このページは旧ホームページです。新しい「酒たまねぎやホームページ」へ

八田與一

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

平成15年5月13日日火曜日晴れ × 
 今年も戦前の台湾で農業近代化と水利事業に尽くした日本人技師、八田與一(はつたよいち)の命日にあたる八日、銅像のある台南県の烏山頭(うさんとう)ダムで地元の人々の手による慰霊祭が行われたそうです。今年はSARSの影響で、日本の関係者は訪台を断念したそうですが、八田氏が設立した土木測量学校の元助講師だった顔雲霄氏(七九)は「八田さんが懐かしくて懐かしくて」と、あふれる心情を語ると新聞にあります。
 前総統の李登輝氏は「台湾に寄与した日本人を挙げるとすれば、嘉南大用水路を造り上げた八田技師がいの一番に挙げられるでしょう」と語り、昨年十一月、、支那政府の不当な圧力と慶應大のバカ教授どもが自分達の面子のためにつぶした大学内で行う予定だった講演のテーマに「八田與一」を取り上げ、「日本人の精神」を話すことにしていたほどです。

 金沢に生まれた八田氏は明治四十三年に東京帝大土木工業科を卒業し、台湾総督府土木局につとめ、当時アジア一といわれた烏山頭ダムと1万6000キロにおよぶ灌漑用水路の建設にあたり、人情味のある現場責任者として農民に慕われ、56歳で亡くなるまでほぼ全生涯を台湾に住み、台湾のために尽くした人です。

  烏山頭ダムと1万6000キロにおよぶ灌漑用水路の完成により、20世紀になるまで嘉南平野はサトウキビすら育たなかったといわれる嘉南平野は台湾最大の穀倉地に変わった。

 八田氏は昭和十七年、フィリピンに灌漑調査に向かう途中に乗っていた船(太陽丸)が米潜水艦が発射した4発の魚雷により沈み、五十六歳で死去しました。
 嘉南の人々は撃沈された五月八日を命日として、一回も途絶える事なく八田を慕う台湾の人々が供養を続けてきたそうです。


 八田氏の奥さんである外代樹夫人は戦いの終わった二十年九月一日未明に夫が作り上げたダムの放水路に身を投げてしまいました。
 嘉南の人達は昭和二十一年十二月十五日に夫妻の遺徳を偲び、二人のために純日本風の墓石をつくり夫妻の墓を建てました。(この墓石は台湾には滅多に無い御影石をわざわざ花蓮から買って来て作られたそうです。)

 ダムを見下ろす八田技師の銅像秘話として下記のような話が伝わっています。これは飯野さんという方が台湾で日本人学校の先生をされていたときの思い出として書かれた中に出てきます。

 それによりますとこの銅像は戦前より残る台湾に現存する唯一の日本人の銅像だそうです。この銅像は、烏山頭ダムの完成で、去り行く彼のために水利組合の人達が功績を称える記念として贈ったものですが、八田氏は当然この申し出にたいして固辞しましたが、作ってもらうことになったときに八田氏は正装し威厳に満ちた顔付きで、高い台の上にそびえるものにだけはしてほしくないといったそうです。
 そのために銅像は台座をつけずにダムを見下ろす作業服姿でゲートルを巻き、土手に腰を下ろし考え事をしている座像を作り八田氏に対しての贈呈式昭和6年7月31日がおこなわれたそうです。 
 大東亜戦争末期は金属は製錬所に出さなければならず、八田氏の銅像も供出されたのですが、終戦後八田氏の銅像は偶然にも水利組合の職員によって烏山頭の近くの駅の倉庫から発見されたのです。おそらく八田氏を慕う地元の人々が、供出を避けるために隠しておいたものでしょう。戦後は支那より上陸してきた中華民国政府軍により、日本人の銅像、石碑の類が次々と破壊されていっている時勢です。その時代に水利組合は命懸けで銅像を買い戻し烏山頭に運び、誰も住んでいない、かつて八田家族が住んでいた家のベランダに置きました。
 嘉南の農民の人はこの銅像の前を通る時には必ず手を合わせて拝んだそうです。
 昭和56年(1981)1月1日に、台座をつけて元の場所に設置したそうですが、八田氏がいかに嘉南の人々に愛されているかをよく表しているエピソードの一つと思います。

 このような日本人がいた事を、我々はもっと知っていてもよいと思います。

それにしましても、台湾とかの半島の人々との戦後の対応の差はなんでしょう。


八田與一についてのエピソードなどは下記のホームページから引用、参考にさせていただきました。ぜひ御覧下さい。

「台湾と日本 交流秘話」許國雄監修名越二荒之助・草開省三編著 展転社


飯野先生のホームページ
http://www2.ocn.ne.jp/~inochan1/4.taiwan/4-43.htm(リンク切れ)
台湾で最も愛される日本人−八田與一
http://www.yorozubp.com/9907/990718.htm
台湾で最も愛される日本人−土木技術者,八田與一
http://www2s.biglobe.ne.jp/~edamura/mandan.html#hatta(リンク切れ)
台湾最大の穀倉地をつくった八田與一
http://www.a-eda.net/asia/hatta1.html
珊瑚潭に臨む
http://www.asahi-net.or.jp/~gc6d-htt/uzantou.html

 

酒たまねぎやホームページ

ホームページ裏表紙