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マハティール元マレーシア首相の演説

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


平成16年10月15日月曜日晴れ
 下記は手元にある「情報鎖国・日本 新聞の犯罪」(高山政之著 廣済堂出版)のP一二五〜一三二に掲載されていた香港でのマレーシアのマハティール元首相の演説ですが、元はSAPIO一九九九年四月一四日号に掲載されたものだそうです。


以下引用
 過去のヨーロッパ中心の世界では、東アジアとは即ち極東だった。そして極東は、異国情緒あふれる中国と龍のイメージ、お茶、阿片、高級シルク、風変わりな習慣を持った珍しい人々など、奇妙で神秘的な引用を思い起こさせる場所だった。
 いまや極東は東アジアになり、気の毒だがヨーロッパのロマンチストの興味の対象は減った。その代わりに政治家とエコノミストの関心の的になっている。ヨーロッパがアジアに対して懸念を抱いている事実は、この地域が、すでに今世紀前半の日本軍国主義以上に深刻な脅威になっていることを示唆している。こうした見方の底流には、不信感と恐怖がある。その理由は、東アジアの人々が自分達と異なっている、つまりヨーロッパ人ではないという点にある。
 
 そのため、第二次世界大戦の枢軸国であったヨーロッパのドイツとイタリアが平和国家になって復興、繁栄するのは応援、歓迎されたのに、同じように平和国家となった日本と極東の「小さな日本」の経済発展はあまり歓迎されないように見える。
 それどころか、ヨーロッパとヨーロッパ社会を移植したアメリカはともに、様々な手段を使って東アジア諸国の成長を抑え込もうとしてきた。西側の民主主義モデルの押し付けにとどまらず、あからさまに東アジア諸国の経済の競争力を削ごうとしてきた。
 これは不幸なことである。東アジアの開発アプローチから、世界は多くのことを学んできた。日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術力とエネルギーを貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。
 質をおとすことなくコストを削減することに成功し、かっては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは、日本人である。まさに魔法もつかわずに、奇跡ともいえる成果を創り出したのだ。
 日本の存在しない世界を想像してみたらよい。もし日本なかりせば。ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。欧米が基準と価値を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界中の国はその価格を押し付けられていただろう。


 自国民の生活水準を常に高めようとする欧米諸国は、競争相手がいないため、コスト上昇分を価格引き上げで賄おうとする可能性が高い。社会主義と平等主義の考えに基づいて、労働組合が妥当だと考える賃金を、いくらでも支払うだろう。
 ヨーロッパ人は労働側の要求をすべて認め、その結果、経営側の妥当な要求は無視される。仕事量は減り、賃金は増えるのでコストは上昇する。貧しい南側諸国から輸出される原材料品の価格は、買い手が北側のヨーロッパ諸国しかないので最低水準に固定される。その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。輸出品の価格を引き上げるかわりに、融資と援助が与えられる。
 通商条件は、常に南側諸国に不利になっているため、貧しい国はますます貧しくなり、独立条件はいっそう失われていく。さらに厳しい融資条件を課せられて<債務奴隷>の状態に陥る。
 北側のヨーロッパのあらゆる製品価格は、おそらく現在の三倍にもなるため、貧しい南側諸国はテレビやラジオも、今では当たり前の家電製品も買えず、小規模農家はピックアップトラックや小型自動車も買えないだろう。一般的に、南側諸国は今より相当低い生活水準を強いられることになるだろう。
 南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の誕生もありえなかっただろう。多国籍企業が安い労働力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争せざるを得なくなったからに他ならない。


