有色人種蔑視

平成18年10月29日日曜日晴れ
 「ドイツ兵が頭蓋骨を手に記念撮影 首相謝罪」という以下のようなニュースがありました。
 以下引用
 アフガニスタンでドイツ軍の兵士が頭蓋骨を手にして記念撮影をした写真が報道され、ドイツの首相が謝罪する事態となっている。
 問題の写真は25日、ドイツの大衆紙「ビルト」が報じたもので、アフガニスタンで活動する国際治安支援部隊に所属するドイツ軍兵士が頭蓋骨を手に記念撮影をしたり、笑いながらポーズを取ったりしている。ビルト紙によると、写真は03年に撮影され、頭蓋骨は遺体が大量に埋まっている砂利採取場から持ち出されたとみられている。
 イラクでアメリカ兵が行ったイラク人虐待の再来と非難する声も上がり、この報道を受けて、ドイツ・メルケル首相が「政府として徹底調査し、厳正な処分を行う。兵士の行動に弁解の余地はない」と謝罪した。
 ドイツ国防省は関係した兵士から事情聴取を行い、検察当局は死体損壊の疑いで捜査を始めた。
[読売 27日14時3分更新]
引用終わり

 アフガニスタンにおいてのドイツ軍兵の死者への冒涜についての記事ですが、そもそも多くのアメリカ人、オーストラリア人などの白人は有色人種に対して人間扱いをしていなかった。
これはあの大西洋横断単独飛行の英雄、チャールズ・リンドバーグの日記にも記されていることです。(新潮社、一九七四年刊)
 以下チャールズ・リンドバーグの日記については「日本の反論 戦勝国の犯罪を検証する」(米田健三著、並木書房)よりの引用。
「小屋の壁のひとつに、絹地の日本の国旗が三枚かかげてあった。日本軍兵士の死体から取ったものだという。その一枚は記念品として一〇ポンド(三三ドル)の値打ちがあると、ある将校は説明した。日本軍将校の軍刀を所持する男は二五〇ポンドなら譲ってもよいといった」(リンドバーグ日記六月二一日)
 「将校の話によれば、穴の中の遺体をブルドーザーにかける前に、何人かの海兵隊員が遺体の間に分け入り、ポケットを探ったり、金歯探しに棒で口をこじ開けたりした。金歯を仕舞い込む小袋を持っている海兵隊員さえいた。その将校はさらに、耳や鼻を切り落とされている日本兵の遺体を幾つも見たとも言った。『兵が耳や鼻を切り取るのは、面白半分に仲間に見せびらかすためか、乾燥させて帰還するときに持ち帰るためですよ。日本兵の首を持っている海兵隊員まで見つけましてね。頭蓋骨にこびりつく肉片を蟻に食わせようとしていたのですが、悪臭が強くなり過ぎたので、首を取りあげねばなりませんでした』。行く先々で聞かされる似たり寄ったりの話だ」(同九月九日)

 この米田氏の著書には他の例も多く書かれています。

 雑誌「ライフ」一九四四年五月二日付には、恋人の海軍大尉から送られてきた日本兵の頭蓋骨を眺めながら、その海軍大尉に手紙を書いているアリゾナのナタリ−というバカの写真が普通に掲載されていたぐらいに、アメリカという国の有色人種に対しての偏見があったのです。

 「敗北を抱きしめて」などの著書で有名なジョン・ダワーもその著書「容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別」(平凡社ライブラリー)に書いています。
 「大平洋地域担当の従軍記者エドガー・ジョーンズが、四六年の『アトランティック・マンスリー』誌に書いている『われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、病院を破壊し、救命ボートを機関銃掃射し、敵の民間人を虐待、殺害し、傷ついた敵兵を殺し、まだ息のある者を他の死体とともに穴に投げ入れ、死体を煮て頭蓋骨をとりわけ、それで置物を作るとか、または他の骨でペーパーナイフを作るとかしてきたのだ』。ジョーンズはさらに、標的の日本兵がすぐに死ぬことがないように、火炎放射機の炎を調整するというような行為にまで言及している」
「一九四二年の末に出版されベストセラーとなった『ガダルカナル日記』のなかで、ジャーナリストのリチャード・トレガスキスは、日本軍との戦いを前にして武勇自慢をし合う若い兵士たちの会話を挿入している。『ジャップは金歯をたくさん入れてるんだってな。それをいただいてネックレスでも作るかな』と一人がいう。『おれは奴らの耳を持って帰るよ』ともう一人が宣言する」
「リンドバーグがついに大平洋諸島を離れ、ハワイで税関検査を受けたときには、荷物に骨が入っているかどうか聞かれた。それは決まりきった質問だと言われたという」
 
