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香港にみる白人による侵略史

平成18年5月31日水曜日晴れ ×
 香港は一九九七年にイギリスより支那に返還された。それは、ただ、一八九八年九龍租借条約によるものであり、その期限が切れたためであるだけのことで、イギリスの植民地主義の証しである。
 誰でも知っているように、イギリスは一八四〇年のアヘン戦争によりその講和条約である南京条約で香港島を獲得。一八五六〜六十年の第二次アロー戦争後の北京条約で九龍を獲得した。そして、一八九八年に九龍租借条約を結んだ。
 この条約こそ、「強国の力を背景とした不平等条約」の典型であり、「民族自決」などというものに程遠いものであった。戦前の国民党は香港を実力解放しようとしたことはあったが(一九二七年)、中華人民共和国政府はそれをせずに、この植民地主義を容認し一九九七年まで待った。どのような条件下でも国と国との条約だから仕方がないと言うのであれば、国際紛争など起こり様もないわけです。
 そのイギリスの侵略の証である麻薬商人が当時の「ジャーディン・マセソン」商会。今のマンダリンオリエンタルホテル、不動産、金融、証券など「ジャーディン・グループ」です。

  

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