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韓国の文化勲章を受章した枡富安左衛門

文責はすべて、酒たまねぎや店主の木下隆義にございます


 

    −朝鮮人の教育に生涯を捧げたキリスト教徒−

 枡富の事業の舞台となったのは全羅北道金堤郡月村面月風の農場と高敞郡富 安面吾山里の果樹園でした。信者になってからの彼は、朝鮮の民衆への布教と 奉仕を使命とし、事業の収益の殆どを朝鮮の教育施設の設立のための資金として 貯えていたのでした。
 「我らは、この半島のために何を負うべきか。愛のほか負うてはならぬと存 ずる。もつと我らは政府の力を借りずに、お互いにめいめいで半島の民と真に 解けあい、聖書について祈り、研究する必要がある。例えば学校、病院、植林 農業に為すべき、様々なことがある」
 枡富はその言葉通り、全羅北道に於いて一番に水利組合を作り、農業用水の 確保をはかって洪水や干ばつの被害防止に尽くし、進歩的な農業技術を導入し て朝鮮人技術者を育てていきました。他にも湖の水を利用しての発電に成功し たり、他の日本人農場主や農民と結束して荒廃していた植林事業にも乗り出し ました。
 「今私が朝鮮でしていることは神の命じてくれた特殊なものと信じている。
この哀れな朝鮮人を神の導きに従い、少数の人でも導く日が来るならば、私 も心の慰めを得ることができる」
 私塾「興徳学堂」では子供達に授業料を取らずに教材や筆記用具を与え、 読み書き、算盤を教えました。また、「私立吾山高等学堂」を設立、後に 「高敞高等普通学校」と名称を変え、独立運動に参加して退学となり、学び場 を失った学生達を積極的に受け入れ、いつしか「民族運動揺藍の地」と呼ばれ るようになりました。彼はつねに朝鮮の独立を願っていたのです。
 昭和九年、十一月六日、死去 享年五十三歳 惜しまれた死でした。

 枡富の死より何十年か過ぎましたが、そうした歴史の流れの中でも枡富から恩恵を受けた事を忘れず、今日まで慰霊祭を行い、顕彰碑を建立してきた韓国の人々もいます。
 その人々、高敞高校や富安国民学校のOBや教会の関係者によって、平成6年11月6日に枡富の60年慰霊際がソウル市の永世教会で盛大に挙行されました。この式で、死後60年を機にした叙勲を望む声が強まりました。
金玉成氏、元富安国民学校校長の鄭成沢氏、高敞高等学校同窓会会長の韓甲洙氏
が中心となり運動をはじめました。
 平成7年5月に政府の教育部に提出された申請書の一部です。
「枡富氏は日本人であっても、我が富安を愛し、この地に開花の種をまき、我が高敞を切り開いた、恩人である。このような人物を、日本人だからといってこのまま埋めておくには大変惜しい。学校教育の場では、隠れた郷土の教材を発掘し、積極的に活用することは重要な教育機能の一つであり、これこそが生の教育の一つではなかろうか。
 よしんば、昔彼が建てた教会や教室が、今視界から消え失せていたとしても、我らが日々の生業に追われるあまり、過ぎし日を忘れ、思い出すこともないということでは、その過去に生き、今日の我らのために貢献し、犠牲となった人物に対し、望ましくない。
 枡富氏は韓国を心の底から愛し、我々同胞を愛した先覚者である」

 平成7年12月15日ソウル市内の中央教育研修院で式典が行われ、我が国の文化勲章にあたる国民勲章牡丹章が授与されました。
牡丹章は二番目に高い位にあります。

 皮肉な事に、「日本は韓国に、教育事業や農地改革、鉄道敷設などいいこともした」とオフレコで発言したのを、バカ新聞御用記者に南朝鮮の新聞社に通報され、辞任した江藤隆美元総務庁長官の事件があったばかりです。

 当時の金泳三大統領は来日しての国会演説で「争いと葛藤の歴史に終止符を。真の友情と協力の新しい歴史を」と述べていますが、この江藤長官のオフレコ発言にたいしては「日本の歴史観を改めさせてやる」といっています。

 枡富安左衛門氏の顕彰碑を、その枡富氏が創立した富安国民学校の校長であった鄭成沢氏がその校内に健立したそうですが、それが元で教職を去ったそうです。
 校長であった鄭成沢氏は枡富氏の事を知り、生徒に「皆さんは、日本人が建てた学校に通っている。韓国民を熱烈に愛した日本人が、その熱情に動かされて建てた学校に通っているのだ。
 皆さんは、それを誇りに思ってもらいたい」
 と枡富氏の事を語り、昭和43年から富安国民学校の講堂では枡富氏の亡くなった11月に追悼式が行われるようになり、枡富氏の顕彰碑を御自分のポケットマネーと枡富氏婦人より送られたお金とで建てた。
その事につき、子どもの頃からの反日教育で育った若い教師などの糾弾、誹謗中傷により鄭成沢氏は校長どころか教職を去らねばいけなくなりました。
 
「日韓共鳴二千年史」名越二荒之助著より大意抜粋


 シナの反日といい、朝鮮の反日といい、どちらもこの国の戦後教育の成果?がよく表れています。


         

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