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義侠

 山忠本家酒造 愛知県海部郡佐屋町日置1813
 代表者 山田明洋      杜氏 杉村洋 社内育成杜氏



 愛知県海部郡といういわゆる酒どころでない土地にありながら非常にマニア的なファンの多い蔵元さんです。義侠という酒は、私がもっとも好きな酒の一つです。最初に長谷川さんよりすすめられて飲んだ60BYの30%の純米大吟に感激してから長谷川さんそして義侠とお付き合いさせていただいています。その長谷川さんの結婚式の時に仲人だった山田社長がもってきた奥様の手書きラベルの62BYの義侠30%は私が飲んで最も感激した酒の一つです。(その時私はでっかいコップでガンガン飲んでそのあと残っていた酒は私が持ってきて、そのから瓶は今も当店に飾ってあります。)その義侠の山田社長は生涯に一度でいいから自分の納得できる酒を、造ってみたいと夢を追っている偉大なる大バカ野郎です。しかし単なる大風呂敷をひろげて口だけの人間では、人はついてきません。昭和五十年代に金賞をバンバン続けて取っていた時に金賞狙いの酒造りはやめる、自分が飲んで旨いという酒を造るといって、二千石の石高を六百石に落としてまで、(最高は8000石も造っていたそうですが、その頃の事はもちろん知りません。私が蔵におじゃました頃は2000石でした。)吟醸を全量純米で仕込んで自分の道を歩いている蔵元だからこそ、他の蔵元さんから親分の様に慕われまた、一目おかれるのは現社長の山田明洋氏のこのような酒に対する姿勢によるものです。どこかの蔵の様に一度もそんな事のないくせに、『うちの蔵は全国など関係ありません。飲んでうまけりゃいいんです。』などとほざいているのは、インターハイもいけないくせに、目標は世界選手権です、オリンピックだなどといっているのと同じです。

 義侠は二十年間以上の40%の古酒と昭和61年よりの30%の古酒をストックしており、その酒を寝かせるように大きな冷蔵倉庫を持っています。余談ですが、吟醸を扱う蔵元さんで冷蔵倉庫に対して投資しないような蔵元さんはだめです。いくら良い酒を杜氏が造っても出荷管理ができません。私は初めての蔵元さんにおじゃまする時には冷蔵倉庫を必ず見せていただきます。出荷管理のできない蔵元さんて意外と多いと思います。
 山田明洋社長は、私が長谷川酒店社長である長谷川浩一氏を通じてお付き合いさせていただいて十年以上になりますが、そのず〜と前より、山田錦という日本最高の酒造好適米の為に、兵庫県の東条町で悪戦苦闘してきました。現在日本のいいかげんな農政のおかげで、日本の農業そのものの存在が危うくなってきています。農家の味方であるはずのJA農協も場当たり的な方針しかない権威主義になりはてています。今後数年以内で、オーストラリア、カリフォルニアなどから現在の価格の数分の一の山田錦、五百万石などの酒造好適米が、入ってくるといわれています。広大なオーストラリアでは完全有機農法が可能であり、低価格の米の生産が可能です。しかし、本当にただ安ければ外米でもいいのか。これは日本人というアイデンティにも関わってくる問題であります。そのために、一昨年より山田社長は全国を手弁当で講演して回っています。みなさんも今少し現在の日本の農業そして今後の日本について考えてみませんか。われわれでも、ほんの少しだけでもお役にたてればと『二つの山田を守る会』という会があります。一昨年は当店が山田社長に来ていただき講演していただきました。


