若槻泰雄の著書にみる千田夏光

平成17年12月28日水曜日晴れ 
 若槻泰雄というひとの著書が手許に何冊かある。
この人は「ソ連と日本人 シベリヤ捕虜収容所」(サイマル出版)なども書いている人で、「韓国・朝鮮と日本人」(原書房1989刊)では他国の植民地統治との冷静な比較などがある著書であるが、そのような人でもその同じ著書のなかで、下記のようなバカな著作物を信用してそのまま書く。
以下引用
第一章 日帝三六年の虐殺と差別より
日本の朝鮮統治の虐政の最悪のものの一つとして挙げられるものに、いわゆる「強制連行」がある。戦局の緊迫化にともない、朝鮮における志願制と徴兵制施行による軍隊への徴集と、土木工事や運搬に従事する軍要員としての動員のほか、朝鮮内において徴用されて軍需工場などで就労したものも数百万に達するが、日本内地へも、およそ一二〇万人が強制的に連行されたという。彼らは炭坑、金属鉱山、水力発電所など、最も労働条件の劣悪なところで酷使された。そのうちおよそ二二万人が逃亡し、六四〇〇〇人が死亡したと推定されている。(朴慶植)>P2
 若槻氏が引用している朴慶植という朝鮮人の「朝鮮人強制連行の記録」は一九六五年に出版されていますが、あまりにもウソが多く、今は引用する場合は逆の意味で、どんなに在日朝鮮人がウソをついて生きて来たかとしての引用が多くなっています。

ましてや
日本は韓国併合によって、「王朝を奪い、土地を奪い、名前を奪い、生命さえ奪った。」在日本大韓民国居留民団中央本部編『差別白書 第一集 何が問題なのか』より>としての引用には言葉を失います。

 この若槻氏のアホな引用はまだまだ続きます。
あの吉田清治と千田夏光の両氏の著書をなんの疑いもなく、鵜呑みにして醜い文章を書いています。
吐き気をもよおすこと
 中にも悲惨なのは、若い女性の”徴用”である。第二次大戦中、長引く戦争のために、前線の兵士の気持ちはすさんで、占領地における暴行略奪が絶えなかったのだが、日本軍はその対策の一つとして、「慰安婦」を戦地に送ることにした。当初は”クロウト”であったが、不足するようになると、朝鮮人の女性をだまして、あるいは強制的に徴用してこれに当てるようになった。一九四一年、例の対ソ戦準備の七十万人の大動員のあった「関特演」に際しても、二万人の慰安婦が準備された。近代国家の軍隊が、「制度」として慰安婦を戦場に連れて行ったなどとは、世界の戦史史上例のないことであろう。そして、その犠牲者は朝鮮人の女性であった。
 直接この破廉恥な”徴用”の業務に従事した吉田清治という人物が、その体験記『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』を残しているが、これを読んだ同国人は「身が震えるほどの怒りを禁じ得なかった」(金賛汀)と書いている。まともな日本人であるならば、彼も、みずからの国家と民族に対する吐き気をもよおすような自己嫌悪におちいるだろう。
 この手記によると、彼ら(徴用隊員)は護衛の兵士たちとともに銃剣をかざして、突然、のどかな漁村を襲う。そして村の青年たちを威嚇しながら、泣き叫ぶ娘たちや若い人妻をつかまえてトラックにおしこんで連れ去った。その帰途トラックを止めて、早くも兵隊たちは白昼、女たちを集団暴行するのだ。戦国時代の山賊さながらであって、戦場ならいざ知らず、平和な自国内の出来事なのだから驚くよりほかはない。
 これが、「一視同仁」「天皇陛下の赤子」と称した、”同胞たる朝鮮人”に対して日本政府がやったことなのである
>P2〜3

 この若槻氏が参考文献としてあげている吉田清治『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』、千田夏光の『従軍慰安婦』『従軍慰安婦 続』のいかがわしさはすでに多くの方々により指摘されているものであり、特に吉田清治については一九九二年の時点で、秦郁彦氏が「正論」六月号、板倉由明氏が「諸君」七月号、上杉千年氏が同じく「諸君」八月号にて指摘されています。それを、一九八九年初版で一九九三年六月に第四刷として出された私の手許にある若槻氏の著書でも訂正せずに、それをそのまま引用するとは何か意図があると思われても仕方ないと思います。

