都だけの問題ではない。日本社会のありようが問われている。(大阪編集局)

引用終わり
毎日新聞 2008年3月26日 0時05分
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20080326k0000m070139000c.html

 この湯谷という人は、このように書きながら、では、他国の国旗、国歌にも敬意を表すということをどのように考えているのであろうか。自分のイデオロギーを教育現場に持ち込み、先生として生徒にもそのように指導していくのが正しいことなのであろうか。
 このような気狂い教師の態度が問題視されて当然でしょう。それを「良心に基づく不服従」と書くアホ新聞記者。

 Wさん来店。初めてのお客様Uさん三名様で来店。一名様来店。靖國神社の薪能の帰りというANNAさんとMAYUNAさん和服で来店。大台さん来店。
ドンチャン。記憶なし・・・・・・



甘酒の作り方
4月1日火曜日晴れ △

 今日は初亀の蔵元橋本社長より「純米大吟醸 亀」の酒粕が届く。松の司の松瀬社長、美丈夫の濱川社長からも酒粕を送っていただきました。ありがとうございます。
 私は酒粕は魚を漬けたり、青梅などを漬けるのですが、今回、橋本社長は「甘酒の作り方」というのを同封してくださいました。
 下記にそのパンフレットをスキャンしたものを載せさせていただきます。甘酒を作られる方はご参考になさってください。
 ちなみに、御送り頂いた酒粕はまだたっぷりとございますので、御希望の方は、来店時におっしゃっていただければと思います。

 花見時期は毎年そうですが、めちゃヒマ。本日も遅い時間までお客様はゼロ・・・Yさん三名様来店。Mさん来店。
 今日は飲まず。


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