大和
平成18年1月16日月曜日くもり ○ 17日一部訂正追記
午後より新宿の映画館で「男たちの大和」を観る。三時五十分からとなっていて十分ほど前に入る。
親父連中もいっぱい来ていました。それもひとりの人が多かったです。
いい映画だったと思ったし、最近、年のせいか涙もろくなってきているので泣けました。ただ、正直なところ仕方ないのかもしれないが、以前読んだことのある原作との距離感というか映画に少し違和感も感じました。
帰ってきてから、原作の辺見じゅんの「男たちの大和」を読みなおすと沖縄に向かう大和として下記のような場面が書かれています。(ちなみに、原作者である辺見じゅん氏は角川春樹氏の姉にあたるそうな)
「副長の訓示のあと、乗組員は皇居の方角に向かって遥拝した。「君が代斉唱」がすむと、副長の音頭で「皇国万歳」を三唱した。
乗組員たちはすべて戦闘服に身をかためた。この日の朝は、だれもがあたらしい肌着を着けていた。
副長の解散の号令がかかったが、しばらくはだれもその場を去ろうとせず夕闇せまる甲板に立ちつくしていた。四国の海岸の松の木が、夕陽のなかにシルエットをつくっていた。
家郷の方角に姿勢を正して帽子を脱ぎ、頭を下げて動かぬ者がいる。両手を高く拳げ、ちぎれるほど振っている者もいた。見えない父母弟妹に、妻や子に、恋人に、最後のお別れをした。みんな泣いていた。
側距儀の石田直義班長も、「君が代」を歌いはじめたとき、涙が出た。最後に家に帰った時のことがまぶたに浮かんだ。長男が誕生して一週間目だった。家を出て歩き出したが、もう一度家の回りをまわった。息子をもう一ぺん、この腕でしっかり抱きしめたかった。妻や子のことが思い出され、涙がにじんだ。
ああ 堂々の輸送船
さらば祖国よ 栄あれ
だれかが小声で歌いだすと、その歌声に誘われ、甲板を去りかけた者も立ち止まって歌いはじめた。
遥かに拝む 宮城の
空にちかった この決意
暗くなりかけた海の彼方へ、大合唱となって広がった。漆黒の海面には艦の航跡が白く尾をひいていた。」
「男たちの大和 上」p303〜034
その場面は、映画館の中で買ったパンフレットの中にも元乗組員の小林健氏の言葉としても下記のように書かれています。
<全員東に向いて「宮城の遥拝」をし、「君が代」と「海ゆかば」を斉唱して、それぞれ自分の故郷への別れと挨拶をしました。この時、日本海海戦で東郷平八郎元帥が掲げた”Z旗”が翻りました。全艦を「軍艦行進曲」が流れ、これを聞きながら大和は進みました>
残念ながら映画にはこの場面はありませんでした。
そして下記の掲示板に書かれていたという出撃命令も出てくることはありませんでした。
要旨
本楠笋に海上特攻隊ヲ編成シ、壮烈無比ナル沖縄突入作戦ヲ命ジタルハ光輝アル皇国海軍ノ伝統ヲ後世ニ伝ヘントスルニ外ナラズ。 各員奮戦其ノ職ニ殱死セヨ
この二つは映画には描かれているだろうと何となく思っていたのですが外れちまいました。映画には国歌である君が代が流れることはなかったです。特攻に反対であった渡哲也扮する伊藤整一司令長官に対して、林隆三扮する草鹿参謀長が「海軍ニハモウ艦ハナイノカ、海上部隊ハナイノカ」と先帝陛下の言葉をだして説得している場面はあります。それに対して、元乗組員の方の証言にも出てくる当時では当然であったであろう宮城の遥拝、国歌を斉唱などの場面が特攻の大和の艦上において描かれて無いのは不自然に思いました。原作にあった掲示板に「死ニ方用意」の言葉が書かれていたということと、産経新聞にも掲載されましたが、同じ大和の乗組員だった八杉康夫氏の体験談にでてくる
<能村副長から「各人故郷のほうを向け」と命令がありました。「みな、遠慮せずに大いに泣け」というのです。みな肩を震わせて一生懸命泣きました。よく覚えております。>
というのを参考にしたと思われる場面としては、特年兵に掲示板に書かれた「死ニ方用意」の方法を長島一茂演じる大尉が示唆し、それにより特年兵が絶叫したり、泣き崩れたりする場面として描かれています。そして、出航してから特攻の是非で下士官が大勢で殴り合い、それを長島一茂演じる大尉が止めて、「負けなければ分からない事もある」というようなことを言う場面は辺見氏の原作には無かったのですが、いれています。これらは中で買ったパンフレットに監督の言葉として「戦争は悪」「日中十五年戦争を見つめ直す作業」「太平洋戦争とはなんだったのか?」などという文章がでてきていますが、これらと関係あるのでしょうか。
パンフレットによりますと、原作の主人公だった内田貢氏は平成十四年三月七日にお亡くなりなっておられ、その遺骨を養女の牧子さんが映画のように沈没地点で散骨され其の時に「内田兵曹、ただ今、帰りました。長生きさせて頂き、ありがとうございました」と亡き父親に代わり敬礼されたそうです。大和イチの柔道の猛者である内田氏は、当時は士官は別として、海軍では髪を伸ばしている兵隊はいなかったそうですが、大和に乗艦中もオールバックのへヤースタイルを通し、香水を好んでつけていたシャレ者だったそうです。そんな内田氏を山本五十六司令長官は可愛がり、大和を降りる時に世話になったと内田氏に短刀と茶掛を渡されたそうです。
そういえば、支那がこの映画に対してイチャモンをつけてきたそうですが、散々酷い映画を今迄作ってきた国がよくいうよ。