 吉田清治という詐欺師についてはすでに別に書きましたので、今回は若槻氏も著書にも、先日も書きました毎日新聞社が発行していた「一億人の昭和史 不許可写真史」に影響を及ぼしていた千田夏光について書きたく思います。

 若槻氏が引用している<一九四一年、例の対ソ戦準備の七十万人の大動員のあった「関特演」に際しても、二万人の慰安婦が準備された。>というウソについては、中川八洋氏が著書『歴史を偽造する韓国』徳間書店にて詳しく指摘しています。
 若槻氏の引用は千田の著書『従軍慰安婦』第四章 痛哭 ”挺身隊”に掲載されているものであり、それには下記のような記述があります。
<”関特演”・・・・の動員の中に”慰安婦”の動員も含まれていた。関東軍の後方担当参謀の原善四郎少佐(のちの中佐)という人物がいたが、作戦部隊の兵隊の欲求度や所持金に女性の肉体的能力を計算したすえ、”必要慰安婦の数は二万人”とはじき出し、飛行機で朝鮮へ調達に出かけている>
そして原善四郎は次のように回答したと書く。
<朝鮮総督府総務局に行き依頼した>
<実際に集まったのは八千人ぐらいだった>
<(最初は断った師団長も)二ヶ月とたたぬうち、やはり”配属してくれ”と泣きついて来た>
若槻氏はここでも、千田が原という元少佐へのインタビュー(実際におこなったかどうか不明)として、実際には八千人しか集まらなかったと言っているのに二万人と書いています。これにも、若槻氏の不自然な意図が感じられます。
 千田のウソについては中川氏はその著書で
「関特演」つまり「関東軍特別演習」は、七月二八日にはサイゴンに入城して「南進」に戦略が定まったため、八月二日頃には、シベリア侵攻断念(陸軍統帥部の正式断念は八月九日)が陸軍中枢の意志となっていた。これにより「関特演」はあっという間に”単なる演習”に格下げされた。
 「関特演」の動員命令は、第一次が七月九日、第二次は七月十六日であった。内地から動員された宇都宮の第五一師団と弘前の第五七師団は、この七月十六日での下令であった。ところが、八月九日には正式の中止決定である。つまり、実質的には(七月十六日〜八月二日の)二週間の「幻の動員」に過ぎなかった。この奇襲開戦の当初の予定日は八月十九日であったことを思えば出産予定の一ヶ月前に自ら掻爬してしまった「机上の大動員」であったといえる。要するに、「関特演」は、実際には、上記の二個師団を除き、満朝軍の平時編制を戦時編制に切り換えただけであった。ほぼすべての部隊は、満州と朝鮮の既存の部隊に限定された。
「国をあげての戦争準備」とは程遠く、そんなものは影も形もなかった。
 そうとはいえ、この「演習」はあくまで開戦準備であったから、パールハーバー奇襲と同じく、機密のなかの機密であった。当然”企図秘匿”は至上命令であった。だから、実際には「動員」の二文字すらなく、「臨時編制」の四文字に置きかえられていた。出征兵士の壮行会や歓送会は禁止された。

 以上の史実に続いて中川氏は千田のウソについて数々の指摘されています。
以下引用
 その一
 朝鮮からの慰安婦(売春婦)の朝鮮総督府への依頼、総督府による募集、「八千人」という慰安婦の集合、満州北部への輸送は、仮に七月七日に開始されたとしても、なんとたった一ヶ月未満の八月二日までに完了したというのである。軍隊の動員より早く、かつ動員された軍隊よりその輸送も迅速だったというのである。

 その二
 朝鮮全土で公然と朝鮮人の面長(村長)と村の巡査を叱咤しての「八千人」という巨大募集は、完全に秘密裡に実行された。一個師団にほぼ近い、売春婦「八千人」と恐らくその置き屋関係者約千人以上が、朝鮮から満州北部に完全に秘密裡に輸送された。

 その三
 新規動員(補充)された将兵兵舎や馬の厩舎すらなく、テントその他でその場をしのぎ、それらの建設を応急的にやっているときに、この「八千人」と置屋関係者の建物だけは絶対優先でただちにつくられ完備された。