 沖縄戦でも、南太平洋戦線と同様の米兵による悪行が繰り広げられた。アメリカの作家、ジョージ・ファイファーが、取材開始から出版まで八年の歳月を費やした労作、『天王山 沖縄戦と原子爆弾』(早川書房)で、「アメリカ軍の残虐行為」という項目を設けて明らかにしている。 
 「野蛮な人間もいた。日本人の歯で作った腕輪は、彼らの歯を抜き取らなくては作れない」
 「ある機関銃分隊は急造の小さなパイプを持って歩き回っていたが、それは日本兵の死体の口に彼らの尿を流し込むのに使われた」
以上米田健三氏の著書「日本の反論 戦勝国の犯罪を検証する」より(p一六六〜一六九)

 このような事例は、私の手元にあるその他の本にも掲載されている。
「キッド(駆逐艦)は日本機を一機撃墜した。パイロットは落下傘で機内から脱出したが、キッドがそのパイロットを捕虜にしようと引き揚げた時にはすでに死亡していた。血気にはやる数人の乗組員たちは日本人パイロットの遺体をナイフできりつけ、耳を殺ぎ落としたり、首をはねたりなど、非道な行為にはしった。中には、下顎を頭蓋骨からはずし、それで装飾品をつくった者もいた。
 バーンハウスは艦長とともにこの非道な行為を止めた。後日、このパイロットの遺体は艦長の指揮のもと、アメリカ海軍の伝統にのっとり水葬にふされた」P六七
 著者が米国国立公文書保管所で、大東亜戦争時の米軍書類より、資料を探していた時の事を書いています。
以下引用
 当時、アメリカ軍は、日本とだけではなく、またナチスドイツとも交戦していた。ドイツ降伏一ヶ月前の事である。ドイツ海軍とは北大西洋で、特にドイツ潜水艦と熾烈な戦いを行った。書類の中にドイツ海軍の話も時折でてきた。ドイツ軍の呼称は、そのままGermansであるが、日本軍の総称はほとんどJapsであった。稀ではあるが、JapaneseとかJapanとか記述してあるものもあった。これは、その当時のアメリカの一般的な感情、意向、傾向を表していた。アメリカ政府、軍部は一貫したポリシーとして当時、日本、日本人を人間以下の動物として蔑視し、それを事実として国民に植え付けていった。反対に自分たちの多くがドイツから移民してきた仲間であることも手伝って、ドイツに対してのそのような政策はなかった。この違いが、報告書などの書き方にも現れている。単に敵に対する増悪だったと言えば、そうとも考えられないことはないが、戦争が終わって六十年近くにもなっていまだに、Japsという呼び方が正式なものだと信じている老人もいる。p192〜3
駆逐艦キッドの戦友会にて
 「頭部はかなり腐乱していたが、アルコールで洗い落とし、頭蓋骨だけ取り出し、船のマストに飾ったという。
 戦争が終わり、彼はこの頭蓋骨をペンシルバニアの実家に持ち帰った。しかし、良心に苛まれて、当時ある大学に通っていた友人にその頭蓋骨を渡し、大学に寄付してくれるよう依頼したそうである。
その後、その頭蓋骨がどうなったかは、彼は知らないと言う。この噂は、以前からあった。しかし、その当事者が名乗りでてくるとは正直思ってもいなかった。
略)
 日本兵の頭から頭蓋骨を取り出して故郷の恋人に土産として送った海兵隊隊員もいたぐらいである。キッドでこのようなことが起きても不思議ではなかった。
実際、キッドが体当たりを受けた以前に、ある時死亡した日本兵を海から引きあげたことがあった。
ある水兵がその日本パイロットの頭蓋骨から、下顎を取り出して飾りを作ったという話があった。この話は、戦友会で数人に確認がとれている。」
 p251〜2「特攻パイロットを探せ」平義克己著 扶桑社 平成一六年刊) 

 これが人道的とされてきたアメリカの姿です。アメリカ国内においては大東亜戦争中も人種差別が合法でした。公立の学校においてさえ、人種差別が憲法違反とされたのは一九五三年のことです。軍隊においては別々に従事させていました。

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