 日本との競争がなければ、開発途上諸国への投資はなかった。日本からの投資もなっから、成長を刺激する外国からの投資は期待できないことになる。
 また、日本とのサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸国は模範にすべきものがなかっただろう。ヨーロッパが開発・完成させた産業分野では、自分達は太刀打ちできないとと信じ続けただろう。
 東アジアでは、高度な産業は無理だった。せいぜい質の劣る模造品を作るのが関の山だった。したがって西側が懸念するような「虎」も「龍」も、すなわち急成長を遂げたアジアの新興工業経済地域(NIES)も存在しなかっただろう。
 東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国は、あえて挑戦し、自分達も他の世界各国も驚くような成長を遂げた。
 東アジア人は、もはや劣等感に苛まれることはなくなった。いまや日本の、そして自分達の力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
 もし日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していただろう。富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言って過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、錫を掘り、それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けていただろう。
 このシナリオには異論があるかもしれない。だが、十分ありうる話である。日本がヨーロッパとアメリカに投資せず、資金をすべて保有していたらどうなるか想像すれば、その結果は公平なものになるのではないだろうか。ヨーロッパ人は、自国産の製品に高い価格を払わねばならず、高級なライフスタイルを送る余裕がなくなるだろう。
(略)
 実のところ、ヨーロッパ人は身分不相応に暮らしている。ヨーロッパ人は、仕事量が非常に少ないにもかかわらず、あまりにも多額の賃金を受け取っている。ヨーロッパは世界の他の国々が、この浪費を支持してくれると期待することなどできない。ヨーロッパ諸国は、国民のために高い生活水準とより健康的な環境を求めているが、犠牲を払おうとはしない。
 「ヨーロッパは、もっと低い生活水準を受け入れ、環境を維持すべきだ」と提案されたとき、ヨーロッパ諸国は激しい不快感を示した。だが、ヨーロッパは、北側諸国の環境維持に必要だという理由で、貧しい国々に国内の天然資源を開発しないように求めている。それは要するに、「貧困国は富裕国のために犠牲になれ」ということである。しかし、豊かな国々は、何の犠牲も払おうとしない。
 
 アジア諸国が「ルック・ウエスト」で欧米に指導やモデルを仰いだ時期があった。いまやヨーロッパが逆に「ルック・イースト」で、逆にアジアにそれらを求める時期が来ているのかもしれない。
 
 皆さんが私を、東アジア人とみなすかはわからない。どちらであれ、私は自分の見解が「私は東南アジア人であるだけでなく、発展途上国の出身でもある」という事実に影響を受けていることを認めなければならない。
 マレーシアは、ある野心を抱いている。私たちは、いつの日か先進国になりたいと考えており、不必要に妨害されて不満を感じている。私たちは自由貿易と公正競争の妥当性を信じている。
 ASEANの経験によって、友好的な競争と互いに学び合おうという意志があれば、経済成長を促進することができるとわかった。東アジア諸国が競争しながら学ぼうという意志をもっていれば、同じ結果を達成できるだろう。ヨーロッパ〜東アジア間の公正競争と協力を発展させれば、すべての国々が繁栄するうえで役立つだろう。
 たとえヨーロッパやアメリカが保護主義を採用しても、東アジアは保護主義に頼らないだろう。東アジアには競争力があり、そのことをはっきりと証明している。
 たとえば一九六〇年には、東アジア全体のGDPはECの四二%、アメリカの二三%、NAFTAの二一%だった。一九九〇年には、それがECの六七%、西ヨーロッパの四七%、アメリカの七三%、NAFTAの六四%に達した。
 東アジアの域内貿易も、絶対額と世界貿易に占める割合の両方で成長している。東アジアは、保護主義に頼ることなく、しかも多くの障害をものともせず、これを達成したのである。
 その課程で東アジア諸国は、自国民だけでなく世界中の貧困者の生活の質を高めた。東アジアの他の国々も程度の差こそあれ達成することができたのである。同様にヨーロッパもそうすることができる。
 この成功の主な要因は、高い生活水準を維持する余裕のない時期には低い生活水準を受け入れようとする意志である。東アジア諸国は進んでそうしている。無理して高い生活水準を維持すれば、競争力を失ってしまう。
 むしろヨーロッパ人のほうが、自分達のやり方が賢明なものかどうか自問し、現実を受け入れなければならない。そうすれば、ヨーロッパと東アジアは相互の利益のために協力することができる。
 ただし、どのような事情があっても、東アジアの成長を止める事はできない。東アジアには、発展する権利があるのだ。
 (欧州・東アジア経済フォーラム 一九九二年一〇月一四日 香港にて)
 「情報鎖国・日本 新聞の犯罪」(高山政之著 廣済堂出版)のP一二五〜一三二

