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モルジブ(モルディブ)

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成17年2月17日木曜日晴れ ○ 18日め!!!!
 地球温暖化防止のための京都議定書は16日発効しましたが、その京都議定書には最大の二酸化炭素排出国である米国が参加していません。それに比べて我が国は厳しすぎるノルマを課されています。温暖化による海面上昇で水没の危機があるとされる島国モルディブでは、国を挙げて京都議定書発効を待ち望んでいます。
 インド洋の宝石と称されるモルディブはほとんどの地域が海抜1メートル程度のこの国は、昨年12月のインド洋大津波の際は、国土の約4割が冠水したとされています。一番おおきな島である首都のマレは70%が海水に浸かるという大きな被害を受けながら、奇跡的に死者はありませんでした。
これには我が国よりの20年前からのODAによるテトラポットなどの消波ブロックなどの沿岸工事が波のエネルギーを分散させた結果です。
建設には大成建設が施工したそうです。
このことにより、元々親日的な国民性だそうですが、日本のODAをモルジブの国民のみなさんは感謝してくれているそうです。
6兆円以上の援助をもらいながら、感謝もしない支那とは大きな違いです。

下記はすっかりインターネットでは有名になりましたが、そのモルジブの様子を伝える毎日新聞の記事です。
以下引用
【マレ(モルディブ)福本容子】
「日本の支援がなかったら、マレはなくなっていただろう」−−。
モルディブの人口の約3分の1が住む首都マレでは、日本からの公的支援で建設された防波壁が、島を津波の大惨事から守ってくれたとの見方が広がっている。
海抜1メートル程度しかない約1200の島々から成る同国は地球温暖化の進行で国全体が沈みかねないとの不安を抱え、常に海面上昇への恐怖と隣り合わせで生きてきたが、88年以降、進めてきた首都の護岸工事が壊滅的な被害を回避するのに貢献したと、島民は口々に語った。
災害対策本部の置かれたマレ市のイスカンダール小学校校庭でボランティア活動を指揮する元オリンピックマラソン選手のフセイン・ハリームさん(35)。
彼になぜマレは3分の2が冠水しながらも死者が出なかったのだろうと尋ねた。
するとすぐに答えが返ってきた。
「10年以上かけて作った防波壁が大いに助けになった。日本の援助のおかげだと聞いている」
その防波壁を見たくて市南部の海岸まで案内してもらった
タクシー運転手のアハメド・シャフィールさん(30)も「日本が作ってくれたあの壁がなかったら今ごろマレはもうない」と語り、「助けてくれた日本人からこんな時に金を受け取るわけにはいかない」と決して料金を言ってくれなかった。
大統領府によると、日本はモルディブ最大の援助供与国で13年をかけた
防波壁工事の費用6600万ドルの主要部分を日本の援助が支えたという。
南部の海岸通りには、「日本とモルディブの友好のため日本政府が提供した支援で作られた」と消波ブロックに記した記念碑が海に向かって建っていた。毎日新聞 2004年12月28日


※モルジブODA「第四次マレ島護岸建設計画」資料

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/anken/gaiyou/odaproject/asia/maldives/contents_01.html#m011201
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/anken/zyoukyou/h_13/010619_1.html


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