酒の紹介
 
 義侠の最高酒 同社には昭和61年より30%の原酒がストックされていますが、その原酒を山田社長と杜氏でブレンドして平成六年暮れより発売する四合瓶でわずか三百本のみの酒。奥行きと複雑さのある枯れた味が特徴。ちなみに平成六年に発売された最初の妙は61BYと62BYのブレンドです。でも、この妙は飲み屋さんが一本ぐらい買ってもしょうがない酒です。一本ぐらいだと飲み頃が、わからんでしょう。わかると言う人がいたら、大嘘つきといってあげます。そして、蔵元さんでもどう変化していくか年によって違うからわからないといっているぐらいですから、あんたにわかるはずがないやろと。何本も買って自分で飲んで何となく・・・・わかったつもり・・・・・じゃあ、変化を読めるかと言われると、やっぱ自信ないです。少しはと思いますが・・・。

 慶 40%の三年古酒をメインに二十年間以上のストックのある40%の古酒をブレンドして造る酒。よく三年古酒として紹介している記事や飲み屋さんがいますが間違いです。

平成13年の酒について

12BYの義侠はきれいな感じのする酒に仕上がっていると思います。どこの蔵元さんでもそうですが、精米歩合の低い方が早く飲み頃がきて、早く落ちます。義侠も例外では無く、30%、40%より50%、60%の方が飲み頃は早いです。

この蔵元さんで私の記憶に残っている酒

義侠 純米大吟醸生 H2BY 山田錦30% 私が長谷川さんに紹介された酒の中で、現在の私の原点と言える酒です。

義侠60BY純米大吟醸30%
(平成3年にわずか90本のみ出荷された酒(東京には30本当店には15本のみ入荷)。良い意味で 枯れた感じがする酒と思います。62BY、H2BYとともに同社の最高のできと思います)


11BYの造りを最期に佐藤勝郎杜氏が勇退し、12BYより社内育成杜氏の杉村洋氏(四十歳)に変わりました。

前杜氏佐藤さんは大阪の浪速正宗さんに赴任致しました。

13BYより富山県のJA南砺の五百万石を50%のタンクに1本仕込んだそうです。

 JA南砺は片山國丸さんという方が強力な指導力を発揮して全国のJAから注目されている農協さんです。しかし、富山という土地がら晩生である山田錦のような理想的な酒造好適米はできません。同じ酒造好適米でも早生の五百万石なのです。しかし、集団営農という効率のよい作業方法により同じ五百万石でも他のJAとは一線を画す事になったのです。その片山さんの熱意に惚れて山田社長はあれほどこだわっていた山田錦の中にたった1本だけですが、五百万石の仕込みをしたのです。

 

※義侠蔵元山忠本家(平成15年3月2日日曜日)を訪ねました。


「羲侠」の利き酒

平成21年3月8日日曜日くもり △

 「羲侠」蔵元である山忠本家酒造の利き酒に参加させていただく。

 朝、シャワーを浴びて、スーツに着替えて新幹線で名古屋まで。

 途中、車内販売で買った「鳥の唐揚げ弁当」が激マズ。あんなん売るなよ!マジ死ぬかと思った・・・

 名古屋から名鉄に乗り換え津島まで。

 午後二時前に到着。蔵元の山田社長と奥様にご挨拶させていただき、お茶をいただきながら一休みしたのち利き酒。

 今回は二十BYが精米七十%〜三十%まで十四本。古酒が十一BY〜十九BY。六十%〜四十%まで三十三本。

 私の場合は、新酒と当店が扱わせていただいている四十を中心に利き酒。

 醴泉の山田社長の車に酒販店の乾社長、清原社長と同乗させていただき、宿泊する名古屋東急ホテルまで。

 夕方、五時より懇親会。蔵元さん、酒販店さんの皆様のなかにどういうわけか、神楽坂の一杯飲み屋がひとり参加。

 二次会は長谷川社長、館社長などと久しぶりに土手焼きのお店。最初にお邪魔したのは十年以上前。

 三次会は、地元の方の紹介で久しぶりにオネーチャンの居るお店で軽くドンチャン。

 四次会は、醴泉の山田社長、清原社長と台湾料理屋さんで紹興酒のボトルをとってドンチャン。

 夕方五時から夜中までドンチャン。最後まで、記憶があってよかった。

 今日はサルよりは少しまし。

 



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