 著者の高山氏は続けて下記のように書いています。

以下引用
 マハティールの主張の素晴らしさは、歴史を実に公平に見ていることだ。
 日本と、それまで『政治的禁治産者』と見下されてきたアジア諸国が、独立後に示した力を率直に見つめた。その上で、それまで世界が、というか欧米が禁句にしてきた二〇世紀における日本の歴史的位置、評価をはっきり口にした。
 このマハティール演説では、話が進むにつれ、会議場にいた欧米諸国の代表が何人か席を立ち、あるいは憤然として靴音高く退席していった。という。なぜ、「という」をつけたかというと、この会議に出ていた香港在住の日本人記者、あるいは日本からこの会議に派遣された記者のだれもが、マハティール演説の真髄を記事にしなかったからだ。
 いや、ただ一人いた。朝日新聞の編集委員船橋洋一だ。翌日の紙面で、ごく客観的な記事「東と西のすれ違い」を書いたものの、その真意に触れた記事は翌九三年四月二一日付けの経済面コラム「マハティールの情念」まで待たなければならなかった。実に半年も経っていた。


 そして重要なのは、この文中で日本人ビジネスマンに、「米政府がEAECに反対したはずだ」「マハティールは裏で糸を引いていると思われる日本」と語らせ、さらに辜振甫・台湾工商協進協会理事長に「日本の企業に支配されないようにどうやって対抗したらよいのか(とマハティールから聞かれた)」といった言葉を伝える。
その記事から浮かぶのは、銃をパソコンに持ち代えてアジア経済支配に乗り出そうとする強欲な日本企業のイメージであり、そしてその道具立てとしてマハティールにEAEC構想を語らせているという「SIy and obsequious(へらへらしながらずるく立ち回る)」日本人像である。
 ちなみに、この「SIy・・・・」の形容詞は、サマセット・モームなどが好んで日本人向けに使った言葉だ。
 そういう見下した、軽蔑した言い方を一つの民族、国家に対して使うのは、まさに人種差別、Racismにほかならないが、そのニュアンスには、劣等民族のアジア人種のくせに小癪にナマをやる、という腹立ちの意識も含まれている。
 そういう、もう百年も前からの、カビの生えた日本蔑視にたった論調を、日本のジャーナリストが日本人の読む新聞に堂々とというか、慇懃にというか、偉そうに書くものだろうか。
 日本人の見方でなく、欧米人の言葉で日本人を表現する。この辺が国際派といわれる彼の限界なのだろう。 
 もちろんマハティールの演説を送稿しなかった記者、特派員たちもまさに同じ意識の持ち主でしかない。日本の読者は、その読者を見下す「勘違いした特派員」の記事を読ませられ、マハティールが日本に対して送ったメッセージも知らされていない。国際政治に関して格段の音痴にさせられているのだ。 
 新聞だけでなく、もっと高い聴取料を取るNHKなどはこの演説のあったことすら報じない。国民は金を払って、国際音痴にされているのだ。
 同じ事はEAEC構想がマハティールの口から語られたあと、それをつぶしにかかった外務省の幹部たちにも言える。言葉を選ばなければ国賊と言っていい。そしてEAECの代案にアメリカの意向を体したAPECをつくりあげ、クリントン大統領の御機嫌を取って喜ぶのである。
引用終わり
「情報鎖国・日本 新聞の犯罪」(高山政之著 廣済堂出版)のP一三二〜一三五


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