 その四
 従軍慰安婦「八千人」が仮に八月上旬に満州北部に到達したとすれば、その「二ヶ月後」は十月上旬である。「関特演」は八月九日に中止になっていた。それでも、ある師団長はシベリヤ用慰安婦が欲しいとこの十月ごろに関東軍参謀部の兵站部に泣きついた。
 その五
 「従軍置屋」の担当は憲兵部隊であるのに、関東軍では実戦部隊の兵站部が所轄した。

 その六
 千田は開始されてもいない対ソ戦に、「まぼろしの日本軍」を追っていき、その売春婦八千人が全員巻き込まれて亡くなり、朝鮮には帰ってこなかった。

 その七
 関東軍の一参謀の依頼で、朝鮮総督府総務局の官僚たちがすぐに応じて引き受けてくれた。また、総務局は「従軍慰安婦」の「募集」を所轄する部局であった。

 その八
 動員を開始した直後には、食料や弾薬の輸送を担当する兵站部門は眠る間もない超多忙と激務になる。が、その中心的なエリート参謀が、のこのこ朝鮮に売春婦募集にいく時間的余裕がたぷりとある。

 その九
 「父親(面長)がある日のこと頭をかかえていたのです。駐在所の警官がたずねて来た直後です。・・・・若い女性を集めろと言われたのですね」
 すなわち、駐在所の警官が面長(村長)に対する命令権がある、巡査という末端の警官は村長の上司であると主張する。しかし、面長の上司は郡守である。郡守の上司は道長官(副知事)である。一方、村の巡査は警察署長の部下である。警察署長は県(道)の警務部長の部下ある。警務部長は、総督府の警務局長の命令に服する。

 以上の他に中川氏は千田に対して、
1)本当に原善四郎にインタビューしたのか。インタビューの録音テープの存在の有無。
2)「父親(面長)がある日のこと頭をかかえていたのです。駐在所の警官がたずねて来た直後です。・・・・若い女性を集めろと言われたのですね」と語った韓国人は本当に実在するのか。
3)これだけの虚偽者作は、個人で発案したのか、それとも背後の組織の命令によるのか。
と三つの事項を明らかにすべきだと言っています。

 先に書きましたが、若槻氏はこの著書「韓国・朝鮮と日本人」において、他の国々との我国の統治の違いなど詳しく比較し考察していますが、こと慰安婦に関してはその形跡はありません。
そればかりか<近代国家の軍隊が、「制度」として慰安婦を戦場に連れて行ったなどとは、世界の戦史史上例のないことであろう。そして、その犠牲者は朝鮮人の女性であった>
<兵隊たちは白昼、女たちを集団暴行するのだ。戦国時代の山賊さながらであって、戦場ならいざ知らず、平和な自国内の出来事なのだから驚くよりほかはない。
 これが、「一視同仁」「天皇陛下の赤子」と称した、”同胞たる朝鮮人”に対して日本政府がやったことなのである>とまで書いています。
 これは大きなウソで、将兵に無制限の強姦を奨励したロシアを除く近代国家の軍隊は、戦場における強姦と性病の蔓延を防ぐために、軍隊の将兵の性処理に売春婦を使うのが一般的である。
その形式は大きくわけて三つあり
一)前線の近くの都市に売春婦の街をつくり、あるいは、既成のがあればそれを管理して、前線から定期的に兵士を後送して利用させる制度。または戦争終了後の占領地に、それを職業とする現地女性をもってその売春管理施設を設置する。
 アメリカ

二)出征する軍が、売春婦を雇用する民間の置屋を一種の軍属的に同行させ、前線よりやや後方の、兵站部隊のあたりに設置する。
 日本、ドイツ、フランス

三)売春婦が勝手に軍部隊の駐屯地や野営地に群がる。
 十字軍の遠征時

つまり、若槻氏が書くように<近代国家の軍隊が、「制度」として慰安婦を戦場に連れて行ったなどとは、世界の戦史史上例のないことであろう。>などということはウソである。聖人君子でもない将兵の性欲の処理を考えなければ、あのソビエト軍のように敗戦国側の婦女子に対して強姦、略奪を行う輩を増やすだけである。

 逆に非難されるべき対象は、そのように残虐極まりない強姦を各地で繰り返したソ連軍に対してである。どういうわけか、進歩的といわれる人々はドイツ、東欧、そして満州、朝鮮にてのソ連軍の蛮行に対して非難することは無い。

裏表紙